人間牧場

○金次郎銅像を旅のお供に

 このところ私は講演に行く時、エコバッグを提げて行くようになっています。タダでさえ目立つ重そうな木になるカバンに加えて、テント生地でできているエコバックを一方の手で持って行くのですから、両手塞がりといったところで、さすがに傘を差さなければならない雨の日などは、持って行っても躊躇して車の中に置いたりして出かけるのです。
 元々このエコバックは長男息子が仕事に使っていました。どこかで貰ったそうですが息子に頼んで貰ったのです。エコバックだからといって買い物に使うわけでなく、この中に講演で使う材料を入れて持ち運ぶのです。時には私のパトロンとなって名刺に広告を載せているギンー味噌さんからいただいた味噌やドレッシングを入れたりして持ち運んでいますが、最近はこの丈夫なエコバックの中へ二宮金次郎の、小さな銅像を入れ旅のお供に加えているのです。

 先日岐阜県へ講演に出かけた折、大阪から石川県金沢までサンダーバードという特急に乗りました。長い道中だったものですから、列車内での読書にも飽き手持ち無沙汰で、何げなくエコバッグから二宮金次郎の銅像を取り出してまざまざと眺めていると、隣の席に座っていた品のある女性から、「まあお珍しいものをお持ちですね」と「お」付きの言葉をかけられました。それからは二宮金次郎について話が弾み、すっかりお友だちとなり、東京暮らしのこの女性と名刺交換をして、手紙やメールのやり取りを今もしているのですから、旅は道連れ世は情けでしょうか。内緒の話ですがこの女性は著名な方で、近々松山へやって来たついでに人間牧場を訪ねる予定だそうで、私も楽しみにしています。

 すっかり話が横道にそれましたがこの二宮金次郎の銅像は、前にもブログで紹介した通り、私が会長をしている公友会の昨年の総会に出席した、愛媛大学名誉教授の讃岐幸治先生にいただいたものなのです。どこで手に入れたはさておき、昨年まで私が塾長を務めている年輪塾のテーマが二宮尊徳だったし、公開セミナーで二宮尊徳七代目の子孫中桐万里子さんと出会ったりして、私の講演のレパートリーに尊徳の話が加わったためのお供なのです。
 この銅像は高々40センチ程度の小さな銅像ながら、頭脳が詰まっているのか中々重くて、歩く距離が長い時はずっしり肩に重さがのしかかるのですが、木のカバンとのバランスもよく持ち歩いているのです。妻は「お父さんそんな重いものを持つと疲れるので止めた方がいい」と再三注意をされますが、講演に使う道具なので別に気にもせず持ち歩いています。

 実はこの二宮金次郎の銅像が手に持っている本には、中国の古書「大学」の一節は掘り込んでなく白紙なのです。でも長年の学習で、二宮金次郎が読んでいる「大学」の一節は丸暗記して言えるので何の支障もないものの、大阪梅田の古本屋で買い求めた古い「大学」も一緒に持ち歩いています。
 日本海側を走るサンダーバードの車内で知り合った東京の女性と同じように、二宮金次郎の銅像が取り持つ縁がどんどん増える事を願っています。

  「金次郎 重い銅像 持ち歩く 肩が凝るけど これぞ凝り性」

  「金次郎 取り持つ縁で 友だちに これもリアルと 陰徳を説く」

  「金次郎 今日はあちら 明日こちら エコのバックに 入れられ旅を」

  「金次郎 今の俺には ぴったりと 辻説法の 一つに加え」 

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人間牧場

○ウォーキング大会

 私が住んでいる双海町灘町1丁目公民館では、毎年この時期になると小さなウォーキング大会が開かれます。健康増進と子どもの日の行事を組み合わせたもので、すっかり恒例行事となっていて、70~80人の人が参加しました。コースは双海地域事務所前の駐車場に集合して10時から歩き始め、シーサイド公園付近~三島神社~潮風ふれあい公園で解散という比較的楽な行程です。
 私は回覧板での誘いに乗り、毎年申し込んで参加をしていますが、今年は出発直前になって2歳の孫奏心が参加するというので、連れて行くことにしました。出発する前にトイレを済ませたり、リュックに手拭いや着替えを入れたり、また少しばかりのお菓子を入れ、「途中で歩かんと言ったら置いて帰る」などといい含めて、9時過ぎに家を出ました。

 集合場所へは早く着きましたが、早くも「おしっこ」です。役場の日直さんに無理を言って役場のトイレをお借りしました。そうこうしているうちに参加者が集まり、館長さんのあいさつの後説明を受けていざ出発です。散閑とした灘町の旧道を通り、由並小学校下から国道378号に出ました。孫奏心は早くもお腹が痛いといい始めました。トイレも終っているのでずるだと思い、持っていた「飴」を与えると、現金なもので「治った」と言ってまた元気に歩き始めました。
城の鼻から三島神社までの歩道には魚の踏み絵が10m間隔であって、孫と二人で魚の名前を言い当てながら楽しく歩きましたが、三島神社の長い長い心臓破りとも思える階段は、大人でもかなりきつい難関ですが、手を引いて歩いたお陰で、驚くほどのスピードで一気に本殿まで上りきりました。

狛亀の前で孫奏心

 三島神社本殿前の境内では途中休憩のためジュースが配られました。孫はファンタを選びましたが、これがかなり量がある缶タイプだったものですから、半分を私が、半分を孫奏心が交互に飲み干しました。境内本殿の両側には狛犬ならぬ狛亀が置かれている珍しい石像の前で孫と、叔母の写真をとってやりました。
 再び歩き始め、なだらかな本郷の裏道を通って、大通寺経由で千人塚の上に出て、潮風ふれあい公園に到着しました。早速みんなで用意したブルーシートやゴザを敷いて、少し早い昼食を取り始めました。男の人はビールを飲み、私たちにもそれぞれ弁当をいただきました。孫奏心は沢山お菓子をいただいてご満悦で、弁当よりそちらが気になるらしく、弁当には殆んど手をつけず、持ち帰ることにしました。孫は近くの遊具施設で遊びたいらしく、私を連れて遊具

叔母森脇幸子の記念写真はプリントしプレゼントしました

へ案内してくれました。ここは母親とよく遊びに来る場所のようで、長いローラー滑り台を滑りましたが、ブランコや他の遊具は遊びに来ていた他市町村の子どもに占領されて、遊ぶことが出来ず少々不満顔でした。

 12時近くになったので、ビールを飲んでいる男の人たちを残し、私たちは他の人とともに彫刻家のアトリエ前を通ってわが家まで、緩やかな下り坂を歩きました。この日は少し強い西寄りの風が吹いていたため、多少肌寒さを感じたし、出発前にぱらっと小雨が降って心配しましたが、何とか2時間で約1万歩のウォーキングを終えることが出来ました。
 孫を「よく歩いた」と家族で誉めてやりましたが、孫奏心は早速リュックに入れて持ち帰ったお菓子を、少し微熱と咳、それに鼻水が出るため参加できなかった兄希心に得意になって、お土産と称してお裾分けしてやり、楽しそうに過ごし午睡に入りました。私は嫁の入れてくれたお茶を一服飲んでから、人間牧場で人と待ち合わせていたため、休む間もなく出発しましたが、孫と手をつないでのウォーキングは中々いいもので、来年も参加しようと思っています。

  「孫の手を 引いて町内 ウォーキング 初夏の一日 長閑に過ごす」

  「二歳孫 一万歩もの 長い距離 歩く姿を なだめつ誉めつ」

  「見下ろせる 千人塚の 池の上 鯉幟たち 五月風受け」

  「お土産と 称して兄に お裾分け ご満悦なる 孫は午睡に」

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人間牧場

○人間牧場ウッドデッキ防腐剤塗りの後で(その3)

ロケ風呂で入浴を楽しむ長男息子

 人間牧場・水平線の家の防腐剤塗り作業を始めた頃、一緒に作業していた息子が「お父さん風呂を沸かそうか」といって、ロケ風呂へ降りて行きました。防腐剤塗りの作業を急いでいて、風呂を楽しむ余裕等ないと思いつつ、私はただひたすら防腐剤を塗る作業を影の部分でしていました。しばらくするとロケ風呂から風呂を沸かす長閑な煙が立ち上がりました。しかし煙の臭いは防腐剤の強烈な臭いにかき消され、ウッドデッキまでは届きませんでした。2時間余りの作業が終わり、残った防腐剤を一斗缶に移し替え、使った刷毛や道具類を倉庫の中に終いました。

息子が友人のあべまりあさんに書いてもらったロケ風呂イラスト

 自分では気がつかなかったのですが、いつの間にか被った麦藁帽子も作業着も、手袋も全てが防腐剤の臭いに埋まって、自分の鼻が可笑しくなったような気分でした。息子の出したロケ風呂入口付近の、風呂が沸いたことを示す暖簾が、初夏のさわやかな風に揺れていました。息子は早速少し熱めに沸いた風呂に水を入れて薄め、五右衛門風呂の浴槽にゆっくりと体を沈めて、入浴を楽しんでいました。「お父さんも入ったら」と勧めてくれたので、着替えは持っていないけれど、温もるだけでもと思い切って裸になり、息子に続いて風呂に入りました。眼下に広がる伊予灘の海や豊田漁港の様子が手に取るように見えて、まさに絶景かな、絶景かなの手合いでした。

私も入浴しました

 息子は自分で設計して造ったこのロケ風呂がとても気に入っていて、時折一人で人間牧場へやって来て、薪で風呂を沸かし入浴を楽しんでいるようです。私はそんな面倒くさいことはせず、例え風呂を楽しもうと思っても、備え付けの灯油ボイラーで沸かすのですが、息子も凝り性で薪で沸かした風呂がいいのだと、盛んに強調しているようです。
 瀬戸内のオーシャンビューを楽しみながら、自分の息子と二人で風呂に入れる幸せはこの上ないものです。これからも折に触れて風呂を楽しみたいと二人で話しながら、西の空に落ちかけた夕日が隠れ家風の格子窓から差し込む優しい光に照らされました。

この日の飛びきり上等な夕日
 「ペンキ塗り したあと親子 風呂に入る オーシャンビューを
楽しみながら」
 「心地よい 初夏の風窓 吹き込んで 加えて夕日 極楽極楽」
 「手間だけで 安金短を 楽しめる アウトドアーの これぞ極意と」
 「俺に似て どこか凝り性 嫁が言う 妻も同じと 口を揃える」 
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人間牧場

○人間牧場・水平線の家ウッドデッキの防腐剤塗り(その2)

 ゴールデンウィークの休日を利用して、長男息子と二人で人間牧場・水平線の家ウッドデッキに防腐剤を塗ることにしました。高温多湿の日本ではウッドデッキの腐敗は、幾らいい材質を選んでも中々長持ちをしないものです。一時カナダ風の丸太を組み合わせた家やウッドデッキが流行しましたが、メンテナンスを怠ったものは無残で、防腐剤を注入した材質を使いながら腐敗を防げず、危険で使うことすらままならないものをよく見かけるのです。
 水平線の家にウッドデッキを作った時も、設計をした息子の話によると「10年ぐらいが寿命かな?」と聞いていました。その時は「10年持てば十分」何て思いましたが、いざ7年が過ぎ10年が近づくと、ウッドデッキの張り替えにはかなりの出費を伴うため、頭を悩ませているのです。

ウッドデッキに防腐剤を塗る長男息子

 そんなこともあって、設計を仕事にしている息子の指導で、一年に一度は必ず防腐剤を塗ろうと決めてこれまではしっかりとメンテナンスをしてきたのです。お陰でまだ腐った部分はなく、今回は日陰の部分の薄い青苔を、前もってボーズリで刷って水洗いし自然乾燥しておきました。5月5日はペンキ塗りには十分すぎるほど絶好の好天に恵まれました。畳25畳もの広さのあるウッドデッキを防腐剤を小さな缶に移して、刷毛で二人仲良く並んで塗って行きました。私は若い頃漁師を7年間やっていて、漁船にペンキを塗る作業を何度も体験しているので、手順は分かっていて、かなりきちんと塗れるのですが、長男息子は見た目私よりスピードは速いものの、多少雑な塗り方のようでした。麦藁帽子を被っていましたが、西日の直射日光が首筋を照らし、少し日焼けをして終ったようですが、途中友人の稲葉さんがやって来て休憩はしたものの、約2時間ほどで横や下を含めたウッドデッキの防腐剤塗りは無事終了しました。

防腐剤塗りを終ったウッドデッキ

 一斗缶の八分方を使った防腐剤特有の異臭が鼻を突き、少し頭がボートするような感じがしましたが、近々雨でも降るとこの臭いも消えて行くものと思われます。今回は下地清掃の準備を前もってしていたため、仕上がりは満足の行くものでした。最初の内は素足で歩くと靴下を汚すかも知れないので注意が必要ですが、5月26日に迫った子ども体験塾開講式といもづる植え前までには落ち着くことでしょう。
 これで少なくとも一年は安心して使えそうですが、防腐剤がまだ少し残っているので、日陰の部分には今年の秋ごろ更に塗布したいと思っています。施設設備のメンテナンスにはお金がかかるということを心得なければなりません。一斗缶の防腐剤だけでも1万円弱の費用がかかりました。刷毛や小出し缶は前回使ったものを手入れして大事に保管しているので、買わずに済ませました。いずれ近々水平線の家の外壁もそろそろ塗らなければと思っていますが、このペンキは高価なため少しお金を貯めなければならないようです。

  「牧場の 水平線家 ウッドデッキ 息子と二人 防腐剤塗る」

  「防腐剤 シンナー吸って ボーとする キジの鳴き声 遠く近くで」

  「一年に 一度のメンテ 防腐剤 親子気が合い 二時間ほどで」

  「さあこれで 安心安全 確保した 子どもが来ても 安心使え」

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人間牧場

○人間牧場も建築して早7年が過ぎました(その1)

 今から7年余り前の、平成17年4月に伊予市・中山町・双海町が合併し、新しい伊予市が誕生しました。35年間務めた役場を2005年3月31日教育長を最後に退職、明くる日の4月1日私は念願の自由人となり、妻の作ってくれた弁当を持ち、双海町下灘池久保の荒地に入りました。かつて母がみかん畑として大事に育てていた畑は、母の死後放任園という言葉がぴったりするほど荒れるに負かせ、人も寄せ付けないように雑木・雑草が生い茂っていました。救いはその荒地の真ん中に下のお墓へ行くため車が通れるほどの道が整備舗装され、その農道工事の時土地を提供したお礼にと、今水平線の家が建っている辺りの土地が、土木業者の手によってブルドーザーで平地にして貰っていたことでした。

 平地の横には地区の人たちが信仰しているお室があって、子どもの頃母に連れられてみかん摘みや芋掘りに行った折、母とともに祈りを捧げたものでした。傍には樹齢不詳の大きなヤマモモの木が威風堂々と立ち緑陰を作っていました。持参したチェンソーと草刈機、鋸と鎌、マサカリと地堀鍬をお室の前に並べ、持参した一合ビンの日本酒と米・煮干を供え、手を合わせて作業中の安全を祈りました。
 生い茂った潅木やカズラ、茨が行く手を阻み作業が容易ならぬことであることを実感したのです。以後弁当を持ってこの地に分け入って作業する私の姿に、地元の人たちも何事かと、作業する姿を見に来たり尋ねたりされましたが、私の人間牧場を造るという構想は話しても、目に見えないものだけに理解してもらえないと思い、しばらくはみかん畑だった場所を開墾する程度の軽い説明に終始していました。

 雨の日を除けば来る日も来る日も、妻が買ってくれた地下足袋と麦藁帽子、作業着、軍手という出で立ちで約2ヶ月、抜開・伐採・抜根を行い、畑の真ん中でそれらを順次焼却処分しながら前へ前へと進みました。全容が見えてきたのは5月、そうこの頃でした。視界が開けたその向うには私が幼かった頃見た伊予灘の海と豊田漁港の見事な眺望を確保したのです。私の人間牧場構想の土台となるいい場所だと確信しながら、並行して設計士の息子に頼んで進めていた、中心施設となる水平線の家の設計図も5月半ばには完成し、いよいよ夢は膨らんで行きました。わが家の隠居を建築した折棟梁を務めてくれた藤建設に建築を依頼して、度々打ち合わせを繰り返し、7月から基礎工事などの本格的工事が始まり、難産の末大安の7月29日を選んで建前に漕ぎつけました。

稲葉さんの農地に上がった鯉幟

 水平線の家と名付けた中心施設の北側には、その後オーシャンビューを楽しむために畳25畳程もある広いウッドデッキを造りましたが、水平線の家の観音開きの広くて長い自慢の掃き出し窓を開けば、25畳の室内とウッドデッキで50畳もの広さを確保できるのです。
 あれから7年近くが経ちましたが、ウッドデッキはホワイトファーという外国産の建材を使っているため、防腐剤を塗るなどの補修が大変で、毎年1回~2回の防腐剤塗料塗りは欠かせないのです。先日は息子と二人でウッドデッキの陰になる部分に少しコケのようなものが見え始めたので、棒刷りで綺麗のこすって水洗いをしていました。
 昨日は午前中買い物に出かける妻に防腐剤の購入を頼み、午後1時に二人で作業のため人間牧場へ出かけました。途中私の農地を貸している稲葉さんの農地に、今年も鯉幟が立ったので、息子と二人で立ち寄りました。稲葉さんはタマネギの収穫作業をしていました。
 稲葉さんの畑からは同じような風景ながら人間牧場とは違ったリアルさがあって、海がより近く感じられ、しばし談笑や作物の出来具合、今後の作業予定等を聞きました。

 

  「少しだけ 七年前を 振り返る 早いもんだな 時の流れは」

  「あの頃の 自分はもっと 輝いて いたとちょっぴり 感慨ふける」

  「妻買いし 防腐剤積み 軽四で 息子と二人 牧場出かけ」

  「子どもの日 友の農場 鯉幟 中々やるわい 感心しきり」

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人間牧場

○ゴールデンウィークの一日

 急な思いつきで、ゴールデンウィークの休みを利用して帰省している娘家族と、同居の長男家族に私たち夫婦が伴って、八幡浜・宇和経由で野村の朝霧湖ダムやホワイトファームへ出かけました。私の車の後ろの席に二つのチャイルドシートを設置し、4歳の孫希心と尚樹、それに小4年の朋樹を乗せ出発することにしました。出発に当り2歳の孫奏心がどうしても私の車にお兄ちゃんたちと乗りたいと大泣きして訴えましたが、定員やチャイルドシートの関係で、もう一台の車に母親と一緒に乗せるのに一苦労しました。
 助手席には、自分はカーナビだと言いつつ当てにならない妻を乗せ、長浜~保内~八幡浜~宇和へと車を走らせました。孫たちはルンルン気分で、みんなでワイワイガヤガヤ、歌を歌いながらの小旅行です。

藁で造ったマンモス象の前で

 途中宇和岩城駅近くに設置している藁で造ったマンモス象のオブジェを見ました。昨日は少々肌寒い北西の風が吹いていましたが、田圃の中に威風堂々と立つナウマン象には孫たちも驚いた様子でした。私は先月この象のオブジェを車の中から見ていたので、どうしても孫たちに見せてやりたいと思ったのです。早速持参のデジカメで写真を撮ろうと思いましたが、ブログを書くためデジカメのチップを抜き、パソコンに差し込んだままにしていたのを、すっかり忘れてしまっていたのです。仕方なく息子のカメラのチップを差込み事なきを得ましたが、忘れ状がいいのは年齢のせいでしょうか?。

ヤギ牧場で筍の餌やり

 国道沿いの東洋軒というレストランで昼食を食べ、両岸をまたぐように鯉幟を泳がせている野村ダム朝霧湖を通って、ホワイトファームへ行きました。長閑な自然を満喫できる場所にあるものの、子どもたちには遊び道具もなく、少し不満気味でした。それでも順番待ちをして借りたキッカーという乗り物に乗って遊んだり、公園内のヤギ牧場でヤギに餌をやったりして遊ばせました。自慢のアイスやソフトも肌寒い風が吹いていたので、それ程喜ぶこともなく、ダム湖の湖畔まで引き返し、鯉幟と咲き揃うツツジをバックに記念撮影を撮りました。妻は家を出る時私の説明が野村町だったので、野村町=大野ヶ原と勘違いして期待をしていたらしく、少し不満を言っていました。

キッカーに講じる孫奏心

 帰路は渓筋経由で大洲へ入りましたが、物足らない子どもたちを臥龍の湯下、水天宮の沈下橋付近の河川敷へ連れ出し、川面に石を投げたりして汗をかかせた後、臥龍の湯で1時間ばかり温泉に浸かりました。孫たち3人は女湯、私と息子と孫朋樹は男湯だったので、久しぶりにサウナにも入りいい汗をかきました。

鯉幟泳ぐ朝霧湖畔

 オズメッセ近くの洋食レストランで食事をしましたが、和食系の私はトロ丼しかないので、それを注文して食べましたが、車の長旅に酔ったのか一番下の奏心が、食べたものを戻してしまうハプニングもあって、少し騒動しました。それでも子どもたちはレストランで貰った玩具類に講じながら午後8時頃自宅へ帰り、連休ということもあって、9時頃までビデオでコナンを見せてもらい、運転で疲れた私たちと同じ蒲団で早めの床に就きました。

「束の間の 休日楽し 小旅行 みんな浮き浮き 最後お疲れ」

「野村町 てっきり草原 大野ヶ原 妻の目論見 見事にはずれ」

「お湯浸かり 夕食食べて のんびりと 妻の財布も 軽くなりけり」

「孫たちの 喜ぶ顔が 何よりと 爺婆ハッスル お疲れモード」

美しい朝霧湖畔のつつじの前で家族写真

 

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人間牧場

○ゴールデンウィーク中日

 この3~4日天気が定まらず、雨が降ったり止んだりするため、ゴールデンウィーク真っ只中といいながら遠出もできず、少しイライラがつのっている人も多いのではないでしょうか。普段の年だとこの時期は、すっかり早くなった田植えの真っ最中なのでしょうが、雨が影響しているのか家の直ぐ下の田んぼはまだ田起こしさえやっていない状態です。それでも冬眠から目覚めたカエルたちは、雨を待ちかねていたように賑やかな大合唱を始めて、初夏の訪れを告げています。

双海人のピザのお店

 昨日はサイコーダイガクの流れを汲む双海人の松本さんや戸田さん、浜田さん、冨田さん、広田さん、北風さんたちが、ふたみシーサイド公園で移動式ピザ釜を使ってピザを焼き、双海人の資金集めをするというので、手伝いこそしないまでも賑わかせと多少の協力をしたいつもりで、孫朋樹を連れて昼前に出かけました。その頃には天気も回復して青空が広がり、運の強いメンバーの底力を見せ付けました。前もって松本さんにピザを3枚焼いてもらうよう予約を入れておきましたが、雨の影響で火入れが少し遅れたようでした。

ピザ焼きに奮闘中の松本さん

 双海人のメンバーはそれぞれ生地を麺棒で伸ばしたり、ソースを塗った上に具材をトッピングしたり、それをかまどに入れて焼いたりと、手分けをして作業をしていました。シーサイド公園の界隈を訪ねて来る人の中には顔見知りの人の顔も多くあり、「久しぶり」とか「懐かしい」とかいいながら立ち話をしました。孫朋樹は教えてもらった紙ヒコーキを作り砂浜で飛ばして遊んでいましたが、心地よい風に乗って階段式護岸から飛ばした紙ヒコーキが恋人岬の海まで飛んで、あえなくチンして、その飛行距離に驚きながらも、がっくりしていました。また冨田さんから貰ったクワガタが気に入って、みかんを餌に与えて遊んでいました。

 

焼き上がったピザ

 そのうち注文していたピザ3枚も焼けて、ひとまずその場をお暇して自宅へピザを持ち帰り、早速家族で熱々のピザを美味しくいただきました。カメンライダーショーに出かけた孫3人と息子はあいにく留守でしたが、家族の反応は上々で人間牧場のピザ釜を使って、早くピザパーティをしたいと盛り上がりましたが、そういえばピザ釜も出来てからまだ一度も家族にお披露目していないので、近いうちにみんなを招待したいと約束しました。ピザ昼食が終ったので、孫朋樹を連れて人間牧場へフキを収穫に出かけました。数日前じゃこ天のおばちゃんたちに差し上げたフキがとても美味しかったと誉めてくれたので、お裾分けをしてあげようと思いました。

 

くじらの店の前のキンセンカの前で孫朋樹

フキは雨を含んで濡れていましたが、雑草を掻き分け1時間余りで7束収穫しました。私がフキを収穫する間、孫朋樹は木を使って切り出しナイフで何やら工作したり虫を追っかけたりして遊んでいました。収穫した蕗を持って下山し、途中妹の店くじらに立ち寄り、シーサイド公園に立ち寄ってフキをお裾分けし、お礼につみれをいただきました。双海人の仲間は相変わらずの奮闘で、ピザは50枚を越えて売れたようで、この分だと目標の60枚は達成できそうな雲行きでしたが、5時間以上の立ち仕事に少しお疲れモードのようでした。ピザの販売は今日もやるようです。暇を見つけて立ち寄ってやって下さい。
 
  「連休を ピザ焼き過ごす 仲間たち 感心感謝 私賑やかし」

  「ピザ三枚 熱々のまま 持ち帰り 美味い美味いと 言いつつ食べる」

  「牧場で フキ七束を 収穫し お裾分けする 破顔一笑」

  「お礼にと 貰ったつみれ 食卓に のどかなりけり 連休中日」

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人間牧場

○夕日徒然草・空の書の執筆始める

 「5年間で150話の創作落伍を創り、話芸として演じたい」。そしてそれを「夕日徒然草として出版したい」という、とんでもない思い付きを5年前にして、こともあろうか人様に公言してしまいました。私の悪い癖は目標を立ててそれを人様に公言し、人から見れば「多分無理だろう」とか、「大風呂敷だ」などと思われても、自分を追い込んで成し遂げていくやり方で、これまでにも様々なことを成し得てきました。凡人の私が人間牧場を造れたのも、アメリカへ青年の船で行けたのも、また私設公民館煙会所を造れたのも全て「私ならできる」と自分に暗示をかけた賜物なのです。

 「5年間で150話の創作落伍創り」は、私にとって書くことへの挑戦でした。150話を1年30話に小刻みし、毎年地の書・水の書・火の書・風の書・空の書と積み重ねて行けば、5年間で150話が完成するという目論見でした。しかし最初の地の書までは書きたいことがいっぱいあって、筆は順調に進みましたが、浅学な私には150話がいかに途方もない数字であるか、水の書執筆に入った所で早くも露呈してしまいました。それでも筆を起こしその後4年間で目標どおり120話を書き上げ、夕日徒然草を風の書まで4冊出版することが出来たのは、印刷工程を担当してくれた友人の清水和繁さんや、村上太さんのお陰だと深く感謝をしているのです。

 夕日徒然草の出版には一冊25万円+5%の消費税(1万2千5百円)がかかります。印刷屋に支払ったお金だけでも26万2千5百円×4冊=百5万円という金額になるのです。貧乏なリタイア生活の私にはこれまた難儀な金額ですが、経済は回るということを考え付いたのです。つまり初期投資の26万2千5百円さえ用意して、一冊5百円に設定した本を525冊売って26万2千5百円さえ回収すれば、自転車操業よろしきを得て、何冊でも出版が可能なのです。私には525冊を売る自信はありました。目論見どおり地の書は1年間で千部の売り上げを記録し大ヒットとなったのです。本代を人間牧場の運営費に回すという目論見にはまだ達成していませんが、とりあえず夕日徒然草の売上代金は味噌の入っていた樽二つ(一つは自分の書斎、一つは水平線の家)にストックされて、最終5冊目空の書の資金も確保されているのです。

 何はともあれ、空の書は目標どおり5月一杯をめどに原稿30本を書き上げなければなりません。今月1日から恐る恐る執筆を始めました。スピードが上がるどころかまだアップアップの状態で、先が思いやられますが、まあ何とか1日1本書けば30日で30本ですから、可能性は十分あるようです。
 今これまで書き上げて出版した夕日徒然草を基に、愛媛新聞社カルチャースクールで、街中の人間牧場移動塾というのをやっています。これは話芸ではなく講義タイプですが、夕日徒然草の読みほぐし解読も中々味があって面白いものです。さあもう一分張り、目標の150話の完成に向けて頑張りましょうか。

  「百五十 小話創る 目標に また一歩づつ 近づく辛さ」

  「遠いなあ 思いつつ書く 徒然も やっと向こうが 見えるとこまで」

  「書くよりも 資金心配 してたのに 今は逆転 書くが心配」

  「書く作業 鉛筆消しゴム 要らずして キーを打つだけ 世の中変わった」

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人間牧場

○わが家のツツジが満開です

家庭菜園石垣の上に咲くツツジ 昨日の夕方5時頃郵便物を発送するため、自宅から歩いて約1キロの所にある双海郵便局へ行きました。小雨が降ったり止んだりするあいにくの天気でしたが、昨日から五月、しかも立春から数えて88日目に当たる八十八夜とあって、暑くも寒くもない風が心地よく頬を撫でました。歩き始めてものの5分もすると近所に住む宮田さんの奥さんに出会いました。宮田さんは昔母が親類の共栄木材という地元会社に夫婦で就職を斡旋し、今は定年退職して悠々自適で農業を営んでいますが、時々野菜や果物等珍しいものを届けてくれるのです。畑からの帰りと思しき手押しの一輪車には春キャベツが積んでありました。「おひとつどうぞ」と2個もいただきました。そこら辺へ置いて行くのも気が引けたので、少々重いと思いながら郵便局のポストまで提げて歩きました。郵便物の投函を終え、帰宅の道はキャベツを持っていることもあって裏道を通りました。 孫たちが通う上灘保育園の前を通っていると、今度は今年の春から上灘保育園に赴任してきた成本園長先生に出会い立ち話です。近々上灘保育園で子育て講演会をやりたいので、その時は講師をお願いしたいと頼まれ、「いつでも快く」と返事をして分かれました。 やがてわが家の畑があるはずれの場所まで帰ると、近所に住むおばさんたちが2~3人立ち話をしていました。歩いて帰った私を見つけ、「ツツジが見ごろで綺麗ですね」と声をかけられました。見ると目先の向うに延々とわが家の畑の隅に植えているツツジの花が、今を盛りとばかりに咲いているのです。「大洲の冨士山へ行かなくてもこれで十分花見が出来るね」「お陰で毎年ツツジの花を楽しませてもらっています」と会話も弾みました。家庭菜園の内側から見えるツツジ

 いつの間にかわが家の家庭菜園には、今年もツツジが満開の頃を迎えているのです。親父が丹精をこめて世話したツツジですが、今年も綺麗に咲きました。ツツジは株によって早咲きと遅咲きがあって、全てが満開ではありませんが、近所のおばさんに綺麗と言われて初めてその全容を見たのです。一昨日・昨日・今日の雨で花が塗れて、可哀想にも見えましたが、何とか連休中は晴れて、綺麗なつつじの花を大いに楽しみたいものだと思いました。急いで自宅へ引き返し、早速デジカメで写真に収めました。

 

 ツツジは100mに渡って延々と続いているため、何処を撮っても綺麗で、ブログ画面に取り込んむのにどの写真がいいのか迷うほどでした。今のデジカメは精度が高いのか、午後6時の時報を知らせるチャイムが鳴っている夕方、しかも雨模様で薄暗い感じがしたのに、むしろ好天の日より綺麗に撮れるのです。今日はもう一度いい時間に写真に収め、親父のために感光紙にプリントアウトして、見せてやりたいと思っています。「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」は林芙美子の言葉です。「花作り花見る人は別の人」でもあります。明日から始まる連休はわが家のツツジを目いっぱい楽しんでやろうと思いつつ・・・・・。

  「綺麗だと 近所の人に 教えられ わが家のツツジ 確かに綺麗」

  「ツツジ咲く 花の命は 短くて 早く愛でねば 盛りを過ぎる」

  「丹精の 後を覗う ツツジかな 赤白紫 色とりどりに」

  「デジカメで 時間を止める 艶やかさ 散ることもなく 写真に残る」

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人間牧場

○孫たちと遊ぶ

小雨に煙るえひめ子どもの城

 ゴールデンウィークの真っ只中ながら、仕事が忙しいといって出勤した長男息子に代わって、昨日は雨模様で手持ち無沙汰な孫たちを連れて、急遽子どもの城へ遊びに行くことになりました。「動物園か子どもの城かどっちがいい」と、孫たちにとっては毎度おなじみの施設ながら聞くと、3人の孫たちは異句同音に「こどもの城」をリクエストしたのです。
 10時にわが家を2台の車で出発しました。チャイルドシートの備わった息子嫁の車に3人の孫たちが乗り込み、私たち夫婦の車は後追いの格好で続きましたが、途中所用を済ませるため私たちの車は20分も後れて、生涯学習センター側の入口から、駐車代300円を払って入りました。駐車場に到着すると早速携帯電話で居場所を確認し、妻と二人で歩いて坂を登って行きました。

室内ゲーム

 私はかつて子どもの城の建設当時、建設企画検討委員会のメンバーとして深く関わったし、そのためオープニングにも招待され、またその後長らく運営委員会のメンバーをしていたこともあり、少し遠のいていたとはいえおなじみの施設なのですが、妻は子どもの城へ来るのは初めてだそうで、雨模様の景色ながら色艶やかに咲きそろ、うハナミズキやつつじの花をバックに威風堂々と立つ子どもの城の姿に、感嘆しきりでした。ゴールデンウィーク真っ只中なので、さぞや混んでいるだろうと思いきや、午前中だったこともあって、予想していたほどの人出ではなく、比較的落ち着いた雰囲気でした。それでも子どもたちのテンションの高い歓声や鳴き声に驚きながら2階のホールへ入ると、孫たちはインストラクター主導のゲームに夢中になって心地よい汗をかいていました。

足漕ぎボート

 その後昼近くになったので一旦外に出てレストランで軽いお食事です。弁当を持っていくかどうか迷いましたが、雨のこともあって野外で食事をすることができないと判断し、レストランでお子様ランチを注文しました。私たちはうどんでしたが、レストランの窓から下を眺めると、調整池に足こぎボートが優雅に浮かんでいるのを見て、「あのボートに乗りたい」と言うので、食事後下に下りてボート二隻に分乗して、30分の所要時間を目いっぱい楽しく遊びました。私は尚樹と奏心、妻は希心を乗せて足漕ぎをするのですが、これが結構な運動量で、妻は軽い船酔いの中大汗をかいたようで、二人ともハッスルして漕いだため疲れてしまいました。息子嫁は船に弱いのでウッドデッキで、手を降りながら見守って正解だったようです。

足漕ぎボートを楽しむ孫たち

 その後手づくり宝石箱作りや、風車作りのコーナーを回ってそれぞれの手作りを楽しみましたが、私たち夫婦はまさにフーフー言いながら、後について回ったような感じで午後3時に、次の目的地星ヶ丘温泉へ到着、孫たちは女湯へ入ったため、私は一人男湯でのびりゆっくり1時間温泉を楽しみました。温泉は雨の日とあってお年寄りを中心にかなり混んでいましたが、知り人も何人かいて話しながらいい汗をかきました。
 その後娘や息子と合流して、天山のすけろくという中華料理店で夕食を食べ、充実した一日を終え帰宅しましたが、孫たちも疲れたのか帰宅途中に深い眠りについての帰宅でした。ゴールデンウィークの前半が終わりました。後半には子どもの日や私たちの結婚記念日、地元のウォーキング大会とまたまた疲れることが目白押し、内心早くゴールデンウィークが去って欲しいと思いました。(笑い)

  「孫たちの リクエストにて 子ども城 ノコノコついて 出かけお疲れ」

  「孫たちの 生き生き姿 見ていると 疲れも忘れ ボート足漕ぐ」

  「おじいちゃん あっちこっちと 手を引かれ 同じ人たち あちらこちらに」

  「行楽地 よりもこちらが 充実し 来てよかったと みんな満足」

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