shin-1さんの日記

○世羅の町・その1

 広島県世羅町といえば何といっても高校駅伝の町です。小さな田舎町ながら高校駅伝界では全国制覇も成し遂げた世羅高校があるのです。今年の8月29日その世羅町大田地区から私の所に視察団が訪れました。大田地区振興協議会という自治会連合会の方々です。私にとっては毎月やって来る視察者ですから、やれこの団体は女性が少ないとか好き勝手な感想を述べて、興が乗れば我が家へも案内するのですが、我が家に案内したほど熱心な団体であったことだけは覚えていました。その協議会からお誘いがあって出掛けました。普通遠い土地なら別ですが、しまなみ海道を通れば広島県の近い場所なので日帰りなのでしょうが、案内は一泊二日だそうです。早朝に出かけその日は午後からバスでふるさと巡りをするというのです。同行し私の目から見た地域振興策を伝授せよとのお達しに、さてさて人使いの荒い団体とお見受けしつつ同行しました。

 前日の雨もあがり少々肌寒いものの絶好のコンデションで望みました。梨やふらわーの観光農園で心境著しいこの町は最近隣の甲山町、それに世羅西町とが合併して世羅町となり役場が甲山町に置かれています。面白いことに旧世羅町と旧甲山町の役場は500メートルしか離れていないのですから、合併の必然性はあったようです。

 さて心に残ったベストテンを順に気がついたままに列記しておきましょう。

①最初に訪れたのは町のシンボル的存在の新山山頂にあるシャンテパルクという施設でした。そこには立派な野外ステージが殆ど使われることもないような状態で建っていました。かなりの投資をして建てたハードでしょうが勿体ない話です。これを生かす手立てを考えなければなりませんが残念ながら道も狭く車の駐車スペースも少なく、利用目的は限界があるようでした。でも山頂からの眺めは素晴らしく、360度の視界が開け、遠くはスキー場の道後山や今治まで見れるということでした。


②雪舟作と伝えられる康徳寺に行きました。山門の石垣に面白い遊び心を見つけました。石垣をダルマに見立てているのです。昔の人はこんな風変わりな石垣を築いていたのですね。(でも上のダルマの顔は村内古いものではないようです)

 庭もさることながら今が盛りの紅葉の姿を借景の庭は、時のたちのも忘れてただうっとりと眺めていたいような雰囲気でした。日本全国には歌人で茶人の雪舟作と伝えられる庭園が多いのですが、本物かどうかは雪舟のみぞ知ることなのです。でもこの庭園はよく手入れされて、周りのアジサイが咲く頃に是非訪ねたいものです。

③このふるさと巡りには地区毎にガイドが用意されていましたが、特に流暢だったのは兼丸さんです。彼の博学は自他共に認める処で、まるで世羅の観光大使にでも任命したらよいようなお方とお見受けしました。何故なら今回のふるさと巡りのポイントに彼の自宅があったからです。いやはや驚きました。家は今でも移築したというわらぶき屋根の家で、周辺にはかつての屋敷跡と思われる立派な石垣群が残り、敷地内には鉄製の竹炭釜が二基並びまるで小さな町工場といった感じです。そしてその横のかつてキノコを栽培していた倉庫には15000冊の古い蔵書発動機群、それに今ではすっかり姿を消した田舎のクラッシックカーが所狭しと置いてあるのです。これは単なるボロ集めでなくれっきとした収集家なのです。全て「3丁目の夕日」という映画に出てきそうな近代化遺産なのです。多分どこかの家が壊されると聞いて貰い受けたのでしょうが、天井には役場が壊された時の各課の表示板まで吊り下げられていて、ノスタリジックな気分になりました。竹炭や竹酢液の話は環境と結びつけると大きな広がりを示すことでしょう。

 この方がご当主の兼丸さんです。とに角饒舌で知識人には私も脱帽でした。地域を語れることは文化財に匹敵すると思うし、文化財に付加価値を付けるのも文字と言葉なのです。

④今は無住となった遍照寺は新興住宅地の少し奥まった所にありました。弘法大師空海の逸話は四国には事欠かない話ですが、ここにも空海の足跡なる石が置かれていましたし、古い五輪の塔が沢山安置されていました。入口の大きなイチョウがすっかり葉っぱを落し、イチョウの下の土地はまるで黄金を敷き詰めたような見事な風景でした。参加した人はあまり関心を示しませんでしたが私は素敵な風景に心が洗われるような踏み込みがたき、それでいて空海の伝説がミステリアスなものに思えてきました。

  「世羅の町 奥行き深く 味わいて ここにも心 安らぐ場所が」

  「兼丸さん あなたのような 変わり者 本当はあなた まともですから」

  「俺の家 既に訪ねし 兼丸さん 手薬煉引いて 俺来る待ちて」

  「寺町を 紅葉演出 昼下がり そこここ見れば 今が見ごろか」


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shin-1さんの日記

○旅先で拾った話題②

 中国地方を旅するには、幾つもの峠や九十九折の曲がりくねった道を通らねばなりません。それが嫌で双海町~松山~岡山~米子を予讃線鈍行各駅停車~特急しおかぜ~特急やぐも~山陰本線各駅停車と乗り継いで峠越えをするのです。でもこれまた特急の前後のまるでキセルのような乗り継ぎの時間が長く、結局は早立ち遅帰りの時間帯を狙うためマイカーになってしまうのです。それでもこのところの穏やかな季節の変化を肌で味わうような紅葉織りなす山々を見る旅にマイカーも捨てたものではないとしみじみ思うのです。この62年間のわが人生において今年の秋くらい中国山地の紅葉を堪能したことはないのです。

 先日そんな旅先である面白いものを見てしまいました。猿とイノシシと鹿なのです。猿は断崖絶壁の上、鹿は車の前を横切り、イノシシは農家の庭に吊るされて、それぞれ場面や光景は違っていましたが、それでも人間と自然の近さを垣間見る思いでした。人里に住むわが家だってイノシシや狸、それに野ウサギやハクビシン、それにキジの話題がブログの記事を飾る田舎者にとって猿やイノシシや鹿の話題はさして珍しいことではありませんが、それでも目の当たりにすると思わず車を止めて見とれたような光景だったのです。

 鹿はその俊敏さから一瞬でした。自分の目の前を立派な角を持った大きな鹿が横切ったのです。まさに一瞬の出来事で、思わずブレーキを踏んでしまいましたが、このハプニングに私の心臓はパクパクと暫くの間音を立てて驚きを隠せませんでした。「鹿に注意」なんて書かれていても出くわすのは初めてですから、あれがもし人だったらなんて思うと、その日は速度をゆるめ安全運転に気を配ったものです。

 数日前、峠道の急峻な地形で何か動くものを発見しました。運良く側に路側帯があったので車を停めて道上のその様子をじっと眺めていました。通りかかった他の車も私が口を開けて上を見ているので「何事ですか」と相次いで4~5台が停め、私と同じように口を開けて見るのです。その猿の集団はご家族なのでしょうか4~5匹の群れで、下の交通量や私たち人間様の仕草にも意に関せずといった雰囲気で悠然と何かを食べて休んでいました。

 私はふと先日ニュースステーションで見た青森県下北半島の猿の話題を思い出しました。下北半島はニホンザル生息地の北限として猿を特別天然記念物に指定をしています。温泉に入ったりする北国ならではの独特の暮らし方はコマーシャルの出るほどユーモラスな話題でした。しかしその猿も最近絶滅どころか増えすぎて1500頭にも上っているのです。その猿たちは餌稼ぎのためにしばしば民家の近くまでやってきて農作物を食べ放題で、深刻な鳥獣被害の実態がリアルに紹介されていました。網で囲った農地も人間に近い猿知恵で人間の方が負けて様々な方法を試みるのですがお手上げの状態だというのです。保護獣を傷つけると法律で罰せられるので、自警団が結成され少し軽めの空気銃で追いかけるのですがいたちごっこならぬ猿ごっこで何の効果もないと聞きました。猿にとっても厳しい北国の冬を乗り切るための手段でしょうが、人間様にとってもこれこそ死活問題です。さて人様はこの光景を見て他人事だと猿に味方するでしょうが、私のようにイノシシに植えた芋を全て持ち逃げされ悔しい思いをした人間にとって見れば、人間様に同情するのは当然のことなのです。増え過ぎた猿は人間と猿の一定のルールに従って処分するのが大岡裁きではないかと思いますが、それにしても人里に下りてこなければならない猿の事情も察してやりたい心境です。

 信号で何気なく止まった車の、何気なく目をやった農家の軒先に突如として大きなイノシシがぶら下げられているのを見ました。そのイノシシは太っちょな人間の大人くらいの多分100キロを越すような大物なのです。私は信号を超えた安全な場所に車を止めてその庭先にお邪魔しました。猟友会の方でしょうか、今さばかんとする前で研がれた包丁が何本も置かれていました。聞くところによるとこのイノシシは昨日射止めたそうですがかなり抵抗して、追い込んだ猟犬も牙で痛めつけられたとのこと、憎さ百倍といった感じでした。

 中国産地のあちこちには波型トタンで囲った畑や電流を流す電線柵が沢山目に付きます。その殆どはイノシシ防御のための投資なのですが、その数たるやおびただしいもので、今では人間が人間の作った防護柵の中で暮らしているような錯覚する覚えるほどなのです。あえなく射殺されて吊り下げられる運命を辿ったこのイノシシの姿を見ているとまるで絞首刑を前にした西部劇映画のワンシーンを見ているような哀れさでした。最早この地でも人間と自然界動物との共存も難しくなってきているようです。

 道には狸やイタチなど無数の野獣が交通事故死しており、その肉を求めてカラスが群がっている光景を当たり前の光景として自動車は通り過ぎてゆきます。最初は驚いた私も慣れてきたのかそんな光景を見慣れた光景として通り過ぎる人間になっているようです。

  「猪鹿猿 まるで花札 見てるよう 山里巡る 野生王国」

  「人間が 囲いの中で 生きている 猪世界 何とも奇妙」

  「優美です でもやることは シカとやり過ぎ 木の芽木の皮」

  「昔見た 猿の惑星 映画かな 今に日本は 猿群制圧」

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