人間牧場

〇子どもふるさと体験塾「秋の収穫祭」

 双海町内の子ども40人が参加して、いるふるさと体験塾の「収穫祭」が、昨日人間牧場でありました。人間牧場では前日、地域づくり人養成講座が開かれ、交流会の延長として宿泊組も何人かいたので、少し早めに飲料水用のポリタンクに水を入れて、軽四トラックに積み込み出かけましたが、宿泊組は働き者が多いため、既に早起きして後片付けや掃除もきちんとして、私たちの来るのを待ってくれていました。
 子どもたちは8時30分に下灘コミセンに集合して受付を済ませ、9時10分には人間牧場へ向けて出発したと、担当引率の赤石さんから携帯電話が入りました。約40分の人間牧場までの山歩きは、要所要所にクイズの張り紙があり、また食べられる野草を探しながらグランプリを競うとあって、子どもたちは結構楽しそうに山道を登って来ました。

芋畑の後片付けをする子どもたち
猪汁と芋飯の注ぎ分け

 今年も周辺に出没するイノシシに、5月26日に植えたサツマイモは、周囲を魚網で囲っているのに、食べられて全滅となりました。2年続きの収穫ゼロなので、収穫祭はどうすればいいのか、再三再四検討を加えましたが、畑の後片付けもあるので、思い切って実行することにしました。
 今年は事前に人間牧場周辺に出没したイノシシを、罠で捕獲した近所に住む西嶋さんから、猪肉5キロの提供があり、サツマイモもわが家の家庭菜園で掘ったものなどを使い、何とか食材の準備はできました。また野草の天ぷらにも挑戦し、子どもたちが取ってきた芋の茎やサツマイモ、私が採ってきたミョウガやヨモギなども食材にしました。昨日は前日に引き続き風もない穏やかな天候に恵まれ、水平線の家の下の広場に、大小3つのかまどが並べられ、大釜では猪鍋、小釜では芋飯が炊かれました。また松本さんと浜田さんがピザ釜で、水元さんと和田さんが焚き火でそれぞれ焼き芋をするなど、芋にこだわった美味しい料理ができ、子どもたちもお代わりをするほどの食欲でした。

ウッドデッキでのんびり食事をする子どもたち
ウッドデッキに展示された観賞用カボチャ

 昨日は、北海道佐呂間町の武田温友さんから送られてきていたカボチャを、収穫祭の雰囲気を盛り上げるため、ウッドデッキに行儀よく展示しました。子どもたちは初めて見る珍しい観賞用のカボチャを手にとって見ていましたが、ジャンケンゲームでの勝者に、好きなカボチャが貰えるとあって、ジャンケンゲームは大いに盛り上がりました。

足湯を楽しむ子どもたち

 食後は、私が沸かしたロケーション風呂で足湯のサービスをしました。各班ごとに5分程度の短い時間でしたがしたが、子どもたちは靴下を脱ぎ、ズボンをスネまでめくり上げて、車座になって風呂釜の回りに座り、のんびりと足湯を楽しみましたが、どの子どもも「超気持ちいい~」などという言葉を連発していました。前日沸かした風呂の残り湯の温度が風呂釜に残っていて、少し温めでしたが、子ども喜色満面な姿に私も大いに癒されました。
 それにしても、今回も10人を越える多くのスタッフが子どもたちのために働いてくれました。準備から当日の運営や後片付けまで、本当によく手伝ってくれました。みんなが帰った後一人細々した片づけと見回り施錠をして、人間牧場を後にしましたが、スタッフは地域事務所の裏で、使った道具類や食器類の水洗いをやってくれました。
 今年も天候に助けられ、いいプログラムを消化することができ、多少反省点はあるもののホッとしました。

  「サツマイモ イノシシ食われ 意気消沈 だけど人間 イノシシ食って」

  「気持ちいい~ 連発足湯 長閑なり 喜色満面 見ているだけで」

  「スタッフの 努力でできた 収穫祭 主役の子ども 大いに喜ぶ」

  「この歳に なっても進ちゃん 愛称で 子どもたちから 呼ばれて嬉し」

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人間牧場

〇私の苦手なもの(その1・コーヒーが苦手)

 私には得意なものと苦手なものが沢山あります。暇を見つけて少し苦手なものをブログに書いてみようと思い、先日滋賀県米原へ行く手持ち無沙汰な列車の中で、いただいた名刺の裏が白いことをいいことに、名刺をいただいた人には大変失礼ながら小さな文字で、苦手なものを20ばかりメモしました。しかし健忘症とでもいうべき私は、そのメモしたことすらすっかり忘れていましたが、昨日の夜名刺の整理をしていたら、その名刺が出てきました。
 メモのトップは「コーヒーが苦手」でした。私はこれまでコーヒーを口にしたことは余りありません。最初にコーヒーを飲んだのは高校3年生の時、宇和島水産高校の実習船愛媛丸でオーストラリア近くの珊瑚海へ遠洋航海に行った折、寄港したイギリス領ニューへブリデス・エスピリッツ・サント島で、初めてネスカフェのコーヒーを口にしましたが、18歳の若松青年は苦くて思わず吐き出してしまったのです。これが私の後にも先にもコーヒーを飲んだ一回限りの経験なのです。

 以来私はコーヒーが飲めないというよりは飲まなくなって50年の時が流れました。青年の船で30歳の時、建国200年のアメリカを訪問したアメリカでは、コーヒーが日常的に飲まれている場所に何度も出くわし、コーヒーを勧められましたが、「ノーサンキュー」で通しました。
 コーヒー通の人から「あんな美味しいものを何で」といつも言われますが、コーヒーの匂いが嫌いなのではなく苦味が嫌いなのですから、まあ飲まず嫌いといったところでしょうか。最近は和食を食べた後でも食後のコーヒーを飲むのは常識とばかりに、飲む人が多くなっているようですが、こればかりはどうにも理解ができないのです。自分では純日本人だと自慢していますが、コーヒーも飲めないようで、はどうやら国際社会では生きて行けないようです。
 コーヒーが嫌いあこともあって、私は喫茶店に入ることは殆んどなく、コーヒーを飲むための小銭も要らないのですが、喫茶店で1時間も2時間も過ごす人の気心も分かたないのです。

 世の中は面白いもので、私のようなコーヒー嫌いな親の長男息子が、好きになって結婚したのは、何と喫茶店を経営する家の長女娘なのですから、私の顔が苦味ばしるのも当然だと思うのです。息子嫁は最近になって孫たちが少し大きくなって保育園に通うようになり、出里の喫茶店でパートで働いています。そんなこんながあるものですから、私も時々友人を連れて行ってコーヒーをご馳走したりしますが、私はその喫茶店でブラックならぬホワイトを飲むのです。カウンターに座るとマスターを務める息子嫁のお父さんが、何も言わなくてもホットミルクを用意して出してくれます。これはまるでブラックユーモアのようです。
 私は温かい緑茶党で、食事の度に妻が用意してくれた温かい緑茶をすすっていますが、多分死ぬまでコーヒーは飲まないでしょう。妻はカフェインに弱いのに、コーヒーや濃いめの緑茶が好きですが、寝る前に飲むと目が冴えて眠れないので寝る前には控えているようです。

  「コーヒーを 飲まない理由 聞かれると 飲めば女性に 抱きつく癖と」

  「コーヒーを 飲まない俺の 息子嫁 何故かコーヒー 縁あり不思議」

  「コーヒーを 飲まずに生きた 50年 理解できぬと 愛飲仲間」

  「コーヒーが ガンにいいから 飲めという ガンになっても コーヒー飲まぬ」

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人間牧場

〇旅は私にとって精神の若返りの泉である

バラ公園で見たバラの色と香りは忘れられない思い出です

 私は時々県内外へ小さな旅をします。旅といっても講演を頼まれて出かけることが殆んどなので、家と目的地を往復するだけなのですが、最近は歳をとったからなのか、旅に出かける時プラスワンを心がけ、講演会場へ行くと途中や近場で見ておきたい場所を探し、寸暇を惜しむように立ち寄るのです。
 今月に入って広島県と愛媛県の県境にある上島町、滋賀県米原市、広島県の福山市などへ講演に出かけましたが、因島では村上水軍城、米原では雅な曳山まつり、福山ではバラ公園など、何度も訪れているのに見ることができなかった場所や機会を捉えることができました。

 ご存知、デンマークの童話作家アンデルセンが「旅は私にとって精神の若返りの泉である」と言っているように、私も旅先で見たり聞いたりすることが、心の若さを保つ上でとても大事なような気がするのです。昨日も葬祭場で久しぶりに何人かの友人に会いましたが、みんなそれなりに歳をとり、私と同年代なのに失礼ながら少し歳をとっているような感じがしました。それらの懐かしい人たちから見れば私もそれなりに歳をとったと感じられたことでしょうが、異口同音に私の元気はつらつとした姿に感心して、お世辞にせよ「若松さんは変わらず若いなあ」と連発されました。嬉しくなって「そりゃあ名前も若松ですから」と笑いを誘いましたが、私にとっても旅は精神の若返りの泉のような気がするのです。

福山市緑地公園のバラ園

 因島で見た水軍城も、米原で見た曳山まつりの山車も、また福山で見たバラも私に束の間の癒しを体感させてくれました。今月はまだ鳥取県岩美町や広島県三原市への講演旅行が控えています。岩美町といえばジオパークの海岸や鳥取砂丘の直ぐ近くだし、また三原三原城など見所一杯で、講演はさて置いて今からワクワクしています。昨日栃木県から11月14日の講演講師依頼状が届き、インターネットで周辺を調べましたが、近くには世界遺産の日光東照宮もあると夢が少し広がり、11月には高知県土佐清水市、鳥取県日野町へと県外の旅が予定されています。土佐清水市足摺岬に建つジョン万次郎の銅像にも逢いたいものです。
 「あなたはいいねえ、色々な所へ行けて」と妻を羨ましがらせていますが、そろそろ妻も何処かへ連れて行ってやりたいと殊勝なことを考えながら昨晩は、ネットで栃木県をあれやこれやと調べて楽しみました。

  「若いねえ お世辞の言葉 間に受けて 俺は若いと 過信しきりに」

  「プラスワン ただそれだけで 面白く 小さな旅を 一人楽しむ」

  「アンデルセン いいこと言って いる同感 私も旅は 若返り泉」

  「さて次は 世界遺産の 日光を 色々策を 練るのも楽し」

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人間牧場

〇広島県公民館大会(その2)

 私の携帯電話も相手たる公民館担当の携帯電話も、知らず知らさずのまま講演依頼の文章を信じて出かけた私のいい加減さを、深く反省しましたが既に後の祭りでした。とりあえず時間が迫っているので市役所の位置をカーナビで呼び出し、僅かの距離にあることを確認し走ることにしました。ふと近くに何度か講演で行ったことのある生涯学習センターの存在を思い出しました。記憶を頼りにカーナビの案内言葉を無視して走ると、右手に生涯学習センターの入った建物が、ラッキーにも見えてきました。路側に車を駐車し急いでエレベーターで生涯学習センターのある4回まで行き、受付で訳を話すと、私の顔を覚えてくれていた女性職員が問い合わせをしてくれ、公民館大会のある場所が市役所の隣の、広島県民文化センターふくやまであることが分かり、急いで車に戻り走らせました。

 急ぐ時はこんなものかと思うほど、幾つもの信号の待ち時間がやたらと長く感じました。幸運にも立体駐車場3階に車を止めることができ、エレベーターで一階まで降り講演30分前に何とか会場入りすることができました。案内されたステージ裏の楽屋で担当の方は、最初の企画段階で使うはずだった会場がその後変更になったのを買いなおさなかったと詫びられましたが、まあ済んだことですが講演前のドタバタで身も心もすっかり動転してしまいました。
 私の講演は10時40分きっかりに始まり、12時10分まで淀みなく話すことができ、何とか責任を果たすことができました。夕方の会議スケジュール予定が入っていたので、用意してもらった昼食も取らず引き上げ、やや強くて時折激しく降る雨の中を松山まで帰り、ゆっくり間に合った会議を済ませて夕方往復300キロの講演小旅行を終えました。

楽屋の化粧台の上にそっと飾ったバラが私の心を落ち着かせてくれました

 思い返せば講演が終わって直ぐに、広島県公蓮の城戸常夫会長が、事務局長さんとともに楽屋へあいさつに見えられ、少しの間懇談ました。会長さんは県議会議員なので直ぐに帰る予定だったそうですが、私の話に共感共鳴して、最後まで聞いたそうです。私の話の中で述べた「行政に当てにされない公民館」のくだりには特に同感だったようで、コミュニティ行政という名の元に、公民館を自治振興センター化しようという動きが全国に広がっていて、危機感を抱いて全公蓮や文部科学省へアプローチするものの、色よい返事は返ってこないそうです。
 私の友人の高松市三谷コミュニティセンター長の溝渕さんともこの話は折に触れ話していますが、行政が教育に介入し過ぎたり、公民館がそのことに無頓着で何の対策もしないことが、大きな大きな問題だと思うのです。まあこの話はいつか文章化したいものです。

 今回はマイナス的ハプニングとプラス的幸運が重なったものの、結果的には私の強運に助けられました。家を出るとき妻が、「台風の影響で天気が荒れているので気をつけて」と注意を受け出発しました。念願だったバラ公園のバラも雨に逢うこともなく、見学することができたことはラッキーでした。秋の深まりを感じる10月17日水曜日の一日は、私にとってとても長く感じる思いで深い一日となりましたが、そんな一日も私の過去となってしまったのです。
 昨晩書き残したブログを書こうとPCにスイッチを入れると、早速私の講演を聞いた府中町府中公民館の折出さんはじめ、3人の参加者から感想めいたメールが届いていました。嬉しい反応に目を細め、今朝にでも返信のメールを送ろうと思っています。

  「幸運と 機転が利いて 何事も なかったように 講演終える」

  「慌てるな 化粧台上 バラが言う 危機な時ほど 性根を据えて」

  「降り出した 雨も私に ほほ笑んで 鼻歌交じり しまなみ海道」

  「車ゆえ 一日往復 300キロ 物ともせずに 仕事を終える」

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人間牧場

〇広島県公民館大会の記念講演(その1)

 今日は広島県福山市で開かれる公民館大会の記念講演を頼まれているので、間もなく朝5時にわが家を出発し、しまなみ海道を渡って広島県へ向かいます。講演は午前中なので少し早い旅立ちですが、その分早く帰れるので、帰りはのんびりゆっくりしまなみ海道を帰ろうと思っています。さてまだ外は暗いので天気が気になりますが、車の洗車も終わって綺麗になっているので、携帯電話、腕時計、名刺入れ、木になるカバン、電光掲示板に加え、二宮金次郎のブロンズ像も持って、忘れ物のないようこれから出かけます。帰りは夕方です。お急ぎの方は携帯電話へお願いします。ただし運転中は出ませんので留守電をよろしくお願いします。

 こうブログに6行の文章を書いて家を5時過ぎに出ました。外はまだ暗く、街中の信号も黄色の点滅信号が殆んどで、注意しながら少しだけスピードを上げて国道196号を松山~北条~菊間~大西と進み、今治北インターからしまなみ海道を走りました。
 自宅を出る時既に小雨が降り出していましたが、しまなみ海道や国道2号線はまだ雨は降っていませんでした。尾道と福山の境界辺り②車線道路部分では早くもイライラしそうな朝のラッシュが始まっていて、巻き込まれましたが、家を早く出たので目的地近くまで随分早く着くことができました。

朝のしまなみ海道来島大橋
見事に咲いた真っ赤なバラ

 今回の旅のプラスワンは、福山のシンボルであるバラの見学をすることに決めていました。福山へはもう何度も講演に来ているのに、まだ一度もバラの咲いている姿を見たことがないのです。バラは春先のバラも美しいのですが、この次期のバラも趣きがあって美しいとある人から聞いていたので、何としても百万本のバラ運動のシンボルと思われる、バラ公園と緑地公園のバラを見たかったのです。緑地公園に車を止め、朝の散歩のつもりでそこここのバラを見ましたが、綺麗なバラにすっかり目と心を奪われ、香しいバラの匂いの漂う中、至福のひと時を過ごさせてもらいました。

白バラも美しい

 

黄色いバラも綺麗でした

 そろそろ、駐車場での待ち合わせの時間が来たと、9時25分にカーナビに電話番号でセットした、ふくやま芸術文化ホールリーデンローズへ到着するように向かいました。駐車場の入り口に、電話で打ち合わせした、それらしき人も見えず、とりあえずガードマンに訳を言って、主催者が入る駐車場へ入りましたが、長蛇の列ができていたものの、どうも公民館関係者ではないようなので、ホールリーデンローズに電話を入れて確認しましたが、公民館大会等知らないと言われました。さあそれからが大変です。私の講演時間は10時30分スタートなので、まだ間に合う時間ながら、私への講演依頼文書に書いている会場が違うとなると何処なのか、相手の携帯も私の携帯もお互い知らないので、大慌てとなりました。

  「久方に しまなみ海道 十の橋 渡り福山 講演旅行」

  「指折りを 数え福山 来た回数 数えてみるが バラは一度も」

  「気品ある バラの姿に 魅せられて 朝の散歩を 一人楽しむ」

  「会場に 行ったけれども 間違って 右往左往の 一日でした」

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人間牧場

〇地域づくりへの興味は遺伝かも?

 日曜日(10月14日付)の愛媛新聞朝刊1面「今日の紙面」という目次に、「伊予市中心部に移住を・4面」が大きな見出しで載っていました。地元関係者でつくる協議会が移住促進を考えて協議会を設立し、勉強会を開いていることは風の噂に聞いて知っていましたが、新聞記事を読んでいると掲載された写真に、何やら見覚えのあるわが息子の顔が写っているのです。
 「えっ」と思いつつ、隣で食事をしていた妻に「これ一心じゃないか?」と尋ねると、妻は眼鏡をかけた上にさらに虫眼鏡を用意して、写真に写っている息子の姿を確認し、「やっぱりカエルの子はカエルだわね」と、感心するというより呆れた顔でつぶやきました。

10月14日付愛媛新聞朝刊4面の記事

 息子は松山の設計事務所に勤めていて、建築士たちで組織する伊予支部にも加入して活動しているようです。住吉祭りにはウチワを配ったり、空き店舗を借りて展示会をしたりしているご縁もあり、伊予市の中心市街地のまちづくりに加わっていて、商店街の方々や行政の方々から、息子の話を漏れ聞くのです。
 私のような素人的なまちづくりと違い、息子は建築的な観点から街づくりをやっているので、殆んどの活動はすれ違いですが、時々ニアミスを起こしそうになってハッとしたりします。最近は息子もそれなりの年齢になったからか、親の私に発表のために作ったスライドショーを見せて感想を聞くなど、ある部分で歩み寄りを見せているようです。

 妻がいうように「カエルの子はカエル」かも知れないと思いつつ、息子の行動を無視もできないので見ていますが、息子が自分の住んでいる地域に関心を示し、少しでも良くしようと活動することはいいことなので、これからも仕事の許せる範囲で大いに活動して欲しいと願っています。
 私のホームグランドは旧双海町であるのに対、し息子のホームグランドは旧伊予市のようで、少々違和感は感じますが、ローカルな私とグローバルな息子も同じ伊予市民だと思えば、それも納得いくのです。
 息子は新聞に書いていた27日に開催予定のモニターツアーで、町並みガイドをするそうですが、はてさて上手くガイドできるのでしょうか?。老婆心ながらまだまだ子どもと思う、親としての不安が少し過ぎりました。

  「新聞に 見覚えのある 顔写真 見つけてそれが 息子と確認」

  「カエルの子 やはりカエルと 妻が言う 納得しつつ それも良きこと」

  「子どもだと 思っていたが いつの間に 一人前の ような顔して」

  「ローカルな 行動せよと 注意する 分かっていると さらりかわされ」 

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人間牧場

〇紙芝居&ウクレレショーイン下灘駅

 

松本さんから送られてきたチラシ

 10月の初め、年輪塾小番頭の松本さんから下灘駅でのイベント情報に関する、メール配信がありました。私にとって目下のところ地域づくりの情報源は、小番頭の松本さんと舞たうんですから大いに助かり、私のスケジュール表に色々と書き込んで利用していますす。送られてきた情報は10月14日が鉄道の日ということで企画された、「紙芝居&ウクレレショーイン下灘駅」というイベントでした。
 そのイベントにちろりん農園の西川さんや年輪塾の青木晴美さんも出演するというし、まちづくり双海人が餅つきをするというので、私も枯れ木も山の賑わいとばかりに出かけることにしました。

西川さんのウクレレ
晴美さんのオカリナ演奏

 昨日は午前中わが家の家庭菜園で、サツマイモの堀上作業を一人でしていて、急いで昼食を終え狭い駐車場のこともあるので単車で出かけ、開会ギリギリの1時にやっと間に合いました。オープニングを飾る西川さんは既にスタンバイをしていましたが、笑顔で久しぶりのあいさつを交わし、青木さんともお話しすることができました。昨日の下灘駅は風もなく穏やかな一日で、子どもたちが紙芝居に出演することもあって、まあそれなりの人が集まっていました。嬉しいのは西下さんや戸田さんといった馴染みの人も私と同じように顔を見せていたことです。

本物の紙芝居

 駅前の空き地では浜田さんたちを始め、お馴染みの双海人の人が、かいがいしく餅を作っていました。餅つきは先日試作したブルーベリーや、春菊、梅干しを使った珍しいものが、パックに入れられ200円で販売されていました。道を挟んだ片方では前神さんたちがコーヒーやドーナツを販売していました。
 この日のメインは紙芝居で、小川さんの軽快なトーク司会で地元の子どもたちや読み聞かせ隊の手作り紙芝居、松山からやって来たグループの紙芝居など、とても興味が持てる内容で大いに盛り上がっていました。西川さんのウクレレも、晴美さんのオカリナも綺麗に咲いたコスモスの花と共に聞き応え見応えがあって中々のものでした。

 

餅つき

 

西川さんと二人で

 私は夕方、わが家へ講演の打ち合わせにやって来る、お客さんとの待ち合わせ時間があったので、プラットホーム横での餅つきを見てからお暇しました。それにしても下灘駅をフィールドミュージアムにした催しは色々あるものです。老人会や公民館等の地道な活動によって、美化も随分進みましたが、国道から見えるJRのドハはまだ手付かずの状態だし、駅舎の中も何とかしたいものですが、そろそろそういった鳥の目の取り組みも必要かも知れません。折角植えた桜の苗木も葦竹に隠れて一向に育ちません。妙案を作ってそろそろ次へ進むには、力と智恵が揃った今が適期かも知れません。

  ちなみに鉄道の日は、10月14日は新橋・横浜間に日本発の鉄道が開通したことを記念して制定されたもので、下灘駅は今から77年前の昭和10年6月9日に開業しています。

         「親友が 出演すると 言う話 駅に駆けつけ そを聞きに入る」

  「ウクレレや オカリナ音色 澄み渡り コスモスの咲く 駅を彩る」

  「餅ついて イベント足しと 目論むが 客少しだけ 物足りなくて」

  「紙芝居 子どものころを 思い出す 5円握って 手に汗握る」 

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人間牧場

〇一年に一度の懐かしい呑み会

 「市町村職員年金者連名伊予支部双海分会」という会員60人足らずの、私が所持区している小さな団体があります。昨年その総会に出席したところ、副会長が会長に格上げされる申し送りで、断わる理由もなかったため会長となってしまいました。会長といっても年に一度の総会の日程や場所を何処でするかを決めるだけの権限で、後の事務全般は地域事務所の課長さんがやってくれるので、何の造作もなく今年も10月12日に地元の料理屋双楽で総会を開きました。
 総会には18人の方が出席され、私のあいさつや会計報告、監査報告も5分ほどで済み、お楽しみの呑み会となるのです。

 昭和30年に下灘村・上灘町が合併して、双海町が誕生して56年余りが経ちましたが、出席者の中には旧双海町以前の下灘村・上灘町役場時代を経験している人もいて、懐かしい昔話に花を咲かせました。幾星霜を超えた昔話は時として懐かしく思い出されるもので、私も隣に座った戸田さんとかなり長い時間お話をしました。戸田さんはパソコンや携帯電話といった、デジタル情報のない時代に仕事をした人で、勿論私も辞める少し前に仕事がデジタル化されたものの、それらが仕事の大半を占めるまでには至りませんでしたが、辞めてから一念発起して独学でどうにかパソコンや携帯電話を使っているものの、時代遅れな人間であることは自分自身が自認しているのです。

 パソコンは非人間的だと、戸田さんが言う話には私も少なからず同調しますが、だからといって私からパソコンや携帯電話を取り上げてしまったら、まったく情報源を断たれてしまうことになるのです。私が毎日2本書いているこのブログ記事も、戸田さんや集まった殆んどの先輩・同僚の人には伝わるすべもなく、正直なところ時代感覚の差を感じてしまいました。
 集まった人たちのもっぱらの関心事は、集まらなかった会員の音信でした。幸せなことに今年度は会員の訃報を聞くことはありませんでしたが、Aさんが脳梗塞で入院しているとか、Bさんが病気になったとかいう風の噂を聞く度に、悲しい気持ちになるのです。

OB会の記念写真

 元気で過ごしているのに、この会に顔を見せない人も何人かいて、余り大きな声では言えませんが、「あいつは付き合いが悪い」と悪口を言われていました。まあ価値観は人それぞれで、昔を懐かしむだけで何の特典もない呑み会ですから、ほかの事を優先する気持ちも分かりるのです。でも進み行く社会の中で、人生の殆んどを費やして共に職場で生きてきた人たちと出会って、束の間にせよ当時を懐かしみながら酒を酌み交わすのも悪いことではないと、私はこれからも許せる限り参加しようと心に決め、「来年も元気で」と再会を誓い合い散会しました。

  「デジタルな 時代だからこそ 逢うことに 意味があるんだ 集まり呑もう」

  「人生の 大半共に 過ごしたる 先輩同僚 あの日あの時」

  「進めども 少し遅れた 人たちと 感じながらも 時間共有」

  「来ない人 悪口肴 これもまた 楽しきことと 盛り上がり呑む」

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人間牧場

〇幼稚園の運動会そして人権同和参観日講演会

 このところ秋晴れの日が続き、雨らしい雨が降らないため、家庭菜園に植えた冬野菜の苗が少し萎れそうなので、夕方暇を見つけてジョロで水を掛けています。それでもこのころ、は朝になると白露とでもいうのでしょうか、夜の間に畑に露が降りてしっとり濡れているよな感じがして、野菜の苗も次第に元気を取り戻しているようで、ホッと一息ついています。
 今日は松山に住む孫尚樹の幼稚園の運動会でした。午前8時に近くの病院に診察予約していた妻を連れて行きました。病院の入口にはかなりの人が開門受付の始まるのを、行列を作って待っていましたが、予約制なので悪いと思いなが、ら診察室へ呼び込まれ診察を受けていました。私は外で車のフロントガラスや側面ウインドーを、専用のタオルを使って拭き掃除をしました。そういえば最近車を洗っていないことに気がつきました。今日は運動会の後石井北小学校へ公園に行く予定なのに、この車ではた思いつつ拭いたお陰で幾分綺麗になったようでした。

愛媛幼稚園の運動会

 足を怪我している妻を、とりあえず星岡の愛媛幼稚園入口で降ろし、私は近くの駐車場へ入れて、歩いて行きました。運動会はもう始まっていて、娘や娘婿、それに妻や小学校4年生の孫朋樹を直ぐに見つけ、私は立ったまま、園児のかけっこを見学しました。そして園児の群れの中に孫尚樹を見つけて声援を送ってやりました。6人が走って2番でしたが、一生懸命走る姿はどの子も同じような格好をしていて、見つけにくいのですが、孫朋樹も同じ幼稚園に通って、同じ場所で見学していることもあって、どの子が孫尚樹なの直ぐに見つかりましたが、隣で見学していた比較的若いおばあちゃん二人は、自分の孫を見つけ出すことができず、がっかりしていたようで、少し可哀想な気もしました。

石井来た小学校からいただいた花束

 私はひと足早く愛媛幼稚園にお暇し、駐車場から車を出して、カーナビに石井北小学校への道順を案内してもらい、少し時間が早いようでしたが、学校内に入りました。このところ学校へはよく講演に出かけますが、学校の何処が正門なのかがよく分からず、右往左往することがあります。今日も入口は分かったものの何処へ駐車していいか迷いましたが、まあ何とか駐車することができ、教頭先生の案内で校長室へ入りました。教頭先生から昔松山工業高校のPTA会長をしていた頃、同じように他校のPTA会長をしていた朝村さんが逢いたいと伝言があり、呼びに行ってもらって懐かしく再会しました。
 講演は11時20分からでしたが、少し早めに進行していて、予定より5分前に体育館で講演は始まりました。私の持ち時間は50分ほどですが、会場には知り人の山口信行さんも話を聞きに来られていて、少し赤面の感じでしたが、何とか「思いやりのある心を育てる」というタイトルの、話を終えることが出来ました。講演終了後花束までいただき恐縮してしまいました。人権同和参観日だったこともあり、余り砕けることもできませんでしたが、まずまず反応は良かったようです。

  「運動場 どの子も同じ 背丈にて 孫を見つける 至難の業だ」

  「かけっこで 2等賞なり 得意顔 みんな主役で みんな金メダル」

  「元気かと 何年ぶりか 再会す お互い歳を とった実感」

  「講演が 終わり立派な 花束を 顔を赤らめ 穴があったら・・」 

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人間牧場

〇ススメバチの襲撃

 秋も次第に深まって、全国各地から紅葉の便りが届くようになりました。県内では松山祭りを皮切りに秋祭りの話題も、新聞紙上や友人ブログに書き込まれていて、昨日の夜は伊方町三崎二名津の秋祭りの模様を、親友浅野長武さんのブログで興味深く読ませてもらいました。浅野さんのブログはまるで動画のように、写真を連続して紹介してあり、私には真似のできない芸当だと、いつも感心して見ているのです。
 秋といえば最近何処からともなく、香しい金木犀の香りが漂ってきます。散歩の途中でその香りの木が隣の家の庭にあったことを始めて発見して、昨日の朝は小さな驚きでした。

 昨日散歩から帰って裏山に置いてある、ミツバチの巣箱を見に行きました。するとどうでしょう。巣箱の前でスズメバチが5~6匹群がって、ミツバチを襲っているようでした。これは大変と虫取り網を持ち出してスズメバチを捕獲して、虫取り網の上から刺されないように踏み潰しました。生き物を殺すことはたとえ悪態を重ねるスズメバチでも、心が痛みますが、それでも夏の間一生懸命蜂蜜を集めてくれた、ミツバチに少しでもご恩返しをしなければと、心を鬼にして次々と飛来するスズメバチを10匹以上捕獲して殺しましたが、巣箱の入口にはスズメバチに噛み殺された無数のミツバチが無残な姿をさらけ出していました。

巣箱の中の蜂球の様子

 ついでに巣箱の掃除をしようとステンレスのヘラを持参して、そっと巣箱の下板を抜き、ミツバチの糞やスムシを取り除きました。そしてデジカメのストロボをONにして差込み、巣箱の中の様子を覗いてみましたが、2つの巣箱の中上に蜂球が確認されひとまずホッとしました。しかしスズメバチの襲来を受けた2つの巣箱はその後ミツバチの出入りがなくなり、残念ながら蜂の越冬はなくなってしまいました。今年は採蜜も、その後の蜂の出入りも順調だっただけに、残念ですが仕方のないことと諦め、とりあえず残った2つの巣箱を大事に見守りたいと思っています。

 今朝息子が、最近愛読している日本ミツバチという本を読むよう勧めに、わが書斎へ持って来てくれました。ざっと目を通しましたが、その本の結びに、「在来種は(日本ミツバチ)日本の宝だ」という言葉に惹かれました。「その土地にしか存在しないミツバチ、在来種は地域の宝である。そんなミツバチが地域の花々から集めたハチミツはそこに住む人々の食の財産でもある。人間もまた在来種なのだから・・・」と書かれたくだりは同感なのです。また「垂れ蜜は滋養豊富で、ある人から肝臓の数値が改善されたと喜ばれた」という言葉にも納得しました。さあ来年も養蜂を大いに楽しみたいと思います。来年の目標は?・・・・。

  「スズメバチ 巣箱の前に 陣取って ミツバチ襲う 私撃退」

  「あちことに 噛み殺された ミツバチが 転がり無残 可哀想にと」

  「袋網 使って捕獲 スズメバチ 可哀想だが 殺さなければ」

  「ミツバチも 私と同じ 在来種 食の財産 蜂蜜なめる」

 

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