shin-1さんの日記

○セイパチ・ウパチ

 「セイパチ・ウパチ」というこの言葉、何を意味するかご存知ですか。はいこれは私が作った新語です。それももう20数年前に作ったのですが、流行らないことをみると大した言葉ではなかったようです。よく使われる「晴耕雨読」という言葉をご存知でしょう。まさに職から離れた私の今の心境を述べるぴったりの言葉かも知れません。実はこの「セイパチ・ウパチ」という言葉、農山漁村に住む若者への警告の意味を込めて作ったのです。最初は少々馬鹿にした言葉なので叱られないか心配しましたが、当の本人たちはあっけらかんでした。

  「セイパチ・ウパチ」とは、晴れた日にはパチンコ、雨の日にもパチンコにうつつを抜かす若者を指しているのです。まちづくり草創の当時第一次産業に従事する若者たちは雨でも晴れでも暇さえあればパチンコにうつつを抜かしていました。「パチンコは百害あって一利なし」と若者に諭すのですが一向に効き目はありませんでした。それでも若者のエネルギーをまちづくりに生かそうと、あの手この手の方法を試みました。お蔭様で夕焼けコンサートを皮切りに夕日のまちづくり、花咲くまちづくり、人づくり、イベントづくりなどに積極的に取り組んでくれるようになり、双海町輝きの原動力になってくれました。

 あれから長い時が流れ双海町では若者がパチンコにうつつを抜かす光景は殆ど無くなりました。

 出会い国道沿いには大きなパチンコ屋さんが沢山出来ています。つい最近の傾向なのでしょうか、外から見るとまるでパチンコ屋には見えないような立派な造りで、しかも中はまったく見えないように美人の写真で囲われています。寒空になびく幟がまるで手を振ってこまねいているようにも見えます。そして駐車場には真昼間だというのに沢山の車が満車の状態で集まっているのです。「もしや、あの中に双海町の若者が?」と遠目横目で通りすがるのですが、嬉しいことに出会うことはありません。ある意味わが町には「セイパチ・ウパチ」と呼ばれる若者はもういないのかも知れません。

  「青年にセイパチウパチ言いました怒るどころか笑っていなされ」

  「博打とは場で朽ちるからいうのです何時の時代も止められぬもの」

  「タバコ吸う煙もうもう目に涙取られて涙自分に涙」

  「熱中し熱中症で子ども死ぬ三日覚えて四日目忘れ」

 

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shin-1さんの日記

○遊び半分の旅をしました

 これまで旅といえば近い所、遠い所と様々な場所へ出掛けていますが、これまではどちらかというと仕事柄講演や視察など、ネクタイをきちんと締めスーツ姿が主流でした。今回仲間から誘われて高知県馬路村へ6人一組の旅をしました。車が満杯でのちょっと窮屈な旅でしたが、車内は馬鹿話に花を咲かせる心を許しあった人ばかりでしたので、カジュアル軽装の久しぶりにリラックスした楽しい旅となりました。

 馬路村といえば「ごっくん馬路村」といわれるほどユズを使った加工品で全国に名をとどろかせている村です。ユズの村を仕掛けた馬路村農協の東谷専務さんはいわずと知れた高知県の名物男です。

 この夜は葉っぱ産業でこれまた全国級の知名度を誇る徳島県上勝町いろどりの横石副社長さん、それに内子町のからりを立ち上げた森本さんも加わり、夜のふけるのも忘れて話し合いいつにないオオボラを吹きあいました。

 えひめ地域政策研究センターが来春開くシンポジウムに、私も含めてこの4人が顔を揃える企画が進行しているものですから、その打ち合わせがてらの旅となりました。加えて新聞社がこれらを企画物として連載するそうなので、新聞記者とはいいながら偉いデスクという肩書きの方が同行したものですから、話題のやり取りのバリエーションが広くて深くて、実に面白い話ができました。

 丁度私たちが村を訪れるというので、馬路村の若い職員が二人自主的に参加をしてくれましたが、私は今回の旅で、この若い職員を相手に色々な議論を12時半ごろまでやったことが何よりの収穫でした。かつての私の若い頃を見ているような彼は、歯に衣を着せぬ高知弁丸出しで、酒を飲みながら熱っぽく私に話すのです。

 ユズの村として知名度抜群の村の、どちらかというと農協主導の産業が主流を占める現状の中で、限りなく100パーセントに近い林野率と魚梁瀬杉の産地として栄えたかつての歴史を対比しながら、林業を振興したい彼の気持ちは痛いほど分かりました。多勢に無勢の集中砲火にも似た議論を終えて、彼は爽やかに馬路村の深夜の闇の中に消えて行きました。

 早朝宿泊代の清算をするためフロントを訪ねると、支配人さんから一通の封筒を渡されました。若松さんへと表書き、木下という裏書、彼は朝早く昨日の思いを一通の手紙にしたためて届けてくれていたのです。

私は涙が出るほどの嬉しさを覚えました。今時の若者にもこんな人がいるのかと・・・・・。

 3年を目途に彼は林業振興策を何か考え村を活性化したいと決意を述べていました。また双海町へ来たいと書き、今回の私たちとの出会いをカルチャーショックと感じたようです。第2の東谷さんの出現を心から望んでいます。

  「長閑なりごっくん馬路の湯につかり湯気の向こうに夕日が沈む」

  「ユズ香る宿の鍋物フウフウと話し肴に夜更け忘れて」

  「若かりし頃を重ねて議論する眠れず書いた文今朝届く」

  「ユズだけで結婚せずに村残る見上げたものよ俺も真似たい」

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