人間牧場

○目に異物が・・・・・

 今朝もいつもと同じように朝4時に起床しました。朝晩は気温も上がりすっかり過ごしやすくなっているため、パジャマのままでその上に一枚袖なしを羽織り、書斎へ入っていつものように朝読を始めました。10分くらいして瞬きをすると急に左目が痛くなりました。目の中に何か異物が入ったようで瞬きをするとコロコロして痛くて、目を開けていられないほどなのです。妻はまだ夢の中なので起こす訳にも行かず、洗面所へ行って流水を手ですくって目を洗いましたが、治るどころか益々痛くなりました。タオルを濡らし拭いても一向にゴミは取れませんでした。仕方なく朝読を断念しパソコンで左目を気にしながらブログを書き始めましたが、右の片目だけではキーボードの位置が微妙にずれて、画面とキーボードを同時に見ながら打つこともおぼつかないようでした。

 ところが何がどうなっているのか、目の異常を感じてから30分もすると痛みが取れて目の状態が元の姿に戻ったのです。多分自分の涙が異物を外に押し出してくれたのではないかと思われるのです。いやあお陰で助かりました。異物が混入して目が痛くなるまでは、目が何処にあるのかさえ気がつかず、目が見えることが当たり前のように思っていました。
 これと同じことは日常茶飯事で、一週間前には食事中喉に食べた鯛の骨が刺さりご飯を丸呑みして事なきを得たり、向うスネを思い切りぶつけて少し裂傷を負い、リバテープを貼ってもらいスネの存在にも気づきました。ある病院の先生が「人間は体の存在を忘れることができる時が一番健康である」と言っていましたが、まさにこの言葉は名言のような気がするのです。

 今のところ私は手足や耳目鼻、内臓に異常を感じることはなくとりあえず健康に過ごしています。目だってこの歳になってもまだ裸眼で新聞が読め、メガネをかけたことは一度もないのです。何げないことですがこれはもう、メガネのご厄介にならなければならなくなった妻からいわせると飛び切り上等な目で、「目の良い子どもに産み育ててくれたお母さんに感謝しなさい」と言うのです。80歳で亡くなった母親もメガネを生涯かけることなく本が読めたのですから、遺伝なのかも知れません。
 「顔が悪いのだから目くらいは良くなくっちゃあ」と周りを笑わせていますが、目に異物が入って改めて目の大切さを再確認した朝でした。

  「目に異物 目の存在を 改めて 認識しつつ 朝を迎える」

  「この歳に なってもメガネ 要らぬとは 羨ましいと 妻に言われる」

  「母からの 贈り物だと 感謝する 目は口ほどに 仕事している」

  「片目でも 遠近見えず 一苦労 日々の暮らしの 幸せ実感」

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人間牧場

○人間牧場での農作業(その2)

 子ども体験塾は公民館の主催事業の中でも特に人気の高い目玉行事です。合併以来公民館職員は人数が少なくなったため、館長以下みんなが協力しないと運営が成り立たず、また色々な方にお願いして実行委員会を組織し、スタッフとして手助けをしてもらっています。私も教育長時代から退職後のもずっと実行委員長としてその企画や運営に携わっているのです。特に人間牧場ができた7年前からは人間牧場の農地を利用してサツマイモの栽培をプログラムに組み込んでいるため、あれやこれやと忙しく、また知恵や体力を使っているのです。人間牧場は私の持ち物ながらそのようなプログラムを実施することを目的に作っているの生涯学習私設なので、大いに進んで参加と協力をしているのです。

耕運機で急斜面の畑を中耕する松原さん

 一昨日は一週間後に迫ったサツマイモのイモヅル植えの準備をするため、畑を耕すことになりました。この日はあいにく担当の赤石主事さんが人間ドックで留守のため、例年の事ながら家が農家の松原主事さんにお願いして耕運機を持参して手助けしてもらうことになりました。畑は前もって畑の草を10日程前に刈っていて、その枯れ草を除けなければ耕運機が掛けられないため、午前中に一人でその作業を行い大汗をかきました。松原さんと久保さんが約束の時間通り午後1時30分に耕運機を軽音トラックに積んでやって来ました。早速耕運機を3人で担いで畑まで急斜面を下ろし作業開始です。二日前に雨が降って程よい固さでも、畑が急斜面のため耕運機の刃が中々立ちにくく、耕運機を運転して中耕する松原さんは汗をかいて孤軍奮闘でした。それでも何とか1時間余りで綺麗に中耕することができました。

マルチをかけすっかり綺麗になった畑

 お茶を飲んで一休みした後今度は畝立てとマルチをかける作業に取り掛かりました。畝立ては主に私の仕事で持参した巾鍬で畝を立て、その上に栗マルチシートを被せて土で固定させる作業は、日ごろ馴れていない者ばかりでこれまた大汗でしたが、全ての作業を2時間余りで終えることが出来ました。本当は中耕した畑の青草を除けた方がいいのですが、マルチをかけてこれから一週間置くので、マルチの下は高温になって草を枯らすため、目をつぶって作業をしました。
 すっかり綺麗になった畑に一週間後は子どもの歓声が聞こえることでしょう。例年この時期は梅雨の走りなので雨も予想されますが、ここまで作業をしていると例え雨が降っても子どもたちは、イモヅルを楽に植えることができるのです。さあいよいよ今年も楽しい子どもたちのプログラムがスタートします。

  「イモヅルを 植える準備を するために 神輿のように 耕運機担ぎ」

  「子育ては 手間暇かけて するゆえに 成果大きく 心が育つ」

  「中耕し マルチをかけて 準備する 苦労したこと 子どもに話そう」

  「準備終え 木陰でお茶を 飲みながら 遠望船の 行き交うを見ゆ」 

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人間牧場

○人間牧場での農作業(その1)

親父を囲んで朝食中の弟夫婦

 人間牧場界隈では前日の雨で春が終わり、気候が一気に初夏へと変わったような気がしています。みかんの花は今が満開で、ミツバチたちも巣箱を出たり入ったりしながら、元気に蜜を集めているようで、私もミツバチたちに負けないように元気に活動しています。昨日は久しぶりに帰郷した弟を家族みんなで見送り、その後孫たちを保育園に連れて行ってから、草刈機、鍬、マルチシートなどの農作業道具を、軽四トラックに積んで人間牧場へ出かけました。
 人間牧場へ到着してみると藤建設の社長さんが来られて、作業小屋に窓をつける作業をしていました。10日程前息子と二人でウッドデッキの防腐剤を塗った折、電話で急遽人間牧場へ来てもらい、ピザ小屋と作業小屋に通じる小窓を開けたいとお願いしていたのです。

元気に保育園に通園する孫二人

 社長さんは私が到着した時には、既に外壁の波型スレートを切り破って小窓を取り付ける最中でした。器用にやるもんだと感心しながら見たり棚をどうつけるか相談し、私も身近に迫った子ども体験塾で、大勢の人たちが来るので見苦しくないよう、ウッドデッキの下の斜面の草を草刈機で刈り始めました。この場所の草刈りは今年に入って早2度目で、いつもながらこの時期の草の生えるる早さに驚きながら刈りました。草刈機の調子も刃の切れ具合も申し分なく、あっという間に終りました。
 社長さんの窓取り付け工事も一段落したようで、11時前には仕上げの材料が不足したのでこの日の作業を終え、早々と帰って行きました。

 私は午後1時30分に公民館の松原さんが耕運機を積んでやってくるまでに、サツマイモを植える畑の枯れ草や青草を丁寧に集め、畑の隅に運んで耕運機が耕し易いように集めたり、倉庫に残っていた石灰を撒いたりして時を過ごしましたが、少し曇り空でしたが気温がグングン上がって、汗を一杯かきました。
 昨日は妻が作ってくれた巻き寿司弁当を持参していたので、水平線の家の窓を全て開け、心地よい風を取り込みながら、ウッドデッキの日陰で昼食を食べ、本を読みながら20分ばかり背もたれ椅子に座って午睡を楽しみましたが、早くも遠くでは間もなく実りを迎えるビワの畑を荒らす、カラス脅しのためのガス鉄砲の音が谷間に響いていました。

 時折ズボンのポケットに忍ばせている携帯電話が鳴り、その度に作業を中断して対応しましたが、講演の依頼が2件あったものの、あいにくスケジュール表を持ち合わせていなかったため、昼に自宅に電話して私のスケジュール表を妻に見てもらい、2件とも快諾確約の電話を返信しました。いつもながら思うことですが、田舎も便利になったもので、人里離れたこんな山間僻地でも携帯電話があれば、何不自由なくビジネスができるのですから有り難いことです。農民作家と名乗っている山下惣一さんを見習えば、私も百姓地域づくり活動家と名乗ろうかと思ったりもしました。

  「弟も 帰って親父 寂しそう 今度いつ来る いいつつ帰る」

  「一雨で 春から初夏へ 衣替え 季節巡りて いい汗をかく」

  「いながらに 携帯電話 スケジュール 人間牧場 講演依頼」

  「久しぶり 背もたれ椅子で 午睡する 幸せ極み サンデー毎日」

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人間牧場

○LEDソーラー懐中電灯と電光掲示板

 昨日の朝モーニングセミナーに参加した折、様々な人に出会いましたが、中でも松山市大街道で彫金ギャラリー絵夢を開いている藤島寛昌さんとの出会いは少し違った意味合いを醸しました。というのも2年前の前回モーニングセミナーで出会った時、私がネクタイに着けてレクチャーした電光掲示板が藤島さんの目に留まり、藤島さんは大阪の友人と相談して電光掲示板をヒントに同じようなものを開発し、自らも使うと同時に販売を始めたそうです。これがかなり売れてテレビにまで登場したようで、「あなたからアイディアをいただき実践に移したお陰です」と持ち上げてくれました。そして卓話や朝食会が終わり帰り際、何やら小さな手土産を二ついただきました。私は倫理法人会の「万人幸福の栞」という本が欲しかったので、お願いしていただいた本の方に気持ちが行っていて、正直二つの手土産には失礼ながら余り興味を示さず帰宅しました。

藤島さんからいただいた電光掲示板七つ道具

 帰宅して二つの手土産を開いて驚きました。一つはソーラー型のほんの小さなLED懐中電灯です。大震災後こうしたものは幾つも売り出されていますが、手の中にスッポリ納まる小さな懐中電灯ながら光源もしっかりしていて、これはありがたいと思いました。横で見ていた妻から「お父さんこれ私にくれない」と頼まれました。妻は週に二回歯科医院のパート勤務が7時過ぎまであって、少し帰りが遅くなるため、このLED懐中電灯を使いたいというのです。藤島さんにその旨を今度出会ったら話そうとおもっています。
 さてもうひとつの手土産は開けてビックリしました。私が今まで使っていた電光掲示板よりほんのちょっぴり大きめの電光掲示板なのです。私が現在使っている電光掲示板は新居浜の十亀さんに貰ったものなのですが、頻繁に使うため少しくたびれてきていて、ハラハラしながら使っているのです。新しいものに買い換える余裕もなく気を揉んでいただけに、まさに助け船といった感じです。

 息子に言って早速この電光掲示板についているソフトを入力し、文字を入れようと思っていますが、私が現在使っている電光掲示板には清水さんにお願いして入力して貰った恩義もあるので、相談の上入力したいと思っています。世の中は生きて積極的に活動していると、様々な人に出会います。そしてその人たちから色々な感化を受けるのですが、藤島さんとの出会いもまた忘れられない思い出となりそうです。何はともあれ藤島さんのご好意を無駄にすることなく、藤島さんのことを十亀さんに加えながら人様の前でお話をするつもりです。
 松山西倫理法人会の武田会長さんと倫理研究所法人レクチャー藤島さんに無理を言って貰った、「万人幸福の栞」も折を見て読み解かなければなりません。私の進化の道具立てがどんどん増えていることに心をときめかせている今日この頃です。

  「手土産と 言って渡され 持ち帰る 開けてビックリ 電光掲示が」

  「アイデアを 貰い実践 したお陰 感謝されつつ 土産いただく」

  「まあ素敵 私にこれを 頂戴と ソーラー懐中 電気妻取る」

  「進化には 目にもの見せる 道具立て 必要思い 次から次へ」

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人間牧場

○孫の遠足弁当

 昨日は孫2人が通う上灘保育園の春の遠足とかで、前日の夜からわが家は何となく慌しい雰囲気でした。息子嫁はそんなこともあって、早めに風呂を入れて早めに寝かせる算段でしたが、遠足前夜というのはうれしいもので、少し興奮気味の孫たちははしゃぎ回っていました。それでも「そんなことをしていたら遠足には連れていかん」などと脅されて、普通の日と同じ9時前に床に就いたようでした。いつも朝起きがいい孫たちは昨日もやはり早起きで、8時3分自宅出発だというのに、6時前には起きてきて「お早うございます」と元気にあいさつをしていました。

 遠足や運動会は何故か天気が悪く、「晴れるだろうか?。雨だろうか?」と心配させるものです。遠足当日の昨日は、前日まで空気が乾燥するような好天に恵まれていたのに、朝からあいにくの雨でした。ダイニングキッチンに製作して吊り下げていたテルテル坊主も、どこか空しくしずんだ様子に見えましたが、孫たちは雨が降っても遠足は実施するので元気一杯楽しそうに、遠足のことを話していました。息子嫁は、孫二人と付き添いで出かける自分の分の三つの弁当を作るのに、昨日の夕方から今朝にかけて忙しそうに振舞っていました。孫たちのリクエスト弁当は何とカメンライダーだそうでした。

息子嫁手作りの力作カメンライダー弁当

 やがて7時半頃息子嫁が弁当ができたから見て欲しいと、私たちのダイニングキッチンへ出来立ての弁当を持って見せにやって来ました。いやあ驚きです。色々な食材を使って見事なカメンライダー弁当が出来上がっていました。孫たちには内緒だそうで、遠足先で弁当箱を開けた瞬間の孫たちの驚きや嬉しそうな顔が、垣間見えるようでした。やがて弁当を入れたリュックをかるい、孫たちは母親に連れられて元気に「行ってきま~す」と出かけました。バスに乗り松山のこどもの城へ行ったようでした。夕方外出していた私とあい前後して帰りましたが、「弁当が美味しかった。楽しかった」と、遠足のあれやこれやを話してくれくれました。

 「遠足で疲れているから、今晩は早めに寝かせます」という、息子嫁の話だったので、食事を終えた6時過ぎに私たち夫婦が一緒に風呂に入れました。孫たちはこうして色々な体験と思い出を積み重ねて成長するのです。昨日は愛媛県警察本部で私が委嘱を受けている、青少年サポーターの研修会がありました。青少年課職員や生活安全課の職員さんから青少年の非行実態や更生事例の話を聞きましたが、これほど優しい孫たちがひょっとしたら、あのようになるかも知れないと思うと、少し寂しい気持ちになりました。孫たちは幾つもの反抗期というトンネルや、鉄橋を越えて行くことでしょうが、いい子どもに成長して欲しいと願っています。

  「遠足は 気を揉むもので やはり雨 テルテル坊主 どこかうなだれ」

  「見てください できた弁当 見せに来る 息子嫁腕 撚りかけ作る」

  「弁当を 開けた瞬間 驚きの 声を上げたる 孫を想像」

  「この孫が 何年か後には 変化する これも成長 しっかり育て」

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人間牧場

○戻ってきた名刺入れ

 私には幾つかの名刺入れがあります。その中でも気に入って使っているのは主に2つです。その一つは木でできていて、私の木になるカバンとまるでお揃いのようなものなので、使わない時でも持ち歩いているのです。この木でできた名刺入れは親戚の共栄木材西下社長からいただいたものですが、難点は10枚以上は入らないのです。ゆえに相手の集会で名刺交換する人が多いような時は別のものを使いますが、この名刺入れは誤ってズボンや上着と一緒に洗濯機に入れられると大変なので、結局木になるカバンとセット宜しく言い訳程度にしか使えないのです。

 もう一つのお気に入りは、シックな小豆色で、擦り切れる蓋の両端には金メッキの金具が入っています。この名刺入れは私が主宰する21世紀えひめニューフロンティアグループの活動が認められ、コカコーラ環境教育賞という賞を受賞した折、副賞30万円をいただきに東京まで行き、帰県後全日空ホテルで祝賀会を高松支社に開いてもらい、記念品としていただいたものなのです。名刺入れの皮にはさりげなくコカコーラのイニシャルが透かしで刻印されているのです。この名刺入れも何度がズボンのポケットの中で洗濯機の洗礼を受けましたが、品物がいいのでくたびれることもなく未だに使っているのです。

 失う原因である名刺入れをどこへでも置く癖を直さないといけないと、見えなくなり探す度に妻から注意を受けるのですが、背広の内ポケットに入れていても、自宅へ来客があると出し、人間牧場へ来客があると出し、また視察者がシーサイドへ来ると持って行くなど、私の行く先々へジャンバーやズボンに入れられ持ち歩くため、結局は見失ってしまうのです。今回も名刺を交換した思い当たる場所を、何ヶ所か探しましたが結局見つからず、どうしたものかと思案しながら、別の名刺入れを代用していました。携帯電話なら自分の番号を呼び出して探す方法もあるのですが、名刺入れは言葉を喋れないのです。

戻ってきた名刺入れ

 昨日の夕方妻が、「探していた名刺入れが見つかった」と書斎へ持って来てくれました。「何処にあった?」と聞くと、整理ダンスの上の写真立ての後ろに隠れていたそうで、何はともあれ愛用の名刺入れが見つかりホッとしています。早速今日からこの名刺入れに沢山の名刺を入れて営業?再会です。
 名刺を渡せば殆んどの人が名刺をくれるため1増1減なのですが、時には講演が終わると「裏が味噌」や「技・脳味噌」などのフレーズの話をすると、昔ギャルだったおばさんたちに囲まれて、くれもしないのに「名刺をちょうだい」と要求されるのです。「名刺一枚を差し上げる代わりにキッス一回」何て戯言をいいながら渡して交友の輪を広げています。

  「名刺入れ 何処へ置いたか 見失う 代役使い 失念外交」

  「名刺入れ 有ったと妻が 持って来る 久方ぶりに 懐かし対面」

  「一枚減り 一枚増える 名刺入れ 時には減るだけ 貰いもせずに」

  「副賞に 貰った名刺 入れ故に これから先も 大事に使う」

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人間牧場

○海にしずむ夕日が我が家から見える幸せ

一週間前の夕日

 今年はこのところ、わが家から夕日を見れる機会が多く満足しています。そう思って大型手帳の予定表をめくり眺めましたが、例年とそんなに変わった訳でもなく予定が入っているのです。それは多分喫緊の気がかりなことがないため、心に少しだけ余裕ができたのではないかと納得するのです。加えて年末から今年初めにかけて相次いだ親類や友人の葬儀等が重なって、「人生とは何か」を考えさせられたことも大きな要因のようです。ともあれ夕方になると夕日が自宅の周辺や借景として毎日眺めている本尊山周辺を夕日が赤う染めるものですから、その気になってデジカメを取り出し、お粗末ながら写真に収めているのです。

前々日の夕日

 5月から7月一杯は太陽が北寄りのコースを通るため、わが家から居ながらにして海に落ちる夕日が見えるのです。最も私設公民館煙会所や夕観所からだと民家の屋根の上に落ちますが、裏庭とも裏山とも思える高台に登ると絶好の夕日見学スポットがあって、海に沈む夕日が見えるのです。
 昨日は夕方書斎で原稿を書いていると書斎の窓越しに向かいの本尊山が赤く夕日に照らされるのを見ました。急いでデジカメを持って裏山に登りましたが、残念ながらデジカメにチップを入れるのを忘れて、高入りした綺麗な夕日を撮影することができませんでした。それでも庭先から綺麗な夕日を眺めることができ、目と心に焼き付けました。

 私はこれまで色々な夕日を見てきましたし、人様の撮影した見事な夕日の写真も沢山見てきました。でもわが家からの夕日の写真は私だけのとっておきでオンリーワンなのです。たまたま我が家を夕暮れ時訪ねた友人を、美しい夕日の見える裏山に案内したところ、「若松さんは夕日にこだわってまちづくりを進めて来られましたが、自分の家から自慢の夕日が見えるなんて幸せで贅沢ですね」と誉め言葉を送ってくれました。たしかに友人が言うように見える時期が季節限定ながら自宅から海に沈む夕日が見える幸せは何ものにも変え難いものです。今朝の燃え立つような朝日に輝く珍しい雲の形もまた一趣です。この朝日が夕日になるのですから不思議といえば不思議です。

今朝の朝日前

 先日人間牧場を訪ねてきたシステムユニの岡田敏明さんが、かつて私が書いた短詩を覚えていて、「あの詩は良かった」と誉めてくれました。すっかり忘れていて、どこへ行ったか所在も不明でしたが、ふと思いついて私の自著本「昇る夕日でまちづくり」という本の200~201ページに「ふたみの夕日夕焼け物語」と題して書いているのを見つけました。

   西瀬戸の 海と空を染め分けて
   詩情豊にしずむ ふたみの夕日は美しい
   陽がしずみ始めてから 没するまで
   ゆったりとした 時の流れの中で
   人の思いは深くなる
   過ぎ去った歳月への 回想もあれば
   明日への夢や期待もあるだろう
   思えば地球上の人類は
   ひとつの太陽を見て 暮らしている
   同じ夕日をどこかで
   朝日として 見ている人がいるのだから
   不思議である

  「幸せは 幸せ感じる 心にて 感じなければ 幸せ言えず」

  「海しずむ 夕日わが家で 見えるとは これ程贅沢 ないと実感」

  「友人が 私の書いた 詩を覚え 『あれはいいです』 誉め言葉くれ」

  「このところ 夕日に思い 寄せている 自分発見 心境変化か」 

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人間牧場

○人間牧場での積る話

 このところ気候がよくなったことをいいことに、人間牧場へ沢山の訪問者が来るようになりました。来訪者は前もってアポイントを取ってやって来る人もいれば、「近くを通りかかったので人間牧場へ是非」と飛び込み状態で訪ねて来る人もいるのです。酷い人は「人間牧場を訪ねて来たが途中で道を間違えました。ここはどこでしょう?」何て助け船を求める人もいて、ちょっとした騒動になることだってあるのです。
 何度も人間牧場へやって来た人でも、人に連れて来てもらった人は道順が分からないほどの山道だし、特に下浜から池久保のルートはいつも通って通い慣れていても、「狭い!」と感じる道なのでくれぐれも単独でのチャレンジはご遠慮願いたいものです。

岡田社長さんと中村社長さん

 先日しっかりとアポイントを取って、友人のシステムユニ社長岡田さんとアトラス出版の中村幸男社長さんが二人揃ってやって来ました。岡田さんは宇和島市九島出身だし煙会所へも人間牧場へも以前に来ている馴染みの人なのですが、アトラス出版の中村社長さんは煙会所へは自費出版の本の打ち合わせのため何度か奥さんと二人で来られているものの、人間牧場は始めてのようでした。
 自宅で落ち合い、煙会所でお茶を飲んで一服した後、奥東・奥西経由で人間牧場へ私の車で出かけました。中村社長さんは曲がりくねった道や人間牧場からの眺望の素晴らしさに目を白黒させていましたが、岡田さんとアトラスの中村社長さんが知り合いだとは知りませんでした。

 中村社長さんは私にとって忘れられない人です。「昇る夕日でまちづくり」と「今やれる青春」という2冊の本の出版元なのです。特に私の出世作?となった「昇る夕日でまちづくり」は県内に大きな反響を呼びました。21世紀えひめニューフロンティアグループが金を出し、私が執筆した「今やれる青春」もそれなりの評価を得たのです。
 岡田社長さんは経営学の父といわれるピーター・ドラッガーの崇拝者で、愛媛大学工学部非常勤講師として教壇にも立っていますが、工場管理等の分野で色々な会社の指導をしているようです。特にピーター・ドラッガーについては相当研究しているようで、この日も資料を沢山いただきました。

 私のような浅学な人間にとって、岡田さんのような博学や、中村さんのようなジャーナリストという偉業種に生きる人たちの話は、とても新鮮でいい出会いとなりました。岡田さんからは大阪での研究会で講演して欲しいという依頼も受けていますが、もう少しお二人から色々な話を聞こうと思っています。
 「人は人によりて人となる」と言われていますが、この日もいい学びをさせてもらいました。二人のお陰もさることながら、人間牧場という場所を持っいるだけで、このような出会いが生まれてくるのです。

  「色々な 人や異業種 集まりて 人間牧場 嬉しき出会い」

  「今日もまた 人が来たかや 牧場に 知識英知 それぞれ持って」

  「考えて みれば英知を 手土産に これより以上 土産あろうか」

  「今日もまた 私の知識 メーターが ほんのちょっぴり 増量なりて」

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人間牧場

○奉仕に徹した男の真骨頂

人間牧場・水平線の家から見える美しい眺望 昨日の夕方、50ccの単車に乗って海岸をドライブしました。昨日は春なのにかなり強い北東の風が吹いて、前日より3~4度低めの気温で少々寒く感じるほどでしたが、薄手のジャンバーの中に風が入って膨らみ格好良く走りました。ドライブの目的は近々景観について話をする機会があるので、私が手掛けたまちづくりの成果物などをスライドにしようと思ったからでした。しかし昨日は天気が良過ぎて露出光線が強く、写真には明暗がはっきりし過ぎて不向きなようでした。 それでも唐崎付近を中心にデジカメで何枚か駄目元で撮りました。その後好天とさわやかさに誘われて人間牧場まで、ミツバチのご機嫌観察に出かけました。人間牧場界隈は咲き始めたみかんの花の香りが漂い、香りの景観とでも名付けたいいい雰囲気でした。水平線の家の広くて長い窓を全開して中から見えるオーシャンブーの眺望を、背もたれ椅子に座って一人楽しみました。満開のみかんの花

 楽しみにしていた人間牧場のミツバチの巣箱もどうやら4箱目の入居が確認できたようで、あと二つにはまだその兆候が見られませんでした。
 引き換えして帰る途中下灘駅へぶらり立ち寄りました。何人かの見学者がいましたが、プラットホームの直ぐ横の空き地で一人黙々と長いホースを引いて水をやっている人がいました。よく見ると私の従兄弟の西下芳雄さんでした。西下さんは元商工会長、現共栄木材の会長さんです。従兄弟ながら私と気が合い、私が若い頃から私のやることなすことに同調して支援をしてくれてきました。下灘駅で夕焼けコンサートを開いた頃からですから、もう30年近くの支援者なのです。その後下灘駅の美化や活性化に積極的に取り組み、陰ながら下支えをしてきました。ウフフという落書き帳も待合室の掲示板も、生け花も全て西下さんの発案で今に続いているのです。

一人水をやる西下芳雄さん

 西下さんは下灘駅を何とか活性化しようと考えていますが、道は中々遠いようです。それでもこの日は一人で草刈機を動かして草を刈り、一人でこうして水を黙々とやっていました。80歳を越えてもなお矍鑠として奉仕に徹している姿に感動しました。西下さんに比べると私などの奉仕の心はまだまだ未熟で、頑張らなければと強く強く思い、いい光景を見せてもらった感じがしました。私にとって西下さんの生き方は親父とともに見本であり、かく老いたいと思っています。

綺麗に咲いたなでしこの花
綺麗に飾られた待合室

 先日出会った時、ミツバチの巣箱を作るので端材が欲しいと頼んでいました。明日日曜日の午前中に伺うことの相談がまとまりました。無人島に挑む少年のつどいを始めた頃、その看板になる板を毎年用意して提供してくれたりした看板は、親父の手によって煙会所の天井に大切に保管しています。この看板を見る度に西下芳雄さんを思い出すのです。

「空は青 初夏の風吹く 海岸線 単車に乗りて さっそう走る」

「下灘の 駅で見つけた ボランティア 一人黙々 水遣り作業」

「近く見る 遠くに見ても 絵になると 感心しつつ 海眺めたり」

「山里に みかんの花が 咲き始め どこか懐かし 香り景観」

 

 

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人間牧場

○東京からの講演依頼

 「若松さんですか。実は私は東京の○○という会社の者です。以前にも何度か講演の依頼をさせてもらいましたが、今回も講演をお願いしたいのですが宜しいでしょうか」と、東京から電話が入りました。「いいですよ。どちらでしょうか?」と聞くと、「5月8日に伊予市へお願いしたいのですが」と、信じ難い返答です。「えっ、伊予市ですか?。私も伊予市に住んでいるのですが・・・・・・。」「はい、その伊予市のファーマーズマーケットいよっこらという直売所の利用者総会での記念講演をお願いしたいのです」。
 いやはや驚きました。合併して伊予市となった、その私の住んでいる街へわざわざ東京を迂回して講演依頼があるなんて、初めてのことだけにもうビックリしてしまいました。

 私への講演依頼は、私が個人的な活動をしているため、電話やメールで私に直接依頼があるのですが、時たまこのような講演の口入れを職業とする会社からも依頼があるのです。これら口入れ会社の対応は中間リベートを取るだけあって対応が素晴らしく、講演先の依頼条件にあった人を探し出し、講演の全てを相手に代わり、私に代わりかゆい所に手が届くほど綿密に仲立ちしてくれるのです。今回は講演先が近いため自家用車で行くことになりましたが、時には航空券や列車のキップや、往復行程表まで沿えて送ってくれるのです。送られてきた航空券が、飛行機のチェックインの時点でファーストクラスと知って驚いたり、宿泊先のホテルが豪華な部屋であったり、まあ微細な気配りなのです。

 前日も当日も東京の会社の担当者から確認の電話が入り、促されて会場となっている伊予市の元厚生年金センターへ出かけました。2階の会場には200人ほどの人が集まっていましたが、同じ市内なので顔見知りも知人友人も多く、照れ笑いしながら講演の始まるのを待ちました。受付の三谷さんという女性は、かつて伊予農協上灘支所の金融窓口に勤務していた方で、お互い昔の事ながら名前と顔を覚えていて、懐かしい出会いとなりました。
 90分ばかりの講演はあっという間に終わりました。ハーモニカのリクエストがあったり、帰ってからその日の講演の感想が参加者から何本も電話で届いたり、嬉しい反応が幾つかありました。帰宅途中味芳という料理屋さんで主催者主催の食事会があり誘われ、満腹の手合いで帰りました。

 昨日口入れ会社から事務手続きの封書が届き、今日手続きを終らせれば一件落着ですが、いやはや驚いた顛末でした。私のような者もお粗末ながら、色々な口入れ会社の講師名簿に名を連ねているようで、この歳になっても講演依頼があるのですからあり難いことです。私への講演依頼は携帯かメール、それに自宅の電話が使われますが、自宅の電話の取次ぎは留守が多いので、電話に出る息子嫁と妻が私に代わって取り次いでくれます。その殆んどは「私のの携帯電話に直接かけるように」と、携帯の番号を知らせれば済むのですが、時には相手の用件と連絡先をメモして渡されます。この日はお土産にいただいた高価な霜降り牛肉を、妻と嫁が半分こして美味しくご相伴に預かりました。目出度し目出度しでした。

  「東京を 経由講演 依頼来る 聞けば地元で 驚きました」

  「口入れの 会社担当 丁寧で 微細気配り 有難きこと」

  「口入れの 会社の講師 名簿載る 時々依頼 これも驚き」

  「霜降りの 牛肉土産 妻と嫁 二つに分けて この日すき焼き」

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