人間牧場

〇北海道の海の幸ホタテ貝が届く

 只今松山の高島屋で大北海道物産展が開かれて、連日長蛇の列の大賑わいだと地元のテレビがニュースで紹介していました。デパートでは売り上げが下がると北海道物産展をやれば回復するというほど、北海道物産展は魅力があるのだそうです。頭の中で北海道と聞いてイメージできる食べ物を挙げてみると、ジャガイモ、トーモロコシ、グリーンアスパラ、乳製品、カボチャなどの農産物や、ホタテ、ウニ、イクラ、鮭、シシャモ、数の子、昆布などの水産物などがあり、他の産地の群を抜いてダントツなのです。
 最近は輸送時間が大幅に改善短縮され、またインターネットなどの情報システムの普及もあって、その気になって金さえ出せば直ぐにでもこれらの新鮮な物産を取り寄せて食べることができる便利な世の中になっているのです。

北海道に住む船木耕二さんから宅配便で送られてきたホタテ貝

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昨日の夕方、わが家に北海道に住む友人船木耕二さんから一個の宅配便が届きました。蓋を取って開けて見ると中にはぎっしり大きなホタテがぎっしり行儀よく並んで詰まっていました。秋祭りで帰省していた娘家族も長男家族もみんなが思わず「ワア~」と大声を上げました。ホタテと言えば何といってもバター焼きと刺身です。早速今晩は刺身、明日の夜はバター焼きと妻がメニューをいち早く決め、息子家族4人、娘家族3人(娘婿は欠席)、私たち夫婦2人、親父1人の計10人なので、一人一個の計算で10個を箱から取り出し、貝柱の元に包丁を差し込んで取り出しました。まあその貝柱の大きいこと、ボールに山ほどありました。貝柱と紐や内臓にさばいて、貝柱は少し塩をふってぬめりを取り、刺身にしました。また紐と内臓は甘からく煮物にしました。

 さあ夕食です。全員が一緒に息子たちのキッチンに入ることができないので、私たち夫婦は自分たちのキッチンでいつもどおり静かな夕食となりましたが、ホタテの刺身は柔らかくてとても美味しく口の中でとろけるような味でした。
 昨日船木さんから先日送った栗やみかんのお礼状が届いた矢先のだったので、早速今朝は毎日三枚のハガキを書く日課の一番に舟木さんへのお礼状をしたためました。先日届いた美幌町に住む検校さんのジャガイモといい、鵡川町に住む菅原さんから届いたジャガイモやカボチャといい、まるでわが家は北海道物産展のような雰囲気です。
 「今夜はホタテ貝のバター焼きか」と思うだけで喉が高鳴るようです。

  「ホタテ・ジャガ わが家はまるで 北海道 物産展の ような雰囲気」

  「ホタテ身を 包丁で取る 貝の中 プリプリとした 貝柱出る」

  「わが妻は 料理名人 直ぐの間に 刺身と煮付け 食卓並ぶ」

  「わあ凄い 異口同音に 家族皆 驚きの声 ホタテ貝見る」

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人間牧場

〇孫たちの秋祭り

 今日から私たちの町は秋祭りです。孫が通う上灘保育園では秋祭りを盛り上げようと手造りの神輿を担いで町内に繰り出したようです。私はあいにく東京から来たお客様の対応に追われ、見る機会を逸しましたが、9時半に保育園を出発した神輿はビデオやデジカメを持ったお母さんたちを巻き込んで長い行列を作り、地域事務所や氏神様である天一稲荷神社を経て短いながら町内を練り歩きました。
 年上の保育園へ通う孫希心を朝送って帰ると、年下の孫奏心もお母さんに法被を着せてもらい準備をしていました。聞けば保育園の園長さんが来年入園するであろう孫奏心に一緒にお神輿の列に加わるようお誘いがあったようです。過疎地で人数の少ない田舎の保育園ならではの配慮ある言葉に、孫も息子嫁もその気になって準備をしたようです。

法被も凛々しい孫奏心
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

 昨日の夕方外出先から帰ると息子嫁がデジカメで写した神輿守の写真を見せてくれました。カメラがいいのか腕がいいのか、私より数段上と思えるリアルな写真を何枚も撮って親馬鹿ぶりを発揮していました。しかし肝心の孫の写真はほら下の写真のような作品にしか仕上がっていませんでした。まあこれもご愛嬌です。

 
男前の顔が台無しな孫希心君
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  今年は秋祭りと土日が重なっているため、孫たちは大喜びですが、小学生や中学生は平日だと秋祭りは休みのため、一日損をしたと嘆いていました。今夜辺りには娘の家族もやって来て、一段と賑やかな週末になることでしょう。
 
 わが家が鯛網漁師をしていた昔は、双和台という漆塗りの台の上に大きな鯛の活け造りが所狭しと並べられ、多くの親類縁者が集まって、夜の更けるのも忘れて延々と酒盛りが続いていました。思えば古きよき時代だったと思い出すのです。双和台も漆塗りの食器類も私の代になると使うこともなく倉庫の奥にしまわれていて、もう日の目を見ることもないであろうと寂しく思うのです。
 今日の夜は宵宮で子ども神輿が、明日は早朝宮出しした大人神輿と子ども神輿が、また両谷の獅子舞が繰り出し、賑やかな中にも大漁と五穀豊穣を願う神々の祭りが行われることでしょう。
 
 奇しくも昨日、長年漁師をしていた私の叔父と叔母が漁業を廃業することになりました。腰の具合が今一で入院手術をしたものの、その後の経過が思わしくなく、70歳を迎えたのを機に決断したようです。叔父は私の親父の元で長年漁師として修行し、親父が病気で漁師を辞めてからしばらくは私が船長をつとめた若吉丸に乗って片腕となって働いてくれましたが、その後独立して腕の良い漁師として働きました。50年余りの間には師匠である親父とともに、県外出漁で伊豆半島まで行き、辛酸をなめて頑張りました。私と3つ年齢が違っていますが、下灘中学校のPTA会長を務めるなど、多方面でも活躍して、私のよき兄貴分として相談にも乗ってくれました。
 これからはゆっくり骨を休めいい老後を叔母といっしょに過ごしてほしいと願っています。ご苦労様でした。
 

  「秋祭り 孫も神輿に 連れ添って 神社参拝 町中歩く」

  「息子嫁 撮ったつもりの 写真には どれもずっこけ どうしてこうなる」

  「五十年 越えて漁師を した叔父が 体の都合 悪くリアイア」

  「一年中 魚供給 してくれた 叔父が廃業 魚が食えぬ」

 
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人間牧場

〇81歳の質素な誕生パーティー

 昨日の夜、年輪塾の小さな集まりが伊予市役所双海地域事務所の3階会議室でありました。集まったのは10人ほどでしたが、来月19日に迫った年輪塾公開セミナーの打ち合わせと、当日歌う唱歌「二宮金次郎」という歌の練習を2時間ほどの短い時間でしたが、とても楽しくやりました。冒頭塾頭の清水さんと塾生亀本さんの提案で密かに準備していた、塾生最高齢の西田和子さんの81歳の誕生会を質素ながら開きました。
 西田和子さんは亀本さんと一緒で大洲市田処に住んでいます。市会議員で愛媛県の天然記念物になっている矢落川の蛍保護活動に尽力された、ご主人に先立たれてからは一人で暮らしています。元教員だけあって考えも行動も立派で、特に勉強熱心な失礼ながらおばあちゃんなのです。わたしも亀本さんを介してお友だちになってから相当年数が経っていますが、少々足の具合が悪いものの、とても明るく笑顔を絶やさない人で、私も歳をとったらかくありたいとその人物像を目標にしている一人なのです。

西田和子さん81歳の誕生日

 

 

 
清水塾頭の演奏
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 清水塾頭が焼いたというチーズケーキの上に、8本のローソクが立てられました。清水塾頭から頼まれて私が持参したライターで火がつけ、電気を消して効果は抜群です。西田和子さんは予期せぬハプニングともいえる出来事に、多少恥らいながら戸惑っていましたが、清水さんに促されてローソクの火を一気に吹き消し、感動の面持ちでした。お祝いに清水さんのハープのような楽器と青木晴美さんのオカリナの演奏音色が、薄暗い部屋に流れて最高の雰囲気となりました。シャンパンもない質素な81歳の誕生パーティでしたが、西田さんはとても喜んでお礼のショートスピーチをしました。
 西田和子さんは勉強熱心な方で、先日西予市で開かれた全国過疎問題シンポにも他の仲間とともに参加し、ステージに上がった私に手を振って応えてくれました。
 
石岡さん自慢のみかん搾り機

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昨日は石岡一恵さんが持参した優れもののジュース搾り機の実演もあり、みんな興味深々で実演に参加したり搾ったジュースを飲みながら、清水さんの作ったバーズデーケーキを味わいながら食べました。談笑しながら公開セミナーの打ち合わせをしましたが、新居浜から駆けつけた十亀さんから、当日ステージに飾る二宮金次郎の等身大立体パネルも持参披露してもらい、また来年計画している金子みすゞ記念館への旅行プラン等にも話が及んでいました。
 その後久しぶりにやって来た霧の森の大西さんのギターや、宇和島南高校の近藤教頭先生もバイオリンで加わり、清水さんのギター、青木さんのオカリナ、そして不肖私のハーモニカも加わって、にわかバンドが結成され、西田和子さんの指導で唱歌「二宮金次郎」の歌の合唱練習が何回もくり返し行なわれました。私の下手糞なハーモニカは別として、皆さん多芸で見習うことの多い一夜となりました。亀本さんからコンニャクやシイタケのお土産までいただき、夜の道をそれぞれの寝ぐらへ遠路帰って行きました。

  「この人の ようになりたい 目標の 一人今年で 八十一歳」

  「下手糞な ハーモニカ吹く にわかにて 異色のバンド 金次郎歌う」

  「持参した ジュース搾り機 優れもの あっという間に オレンジジュース」

  「お土産に コンニャクしいたけ いただいて それぞれ寝ぐら 目指して帰る」

 

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人間牧場

〇お茶の花

 2~3日前北海道オホーツク海に面した北の町、佐呂間町に住む親友の井田貴子さんに電話を入れたところ、このところ冷え込んで車のフロントガラスの前面が凍って、溶かすためお湯をかけているという話を聞きました。北海道から比べると日中は気温が20度近くまで上がるのですから比べ物にはなりませんが、ここ四国・愛媛県・伊予市・双海町でも、朝晩少し冷え込むようになって、これまで毎朝パジャマのまま書斎で読書をしたりブログを書いていましたが、風邪を引かぬようにと妻から注意され、今朝から普段着に着替え靴下まで履いて過ごしています。
 昨日は久しぶりの雲ひとつない上天気で、昼間は何の予定もないことから弁当を持って人間牧場へ草刈に出かけました。地下足袋を履き、麦藁帽子を被り、軍手をして草刈機にガソリンを入れて9時に草刈りを始めました。3番草まで刈っているので、草丈は低くて柔らかく草は面白いように刈られて行きました。

咲き始めた黄色いツワブキの花

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先日イノシシに食われ全滅した芋畑の周囲も、ツワブキだけを残して刈りました。ツワブキは秋の深まりを知らせるように可憐な黄色い花が咲き始め、心を和ませてくれるのです。雑草の中には私たちが子どもころから「泥棒草」と呼んでいる草があり、ズボンや手袋にやたらと付着して、作業途中でも払い落とさねばならないほどでした。
 さすがにこの季節になると薮蚊も少なくなり、真夏のように蚊取り線香を体に縛り付けて作業することもなく、また湿度と気温が低くなったので、汗も殆んどかくこともなく、順調に作業は進みました。途中で草刈機のエンジン速度が少し早くなったような気がするのでエンジンを止めて様子を伺うとアクセルレバーを操作するワイヤーの付け根部分のねじが振動で緩んでいたため、工具箱を持ち出し修理をしました。
 お昼は持参の弁当を食べようと思って軽四トラックに行って見たところ、何と弁当を積み忘れているのです。仕方なく人間牧場に非常食として備蓄しているカップヌードルを取り出し、お湯を沸かして注ぎ、ウッドデッキでさわやかな秋風を楽しみながら一人食べました。食後は背もたれ椅子を取り出して少しの時間午睡を楽しみました。

 マナーモードにしていた携帯電話は相変わらず幾つもの着信が届いていて、昨日の夕方郵便局から全国の友人向けに20箱も発送した、極早生青切りみかんが早くも届いたというメッセージがありました。高松の友人溝渕さんが一番早かったようで、午前中にはみかんが届いていたのには驚きました。
 夕方4時までびっちり草刈りの仕事をしました。あと少し刈ればこれで今年の長かった草刈り作業は全て終わり、冬を迎えることができるのです。ふと畑の隅に目をやると、お茶の木に可憐な白い花びらと、黄色い花弁の花が幾つも咲いていました。そっと花に鼻を近づけるとお茶の何ともいえない香ばしい香りが漂ってきました。
 来年の春はこのお茶の木の葉っぱで紅茶を作ろうと、親友清水さんと話しています。紅茶作りの指導は鳥取で先日知り合った友人にお願いする予定です。

ほのかに香るお茶の花

 
 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  「野の花は 人知れず咲き 美しい 一人といえど 愛でてやらねば」

  「花を見て ああもうそんな 季節かと 思い巡らす 六十路の秋に」

  「茶の花は どこか控え目 ひっそりと 咲いて香りを ほのかに放つ」 

  「「新芽抜き 食いたる株に 二三輪 ツワブキの花 黄色く咲きぬ」

 

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人間牧場

〇届いた一枚の絵

 2~3日前の早朝、砥部町で板金塗装の自動車業を営む親友の稲葉さんがわが家へやって来ました。稲葉さんは不思議な方で、自動車業をするかたわら農業にも関心を示し、将来農業をやるべく人間牧場近くにある私の畑や石久保の農地を借りて野菜作りや果樹作りにいそしんでいるのです。稲葉さんは私と同じように早起きタイプで、夏等は住んでいる砥部町からトラックを走らせ、朝5時には人間牧場知覚の農場へやって来て涼しいうちに農作業をやり、会社が始まる9時には工場へ帰って仕事をするという多芸ぶりなのです。人懐っこい性格で畑の周囲の人たちともすっかりお友達になって、いい人間関係を保っているのです。
 稲葉さんの夢は自分で作った野菜や果物を販売して収益を上げることのようで、ファーマースクールや特産品開発の講習会に参加するなど予備知識も高まり、既に唐辛子やジャガイモ等は見通しが立っているようです。

稲葉さんが額に入れ持参してくれた矢野撤志先生の絵

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 横道にそれましたが、稲葉さんは赤く実った唐辛子と新ショウガを手土産に持ってきました。と同時に額に入った一枚の絵を持参してくれました。この絵は砥部町在住の画家矢野徹志さんが、何年か前私を介した双海町の依頼で、第三セクターシーサイドふたみ(特産品センター)の買い物袋を作った折の原画なのです。この原画は矢野先生が保存していましたが、何回か出合ううち私にに差し上げるということでしたが、矢野先生も私も忙しいためすっかりその話を忘れていたのです。
 ところが矢野先生の画廊里山房に時々通っている稲葉さんがこの話を聞きつけ、自分でこの絵に見合った額を購入して私にプレゼントしようと持参してくれたのです。絵や額がどれ程値打ちがあるのか未熟な私には分かりませんが、二人のご好意を甘んじて受けることにしました。矢野先生はこの絵の左下隅に「人間牧場若松の進ちゃんへ」と為書きまでしてくれていました。

 さてこの絵をどこに飾ろうかと思案しています。人間牧場へは今のところ装飾品は皆無で殺風景なのは事実です。何か飾ろうかと思ったこともありましたが、設計を担当した息子といつも意見が分かれて、先日は家で使っていた小さいタンスをリフォーム工事で要らなくなり、処分に困ってロケ風呂の脱衣場へ置いたところ、息子の意にそぐわなかったのかタンスは、人間牧場の戸外で焼却処分されてしまったのです。息子の言い分も一利あるので、その行動は黙認しましたが、私がオーナーながら息子のセンスの良さを大事にしてやりたいとも思うので、相談して決めたいと思っています。
 絵や調度品は人によってその価値判断が分かれます。息子がアベマリアさんに書いてもらった漫画チックな人間牧場の絵もまだ飾らないまま眠っています。果てさて絵一枚でも親子の確執はあるようです。

息子が頼んで描いてもらったアベマリアさんのロケ風呂の絵

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  「進ちゃんへ 為書きのある 絵が届く 袋の原画 懐かしきかな」

  「さてこの絵 どこへ飾ろう 思案する 息子と意見 またも対立?」

  「アベマリア 書いてもらった 一枚の 漫画チックな 絵を思い出す」

  「牧場も 粗方出来て これからは 性根を入れる 息子と諮る」

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人間牧場

〇東京からのお客様

研修会の打ち合わせに来られた日本交通公社の三人

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  11月11日に三重県で行なわれる観光実践講座の打ち合わせのため、主催する財団法人日本交通公社の担当者3人が、わが町へやって来ました。打ち合わせのために3人も来るなんてと連絡を受けた時は軽くそう思いました。しかし出会ってみると3人はそれぞれが、私の自著本「昇る夕日でまちづくり」をカバンにしのばせ購入購読しているのです。私はこれぞ本物の研修と直感し、午後2時から午後5時までの3時間、シーサイド公園、人間牧場、私設公民館煙会所、翠小学校を回り、特に人間牧場では三人それぞれに夕日徒然草4冊を買い求めていただき、思いの丈を話させてもらいました。
 今年の8月21日、南海放送の24時間テレビ(もぎたてテレビ)で人間牧場が放映されてからは、もぎたて効果というべきか連日のように人間牧場目当ての人がやって来て、私の予定の空いた時間を埋めるものですから、何もない日は殆んどなく、多少お疲れモードのような気がするのです。

下灘浄土の坂から見たドラマチックな夕日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 昨日の打ち合わせの締めはやはり5時過ぎ西瀬戸に沈む、日本一と自認する夕日なのですが、私は昨日5時30分から別の人と会う予定があって、どうしても一緒に夕日を見ることができずお暇してしまいました。昨日はあいにく午後から曇り空で、夕日はひょっとしたら拝めないかも知れないと思い、少し残念な気持ちで別れました。
 それがどういうことでしょう。太陽が雲に隠れた西の空を眺めながら下灘方面へ走っていると、にわかに西の空が明るくなり、夕日が顔を出したのです。私は急いで国道から旧道に入り浄土の坂辺りに車を止めて一人沈み行く夕日を堪能しました。やがて夕日はダルマの夕日となりドラマチックに水平線の彼方に沈んで行きました。多分シーサイド公園でこの夕日を見ているだろう日本交通公社の久保田さんに携帯を入れましたが、見ていた途中だったようで、電話が通じたのは1時間も経ってからでした。

ダルマの夕日となった昨夕の夕日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あれほど曇っていたのに夕日が見えるなんてと、信じ難い自然現象に納得しながら出会う約束の人と下灘駅のベンチに座って1時間ばかり話し込みました。その人も下灘駅という最高のシュチエーションで見た夕日に感激し、話は大いに弾みました。私が夕日を見せた訳でもないのにその人は、「この夕日に目を付けられたあなたは凄い」と褒めてくれました。夕日に魅せられて30年余りが経ちました。夕日に思いを寄せ夕日をパートナーとして過ごしてきた半生を思う時、よくもまあここまで来れたものだと思うのです。
 夕日を見れるのは時の運です。何度来ても夕日を見れなかったり撮影できなかった人もいますし、久保田さんたちのようにたった一回で、しかも曇り空で諦めかけていた夕日を一発で見るのもまさに運の成せる業で、久保田さん鯛は余程強運の持ち主だと思いました。この分だと11月11日三重県多気町ふるさと交流館たきで開かれる予定の研修会は上手く行くに違いないと思いました。

  「曇り空 諦めていた 夕日出て 感激しきり 鼻高くして」

  「カメラ買う 金がないので この程度 腕の悪さを カメラのせいに」

  「夕日には パワーを貰う 力あり 私のサプリ 夕日ですから」

  「友人が 夕日狂いの 私見て 変人扱い 今は凄いと」

 
 

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人間牧場

〇お疲れ様扇子とウチワと扇風機

 一年を寒い、暑い、丁度よい時期に色分けすると、私の住む四国愛媛県では多少寒い時期と暑い時期が入り混じっているものの、12月~3月が寒い時期、6月~9月が暑い時期、4月~5月と10月~11月が丁度良い時期に3等分分類されるようです。丁度良い春と秋の時期は別として現代は、寒い時期にはストーブ等の暖房器具、暑い時期にはエアコン等の冷房器具の手助けを得て、快適に暮らせるよう工夫がされているので、極端な寒さに震えたり炎熱烈火に消沈したりすることもないのです。私が子どものころは戦後間もないこともあって日本全体が貧乏で、暖房は火鉢とコタツ程度の暖房器具だったため、冬の寒さでアカギレから血が滲んだこともありました。また夏は冷房等なく、冷蔵庫も普及していなかったので、木陰や海に涼を求めたものでした。故に少年のころの冬や夏の思い出が多いというのも不思議な話です。

 先日オホーツク海に面した北海道佐呂間町に住む、友人井田さんと電話でお話したところ、佐呂間では朝晩車のフロントガラスが凍って、出かける時水やお湯をかけて解凍しているという話を聞きました。ここ四国ではまだ昼間等半袖で歩いている人を見かけるというのに、えらい違いだと驚きました。電話で聞いた気候を想像すると、私の町の真冬の状態が早くも井田さんの住む町には訪れているようで、改めて狭い日本といいながら、南北に細長い日本の姿を垣間見る思いがしました。
 私の家には今年8月15日から、私が引越しした書斎兼応接間にしかエアコンがありませんでした。ところが今年の5月から息子たちが同居するようになって、息子たちの使っているダイニングと2階の居間と寝室にエアコンが付けられ、息子たちは少なからずエアコンの恩恵に浴したようですが、私も妻も冷房が嫌いな健康夫婦なので、書斎のエアコンは今年一度も使うことなく暑い時期を乗り切りました。

 暑い時期といえば扇子にウチワに扇風機、これが私の必需品です。私が愛用している扇子は落伍(落語ではない)に使う小型シンプルなもので、木になるカバンに忍ばせて持ち歩いていましたが、暑い季節が終ったので書棚の引き出しにしまいました。扇風機ももうそろそろ拭き掃除をしてビニール袋を被せ、倉庫にしまおうと思っています。
 今年もウチワをあちこちで何本か貰いました。今年は東日本大震災の影響で節電思想がかなり普及したのか、ウチワにとっては久々陽の当たる夏だったようで、産地四国香川丸亀では生産が追いつかなかったようです。季節が過ぎて使われなくなったウチワは捨てるか来年までしまっておくかですが、わが家の書斎には勿体ないと思って毎年しまっているウチワがもう30本近くになっているのです。
 ウチワは日本人が産んだ生活文化なので、特に竹製のウチワ等は芸術品のような気がするのです。今年貰ったウチワの殆んどはビニールの骨組みですが、張ってあるのは紙で、涼をイメージする朝顔や金魚、風鈴の絵に混じって、会社の製品をPRするもの、会社や団体の名前が入っているものなどまちまちですが、手にとってあおぐとさわやかで心地よい人工風がほおを撫でてくれるのです。このウチワも今日で来年の6月まで深い眠るにつくのです。

  「センス良く 扇子使って 涼をとる 仕事終りて 引き出ししまう」

  「震災の 影響省エネ 内輪揉め ウチワ久々 ヒノキ舞台に」

  「扇風機 首振り続け ご苦労さん お身を拭いて 倉庫へ移動」

  「丁度良い 季節迎えて 夏終る 扇子にウチワ 来年夏まで」 

   

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人間牧場

〇サツマイモを掘らない収穫祭

 一週間前、人間牧場へイノシシが現れました。といってもイノシシの姿を見た訳ではないのでイノシシであるかどうかは定かではなく、推測の域を脱しませんが、その仕業の痕跡を見れば多分イノシシに違いないのです。私たちはイノシシと人間のせめぎ合いを思い巡らせながら、侵入を防ぐために魚網を張り、威嚇するため音のする空き缶を吊り下げ、人間の姿に見える案山子を4体も作って、これでもかと思えるほどの予防線を張っていました。ここ5年の成果にすっかり酔い知れ、私たちの智恵はイノシシの智恵を超えたと過信していたのです。しかし悪智恵の働くイノシシたちは、私たちのこうした浅はかな智恵をあざ笑うように、春のつる植え、夏の草刈り・草引きする姿を遠目・近目で眺めながら、実りのころの千載一遇のチャンスをうかがっていたようです。サメでも生け捕れそうな、畑を囲むように張り巡らせた、頑丈な網を越えることも破ることもないと思っていたのに、こともあろうかイノシシたちはまるでスカートの裾を持ち上げるようにして芋畑に侵入したのです。

芋畑の片付け作業

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 畑の中に入ればしめたもので、イノシシたちは茂った芋つるを踏み倒し、片っ端から鼻と手足で、まるで耕運機で耕したように掘り返し、一つの芋も残さずに腹の中へしまい込み去っていったようです。この様子を見て今年の収穫祭は止めようかとも思いましたが、収穫祭の通知を子どもたちに出していることもあって、失敗経験やこの姿を見せることも大事だということで、昨日の収穫祭となりました。
 午前9時に下灘コミセン前に集まった子どもたちにはこの事実を知らせぬまま、人間牧場まで片道約40分の山道をいつもどおり歩いて来ました。ウッドデッキでの開会式で実行委員長である私が、イノシシの被害でサツマイモが全滅したことを告げると、子どもたちは一応に感嘆の声を上げました。子どもたちを畑の周りに集めて、案山子が倒れたり、掘り返された畑の無残な姿を見せてやりました。そしてみんなで張り巡らせた網や杭、空き缶等を消沈の面持ちのみんなで協力して片付けました。

ウッドデッキでの食事風景

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その間私とスタッフの皆さんは、こんなこともあろうかと私の家の横の家庭菜園で予備として植え、先日公民館主事の赤石さんと二人で掘り上げていた、キャリー2杯分のサツマイモをセイロで蒸かしたり、天ぷらにしたり、また芋を入れた芋ご飯を炊いたり大忙しの時を過ごしました。また近所に住む岡田さんから分けていただいたイノシシの肉を入れた猪鍋を炊きました。ギノー味噌さんからいただいた合わせ味噌を使って具沢山の猪鍋を二つも作りました。みんなで手分けして器に盛り付けかなり贅沢な昼食会となりました。子どもたちの殆んどは猪鍋は初めてとあって、芋ご飯も二釜、猪鍋も二鍋用意しましたが殆んど食べ切ってくれました。
 昨日の天気予報は50㌫雨でしたが、雨に合うこともなくどうにか予定したプログラムを午後2時までに消化することができました。下山してコミセンで閉会しましたが、サツマイモを掘れなかった今年の収穫祭は、ほろ苦い結果となりました。ジャンケンゲームで特製の人間牧場蜂蜜もお裾分けしてやりました。前夜から泊まっていた三重県の杉谷さんも支援員の富田さんも一緒に参加して手伝ってくれました。

 

2011年10月17日付愛媛新聞朝刊10面地方版に掲載された記事

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  「サツマイモ イノシシ食われ ほろ苦い 収穫祭を 何とか乗り切る」

  「猪鍋に 舌鼓打つ 子どもたち 遠くでシシが 笑って見てる?」

  「芋飯も 今はご馳走 俺などは 昔の記憶 頭かすめて」

  「失敗は 次の智恵産む きっかけに これも学習 話して聞かせ」

 

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人間牧場

〇仲間が表彰を受ける

 西予市で開かれた全国過疎問題シンポジウム2011in愛媛の様子が昨日の愛媛新聞3面総合欄に掲載されました。

昨日の愛媛新聞朝刊3面総合欄に掲載された全国過疎問題シンポジウムの様子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 写真はシンポジウムに先立ち開会表彰式で過疎地域自立活性化優良事例として総務大臣賞を受賞した、「しまの会社」の兼頭一司さんとそのメンバーです。 通常こうした団体表彰は代表者に表彰状が手渡されるのですが、兼頭さんのたっての希望で、同行したメンバー全員が壇上に上がり表彰されたのです。いかにも兼頭さんらしいアイディアでしたが、このごたごたで表彰式が一時中断するハプニングもありました。
 兼頭さんと私の出会いは、彼がまだ松下政経塾の塾生として研修している頃の出来事でした。観光カリスマに選定されている山梨県北杜市(そのころは清里)の舩木上次さんから「愛媛県出身の元気な若者がいるから面倒を見て欲しい」と電話連絡がありました。その後彼は私の所へやって来て、コミュニティビジネスがしたいと唐突に言うのです。ご存知の通り松下政経塾は政治家を目指す人が多い中で、コミュニティビジネスとは?、ましてや東京大学経済学部を出ていることもあって、奇異に感じたものでした。

 その後彼の希望を聞き、私がえひめ地域づくり研究会議の代表運営委員をしていたこともあって、えひめ地域政策研究センターの所長さんにお願いして、しばらくの間前例のない臨時の研究員のような形でセンターに席を置かせてもらって、県内のまちづくり人たちと交友を深めたりしてもらいました。そのうち松下政経塾の卒塾イベントを彼が希望の島と選んだ弓削島(現上島町)であり、私も及ばずながら落伍風の講演等を行い、彼の総括に協力させてもらいました。以後弓削島に家族とともに移り住んでしまの会社を興し、彼の活動は陰で支える村上律子さんたちの手助けもあって八面六臂の活躍で、何かと新聞紙上を賑わせてくれ、今回の受賞となったのです。彼にとっても島の人たちにとっても、勿論いささかなりのかかわりを持った私にとっても、今回の受賞はとても嬉しいことなのです。

 愛媛新聞のこの記事に、私がシンポジウムで喋った言葉が短く紹介されていました。
~人間牧場でまちづくりの人材を育成する若松さんは「夕日こだわったまちづくりを続けた結果、住民の心は田舎嘆きから楽しみに変化した。定住人口は増えなくても交流人口は増やすことができる。古里を自分たちで守るため、次を受け継ぐ人材を育てなければならない」と述べた。~とまとめて紹介していました。
 この言葉は兼頭さんにも当てはまる言葉で、今ではよそ者であった兼頭さんがすっかり島の人材となって大活躍している姿は頼もしい限りで、若者や馬鹿者をどう人罪から人材、人財に導くのか、今後の活躍が期待されているところです。何はともあれ偶然にも彼と再会したいい大会でした。

  「コミュニティ ビジネス求め 移住して 島を興して 見事表彰」

  「何よりも 嬉しいことと 表彰を わがことのよう 喜び讃え」

  「表彰は 終わりではなく 始まりと はなむけ言葉 贈りて握手」

  「一つでも 自分に続く 種芽吹き 花が開いた 次の種誰?」

 

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人間牧場

全国過疎問題シンポジウム2011

 昨日と今日の2日間、西予市宇和文化会館を中心に全国過疎問題シンポジウム2011が開かれています。私は1日目の昨日の全体会に出番があって、その会に出席する伊予市役所地域事務所の松本さん富田さんと同行し出かけました。昨日は朝から雨が降りあいにくの天気でしたが、交流会が終って帰るころには満月に近い綺麗な月が出て、その月とランデブーしながら帰りました。
 私の出番はパネルディスカッションです。4日前西予市にある歴史博物館でものづくり生命文明機構のシンポジウムがあったばかりで、その興奮も冷めやらぬ日だったため、同じ壇上に上がる三好西予市長さんとも、和やかな会話を交わしました。
 この日私と同じシンポジストに名を連ねていたのは、大分県おおやま夢工房取締役総支配人の緒方英雄さんで、もう30年を越えた古い友人との再会を楽しみにしていました。もう一人岩手県陸前高田から来られた、八木澤商店会長の河野和義さんがいました。私はこれまで直接会っていませんが、聞けば先祖は河野水軍とか、先日お会いした宮城県気仙沼の畠山重篤さんと深い親友とか、早速名刺交換の後河野さんが畠山さんに電話して、私も畠山さんと通話しました。私の人となりを畠山さんから聞き出していたようで、私をステージで愛媛の三奇人などと紹介し爆笑を誘いました。

過疎シンポの資料パンフレット
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
パネルディスカッションの登壇者
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 町づくりプロデューサー福井功さんをコーディネーターに、「過疎地域の底力~地域再生への新たな決意~」というテーマのもと約80分の短い時間を大いに語りました。先日も昨日もパネルディスカッションやシンポジウムにパネラーやシンポジストとして参加するのですが、登壇者が多過ぎる、時間が短過ぎる、一人ひとりの話が長過ぎるといった理由で、議論や討論がかみ合わないまま食長気味で、不完全燃焼のまま尻切れトンボで終ってしまうのです。昨日もその典型的なパターンで、時間を20分も大幅に延長してしまいました。時間が過ぎても会場から意見を拾おうとフロアーに発言を求めていましたが、その発言がたまたま私に指名されてしまいました。「時間が過ぎていますので会が終ったら話しましょう」とサラリ流した私の反応に大きな拍手が送られました。
 私は常々時間を守ることを自分に言い聞かせています。討論でも講演でも5分間超過すると興ざめするのです。その点では内容のあった議論でしたが大いに反省すべきことだったように思いました。
 
 交流会は500人の参加者のうち200人ほどが出席して文化会館二階の中ホールで行なわれました。海の幸山の幸がふんだんに並んでいるものの、名刺交換の波が絶えず、この日も50枚以上の名刺が飛ぶように売れました。この分だと裏が味噌の私の名刺は予想をはるかに超えるスピードでなくなる運命にあります。今日はギノー味噌の田中社長さんと大分の緒方さんとの面談も昨日の夜の交流会の席で急遽セットしたので、田中社長さんに言い訳をしなければならなくなってしまいました。
 それにしても裏が味噌の名刺の人気はうなぎ上りです。昨日の交流会でいきなり岐阜県白川村の村長さんが名刺を交換しながら来年1月に講演に来て欲しいと、藪から棒に頼まれました。嬉しい限りですが予定表を持ち合わせていないので、「後で連絡します」ということでその場はお茶を濁しました。来年の予約もそろそろといった感じで、まだまだ「生き場所がここにもあった屋根の草」のようです。
 東温市からどぶろくを売りに来た人たちの土ボロ苦を宣伝したり、大挙した県議会議員先生の真摯な学習風景をステージから持ち上げたり、なにやかにやと話題の多い一日でした。
 
  「時間ない パネラー多過ぎ 長話 議論もできず いつもどおりに」
  
  「裏が味噌 私の名刺 大人気 大会ある度 売れ行き好調」
 
  「講演に 来てくれないか 村長さん 藪から棒に 嬉し招聘」
 
  「役職も 肩書きもない 私ゆえ 値打ちは一体 首をかしげる」
 
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