shin-1さんの日記

○人気です私の新作名刺

 役場の職員時代に使っていた名刺の台紙がなくなったこともあって、思い切って名刺のイメージチェンジを試みてみました。私たちまちづくりに関わる者にとって、いや私のように全国を歩く者にとって今や名刺は携帯電話と共に必需品になってきました。一枚の名刺によってその人やその人が住んでるまちのイメージが広がってくるのですから、名刺は最も身近なPR手段だと思います。

 新しい名刺は前にもブログで書いた山口県岩国市で出会った「わたなべえつこ」さんのサイン入り色紙をパソコンスキャナーで取り込んだものですが、その色紙の横には残念ながら2001のサインが入っています。今のパソコン技術だと簡単に消せるのですが、私はあえて消しませんでした。つまり似顔絵にせよ私は5歳も若い5年前に若返ったのです。

 地域政策センターの清水さんの紹介する印刷屋さんにお願いして差し当たり500枚作ったのですが、これが中々の評判で、福井市の大会と大洲青年の家のシンポジウムで100枚も使ってしまいました。妻曰く「名刺も考えて使わないと」と釘を刺されてしまいました。名刺は名を刺すですが、妻は釘を刺しました。

 でも私の似顔絵の後ろは日本一と自認する夕日で、手書き文字の「沈む夕日にちょっと待った」が、「しずむ夕日が立ちどまるまち」というキャッチフレーズに負けず劣らずこれまたいい表現のようで気に入りました。

 「全国の若松進一を知っている2005年11月末までに私と出会った皆さーん。そして私が差し上げた名刺をお持ちの皆さーん。あなたの記憶の若松進一や名刺をお持ちの方は残念ながら賞味期限が切れております。お早めに新品と交換しましょう。」

「名刺一枚で30分喋れる男」をスローガンに掲げている私ですから、肩書きに書いた「人間牧場主」というのも、「これなんですか?」と必ず質問が返ってきます。私は「うんうん」とうなずきながら薀蓄を語るのです。

「ヤッホー新作名刺は成功だー」と大声を出したくなるような心境です。多分これはテレビコマーシャルという極めて短い時間に商品を売り込む術に似ています。出会いが勝負のまちづくり、少しの間この名刺の売れ行きを見定めて、また新しいアイディアに挑戦したいものです。

  「どれ程の名刺貰うも取っておく気乗りするのは二枚か三枚」

  「新作の名刺ポッケに今日もまた西に東に北へ南へ」

  「一枚の名刺の値段幾らなる電卓叩いて原価計算」

  「自分の名使い使って60年それでも世界でオンリーワン」

  「私とて何時かは賞味期限切れ早めに更新危険ですから」

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shin-1さんの日記

○若いっていいねえ

 「この歳になると」なんて言いそうな年頃になると、決まって「わしが若い頃は」とか「わしがもっと若かったら」なんて過去と未来に思いをはせてついつい「若さへの願望」を言葉にするのですが、この数年随分と若い人との出会いが多くなってきました。昨日今日の「大人を考えるシンポジウム」も大学生相手の講義も、また卒論指導も年齢的に大きな差がありながら、あえて若者族にアプローチしようとする姿こそ「最後の悪あがき」なんて悪口を言われそうです。

 私はこのところ、えひめ地域政策研究センターが隔月に発行している「舞たうん」という雑誌に、シリーズで毎回執筆を続けています。そのタイトルが「若者とまちづくり」なのです。このタイトルを聞いた限りではまちづくりと若者の関係に首をかしげる人が多いのも事実です。でも本当は若い頃からまちづくりについて正しい知識をもっともっと教えて、社会の一員としてまちづくり活動に積極的に関わって欲しいという願いからこの執筆を思いつきました。

 執筆を始めてもう6回が終わり新春には7回目の原稿が掲載される予定で、その校正ゲラがインターネットで担当者から今夜送られてきました。ゲラを見て驚いたのは写真の多さです。今回のテーマは「大学生が考えた住みたいまちの条件と訪ねたいまちの条件」なのですが、昨年の学生が授業の一環として考えた図表が色も鮮やかに再現されているではありませんか。今年度から職員がパソコン技術を駆使して作る紙面は全てカラーのままフロッピーで印刷業者に電送されるのでしょうが、素晴らしいの一言に尽きるのです。

でも文字の校正まではパソコンはやってくれませんから、結局は最後に人間の手が入ることになるのです。

 本当はこれらの記事を若者にも読んで欲しいのですが、配布先の向こうには若者の姿は残念ながら見えていません。それでも配布先である行政や機関が若者を理解する一助にして若者政策に生かしてもらえるならこんな喜びはないでしょう。ウーン、でもダメでしょうね。

 かつて青年団が活発な時代は、まちづくりの主役はどの町や村でも青年でした。その青年がいなくなった町や村では比較的若者と思われる30代、40代が若者らしい活動でまちづくりをしています。年齢は関係ないといいながらやはり若者の不在は大きな社会問題となっています。もう一度「若者とまちづくり」について考えてみましょう。

  「若者の一字違った馬鹿者がもうすぐ成人式を乗っ取る」

  「私とて若い頃があったのよ本当か嘘か入れ歯ガクガク」

  「赤紙で戦地赴くあの頃は国を思ってただひたすらに」

  「今だから言える若さの過ちも過ぎれば懐かし思い出彼方」

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shin-1さんの日記

○人間何が幸せか

 私を勝手に「ししょー」と仰ぐ丹原町、いや今は合併して西条市丹原町に住んでいるちろりん農園の西川君に逢う度に「人間何が幸せか」考えさされます。彼は大阪出身で鳥取大学農学部を出て高校時代から付き合っていた彼女とともに丹原町にやって来て、農業を営むようになりました。丹原町来見という地名がかつての人気番組「ちろりん村とくるみの木」に似ていたのでこの名前の農園を作りました。鶏を飼ったりその糞で有機野菜を栽培したりする循環農業で生計を立てていますが、儲かる農業とは程遠く、年収100万程度だというのです。奥さんは空いた時間にピアノを教え、当の西川君は消防団や文化会館運営員など世に言う俗世と隔離することもなく普通の暮らしを穏やかに暮らしています。彼の生き方に共鳴する海外や国内の若者を研修生として迎え入れ、ギターを弾いたり、自家発電をしたり、自家製造のアルコール飲料を持ち歩くなどとにかく人生を楽しんでいるようです。

 彼の凄さは「みのり通信」というB4タイプの通信文を長年にわたって書き綴り、「晴れときどきちろりん」を出版しています。私も序文を書いてくれと頼まれ書きましたが、書く、喋る、実践できる数少ないマルチ人間です。

 いつどこで知り合ったのか未だに思い出せませんが、彼と会うたびに余分なお金など必要ないとしみじみ思うのです。自分の暮らしを見つめ直してみれば、人とのお義理的な付き合いや日々の暮らしがいかに贅沢で無用なものにお金をかけているかがよく分かります。昨日も軽四トラックに乗って平気で私たちの前にさっそうと屈託もなく姿を現わしました。

 バンダナを頭に巻いた姿も格好いいし、私の憧れの人でしょうね。これから彼の生き方に少しでも近づきたいものです。

 「人間は何が幸せか」、この遠大で究極の自分自身への問いかけに、退職を機に出会ったいわば「何が幸せか元年」とでもいうべきこの一年でした。残りの日めくりの枚数の方がこれまで日めくった枚数より酸くなった今こそ幸せについてもっともっと考えて生きてゆきます。この一年ではっきりしたのは「人生お金じゃないな」でした。

  「あれだけの収入よく喰う人は言うそれでもその人人より楽し」

  「お金など持っては行けぬあの世には何故にあくせくお金に執着」

  「俺見ろよ歳末義援に寄付をしたちょっぴり一善いい年来るかも」

  「傷跡が痛むからとてサポーター妻が配慮の上から撫でる」

 

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shin-1さんの日記

○青年の家で泊まりました

 社会教育の仕事が長かったため、私は北は北海道大雪青年の家から南は沖縄青年の家まで、全国13箇所もある国立青年の家全てを訪れ、全てに宿泊した経験を持っています。青年の家の関係者を除けばそんな珍しい人はいないのではないかと思われますが、私の場合若い頃から青年の家で随分大きな宝物をいただきました。人様の前で主張が出来るようになったり、多くの仲間だ出来たり、ふるさとを愛する心が育ったり、はたまた感動する心が育ったのは、青年団と共に青年の家での学びでした。とりわけ思いで深いのは地元愛媛県大洲市にある国立大洲青年の家で、若い頃青年の家誘致運動に明け暮れ、多くの人の力を借りて大洲に建設が決定した時は涙がいっぱいこぼれたものでした。

 昨日、今日と二日間、その思いで多い青年の家が主催する「大人を考えるシンポジウムに出掛けました。この事業の企画委員会委員長に就任しているものですから、一泊二日青年の家で過ごしました。ニートや引きこもりが大きな社会問題になっている昨今ですから、多くの人に集まってもらおうと様々な知恵を出し合って企画しました。1部は作家椎名誠さんの記念講演会とあって、内外から体育館が満員になるほど参加者がいましたが、2部の職業を考えるワークショップでは60人余りが6ブースに分かれ、地元で輝いている人たちの話を熱心に聞き入りました。夜は車座になってフリートークを若者たちと色々な意見のやりとりをしました。

 関係者が集まって深夜に及ぶミーティングを終え、講師室のベットに潜り込んで、暗闇から舞い落ちる粉雪を窓越しに眺めながら講師室のベットに潜り込んで眠りました。早朝の青年の家はまるで冷蔵庫のようで、朝のつどいや清掃、毛布たたみ、朝食などかつて青年の家で暮らした日々が懐かしく思い出されました。忙しい日々の暮らしの中で忘れかけていた青春の営みが、今もここでは毎日毎日行われているのです。30年間で300万人の人がこの青年の家を利用しているのですから、凄いことだと思います。

 一時期青年の家と不仲になったりして足が遠のいたこともありましたが、やはり青年の家には心をときめかせる何かがあるように感じられました。

  「雪踏みて望み抱きつ登り来る若者たちに生きる力を」

  「世の中も歳も進むにこの家は変わらずわれを迎え励ます」

  「朝昼夜弁当不味いとケチつける贅沢慣れた若者たちが」

  「若い頃女性の握る手ときめいたふとわれ帰り少しときめく」

 

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