shin-1さんの日記

○田舎で猪・鹿・猿は極悪動物

 猪・鹿・蝶といえば花札遊びのヤク札で三枚そろうと特別な加点がされますが、猪・鹿・猿といえば過疎の進んだ田舎では極悪人ならぬ極悪動物として厄介者扱いされ、お尋ね者なのです。一昨年20ヶ所の集落めぐりをした高知県四万十市西土佐では、この三種類動物の農作物被害に悩まされ、人間の存在さえも危ぶむ勢いだという山村の悩みを行く先々で聞きました。

 元々人間と他の動物はそれぞれの住処を持ち、住み分けて長年生きてきました。時折お互いがお互いの領域に侵入すれば人間は動物を威嚇したり殺したりしましたし、動物も人間に必死になって襲いかかったのでしたが、それは余程のことがない限りなくて、山里には平和な暮らしがありました。ところが人間の暮らし方の様子と自動的に餌を生み出していた自然の様子が変わり始めて、人間と動物の関係に微妙な変化が見られるようになったようです。

 動物の言い分は言葉が通じないので聞いたことはありませんが、人間の言い分とはかなりの開きがあることは事実です。人間も動物も生きることと種の保存をしなければならないので、そのせめぎ合いが今の田舎の動物出没騒動だと思うのです。

 猪も鹿も猿も道具を使うことが出来ません。唯一の道具は手と口と足と体です。しかし人間が太陽の出ている昼に活動しているのに比べ、動物たちは人間が寝ている夜の活動が得意なため、滅多に顔を合わせることもなく、猪・鹿・猿はどちらかというと目に見えない敵なのです。

 動物の被害を恐れる人間は、自分の農作物を守ろうと必死に威嚇します。山里に空しく響く爆音はまるで人間の嘆き節のような感じさえするのです。また網や波型トタンで垣根を作り、動物が入らないようにしますが、知恵のある猿にはこんなもの一飛びで越えるのです。最近は国・県・市町村の助成もあって電気柵張り巡らしている地域を見かけますが、敵も猿(笑い)もので入る時と出る時の電気ショックを覚悟で柵内に入り安全地帯になった場所で悠然と収穫物を食べる有様で、これ以上は柵(策)(笑い)がないとぼやいていますが、後はゲリラ戦に強い自衛隊に出動してもらう以外生き延びる道はないのではないかと思われるのです。

 三日ほど前の日曜日、人間牧場の近くに住む人から一本の電話がかかってきました。人間牧場の中を通っている道を通ってお墓参りに行ったそうです。その折何やら黒い物体が目の前の草むらをガサゴソして通り過ぎたらしく、気になって牧場の芋畑へ行って見ると、網囲いを破って猪が侵入して面積の半分も食べているようだというのです。私は出張の予定が立て込んでいて現地へ赴くことが出来ないため、日曜日で連絡が取れなくイライラしながら、共催している教育委員会の職員に電話連絡して、やっとの思いで柵の修復をしてもらいました。少し残念な気もしますが、またも私たち人間は猪との知恵比べに負けてしまったのです。

 猪にインタビューしてみました。(笑い)、開口一番「獲ったどー」と誇らしげに雄たけびを上げました。インタビュアー「猪さん、あなたは何で人の嫌がることをするのですか。これは人間の子どもたちが命のプロジェクトリレーと称して、種芋から芽を出させ、大切に育てているものなんですよ」。猪「私も本当はこんなことしたくはないのです。でも8匹も生まれた瓜坊たち子どもは育ち盛りで、食欲が旺盛なため、自然の食べ物では足りないのです。生きて行くためには止むに止まれることですので、どうかお許し下さい」。インタビュアー「・・・・・・・・」。

  「人間と 猪鹿猿の 知恵比べ 軍配どちら 誰が決めるか」

  「山里に 空しく響く ガス空砲 慣れりゃ怖くも 何ともないよ」

  「入りと出で 都合二回を 我慢すりゃ 中は天国 食べ放題だ」

  「さて次は 毒殺以外 ないかもと ひそひそ話 シシも側耳」

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○生徒からの感想文がどっさり届く

 私は講演に行く機会が多く、相手も北は北海道から沖縄まで、しかも揺り篭から墓場までなんて冗談で言うほどバラエティに富んでいて、子どもからお年寄りまでが対象です。行く場所や対象によっても違いますが、時々私の講演内容を事前の了解を得てビデオで撮影しDVDにして送ってくれたりするのです。浅学非才な私の話など何の役にもたたず、早く記憶の彼方に消してしまいたいような気持ちですが、相手にとっては大事な記憶らしく、そのDVDを見聞きした人が、「うちでも是非お話を・・・」てなことになることだってあるのですから世の中は分らないものです。

 中学校や高校になると、授業の一環で聞くものですから、必ずといっていいくらい、感想文を欠かされるようですが、几帳面な先生はその感想文をコピーしてわざわざ送ってくれるのです。実はこれが意外と役に立つのです。人間は自分で考えたことを、相手もそう思うであろうと話すものです。ところがこちらではそう思っていても、聞く相手はそう思っていないし、何気なく話した話が子どもの心に残っていたりするのです。

 8月23日インスパイアリングレクチャーに出かけた新田青雲中等教育学校の石丸和弘校長先生から今日、生徒たちの感想文のコピーがどっさり届きました。その数50枚以上です。今時珍しいB5版一枚256字に短くまとめられた感想文はとても読みやすく、失礼ですが外出から帰ったそのままの立ち読みで、一気に読んでしまいました。アドリブで話した1時間の話なので何を喋ったのかさえも思い出せませんが、生徒の感想文には私の話しを聞いた記憶が書かれているのです。

 宇和島水産高校の練習船でオーストラリアまでマグロを獲りに行った帰りの大時化の海からの生還から学んだ命の大切さやふるさとの有難さは生徒たちに受け入れられたようでした。

 青春とは心の若さだから、若い間に仲間、主張、ふるさと、感動という四つの道具を手に入れ、それを磨いて欲しいと話しました。この四つの道具は今も私の大切な宝物です。

 人間は生まれた時はまるで冷蔵庫から取り出した小さな氷のようにみんな同じ大きさをしています。本を読み、人の話しを聞き、知らない場所を見ることによって知的エネルギーが貯えられ大きな氷に成長してゆくのです。ですから本を読みなさい、人の話しを聴きなさい、知らないものを見なさい、そうすれば潜在能力は必ず大きくなるのです。しかしもっと大事なことは貯えた知識を智恵にして使わなければ何の役にもたたないのです。そのためには書こう、喋ろう、実践しよう。

 私は一日三枚のハガキを一年間休むことなく23年も書いています。また私は音楽が苦手でしたが、毎日練習してハーモニカが吹けるようになりました。今では160曲以上吹けるのですから驚きです。

 生徒の感想文の中にはこんな私の話のくだりが随所に読み取れました。私の一度の話で生徒たちの心や行動が変わるなんてことはないと思いますが、インスパイアリングレクチャーで聞いた色々な人の話しを参考にしながら強く生きて欲しいと願いました。さて私は次の人を選ぶ権利を与えられました。意中の人はいますので学校の許しを得てバトンを渡したいと思っています。

  「送られし 感想文を 読みながら 赤面したり 納得したり」

  「読みやすい 綺麗な文字の 感想文 送ってくれた 校長思う」

  「二学期制 どこが区切りか 分らぬが 六年学ぶ 今こそ男時」

  「少しでも お役に立てて ホッとする 私の後は 誰に頼むか」 


 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○卒寿を迎えた親父

 還暦・喜寿・米寿と人生の節目を何とか通り越した親父が難関である卒寿を無事迎えました。本当はそれらの節目は数え年で迎えるので、既に昨年迎えているのですが、9月1日の誕生日で正真正銘の満90歳になったのですからお祝いです。親父は大正7年9月1日に生まれています。なくなった祖母の証言だと、昔は乳幼児の死亡率が高くて、誕生しても2年間は戸籍を入れなかったそうで、親父の誕生日は入籍した日となっていて、誕生日とかなりの開きがあるようですが、祖母も亡くなった今ではその詮索も叶わず、今は戸籍に書かれた誕生日をを信じる以外ないので90歳にしておきます。

 親父は私が高校を卒業して専攻科に進むと決まっていた若い頃、突然ガンにかかりました。鼻ガンというかなり難しい難病でした。顔の形が一変するほど頬骨とあごの骨を取り、手術後3ヶ月間は喉に開けた穴から流動食を入れていました。見舞いに駆けつけた集落の殆どの人が、「あの様子じゃあ正月が越せない」と噂をしていました。勿論医者も長くて1年と本人には知らせず、こっそり私や母に告げていました。食事が喉を通るようになると毎日家族の誰かが親父の好きな「鯛の刺身」を入院先の県立中央病院に差し入れしましたが、何がどう良かったのか、同じような病気で入院した他の患者が次々死んで行くのに、親父は主治医も驚くほどの回復をみせ、無事退院しました。しかし目を支えている台座の頬骨を削っているため片方の目が見えず、片目ゆえ遠近が分らず何度も転んで足や手には無数の擦り傷が出来ましたが、病気は順調に回復し1年、3年。5年、10年という再発の目安もクリアして、何と手術後45年年間も生き延びているのですから驚きです。

 数年前おやじの手術をしてもらった主治医の佐藤先生にロータリークラブの例会でお会いしました。例会の卓話を頼まれてお話に行きましたが、私と親父のことは先生はよく覚えておられて、不思議なご縁や親父のガンの完治についてもお話をしたものです。

 親父は12人兄弟の長男に生まれ、子どもの頃から漁師として働き続けてきました。また2度も戦場に赴き辛酸をなめています。昔はどの家も貧乏で、ご多分に漏れずわが家も赤貧洗うが如き貧乏だったようで、若くして亡くなった祖父に変わって長男の親父は全ての兄弟を嫁がせたり独立させたしました。

 70歳で生業の漁業を辞めて陸に上がるまでは腕のよい鯛網漁師として活躍し、陸に上がってからは母と二人でつつましやかな隠居生活を営み、生来の器用な腕を生かして船の模型を造り、わが家の敷地内に私設海の資料館「海舟館」まで設置して多くの人を迎え入れているのです。

 親父は今も私たちと同じ敷地内に一戸建ての隠居を構え味噌汁の冷めない距離で暮らしています。90歳になったとはいえまだまだ元気で、その元気さは7キロ先の診療所まで自転車で往復する健脚ぶりで、周りの人を驚かせています。

 親父は仕事しで毎日欠かさず家の横の家庭菜園に出て野良仕事をしています。几帳面な性格そのままに家も菜園もきちんと片付いていて、野暮な性格の私はいつも叱られています。

 多少耳が遠いだけの親父で、腰が悪いとか色々いっていますが、まあ元気で卒寿を迎えたのですから親父には感謝しなければなりません。

 問題はこれからです。今のところ親父の食事の世話は妻がしていますが、やがて足腰が弱ると寝たきりになることも覚悟しなければなりません。その予防として毎朝往復2キロの散歩を欠かさないようですが、最近はさすがに「歩くのが疲れた」と弱音を吐くことがあります。それでも歩かないと寝たきりになると思っているのか、今朝も元気に散歩から帰って、朝飯はパン二切れですから食欲も旺盛です。

 親父は身体障害者なので扶養していますが、私の所得税はいつも親父のおかげで減税で随分助かるのです。私の車も親父の病院通院に使う回数が増えてきました。そろそろ身障者用のステッカーを貼らなければならなくなりました。

 いると口うるさいように感じる親父ですが、何時までも長生きして欲しいと願っています。

  「長生きが 信じられない ほど生きて ガンを克服 卒寿迎える」

  「親父まで 生きるとすれば 先長く これからどんな 生き方するか」

  「九十の 年輪刻み 生きてきた 名もなき等し 親父に勲章」

  「喜寿米寿 卒寿と生きて さて次は 白寿目指して 頑張れ親父」 


[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○月に一度の男前

 私は物心ついてから高校を卒業するまで、頭は丸刈りで通しました。時代背景がそうだったからかも知れませんが、子どもは丸刈りというのは当たり前だったので、何の疑いもなく丸刈りにしていました。頭の髪を伸ばそうと思ったのは高校を卒業した時で、当時は石原裕次郎などに憧れたこともあって、若者の殆どが短めの角刈り風だったようです。私はそれ以来髪を伸ばしたといっても短めの角刈り風を貫き通してきました。妻は少し伸ばしたらと勧めてくれたこともありましたが、結局は角刈り風の頭が自分には似合うと思い込んでいたのです。

 髪が長いと髪が伸びても余り感じませんが、実は髪が短いと必ず毎月一回散髪に行かなければなりません。私の場合も多少の早い遅いはあっても毎月一回のペースで決まった散髪屋さんに行くのです。ところが先月はお盆が入り、散髪に行けば散髪屋さんが休みだったり、月曜日の定休日だったり、また私の日程が空かなかったりしてその結果、ついに1ヵ月半も延び延びになってしまったのです。

 「散髪に行く」といったら妻が「まだ早い」と口癖のようにいうのに今回に限っては、「髪が少し伸びたようなので、出張の前なので散髪に行ったら」と勧めてくれるほどでした。

 先日久しぶりに散髪屋へ行ったら、「進ちゃん、何処か具合でも悪かったの?」と聞かれました。「いやあ散髪に来たら休みだったり、ついつい忙しくて時機を逸してしまいました」と大笑いです。早速三つある席の真ん中に座り散髪屋の大将にバリカンで裾を刈り上げてもらい、その後はハサミ刈りをしてもらいました。顔剃りは主に奥さんの役目で二人がかりで私の男前をあげてもらいました。歳を取ると髪の伸びるのが遅くなるのか、刈り取られ床に落ちた髪は幾分少ないようにも感じられましたが、それでも僅か1時間で頭をすっきり整え、3400円を払って散髪屋を出ました。

 帰るなり妻が「何処を散髪したの?」と、相変わらずの減らず口です。「男前になっただろうが、ほらあぜ道カットだ」と、バリカンで刈った襟元を手で触らせてやりました。「まあ、タワシみたい」とはこれまた面白い表現でした。これでこれから1ヶ月は顔のヒゲさえ剃れば何の問題もなく身だしなみが整うのです。

 私は毎日風呂に入り、毎日髪を洗います。若い頃は髪を洗った湯上りにヘアーリキッドを振りかけていましたが、今は何もつけません。ドライヤーもかけずただ洗うだけで十分ですからこれくらい便利な頭はないのです。

 この歳になると頭は白髪か禿か二通りありますが、私は「若松さん頭は染めているのですか」と時々聞かれますが、頭を染めたことはまだ一度もありません。でもお陰様でまだ黒い部分が多いのですが、やはり近頃になって少しずつ白髪が目立つようになってきました。「顔は悪いがメガネはかけたことがなく髪も黒々」などと自慢めいた会話をしていますが、白髪になればなったで、これは自然の成り行きだと思って意の向くままに生きて行きたいと思っています。

 久しぶりに散髪した私の顔でなく頭を見に双海町の人間牧場へ遊びにお越し下さい。

  「まだ早い いつも口癖 いう妻が 散髪したら なるほど伸びた」

  「散髪屋 鏡に映る 自分見て あらあら不思議 男前なる」

  「風呂に入り 毎日洗う 手軽さよ 角刈り頭 何と便利だ」

  「染めたのか 見まがう程に 黒々と 白髪や禿と 呼ばれぬ私」  


 

 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○サプリメントのお誘い

 「若松さんお元気ですか」「一度会いたいのですが、時間を割いてくれませんか」と、私の元へは相変わらず電話やメールが入ります。空いた時間の中にそうした出会いのスケジュールを入れるものですから、「お父さん、何でそんなに忙しいの?」と妻が言うほど毎日が忙しいのです。メールに返信を打ち、電話では快く出会うことを承知するのです。私は「私に会いたい」という人に、「何のご用件でしょうか」と事前に聞くことを余りしません。相手が「人間牧場の見学がしたい」とか、「かくかくしかじかで相談に乗ってもらいたい」とか目的がはっきりして訪れる人もいますが、要は私に会って顔を見たり話がしたい人もいるのですから、「何の御用でしょうか」とは中々いえないのです。

 昨日は上島町からはるばる友人のお兄さんがやって来ました。その方は友人を通じて私もよく知っている人なので、「じゃあシーサイド公園で午後1時にお会いしましょう」と約束していて、私のスケジュール表の隙間を埋めていました。妻と昼食を取った後出かけました。彼はこちらの土地勘が余りなく伊予市で迷い、双海町でもシーサイドの上寄りの駐車場に入ったらしく、やっとたどり着いたようでした。シーサイドの職員さんにお願いして事務所横の応接室を使わせてもらいました。

 名刺を交換して弟さんの近況や本人の近況を雑談交じりに聞いた後、さて本題という話しになりました。彼はセールスマンが持ってるような手提げのバックからパンフレットを取り出し、島人らしく朴訥ながら話しを始めました。どうやらサプリメントの話のようで、マニュアルに沿って色々な健康について話をしてくれました。多分どこかの研修会に参加してセールスの仕方を学んできたのでしょうが、何時になく流暢に話してくれました。一通り話した後試飲品を取り出し私に飲むよう勧めました。別に悪いものでもないし、彼が言うように3年半飲んで免許証の書き換えの時に眼鏡が要らなくなったという話は本当かと、少し疑いつつも粒状のサプリメントを5錠、酸素水という水と一緒に飲みました。彼は目がよくなったかどうか調べたいと、よく眼科にある視力を調べる表を取り出して壁に張り、私の視力検査までさせるのです。

 話はここからいよいよ佳境に入ってきました。このサプリメントの販売にはまるでねずみ講のような入り組んだ裏話がありました。つまり私が私の勧誘によって集めた人々で三角形のような組織を作ろうとするものなのです。確かに私には多くの友人がいて、その気になれば100人や200人は集まるかも知れません。またひょっとしたらこの組織でかなり儲けれるかもしれないのです。

 全国の名だたる人が三角形の頂点に立って儲けている話を聞きました。また四国はまだ未開拓の分野で、私のような人脈がある人ならば遅い取り組みでも、私の話術と行動力があればあっという間にスターダムにのし上がれるというのです。

 これまでにも同じような勧誘を何度も受けている私の心は動くはずもなく、次の人との約束もあって約1時間ほどで説明は終りました。彼は車に帰って説明用のDVDを持って来て私に渡し「また時々連絡します」といって帰って行きました。

 サプリメントは栄養補助食品ですから悪いものではありません。またサプリメントを愛飲したり、サプリメントを普及している人が悪いというのでもありません、しかしこのところ、ヒアルロンサン、コラーゲンなどさえいえば、あたかも体に効き目があるといわんばかりのセールスは如何なものかと疑いたくなるのです。加えてサプリメントで儲かる話がセットだと余計疑いたくなります。

 私の人脈はそのようなねずみ講まがいの商売には使いたくないと思いました。やがて彼からまた連絡が入るかも知れませんが、はてさて友人のお兄さんでもあるし、どのように断ろうか、心の痛む一日でした。

  「健康で 長生きしたい あの人は サプリメントを 愛飲過信」

  「儲かると いえば心が 動くもの 上手い話にゃ 必ず裏が」

  「健康と いえば心が 動くもの 人は誰でも 長生きしたい」

  「断るに 断りきれぬ 断りの 断り話 断り話す」 


[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○ネバネバな食べ物

 昼間はまだまだ残暑が厳しいものの、朝晩少しずつ涼しくなって今日から9月です。「歳をとると月日の経つのが早いように感じる」とは、今日90歳の誕生日を迎えた親父の弁です。そのことは親父ほどではないにしても私たち夫婦にとっても同じで、私が退職して早いもので3年半が経ちました。その間私は一体何を目的にどのように過ごし、どんな進化を遂げてきたのでしょうか。人生の区切りを大切にしてこれまで生きてきた私にとって21年刻みの日時計は21歳、42歳、63歳と3クォーターを確実に目的や目標をクリアしてきましたが、いよいよ来月から4クォーターへと突入です。

 ノー天気男と妻からいわれる私でも、気がかりなことは幾つもあります。大きく分けると①健康、②生きがい、③老後、③子や孫などでしょうが、その一つ一つを意識を持って確実に生きて行くことだと肝に銘じています。

 ①健康

 今のところ、8年前に患った胆のうの調子もよく、これといった悪くも痛い所もなく健康に過ごしています。二ヶ月に一回の健康診断も欠かさず行っています。体の健康には快食・快眠・快便がありますが、快食が何よりも大事で、私の健康については妻の気配りは相当なもので、胆のうの手術後嫌いになった肉食は殆どなく、魚ややさい中心の体にいいものを手間暇かけて作り食べさせてくれるのです。お陰で快便好調、心のストレスがないから快眠も一日4時間と短か目ながらぐっすりです。

 昨日一日だけでネバネバ料理を三種類も食べました。朝は納豆でした。私は妻のように何度もかき混ぜてネバネバを作ることはせず、糸を引かない発酵したそのままの状態が好みなので酢醤油をかけて食べました。昼はわが家の菜園で朝収穫したオクラを刻んで食べました。オクラの苗は8本植えましたが半分が枯れたものの4本は生き延び、今は大きくて元気なオクラが毎日4~5個獲れますので、夫婦にとっては丁度よい量なのです。夕食にはモロヘイヤのおひたしが出ました。昨日息子が振り付けなどで関わる劇団イリュージョンの公演を見に行った帰りにスーパーでモロヘイヤを見つけたらしく、今年初めての料理となりました。昨年までは家庭菜園に作っていましたが、今年は苗を手に入れることが出来ず、食べたい気持ちでしたのでラッキーでした。納豆やオクラ、モロヘイヤのようなネバネバした食べ物は体によいといわれていて、健康の秘訣はやはり妻の食生活管理にあるようです。

 ②生きがい

 リタイアして直ぐに取り組んだ人間牧場も、周りの人の協力で素敵な使い方をしています。家族とも人間牧場を介して向き合うようになりました。人間牧場は私の今の人生の大きな支えです。魚梁瀬杉の切り株を高座に見立てた落伍も慣れてきたし、高座本も目標を突破しました。年輪塾も始まりました。地元の子どもたちとのふれあいも順調に進んでいます。ブログも一日2本のペースがすっかり板について情報発信による新しいネットワークもできつつあります。傷みかけたパソコンも娘婿や息子の支援で新しいパソコンに順次更新しつつあります。大学も、まちづくりもそろそろ次へのバトンタッチの時期に来たようで、軟着陸の仕方を考えなければならないようです。

まあ63歳という年齢にしては充実した生きがいある人生を送っている方だと自負しています。

 ③老後

 年金暮らしに入っていますが、妻のリタイアもそろそろです。質素で慎ましやかな暮らしをすれば年金で暮らしてゆけるのですから、経済的には困らず有難い世の中になったものです。私たちの老後もさることながら、今日90歳を迎えた親父の老後がまず気にかかりまし。親父も私も在宅介護を望んでいますので、穏やかな今のような暮らしを続けたいと思っていますが、年寄りはいつ何時突発的なことが起こるか分らないものですから、自分たちの老後も含めてしっかりと生活設計したいものです。

 ④息子や孫の将来

 二人の息子がまだ未婚です。何とか伴侶をと思っていますが、こればっかしはどうにもならず、妻の悩みの原因にもなっているようです。晩婚時代なので私は余り気にしていませんが、もうそろそろというのが本音かも知れません。孫も3人誕生しそれぞれ成長をし続けています。せめて私1×妻1=子ども4×孫6くらいな計算が成り立つようにして欲しいと願っています。

  「早九月 時の経つのは 矢のようで 間もなく私 六十四になる」

  「人間は 嫌でも歳を とるものだ ゆえに前向き 生きてゆきたい」

  「ネバネバを 食べれば体 いいですと 人気番組 いうものだから」

  「モロヘイヤ 納豆オクラを 次々と 妻は食べさせ 夫気遣う」 

[ この記事をシェアする ]

shin-1さんの日記

○七五三現象

 七五三といえば子どもの厄払いの縁起行事として日本の各地に定着しています。医学の発達していなかった昔は乳幼児期の死亡率が高く、三歳、五歳、7歳という年齢を超えることが難しかったようで、偶数より縁起のよい奇数の三、五、七という数字が選ばれ、五代将軍徳川綱吉の子どもがお参りした11月15日をお参りの日と定められ、着飾った子どもたちが近所の氏神様へ無事長久を祈るためお参りするのです。三は言葉、五は智恵、七は歯を、それぞれ神から授かることを感謝したといういわれも納得しますし、千歳飴は千年にあやかったものかも知れません。

 最近七五三という現象が若者の間に広まっているという話しを、ジョブカフェ愛Warkの大内所長さんの講演で聞きました。大内所長さんとは昨年、国立大洲青少年交流の家で開かれた大人を考えるフォーラムの実行委員としてご一緒していましたが、講演を聞くのは初めてなので興味をそそりました。中でも数字が示す「七五三現象」という言葉は面白い表現でした。

 中学校卒業者の七割、高校卒業者の五割、大学卒業者の三割が、新卒で就職しても3年以内に仕事を辞めてしまうというのです。この現状を七五三というのだそうですが、全国平均は中卒平均70.2%なのに愛媛県92.3%、高卒は全国平均49.2%なのに愛媛県49.5%、大卒は全国平均35.7%なのに愛媛県40.4%といずれも愛媛県は離職率が高く、特に中卒は10人中9人までと殆どの若者が3年以内に辞めてしまうのです。進学率が高くなり、中卒若者の数はそれほど多くないので離職率の高さは問題にならないと思われますが、ニート(弱年無業者)やフリーターも、2003年をピークに減ってはいるもののやはり気になります。

 私には4人の子どもがいますが、長女長男は最初の仕事を今も続けています。、次男と三男はこの七五三現象には当てはまらないものの離職ならぬ転職をしました。次男は高校卒業後8年間も勤めた会社を辞めて看護学校に入校して5年間学び、看護師として再出発をしました。三男は大学卒業後4年間勤めた会社を辞め社会人枠で警察官になりました。

 就職は永久就職と思う私たち世代からすれば、息子から転職の話しを聞いた時、「えっ?、何で今更」と思いました。特に子どもの世話をし続けている妻は子どもの将来について考えることが多く、子ども以上に悩んだようでした。でも今の日本は、昔のように永久就職といった考えの時代ではなくなり、私の息子のように働いてお金を貯め、将来のために資格を取るために学び直すことだってあるのです。

 今にして思えば、転職を考えた息子も勇気ある決断でしたし、それはそれとしてよい決断だったと思うのです。将来の夢もないままニートに甘んじている若者の多いことが問題ですから、親として子どもに適切に関わることを考えなければならないのです。

 大内さんにいただいたパンフレットの中には、保護者へ①子どもの話、ちゃんと聴いていますか。②こんなふううに、思っていませんか。③子どもこと、ちゃんと知っていますか。④自分の思い込みを、押し付けていませんか。と問いかけています。

 今社会人として特に求められている三つの能力と12の力についてもメモがありました。

 ①前に踏み出す力(アクション) -一歩前に踏み出し、失敗しても粘り強く取り組む力-

  □主体性  物事に進んで取り組む力

  □働きかけ力  他人に働きかけ巻き込む力

  □実行力  目的を設定し確実に行動する力

 ②考え抜く力(シンキング) -疑問を持ち考える力

  □課題発見力  現状を分析し目的や課題を明らかにする力

  □計画力  課題の解決に向けたプロセスを明らかにし準備する力

  □想像力  新しい価値を生み出す力

 ③チームで働く力(チームワーク)  -多様な人々とともに、目標に向けて協力する力

  □発信力  自分の意見を分りやすく伝える力

  □傾聴力  相手の意見を丁寧に聴く力

  □柔軟性  意見の違いや立場の違いを理解する力

  □状況把握力  自分と周囲の人々や物事との関連性を把握する力

  □規律性  社会のルールや人との約束を守る力

  □ストレスコントロール力  ストレスの発生源に対応する力

  「七五三 若者離職 現象と 聞いて驚く 今の若者」

  「何時の世も 悩みは多し 生きること 相談相手 無きが心配」

  「パチンコや ゲームセンター 入りびたり 知っているのか 親は何処に」

  「わが息子 暗いトンネル やっと抜け 今は生き生き 輝き生きる」  

[ この記事をシェアする ]