人間牧場

〇夕やけ徒然草続編執筆始める

 私はこれまで、落語ならぬ落伍のネタ本を「夕やけ徒然草」というタイトルで、宮本武蔵の五輪の書にあやかり、地の書・水の書・火の書・風の書・空の書とそれぞれ30話ずつ、150話を執筆し、1冊に25万円をかけて印刷してきました。25万円×5冊だと印刷屋へは2百50万円支払った計算になりますが、商売経済の妙とでもいうのでしょうか、実際には1冊5百円の販売価格のため、消費税1万2千五百円を加えても525冊売れれば何とか元手が入り、次の軍資金を確保することができるのです。つまり最初26万2千五百円資金を用意すれば、本の販売で自転車操業ができるのです。

これが最終と思っていた夕日徒然草・空の書なのに・・・
これが最終と思っていた夕日徒然草・空の書なのに・・・

 しかしこんな読み捨てまがいの本を作ったからといって、525冊も売ったり買ってもらったりできるほど世間は軟いものではなく、本を売ること自体を疎かにする性格から、まだ人間牧場の倉庫には少し在庫が残っているのです。それでも最初の地の書などは残部ゼロで、再版も考えているほどです。
 今年は大晦日に今年一年の計画を立てました。その中に夕やけ徒然草6冊目の出版と人間牧場10周年記念事業を挙げています。つまりその前段として原稿を書かなければならないのです。その思いを果たすべく新年早々暇を見つけて原稿書きに取り組んでいますが、はてさて30話の妙案は中々浮かばないのです。それでも折に触れ書いているので、既に20話ほどは書き終え、後10話と次第に向こうが見えてきました。

 マラソンでもそうですが、残り3分の1が苦しいのです。まあ苦しむほどの大作でもないので、程好い心地良さで書こうと思い、今朝も思いつくまま第171話を、内容はさて置き書き上げました。あと9話です。
 書く前はあれも書きたいこれも書きたいと思っていたのに、いざ書き始めるとこれも駄目これも駄目と振るい落とされ、書くためにまた書棚の本を読み返したりしながら、思いを巡らせていますが、あと9話なので何とか来月末までには目鼻がつきそうです。26万2千5百円の資金も何とか確保できそうなので、すこし頑張って書きましょう。

  「地の書から 始めた夕やけ 徒然草 終ったはずが また欲を出す」

  「完結の 空の書書いた その時は これで終わりと 思っていたに」

  「酒呑まず タバコも吸わず 生きている ゆえに道楽 思い踏ん切り」

  「目標に 向かって一歩 また一歩 他愛なきこと これが最後と」

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人間牧場

〇吐いてから吸う呼吸法と生き方

 昨日は松前町に住んでいた、叔母の3回忌と叔父の5回忌の法事に妻と一緒に出かけました。親父の直ぐ下の弟なので、本当は親父も連れて行ってやりたいのですが、何せ高齢のため葬儀も法事もままならず、結局は長男である私がずっと代役を務めているのです。親父は12人兄弟姉妹なので存命中の4人姉妹と、連れ添いや息子が参加して相変わらず大賑わいでした。
 菩提寺の和尚さんを招き自宅でお経をあげてもらった後、近所のお墓にお参りしましたが、故人の人徳とでもいうのでしょうか、昨日は底冷えはしたものの風もなく、穏やかな日和に恵まれ、高齢になった人もいるので助かりました。

 再び自宅へ帰り精進落しの昼食会がありました。近頃は車で来る人が多いので、お酒を飲む人も殆どなく、私も用意してもらったノンアルコールのビールを、コップいっぱいいただきながら積もる話をしましたが、最近は地方祭りなどの行き来もなくなり、お目出度やお悔みの時にしか出会うことがない人もいて、懐かしい感じでした。
 私は仕事柄、法事や通夜等にお経を上げにやって来る、和尚さんの説教を楽しみにしていますが、昨日の和尚さんは呼吸について話されました。人は生まれてから死ぬまで、何のためらいや意識もなく一生呼吸をしますが、生まれた時始めてする呼吸は吸い込み、死ぬ時は息を吐いて死ぬのだそうです。そいえば死ぬことを「息が切れる」とか「息を引き取る」と表現しますが、「息を吸い込むから吐く」のか、「息を吐くから吸う」のかどちらかという話です。仏教の聖地インドにヨガという健康法がありますが、これは元々仏教の修行の一つだそうです。

 ヨガは息を吐くことに重きを置いています。息を吐くと体が自然体になるらしく、日本のラジオ体操のように息を止めて気合を入れて体を動かすと、体が硬直してストレッチの効果が少ないようです。その点ヨガは息を吐くため体の緊張がほぐれ、ストレッチ効果は抜群だとか・・・・。
 息を吸うことは求めること、息を吐くことは与えること、人間は与えられた徳に感謝し報いる報徳を心がけなければなりませんが、今の世の中は報徳もせず求める人が余りにも多いようだと話されました。もっともなありがたい説教でした。
 「ニワトリが先か卵が先か」はよく議論される諺ですが、息も「吐くが先か吸うが先か」は意見の分かれるところです。でも吐くことに重きを置いて、吐いた後で吸う空気の何と美味しいことか、吐くから分る吸うことの意味でした。

  「吐いて吸う 仏教修行 あるという なるほど思い 吐いてはみたが」

  「ニワトリと 卵の議論 呼吸法 同じようだが どこか違って」

  「吐くことに 重きを置いて ストレッチ 毎朝してる お陰健康」

  「叔父叔母も 歳をとったと 納得す かく言う私 間もなく七十」

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人間牧場

〇未利用資源海草ヒジキの収穫と加工(その2)

 昨日の夕方富岡海岸に行き、未利用資源のヒジキを手製の魚網袋に2袋収穫しました。防寒をして出かけたものの、昨日の海岸は波も高く時化ていたため少し体に堪えましたが、風邪を引くこともなくなく幸いでした。持って帰ったヒジキは早速倉庫から移動式くどとハガマを取り出し、中庭に据えました。ヒジキを少し大きめのたるに水を張って水洗いし、ハガマの中へ山のように入れ、裏山から取ってきた薪を手斧で小切りして、火をつけ茹で始めました。田舎ゆえ焚物にする枝木はその気になればいくらでも確保でき、エネルギー費も要らず大助かりです。昨日は少し風が強かったので、勢いよく燃えたものの類焼させては大変と注意を払い、慎重に焚き火を続けました。

自作の海草収穫網袋
自作の海草収穫網袋

 ハガマの温度が上がるとヒジキはだんだん底に沈んで行くので、その上に新しいヒジキを加えその都度蓋をして、更に熱を加えるため薪を追加して、2時間ばかし燃やし続けました。辺りがすっかり暗くなった午後6時に火の始末をして残り火の温度で火蒸しをしておいたので、今朝は間もなく夜が明けるので、外に出て様子を伺い、柔らかくなっているようであれば、ハガマから茹でたヒジキを取り出し、残っているヒジキを再びハガマに入れて二釜目の茹でる作業をする予定です。はてさてヒジキは美味く茹であがっているでしょうか。

移動式かまどでヒジキを炊く
移動式かまどでヒジキを炊く

 ヒジキはこのように採集や茹でるのにかなり手間と時間がかかる厄介な海草です。ましてやこれを乾燥させて保存食として活用するとなると、これまた一手間も二手間もかけねばなりません。ましてや寒ヒジキと言われるように、この時期の戸外は北西の季節風が吹いて、中々大変です。それでもヒジキはこうしておけば保存食として年中食卓を賑わせれるし、第一海草は健康にいい自然食なのです。
 私は10年前退職をしてサンデー毎日になったことをいいことに、ワカメや天草やヒジキといった未利用資源を収穫加工して、妻とともにわが家の食を豊かにしてきました。一方果樹やコンニャクやフキ・ツワブキといった山のものも加工して結構楽しんでいます。家族みんなが喜んで食べるこうした未利用資源を利用して、これからも大いに楽しい生活をしようと思い、今日も早速仕事に取り掛かります

 「家の外 かまどにはがま 持ち出して 海草ヒジキ 茹で保存食」

 「そこら辺 探せば焚き木 楽々と エネルギー費 要らずに加工」

 「また一つ 未利用資源 活用し 食を豊かに 楽しく生きる」

 「ああ今日も 楽しからずや 田舎流 次は何を しようか迷う」

 

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人間牧場

〇野良生えの夏みかん

 人間牧場の入口には、樹齢100年以上の天を仰ぐような、大きなヤヤモモの木があります。このヤマモモは私が子どものころから、その大きさが変わらないので樹齢は定かではありませんが、地元の人の話によると2回も雷が落ちて黒焦げになったため、中は木霊が宿っているような空洞があります。地元の人はこの大木の下の広場に、小さな瓦焼きの祠を置き、道祖神として祀っていて、折に触れお供え物をして祈りを捧げているようです。

野生の夏蜜柑
野生の夏蜜柑

 時折人間牧場にやって来る腕白な子どもたちは、この木によじ登って遊んでいますが、私もヤマモモの木の周辺の草刈りは、私の仕事として毎年4~5回草刈機で刈っていますが、その直ぐ近くの茂みに今年の夏ごろ夏みかんと思われる実が20~30個なっているのを見つけました。察するに小鳥が夏みかんを食べた折、夏みかんの種も一緒に啄ばんで、この茂みに糞をしたものが発芽したようです。こうした光景は至る所にあるのですが、実生は得てして先祖返りするのでその木には沢山の太いトゲが木の表面をまるでカラタチのように覆っているのです。

 夏に確認した実はその後晩秋になると色づき、今は枝もたわわに見えるのですが、果実が果汁を溜め込むとその重さで日に日に木が傾き、下を通る軽四トラックの屋根をこするようになってきました。古いロープで他の木に誘引して縛りつけておきましたが、いつの間にかそのロープも重さに耐えかねて切れてしまい、相変わらず垂れ下がって、実の中には擦られて傷がついているものもあるようなので近々に針金で再び誘引使用と思っています。
 はてさてこの夏みかんの実は食べられるのか?、これがみんなのもっぱらの関心事ですが、多分先祖返りの原種ゆえ酸っぱくて食用にはなりにくいので、マーマレードの原料にしてはどうかと、密かに思っています。昨年はわが家の甘夏ミカンを使ってマーマレードを作ってみんなに大層喜ばれたので、人間牧場産の地産地消には最適だと密かに思っています。

  「鳥の糞 そこから夏柑 芽を吹いて 今では立派 成木実をつけ」

  「夏蜜柑 果たして味は どうだろう 興味津々 色づき始め」

  「夏蜜柑 この実使って マーマレード これぞ地産 地消とするか」

  「実るほど 頭を垂れる 夏柑は 誘引しても 元の木阿弥」

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人間牧場

〇いい文化的スキルアップの二日間

 この二日間、外孫が風で熱を出したため、午後出張のついでに朝早く伊予インターから松山インターまで高速道路を使って、道後緑台のマンションへ出かけました。娘は県病院へ勤めているため、また娘婿は愛媛大学へ勤めているため、仕事を休むことができないので、止む無く私が午前中孫朋樹の面倒を見ることになったのです。前日は午前8時過ぎにマンションへ到着し、しばらくして熱が38度ある孫を吉田小児科へ連れて行きました。吉田小児科はこれまでにも何度か頼まれて孫を連れて行ったことがあるので、朝一番の予約どおり9時から診察をしてもらいました。

友論荘のパステル画展
友論荘のパステル画展

 娘は助産師らしく前夜から朝までの体調や食欲などを詳しく観察したメモを診察券に挟んでくれていたので、受付も造作なく熱を計って早速診察を受けましたが、どうやら喉風邪のようで心配した流行性感冒ではなかったようでした。先生が「熱があるので学校は休ませた方がいいでしょう」と言ったので、とりあえずマンションに帰ってベッドに温かくして寝かせました。孫は自室でゆっくり眠っていたので、私は松山市立河野小学校へ権現温泉を通る裏道を抜けて向かいました。昨日の朝もやはり熱が下がらないので宜しくと電話が入り、二日続けてのマンション通いとなりました。昨日も昼前に県公連の専門委員会に出席するべく、孫のことが気になりながらマンションを出ました。

新雪を被った石鎚山の遠望
新雪を被った石鎚山の遠望

 途中友輪荘の前を通ったついでに、新聞に出ていた砥部町広田の人のパステル画展示を急ぎ足で観賞しました。体調が思わしくない中でこんな綺麗な絵を描く努力は凄いものだと感心し、住所録に自名を記して生涯学習センターへ向かいました。生涯学習センターのロビーでは、わが町の元町議会議員だった大石寿淑さんの、四国八十八ヵ所切り絵展が開かれていました。県公連の専門委員会まで少し間があるので、切り絵展を見学し同じように住所録に記名して会場となる会議室へ入りました。

四国八十八ヵ所切り絵展
四国八十八ヵ所切り絵展

 会議は公民館の振興策について9人の委員が、顔を突合せ熱心な議論を展開しました。公民館の専門委員会は毎年この時期に参加をしていていますが、公民館を取り巻く現状は市町村合併の影響もあって、右肩下がりの感じがしています。公民館のコミュニティセンター化の流れも気になるところですが、人がどうであれ私設公民館「煙会所」や「人間牧場」を使った私の社会教育実践姿勢は今も変わらず、これからも生涯をかけて活動と運動を草の根的やろうと心に決めています。年末発行した私が会長を務めている公友会誌に、「ラベルとレベル」について寄稿したように、剥がしようのない公民館経験者のラベルと、公民館経験者ゆえのレベルアップを図りながら、公民館へいささかの恩返しをしようと思っています。

専門委員会
専門委員会

 昨日は生涯学習センターのある松山市上野町辺りからは、西日本最高峰の石鎚山が雪を被って綺麗に見えました。路側帯に車を止めてその美しさを遠望しましたが、一瞬一瞬、その場その場を生きていることを感じながら生きなければ、日々が何げなくあっという間に過ぎて行きます。前の日は中江藤樹や二宮尊徳、昨日はパステル絵や切り絵と、短い時間ながら文化に触れることができました。また昨日は物議を醸した東京都知事だった猪瀬直樹著「金次郎は何故薪を背負っているのか」という本を、専門委員会同席した愛媛大学名誉教授讃岐幸治先生にいただき、夜のうちに大半を熟読し、自分のスキルをアップすることができました。いい二日間でした。

 

 

 

 

 

 

  「熱出した 孫の面倒 高速を 使い二日も 通い手助け」

  「パステル絵 続いて別の 切り絵見る 世の中偉い 人がいるもの」

  「新雪を 被った石鎚 遠望す 心引き締め 生きよう決意」

  「大学の 先生くれた 本を読む 裏の裏知る 手がかりアップ」 

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人間牧場

〇夫源病という病気

 最近は一億総病人といわれるほど、国民が何らかの病気にかかっているようです。それを物語るように、毎年毎年大学を出たり国家試験を経て沢山の医師が誕生しているのに、未だに医師不足だと嘆いています。しかし一方で身の回りには私たちが子どものころにはなかった病院や薬局が、コンビニエンスストアーの数を上回るほどあちらこちらにできて、畑や田圃のあちこちには農作物ならぬ病院の看板がまるで雨後の筍のように林立しているのです。

 最近の病気の特徴は、かつて贅沢病と言われていた糖尿病や、一見健康人間と見紛うのに心が病んでいるうつ病などがどんどん増えているようです。昔インスタントラーメンが出始めの頃、大学生が毎日インスタントラーメンを食べたため肝機能障害を起こし、お医者さんが「インスタントラーメン症候群」という病名をつけた話を聞きましたが、病気は世相を映す鏡のようです。糖尿病やうつ病が多いのも、やはり豊かさと混迷の世相を反映していて、益々混迷の度合いを深めています。

 最近「夫源病」なる病気がお目見えしました。夫の言動が妻の病気の原因だと言うのです。夫は外妻は内というのが、昔の家庭の構図でした。ところが妻も外で仕事をするようになるとそれぞれの生き方がまるでボタンの掛け違えのようになり、夫婦の絆があや糸のようになるのです。ところが定年を迎えるとそうした夫婦が、毎日一緒に一つ屋根の下で暮らすようになり、お互いがお互いをうっとうしく思うのです。

 男性は私を含めてわがままです。特に三度三度の食事はもっぱら妻の仕事と思っている、古いタイプの夫はその度合いが強く、そのことが妻のストレスの大きな原因になっているのが夫源病なのです。冷めた夫婦は夫源病に耐え切れず、年金も離婚をしても半分もらえる現代ですから、離婚を決意する人も多いと聞きます。いやはや何としたことでしょう。かくいう私もひょっとしたら離婚の危機かも・・・。人事ではありません。「夫のために余生を尽くすのはもうこりごり」と思っている夫源病を患っている女性に、どんな妙薬があるのでしょうか。恋病と夫源病は医者にも治せない厄介な病気かも知れませんね。

  「最近は 夫源病なる 病名の 新たな病気 あるのだそうな」

  「何故私 夫のために 尽くすのか 妻の言い分 分る気がする」

  「妻さえも 信じられない 世の中に 残り少なく なったというに」

  「わが妻は そんな病気に かからない 信じています 愛してますよ」

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人間牧場

〇親父の認知症

 前日の夕方、辺りが暗くなり始めた午後6時過ぎ、親父がコートを着て外出用のバックを提げて玄関に現れ、いきなり「これから病院へ行くぞ」といい始めました。親父はどうやら昼と夜を勘違いしたらしいのです。耳の遠くなった親父にそのことを説明しても「連れて行ってくれ」と言い張りましたが、やっと納得させ隠居へ連れて行って寝かせました。
 親父はこのところ便秘気味で、下剤を飲んでいますが一向に回復せず、先日も下灘診療所の看護婦さんが手を差し込んで取ってくれました。その折少し下血したのが心配で、「県立中央病院へ連れて行って検査をしてくれ」と頼むのです。

 下灘診療所の先生に電話すれば必ず往診に来てくれるので、その必要はないと説得しても聞く様子もなく、暖かい日を選んで連れて行くことにするからと、話していた私の話を覚えての騒動だったようです。昨日は連休明けの火曜日なので、病院は混んでいるものと思いつつ、親父を助手席に乗せて7時40分に自宅を出発しました。親父は久しぶりの沿線の風景を感慨深げに見ていました。体の不自由な人が止める駐車場へ案内してもらい、車椅子に親父を乗せて病院へ入りました。久しぶりの病院は連休明けとあってかなり混んでいました。受付をすませ2階の内科受付へ回されましたが、1時間待っても一向に予約が取れず、結局は1階の急患に回されそれからさらに1時間待たされました。1階急患診察室の前の待合所は、玄関から吹き込む風で冷たく、少し寒気がすると言いましたがどうすることも出来ず、結局は10時30分に診察が始まりました。

 症状を伝えましたが、先生は「ここは急患専用なので、往診に来てくれる先生がいるような患者さんは来て欲しくない」と不機嫌極まりなく、とりあえず内診のあとレントゲンを取ることになりました。親父は足がおぼつかないので、洋服を脱がせたりレントゲンの寝台に寝かせるのも一苦労で、結局レントゲン技師さんから私に手助けして欲しいといわれ、検査室で行動をともにしました。その後レントゲンの結果は先ほどの先生の元へラインで送られていて、再診をしてもらいましたが、レントゲンに異常はなく一件落着となりました。
 車に乗せて帰宅の途に着きましたが、少し長い病院での診察や検査時間に疲れたようでしたが「死ぬまでにもう一回総合病院で診て欲しい」との願が叶い、「もう病院へは行きたくない」と言いつつホッとした様子でした。

 夕方「炊飯ジャーが壊れてご飯が炊けない」と、私を呼びに来ました。隠居へ行って見ると、炊飯ジャーの蓋が壊れていました。早速近所の高村電器店へ出かけて、同じようなタイプのタイガー炊飯器の在庫があったので、1万5千円で買い求め親父のダイニングにセットしました。早速の私の対応が余程嬉しかったのか、2万円のお釣5千円を私にやるというのです。年金暮らしの親父にお使い賃をいただくほど困っていないので断わりましたが、「取っておけ」と気前のいい話をしてくれました。
 95歳になって認知が進んだといいながら、まだ自分でご飯を炊いて食べることだってできるし、足が弱ってもどうにか歩いたり、デイサービスに週二回出かけれるのですから、まだよしとしなければなりません。私の今年の目標の中に「親孝行」を挙げていますが、はてさて・・・・。

  「高齢の 親父認知が 少しずつ 進んで昼夜 逆転現象」

  「死ぬまでに も一度病院 連れて行け 頼む親父を 車に乗せて」

  「受付を 何度も通過 結局は 病院内を たらい回しされ」

  「レントゲン 写真を見せて 悪くない 言われ安心 したよう親父」

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人間牧場

〇マサカリ担いだ私

 「マサカリ担いだ金太郎」という古い歌があります。しかし時代は移って「マサカリ」といっても「それ何?」と言われるのが現代です。農家や漁家は別として、多分こうした古い道具を持っている家庭も殆どないのでしょうが、わが家では親の代から受け継いできた大小のマサカリが何本かあって、特に人間牧場を造ってからは、かまどや風呂やストーブに使う薪を作らなければならないため、マサカリはチェンソーやナタ、鋸と並んで重宝している道具なのです。

 前日人間牧場で、大きなクヌギの木2本を伐採しました。その後餅つきの手臼を頼まれていて、小切りにしていた木をそのままにして帰っていたので、昨日は午後2時に帰宅後思いついて片付けに行きました。広場にうず高く積んでいたクヌギを軽四トラックの荷台に乗せ、木陰まで運びました。腕首から太もも程度の大きさを目安に、それらを余り乾燥させない環境の場所で寝かせるためです。こうしないと乾燥し過ぎて役に立たなくなるのです。余った小さい枝木は倉庫下へ積み上げました。暇ができるとチェンソーでかまどに入る程度の長さに三分割する予定です。

 さて40cmほどに小切りしたお墓の隅に置かれていたものは、どうしようか考えた挙句、トラックに積んで自宅へ持ち帰り朝な夕な体力づくりのつもりで、薪に割ろうかと考え、トラックの荷台に積み込み、持ち帰って倉庫の前の広場へ、一輪車で運びました。生のクヌギの木はかなり重く筋トレには最適な労働でしたが、積み込みと荷降ろしで少し汗をかいてしまいました。その後5~6本試し割をしましたが、生木のためマサカリでズバズバと面白いように割れました。この分だとその気になれば2~3日で片付くようです。

薪割り仕事が始まりました
薪割り仕事が始まりました

 この冬初めての薪割りはとても順調に進み始めましたが、人間牧場の梅林には大量のクヌギの小切りが置かれています。乾燥すると割れにくくなるので、この10日ほどでそれらを全て、一人で処理しなければなりません。少し気が重いようですが、筋トレだと思ってやるつもりです。幸いそれらを収納する薪小屋もしっかり用意できているので、造作もないことですが、梅林から上の道へ上げるのはどなたかにお手伝いしてもらわなければならないかも・・・・。このブログを読まれた方で、腕力と体力、そして暇のできるボランティアしたい方は名乗りをあげてください。お願いします。

 

 

 

  「クヌギの木 家まで運び 薪に割る 生木ズバズバ 面白いよう」

  「これは何? 聞いても答え 返らない マサカリさえも 知らない世代」

  「エコという 言葉は知って いるけれど 薪は知らない 薪割りもっと」

  「筋トレの つもり薪割り 朝夕に 一石二鳥 知恵さえ出せば」

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人間牧場

〇クヌギの木の伐採(その3)

 林業のスペシャリスト中島さんと、酪農家亀本さんの二人が2台の、よく切れるチェンソーを使って、クヌギの木の大木を切り倒してくれました。二人の作業を横目で見ながら、私は1mの竹定規で切ってもらった枝を、二人の作業がはかどるように片付けながら、放り揚げてお墓の上の舗装した広場まで運びました。切ったすぐの原木はとても重く、厚着をしていたこともあって大汗をかきましたが、まるでアリが荷物を運ぶような格好でした。

車状に小切りするクヌギの木
車状に小切りするクヌギの木

 主幹の部分は余りにも大きいので、シイタケの植菌には向かないし、動かすのがやっとなので割り木薪を作るため、1mの小切りを更に3つに切り分けてもらいました。切り倒してもらうだけと思っていたのに、こんな細かい作業までやってもらって大助かりでした。
 大きな方のクヌギの木の伐採が終ったところで一服しお茶を飲みましたが、汗をかいた体が冷えるので、中島さんは休憩時間を利用してチェンソーの目立てをしていました。チェンソーの目立ては始めて見るので、私もホームセンターで棒ヤスリを買い求め、やってみようと思っていますが、はてさて上手くいくかどうか分りません。

沢山できた梅林に置かれた割り木用のクヌギの輪切り
沢山できた梅林に置かれた割り木用のクヌギの輪切り

 二本目のクヌギの木は、一本目に比べたら小さく、枝切りのため木に登ることもなく切り倒し、根元はやはり割り木薪にするため小切りをしてもらいました。結果的には2時間半ほどの作業で、枝木の片づけまでしてもらい無事怪我もなく終了し、お二人は道具類を片付けて帰られました。私も前日に続いて12時からシーサイド公園で餅つきの手こねボランティアの予定が入っていたので、道具類を片付け、周囲の掃除をして人間牧場を後にしました。それにしても山仕事に馴れているとは言いながら、お二人のコンビネーションと腕前には脱帽でした。中島さんは同級生の旧姓徳山貞子さんと親類だったりして、世の中の狭さや縁の不思議を大いに感じました。

日本のクヌギの木を切って明るくなった東側
日本のクヌギの木を切って明るくなった東側

 私にとっては2日続きのクヌギの木の伐採でしたが、これで春先のシイタケ植菌のための準備が整いました。早速これからホダ木を乾燥を避けるため木陰に移し、中島さんと亀本さんが小切りしてくれたクヌギの木をマサカリで割らなければなりません。また枝木は私が更に小切りをして薪にする予定です。割り木は木が生でないと割れないので、これから10日間が勝負のようです。私もスケジュールを見計らって、しっかりと汗を流したいと思っています。昨日切った2本のクヌギの木で一年分のかまどとピザ釜、それに水平線の家のストーブの薪は確保できそうです。綺麗に割れたらかまどの下のインテリアにも使いたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  「小切りして くれたクヌギの 木を使い 薪割り励む 心新たに」

  「約10日 生木の間 しかできぬ 薪割り多分 苦労が多い」

  「クヌギの木 二本で一年 分できる かまどピザ釜 それにストーブ」

  「オフなれど シーズン考え 作業する 尊徳田の草 思い出しつつ」

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人間牧場

〇クヌギの木を切る(その1)

 昨日は水仙まつりのダイガラ餅つきが終った午後2時30分に、親友井上さんと2人で、井上さんの持ち山へクヌギの木を切りに出かけました。井上さんの4WD軽四トラックに同乗し、2年前人間牧場の薪にするクヌギの木を切りに出かけた見覚えのある場所でしたが、そこまで行く農道には夏草の名残でしょうか、背丈ほどもある草が生い茂り、歩いてはとても分け入ることができないほどになっていました。井上さんはかまわず草を踏み潰すようにドンドン進みました。

 回転場の茂みに車を止め、井上さんが大事に育てている杉山の中を歩いてくぬぎ山へ入りました。井上さんは林研グループに所属して、杉の苗木を自分で挿し木して育て、それを植林しているのです。昨日入った杉山は、「いつどのようにして枝打ちしたのだろう?」と思うほど、梢の近くまで綺麗に枝打ちされ、美林の片鱗を覗かせていました。クヌギ山に到着すると井上さんは慣れた手つきで、チェンソーのエンジンを始動させ、次々と頃合なクヌギの木を根元から伐採し始めました。馴れているのでしょうか、倒れる方にチェンソーの刃を入れて半分ほど切ったら、今度は反対側から再び切ると、勢いよく音を立てて下へ向かって切り倒されました。

 余りの見事な技術にあっけにとられて見ていましたが、私の手伝いは植林した杉の近くにあるクヌギの木が杉の木を傷めないよう、クヌギの中ほどの枝にフックをかけ、ロープで引きつけて倒すのです。7~8本そういう作業を繰り返し、目論見どおり杉の木を痛めることもなく作業を終えました。
 井上さんは私が教育委員会で社会教育の仕事をしていた頃の青年団長で、若い頃から何かにつけて気心の知れた間柄で、色々な人生の相談にも乗って来ました。今は地域事務所のトップになっていますが、後3ヶ月で定年を迎えるのです。

クヌギの木を伐採する井上さん
クヌギの木を伐採する井上さん

 井上さんは山仕事が好きで暇さえあれば自、分の持ち山に入ってただ黙々と山の仕事をしているようです。笑いながら「金にもならない山仕事」と言っていますが、確かに井上さんのやってることは今日や明日の稼ぎにはなりません。ましてや美林を作っても多分自分の代でそれがお金を産むようなことはないでしょう。でも千年杉とまでは行かなくても百年杉を育てるような目論見には私も大賛成なのですが、人を育てることを第一にしている私とでは、少し開きがあるような気がするのです。
 井上さんと一緒に切った木は、少し分けてもらって人間牧場へやって来る子どもたちと一緒にシイタケの種ゴマを打ち込み、シイタケを生やしたいと思っています。シーズンオフといわれる冬のこの時期、私の活動はもう既に来年度の活動に向けて動き出しているのです。

 

 

 

 

 

 

  「クヌギ山 通じる山道 夏草の 名残りか背丈 踏み潰し行く」

  「冬寒い 山谷こだま チェンソー 響き渡りて クヌギ伐採」

  「驚いた 木を切る技術 いつの間に 次から次へ 面白いよう」

  「このクヌギ 春には車 積み込んで シイタケ菌を トントン打ち込む」

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