shin-1さんの日記

○山里に通い続けた20回5000キロの旅・大宮地区(20-20)

 秋のつるべ落としの太陽が山の端に隠れる時間が段々早くなり、夕方5時頃になるともう山里には夜のとばりが下りて人恋しくなります。昨日は四万十市西土佐への20回の集落巡り最後の日なので、何となく晴れやかで、それでいて「今日で来れないのか」と思うと何となく寂しく、複雑な心境の一日でした。盛夏を間近に控えた6月からはじめた集落巡りも約6ヶ月の長い期間となってしまいましたが、片道125キロ、往復250キロ、20回で5000キロを走破した計算になるのですから驚きです。第一のふるさとは生まれ育った双海町ですが、第二のふるさとは高校3年間を過ごした宇和島だと心に決めています。もし私にとって第三のふるさとがあるとすればそれは、連続的に20回も足を運んだ高知県四万十市西土佐だと言わざるを得ないほどの土地になってしまいました。

 この日も例によって今や西土佐の関所になった彩花という軽食喫茶に、2時間近くの運転の疲れを取るため立ち寄りました。奥さんと他愛のない話をしながらお茶を飲むのですが、この店に立ち寄ることも暫くはないだろうと少し寂しくなりました。そこへ役所の中脇係長さんから電話が入り、今晩の夕食はこの店でするから注文をして待つように言われました。今晩の会場となる大宮という地区にはこの先の橋を渡って30分余りの所にあるそうなのでとんかつ定食を注文し、居合わせた近所の奥さんが持ってきていた大根を見ていたので、とんかつを大根おろしと酢醤油でいただこうという相談がまとまりました。久しぶりに食べたとんかつの揚げだちは格別で、最後の講演会に向けて馬力が出たような感じがしました。

 大宮地区は9人ながら小学校があり、元気な集落の一つだそうですし、JAの合併で消えかかったお店を、地域の人が共同出資して引き継ぐという世にも珍しい地域だと聞いていたので楽しみにしていました。隣接する滑床渓谷や愛媛県松野町目黒は直ぐ目と鼻の先で、帰りはこの方面を通って帰るとあって、中脇係長の運転する公用車の後をノコノコとついて進みました。夜のことゆえどこをどう走ったかはまったく分りませんし、私のカーナビゲーションもそんな田舎道は白地図同然で、車の走った後が白く地図に表記されてゆくのみでした。

 到着した集会所の前の畑には真っ暗ながら遅咲きの背丈の低いコスモスが少し冷たい風に揺れていました。私は車に積んだデジカメを取り出し幻想的な夜のコスモスに向けてフラッシュをたきました。ピントも合っているかどうか分りませんでしたが、結構な写真に写っていました。集会所の中に入ってみるとこの地域では厄年の人たちが毎年厄落としの祝い事をした後撮った記念写真がもう30枚も鴨居の上に飾ってありました。中には赤いちゃんちゃんこを着、帽子を被っている人もいますが、既に高い日田人もいるようで、みんなで感慨深げに鑑賞をしました。

 集会には結構な数の人が集まり楽しい雰囲気でした。特に私の追っかけをしてくれた西ヶ方の方もいたりして、まあ最終20回目のフィナーレに相応しい会合となりました。私の話もいつもにも増して熱のこもった話を展開しましたが、思いのある方々ばかりなので反応も上々だったように思いました。

 「こんな楽しい話しだったらまた来てくださいや」とお世辞にもせよ、ありがたいお言葉をいただき大宮を後にして、初めて通る目黒経由の道を和田課長さんの先導で帰路に着きました。

 別れ際和田課長さんが「最後なので少し時間を下さい」と耳打ちされていたので、課長さんの先導車の進む方向に進みました。県境のトンネルと相変わらず曲がりくねった道を下りて、田舎にしては珍しい小奇麗な一杯飲み屋に着きました。9時半を回っていることもあって店に他の客はなく、課長さんの顔見知りの店なので、ママさんとマスターと私たち4人で、四方山話に花を咲かせました。「来てくださいや」という言葉をことらの方言では「きちくれや」といいますが、吉と屋を漢字にした田舎言葉の造語が店の屋号なのです。

 

  それから延々11時30分までの2時間、私のつたないハーモニカを吹いたり、かつて若い頃に兄弟のように付き合った昔を懐かしみながら、課長さんはビールや焼酎、私はウーロン茶というかみ合わぬ嗜好品で話し込みました。さっきのとんかつでお腹が一杯の上に湯豆腐まで注文し、腹の具合が悪くなりそうな雲行きでした。

 美人ママと人のよさそうなご主人と課長さんをカメラに収め、夜道を宇和島経由で帰り、家についたのは午前1時半になっていました。中脇係長さんや藤倉さん、それに雇用促進協議会の石川さんなど、今回も多くの人々のご縁をいただき、何はともあれ20回の西土佐集落巡りは無事終了しました。深夜にもかかわらず帰りの遅い夫を心配して待ち続けていた妻の温めた布団にもぐりこみ、二人ともいつしか夢の世界へ旅立っていました。

  「二十回 五千キロの 旅でした 深いご縁の 人また増えて」

  「年齢を 考えもせず 日帰りの 少々きつい 仕事こなして」

  「同じまち 二十を越えた 記憶なし 故に記録だ 俺のギネスに」

  「二十粒 元気の出そうな 種を蒔く 芽が出て花実 つけて欲しいね」

 

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