人間牧場

〇下灘保育園へ出かけました

 下灘の町はずれの谷筋に、下灘保育園があります。傍の下灘中学校が統合で廃校となったため、最近は人通りも少ないようですが、人間牧場へ来客を案内する時はこの県道を通るものの、保育園の存在には余り気づかないほど小さな、園児数25人の保育園なのです。わが長女はこの保育園でお世話になりましたが、わが家が上灘にへ引っ越したため、後の3人の子どもは上灘保育園でした。

久しぶりに下灘保育園を訪ねました。

 下灘保育園の園長は成本先生ですが、お父さんが小学校時代の恩師だし、前々任が上灘保育園の園長だったこともあって、何かと懇意にしていて、11月には園児のおじいちゃんやおばあちゃんを集めた遊びの講座が開かれるので、その手助けを頼まれていて、昨日は人間牧場へ草刈りに行くついでに打ち合わせに伺いました。園長さんはこの日は遅出出勤らしく、私の携帯を知らせてひとまずお暇しました。

 人間牧場で作業をしていると電話がかかり、昼前に再び出会うことでアポイントが取れました。再び保育園を訪ねるとお昼ご飯の準備中で、3歳児は早くも戸外にしつらえた食卓を囲んで、賑やかに食べ始めていました。職員室に入り園長さんとあれやこれや思いを巡らせ相談した結果、ドングリ駒、竹を使ったポックリ下駄、焼き芋をすることに決まりました。私は早速自宅近くのクヌギの木の近くまで出かけ、ドングリを拾い集め、袋に入れて持ち帰りました。

 暇を見つけて竹藪でから竹を切り出し、人数分の竹を用意しなければなりません。来週はスケジュールが滅茶苦茶立て込んでいて忙しく、竹を準備する時間は殆どありませんが、それでも朝晩の散歩時間を削ってでも用意したいと思っています。ドングリを拾いながら、いつしか少年の頃の懐かしい思い出が蘇ってきました。

「久方に 小さい保育園 伺うと ちびっ子たちが 駆け寄ってくれ」

「来月に 祖母と祖父母が 集まって 遊びの講座 開く予定だ」

「早速に ドングリ拾い 出かけたが 少年のころ 思い出しつつ」

「竹切って ポックリ下駄を 作ります 竹の準備を 引き受け難儀」 

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人間牧場

〇海は広いな大きいな

 私は子どもの頃から今に続いて、海が大好きな人間です。ゆえに海と深い繋がりのある人生を送ってきました。生まれた場所が下灘という漁村で、少年時代は海が遊び場でした。高校は宇和島水産高校に遊学し、実習船愛媛丸で赤道を越えてオーストラリア近くの珊瑚海まで、遠洋航海に出かけました。親父がガンを患ったこともあって家業である漁業を継ぎ、7年間漁師をしました。30歳の時ジョン万次郎の影響を受けて、総理府派遣の青年の船の班長として太平洋を渡り、建国200年のアメリカやメキシコ、ハワイを訪ねました。双海町役場に入庁後4年間産業課で水産という仕事に関わり沿岸漁業振興を担当、水産物荷捌き所や漁村センターをつくりました。

伊予灘ブルーの海原
岩場のさざ波も冬になると・・・

その後企画調整室でまちづくりを担当し、「通過する町から立ち止まる町へ」を合言葉に、道の駅シーサイド公園整備や、下灘漁港の埋め立て事業にも深く関わり、海の拠点を造りました。JR下灘駅での夕焼けプラットホームコンサートもある意味、海にしずむ夕日がテーマでした。また30歳ころから21世紀えひめニューフロンティアグループを主宰し、仲間たちとともに続けた、無人島に挑む少年のつどいや丸木舟瀬戸内海航海など、こうして述べてみると私の人生は、海なしでは語れないようです。ゆえに海の恐ろしさと同時に海の魅力も存分に知り尽くしていて、これからも海とともに生きることでしょう。

 先日飛行機に乗って東京や埼玉へ出かけました。講演を終えて再び飛行機に乗り、由利島やふたみシーサイド公園周辺に広がる穏やかな海を上空から見ました。帰路つづら折りの三秋峠を下って、高野川に差し掛かると急に視界が開け、伊予灘の海と夕日夕焼けが私を出迎えてくれました。これぞ私が愛してやまないふるさとの海だと、顔に似合わず多少センチメンタルな気持ちになりました。そろそろ終活をしなければならない人生の最終章に入りつつある私ですが、これからも海を愛し海とともに生きて行きたいと思いました。

「この海は 産まれる前から ありました 産まれてからも 何かにつけて」

「海なしで 私の人生 語れない 海は私の 大恩人です」

「どの海も つながっていた 世界中 怖い思い出 楽し思い出」

「旅帰る 度に私に 気づかせる 母なる海と 父なる海を」 

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人間牧場

〇介護サービス事業者及び介護支援専門員連絡会

 私の得意分野は地域づくりや社会教育ですが、私が歳をとったせいでしょうか、それとも超高齢化社会を迎えた社会のせいでしょうか、最近は福祉関係のお声がかりが多く、多少戸惑いながらも快く引き受けて出かけています。昨日は松山市上野にある愛媛県生涯教育センターで、介護サービス事業者及び会議支援専門員の連絡研修会があり出かけました。

介護サービス事業者及び介護支援専門員連絡会
グループ討議
意見発表の集約板書

 福祉関係の人は人なつっこく、センター4階の大会議室に入ると、知人友人や顔見知りもいて、立ち話に花が咲きました。私の話を約1時間、皆さんのグループディスカッションを約1時間というプログラムでしたが、日ごろの悩みやこれからやりたいことを各班毎に発表してもらい、その意見をホワイトボードに書き出して参加者で共有しました。

この人たちが超高齢化社会といわれる社会の第一線で働いているからこそ、世の中は上手く回っていることを実感しました。昨日は協働と参画の地域づくりがテーマでしたが、地域づくりは福祉も教育も目指すところは住民の幸せ実現が目標ですから、これからはもっと連携し、いい社会の実現に向けて努力したいものです。昨日は沢山のヒントをいただきました。

「いつの間に 福祉スタイル 人となる あちらこちらへ 頼まれ出かけ」

「第一線 みんな悩みを 持っている ねえ聞いて 言わんばかりに」

「集まって 六六討議 するうちに あれやこれやと アイディアが出る」

「嬉しいね 自宅帰ると 早速に お礼や意見の メール早々」

 

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人間牧場

〇この3日間家を留守にしていました

 この3日ほど東京経由で埼玉へ行っていたこともあって、毎朝読んでいる地元紙を読む機会を逸していたため、今朝は3日分の新聞をまとめて読みました。新聞には様々な記事が載っていますが、知人の漁船が松前沖で他の町の漁船と衝突したという事故や、これまた知人のお父さんの訃報など、タブレットのニュースでは見ることのできない話題が載っていました。

留守だった10月15日の新聞に載った楽農ゼミナールの新聞記事

月曜の新聞には、先日八幡浜日土のあらしやま山荘で開催された、楽農ゼミナールの模様が遅ればせながら載っていて、小さいながら私の名前も載っていたため、facebook繋がりの知人がそのことを教ええるメールが入っていました。何気なく過ぎる日々の暮らしですが、3日間も家を空けるとこのように、あれやこれやあるものだと、あらためて思い知らされました。

埼玉県北本に住む親友の工藤日出夫さんから留守中にサンマが届き、先日ほんのちょっとだけ立寄ってくれた北海道北見市の北川恵子さんからも、北海道ならではの小豆や金時豆、てん菜砂糖などが届いていて、いつものことながら私の留守中に荷が開けられ、早くも家族で大喜びしてその味を楽しんでいて、お礼は私の役目と言わんばかりでした。

昨日は自宅に帰ると直ぐに、福岡憲子さんから魚が届きました。甲イカはセンゴと墨袋を取り、皮を剥き、カマスは妻の要望で2枚に卸して軽く塩を振り干物に、また若松国夫さんから貰った鱧も2枚に卸して骨切りし、少しずつ近所や知人にお裾分けして喜ばれました。忙しさに輪をかけたように忙しい一日も終わり、やっと普通の暮らしに戻りました。

「この3日 家留守してた 新聞を まとめて読んで 遅れに追いつく」

「何気なく 日々は過ぎ去る ものなれど 留守すりゃ分かる あれこれ動き」

「留守中に 宅配届き 喜んで 家族が賞味 私礼役」

「東京の めまぐるしさに 慣れたのか こちらじゃまるで 立ち止まったよう」

 

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人間牧場

◯孫の運動会

昨日はまご2人が通う由並小学校の運動会でしたが、あいにく埼玉県深谷市へ講演に出かけて見ることができませんでした。それでも携帯電話で、見学に出得かけた妻から、まるで実況中継のように、何度も電話が入り、自分も運動会を見てるようでした。講演途中だったのでマナーモードに切り替えましたが、ズボンのポケットに入れた携帯電話はバイブレーターが何度もゆすりました。

 

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人間牧場

◯嬉しいサプライズ

深谷市はかの有名な歴史上の人物渋沢栄一の出身地です。渋沢栄一は旅する巨人と言われる山口県周防大島旧東和町の出身の宮本常一のパトロンなのです。駅まで迎えに来てもらった柏村さんや宮坂自治会長さんの案内で渋沢栄一記念館を訪ねました。

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人間牧場

〇自分の写真を切手にしたハガキが届きました

 私は長年地域づくりに関わり、講演会や集会で知り合った沢山の方々と交遊を続けています。長野県木曽町開田高原に住む大目さんもその一人です。もう何年も前のことなので記憶は定かではありませんが、多分高知県馬路村で開かれた全国地域づくり交流集会に記念講演で出かけた折免許証タイプの珍しい名刺を交換したのが始まりでした。

大目さんから届いた自写真ハガキ

以来交流が始まり、招かれて何度か講演に出かけたり、夏にはトウモロコシ、年末には開田高原で獲れた手打ちのソバまで送ってもらう親しい間柄になりました。大目さんは元木曽町の職員でしたが、私の木のカバンとよく似た木曽桧で作ったカバンを持ち歩いたりしていて、とにかく私と負けず劣らぬアイディアマンです。

 先日みかんを送ったところお礼のハガキが届きました。開田高原のソバの花をあしらった絵葉書でしたが、何とそのハガキに貼った切手が大目さん自身の写真で作られているのです。今はお金を出せばお堅い郵政省もこんな粋なことをしてくれることは知っていますが、「ここまでやるか大目さん」てな感じで、何人かの友人に見せてやりました。

1日に3枚もハガキを長年書いている私ですが、最近は忙しさの余りについついパソコンメールで、用を足してしまうことが多くなってきました。北海道オホーツク佐呂間町に住む船木さんも、東温の兵頭さんも、高知県馬路村の木下さんも筆まめで、今朝は早速3枚のハガキを書き、朝の散歩途中郵便ポストに投函しました。

 

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人間牧場

〇弁護士菊地幸夫さんの講演会「子どものお小遣いにまつわる法律」(その2)

 昨日は日本テレビの「行列のできる法律相談所」や「スッキリ」をはじめ数本の番組にレギュラー出演している弁護士の菊地幸夫さんをお招きし、「子どものお小遣いにまつわる法律」というテーマの講演会が、内子町立天神小学校で行われました。全校児童とPTA、それに教育関係者も多数集まって楽しい講演会となりました。

弁護士だけあって、「人を殺したら、人を傷つけたら、人を騙したら最高どんな刑に服さなければならないのでしょうか?」という問いかけに、子どもたちは興味津々巻きこまれ、人は信じなかればならないが、「嘘か本当か」「価値があるかないか」「必要か必要でないか」「自分の金銭的能力」などの危機管理能力をしっかり身につけようと話されました。

 現代はキャッシュレスの時代で、お金の存在が目に見えにくくなりつつあります。ゆえの難しさもありますが、「生活設計・家計管理」「金融や経済の仕組み」「消費生活・金融トラブル防止」「キャリア教育」など、現代を生きる児童生徒の「生きる力」を育成する金融教育は大切な教育です。折りに触れささやかながら金融広報アドバイザーとしてその必要性を広めたいと思っています。

「何年も 金融広報 アドバイザー やってます 浅学菲才 自覚しながら」

「まず親が 襟を正して 生きること 子どもは親の 生きざま学ぶ」

「キャッシュレス お金中々 見えにくい 全てカード いやいやアプリ」

「現代は 物が豊かに あるけれど 心今一 隙間風吹く」

 

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人間牧場

〇舞たうん138号が届きました

えひめ地域政策研究センターが発行している季刊誌舞たうん138号が送られてきました。P20~21には、私が連載している「特選ブログshin-1さんの日記」という記事が掲載されているので、いつも送られてくる度に、少しドキドキしながらページをめくり、面映ゆい感じで読み返しています。今回の特集テーマは「空き資源を活用した地域活性化」なので、少し視点を変えて「負の遺産をどうするかも考えないと」というテーマで書いてみましたが、早くもV0l.45となりました。早速読んでもらいたい人10人ほどに手渡したり送ったりしましたが、反応が楽しみです。

舞たうん138号の表紙

私の拙文記事
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人間牧場

〇スタートした里山再生ドングリプロジェクト(その2)

 落ち葉を拾い集め腐葉土を造るため、人間牧場の片隅にブロックを積んで落ち葉ストッカーを数年前に造りました。ブロックを積む作業は慣れないこともあって難儀をしましたが、幸い親友浜田さんたちの手助けもあって、多少いびつながら何とか出来上がり、晩秋に何度か落ち葉を拾い集めて踏み固めて腐葉土を作っていますが、その腐葉土内にカブト虫が卵を産み、夏になると何匹かカブト虫を捕獲したので、このストッカーをカブト虫の養殖場することを思いつきました。

プランターに土を入れた苗床
ドングリを蒔きました
3年後にはこんな苗木ができる予定です

相前後して息子は昨年、大洲市柳沢で養豚を営む親友の石岡さんに、野積み豚糞の中で発生したカブトムシの幼虫を沢山貰って成虫に育て、松山空港で帰省客に配り大好評を得ました。気を良くした息子は、落ち葉ストッカーの上を網で囲って、成虫化したカブト虫を捕獲する作戦を立てました。いつの間にかその作戦の片棒を担がされ、網囲いや捕獲まで私の役目になったような雰囲気でした。

 近所に住むかつてシーサイド公園の所長をしていた大野さんから、ドングリから育てたクヌギの木の苗木をいただいたので、ストッカーの周辺に10本ほど植えましたが、虫や雑草にやられたものの何本かは成長を続けていて、早いものは私の背の高さまで伸びています。そのことで荒れる里山を再生できないだろうかと、里山再生ドングリプロジェクトなることを思いつき、今年の秋にはドングリを拾って、種を蒔く予定です。

 藤原さんの協力も得て、早速300個ほど集めたので、昨日は種を蒔く準備をしました。プランターや箱に土を入れ、早速私が拾って来た100個をバケツに水を張って入れ、沈んだ良質のものを土に埋めました。全部が芽を出すとは思いませんが、とりあえず今年は試験的に300個ほど蒔いてみようと思っています。今年の冬はわが家のダバという、かつてみかんを作っていた荒れた畑を開墾して、クヌギの木を植える準備を始めようと思っています。15年経ったら成木になるという成長の早いクヌギの木ですが、15年経ったら私は89歳になります。果たして生きているかどうか?。初老老人の他愛のない夢の実現やいかに・・・(ワッハッハ)です。

「カブト虫 ひょんなことから 始まった 里山再生 ドングリプロです」

「まず最初 ドングリ拾い 集めます 種蒔き準備 汗をかきつつ」

「今年は 300個種 蒔く予定 大きく育て 願いを込めて」

「クヌギの木 成木なるころ わが年齢 90歳か 生きているやら?」 

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