shin-1さんの日記

○東京での出来事

 日帰りのような形で三宅島から帰った私は、その夜浜松町駅の近くの島嶼会館という所に泊まりました。船中泊ながら一泊二日の旅も濃密な日程だったため、9時前竹芝桟橋についた頃には少し疲れが出て、夕食も外へ出ず会館の食堂で済ませてしまいました。それでも窓から眺める東京のネオン輝く夜景は私にまるでおいでおいでと手招きをしているようで、少し風に吹かれようとブラリ散歩に出かけました。三宅島と東京の落差を感じながら芝増上寺付近を目掛けて歩いていると、視界に飛び込んできたのは日本一高いと教えられた東京タワーの鉄塔でした。秋空にオレンジ色に輝く東京タワーは昼間の姿よりずっと素敵で、だんだん近づくにつれてその色は鮮明となって視界一杯に大きくなり、見上げれば暗闇にくっきりと浮かび上がっているのです。

 夜景を楽しむ人たちが暗闇の空を見上げて思い思いにデジカメや携帯電話のシャッターを押して写真に収めていました。私も手に持ったデジカメで4~5枚の写真を撮りましたが、暗闇でしかも自信がなかったのですが上手く撮れていました。

 何年か前、この付近を歩いていて福沢諭吉に関係の深い場所を見つけて嬉しかったことを思い出しながら、手を組んで楽しくも幸せそうに歩くカップルの後を一人で歩きました。10時過ぎには心配された雨が少し落ちてきたので急いで会館へ帰り、宿泊費の安いだけのことはある地下の風呂に体を沈めながら、長い一日の疲れを癒しました。

 早朝に起きて窓の外を見ると心配された雨もあがりそうでしたが、窓の外には思いもかけぬ庭園が広がりびっくり仰天でした。旧芝離宮(恩賜庭園)がまるで箱庭のように見えるではありませんか。ビル群に囲まれてはいましたがまるで別世界のようでした。意外な処で意外なものを発見した時の驚きは大きく嬉しい気分になりました。

 傘を用意せずに来たので雨を心配していましたが、その雨もあがって上天気の朝となり、国電で巣鴨まで行き地図を頼りに白山通りにある東洋大学まで行きました。かつて東京大学から講演を依頼され不案内な東京本郷辺りを訪ねたことを思い出しながら東京と東洋の一文字違いの大学を尋ねたのですが、到着してびっくり仰天、まるでどこか一流の会社のオフィスのような、とても大学とは思えない雰囲気に圧倒されてしまいました。この日の会議が予定されている19階のスカイホールはこれまた素晴らしく、まるで国際会議が開かれるような行き届いた空間で二度びっくりでした。窓の外には東京のビル群が立ち並び、雨上がりのその景色も見とれるような眺めでした。

 ここでは「日本地域資源学会」の設立総会と設立記念シンポジウムという、田舎者の私には似ても似つかぬ会議が開かれるのですが、私は事例報告者とパネラーとして壇上に上がったのです。

 参加者は大学の教授や著名人もいてそうそうたるメンバーでばかりでしたが、夕日のミュージアムのことを「ミュージアム戦略」という自著本などで色々と紹介してもらっているつくば大学院大学助教授の塚原正彦先生の肝いりもあって、何と学会の理事にまで就任することになったのです。

 私の話は相変わらずお笑いのような話でしたが、そこはお堅い話の好きな学会なのでこれがすごく受け、用意した名刺が足らなくなって最後の名刺交換では恥をかいてしまいました。でもここからまた運命の出会いが始まりそうな予感がしてワクワクの心境でした。

 三宅島から直通の旅の締めくくりに相応しい出番でしたが、明くる日の予定が入っているためレセプションを欠席し、元来た路を引き返しふるさとへの長い旅を続け終えました。

  「これほどに 東京来てるも タワーなど 意識もせずに 通り過ぎてた」

  「学会と 言う名驚く 田舎者 壇上上がれば 闘争むき出し」

  「大学も 出てない男 大学で 大口叩く 俺は馬鹿者」

  「さあ帰ろ 息が詰まるぞ 東京は 仕事終えたる わが身バス乗せ」  



 

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○三宅島への旅・ルポ⑤

 三宅島はかつて私の親父もこの島周辺海域で漁業を営んだことのある思い出の地です。私の親父は瀬戸内海の漁師でありながら僅か5トンの若吉丸でこの地を目指しました。その行く手には三宅島の灯台の灯りを道しるべとしたに違いありません。


 三宅島で面白い灯台を発見しました。日本でも古い方の部類に当たるというこの灯台は、普通丸い形なのにこの灯台は4角形です。この灯台の灯りを親父が見たかも知れないと思うと無性に懐かしくなりました。灯台は海に働く人々にとって道しるべであり命の灯りなのです。


 PTA大会の会場は周辺離島から沢山の人が集まり、島ならではの一種独特の迫力が感じられました。


 小学校体育館の壇上は綺麗な花で飾られ、素敵にコーディネートされとても話しやすい雰囲気でした。それにもまして参加者と私のフィーリングが合ったのか、会場はPTAの研修会でありながらまちづくりの話に爆笑する場面もあり楽しく楽しく話させてもらいました。後で届いたメールや参加者の声からもその余韻が伝わってきました。特に高橋千香伊豆大島町議会議員さんと佐久間三宅島村会議員さんには沢山のご縁をいただきました。

 講演終了後も時間を割いて村内を回りました。溶岩に埋まった阿古温泉郷のかつての姿と今の姿の対比には胸を打たれました。



 近くに行ってみると学校の鉄筋校舎が2階まで溶岩に埋まってそのままの姿をさらけ出していました。


 明くる日の都合で折り返しの船で三宅島を日帰りの形で後にするため、14時30分の船に乗り込みました。船が見えなくなるまで手を振って見送ってくれた佐久間議員さんの島人らしい温かさは一生忘れられない思い出です。




 帰りの船旅も快適で、やはり行きと同じように帰りも佐久間議員さんのご配慮で、特1の部屋が用意され、私一人が快適なクルージングを楽しむことが出来ました。




 船上から島影遠く高橋千香議員さんの住むであろう伊豆大島の姿が見えました。

 今回の三宅島への旅は人間性回帰の心洗われる旅になったようです。人は何故生きるのか、人は何故に幸せを求めるのか、人は何故自然と共生せねばならぬのか、まさに自分というもう一人の自分への問いかけの旅でもありました。心を整理してもう一度三宅島を訪ねたいものです。さようなら三宅島。

  「日本も 広いと思う 旅の果て 教えられたる 人の生き方」

  「あの灯り 目指した親父 この海で 糸をたらして 鯛を釣り上げ」

  「遠くなる 島影見やり 思い出の 写真幾つか 再現してみる」

  「短か日を 眠らず動き 焼き付けた 三宅の島や 忘れられない」  

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○三宅島への旅・ルポ④(ある店主からのメッセージ)

 文章も書かずいきなり一枚の大写しの写真を紹介します。

 今回の三宅島の旅で私がもっとも衝撃を受けた三宅島からのメッセージでした。佐久間議員さんの島を一周中偶然にも目に飛び込んできたのはある美容院の壁に書かれた落書きでした。東京などによくある意味不明の看板とは違い、これはこの美容院を大きな夢を持って開店したものの危険区域に指定されたため閉店・廃業・離島を余儀なくされた店主自らが書いたものだそうです。

 春若葉 夏は海空 秋夕日 冬は西風

 共に笑み 此処に生死 許されず 

        もう頑張れない  SOS 三池

 前段で三宅島の美しくも長閑な自然を歌い上げ、此処に生きようとしても許されず、生まれた処で死のうと決意をしても死ぬことさえ出来ない厳しい現実を訴えています。そして最後の「もう頑張れない SOSという店主からのメッセージは心ある人なら誰もが胸を痛め涙が出ることでしょう。日本人の記憶は薄情なもので帰島が許されたニュースで三宅島の話題は一応決着したかのように新聞やテレビから消えてしまったのです。でも現実は何ら変わらず残っていました。

 もう一つ、ショッキングな写真を紹介します。



 この写真何だと思いますか。上の写真は流れ出した溶岩や土石流に埋まった鳥居の頭が地上に顔を出しているのです。下の写真の向こうに見えるのは埋まった社の社殿なのです。つまり人間の背丈の2倍以上の溶岩や土石が流れてきて付近を埋め尽くしたのです。

 島の人は信仰に厚く、自分たちの暮らしも大変なのに直ぐ傍には立派な朱塗りの鳥居と社殿が見事に復興されていました。


 海岸には最近の噴火で道を塞いだ海沿いに小さな噴火口がまるで絵に書いたように見えました。普通だと絶好の観光スポットなのでしょうが、訪れる人もなくひっそりとしていました。


 落書きと鳥居の頭、それに噴火口の跡が発する私たち人間への強烈なメッセージは「自然をあなどってはならない」ことでしょうし、「人間同士の互助精神を忘れてはならない」ことだと心に強く受け止めました。

 島のあちらこちらに設置された青・黄・緑・赤の回転灯が何故か記憶の中で回っています。

 青ーレベル1(0.2PPm)高感受性者注意報

 黄ーレベル2(0.6PPm)高感受性者警報

 緑ーレベル3(2.0ppm)火山ガス注意報

 赤ーレベル4(5.0ppm)火山ガス警報

 幸い私の滞在中に回転灯は回りませんでしたが、講演中に主催者はガスを感じ窓を閉めたりして少し慌てた場面もあったとあとでお聞きしました。

  「落書きに 衝撃受ける メッセージ SOSの 意味紐解いて」

  「静まれと 言わんばかりに 赤鳥居 山の神々 願い叶えて」

  「ああ俺は この落書きを 見てもなお 何も出来ずに ただ心痛める」

  「あちこちに 設置されたる 回転灯 携帯電話で 濃度測りぬ」

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