shin-1さんの日記

○お茶と水と油

 最近何処へ行っても集会には必ずペットボトル入りのお茶が出てきます。350mlか500mlの2種類があるのですが、飲む人も飲めない人も同じように机の上に冷えたお茶が出るのです。私のような戦後の物のない時代に育った人間にとってみればこのお茶のサービスは何とも勿体無い使い捨てだといつも思います。だってこれ程環境問題がとやかく言われる時代になってもなおこうした使い捨て文化が流行っているのです。先日もある二つの会議でこのことを指摘したら、主催者が変な顔をしていました。

 一つ目の会合は環境セミナーです。環境をどうするかがテーマのセミナーなのに机の上にペットボトルを無造作に置くようでは環境を語る資格がないと指摘したのです。会場は幕開けから本題に入る前にペットボトル論争となりましたが、私は昨日も今日も魔法瓶にお茶を入れて遠出をしました。お茶を買う150円のお金がないからではなく、少しでも環境にやさしい実践を行いたかったからなのです。確かにお茶のペットボトルは便利ですが、高齢の人に500mlは飲めないし、ペットボトルの始末はこれまた厄介なのです。

 二つ目の会合は特産品開発の会合でした。愛媛の特産品を開発するにはどうしたらよいか、みんなが雁首そろえて話をする農協の席上にペットボトルのお茶が置かれていました。私はこのお茶を愛媛のまじめなジュースに変えたらどんなに消費が拡大するだろうと提案しました。僅か150mlでも愛媛県内の集会すべてにジュースが飲まれたら農家は勿論大助かりで農協も農民の味方になること間違いなしなのです。無造作に何の疑いもなく業者の消費宣伝や消費行為に乗っている私たちがいることを少し立ち止まって考え直してみたかったのです。

 男女の性差をなくし女性の地位向上のために、助成がお茶を汲む従来の日本社会の在り方を変えようという提案から、女性がお茶を沸かしたり出すことに疑問を持たれ始めてからペットボトルが急速に普及し始めたようです。確かに男女同権の時代に女性だけがお茶を出すことはおかしな話です。最近は事務所を訪ねても男性がお茶を出す光景を良く見かけるようになったことは嬉しい変化です。でもお茶を買うこと、ペットボトルを出すことでこの問題が解決したとは思えないのです。

 私は小さな集落の自治会長をしていますが、毎月一回のペットボトル回収の日には大型トラックに積み込めないほどのペットボトルが出され、今更ながらペットボトルが私たちの暮しに深く浸透していることを実感するのです。

 今ガソリンは史上最高値を更新しています。それでも1リットル240円までなのです。ところがペットボトルに入れられたお茶や水は150円で500mlですからリッター換算すると2倍しなければならないので、何と300円なのです。私たちは知らず知らずのうちにガソリンより高いお茶や水を飲まされていることになるのです。

  「お茶や水 タダだと思うに 油より 高いお金を 払う愚かさ」

  「おーいお茶 宣伝するは 新之助 俺も進ちゃん 大分違うね」

  「わが妻は お茶を沸かして ポット詰め 車に積んで 行ってらっしゃい」

  「茶の話 しっちゃかめっちゃか 茶を濁す ちゃかす言葉も 茶目っ気ちゃらよ」

  

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○県境の旅

 昨晩は愛媛県と高知県の県境に位置する四万十市、今日は愛媛県と徳島県の県境に位置する徳島県三好市と目の回るような大きな旅です。しかも三好市は高知県にも香川県にも接する超一級の県境の街なのです。旧池田町で開かれた社会福祉ボランティア協議会の総会の記念講演に出かけました。高速道路だけでも味気ないと途中の四国中央市伊予三島川之江インターで降りてのんびりゆっくり峠越えをしました。沿線には今が盛りと合歓の花が淡いピンクの花を咲かせていました。旧池田町はかつて四国のへそを自認してまちづくりを進めてきた先進地でした。しかし近隣の貞光町道の駅や吉野川ハイウェーオアシスの成功にお株を奪われ、少し疲弊しているようにも見えましたが、合併によって3万人余りの三好市が誕生しその中心地として少し活気が取り戻せたような雰囲気が感じられました。でも駅前の商店街もご多分に漏れず人通りが少なく昼時に訪ねましたがご覧のような状態でした。

 かつて旧池田町は土佐街道、伊予街道讃岐街道を結ぶ交通の要所として栄えてきました。池田駅もそうした物資人の中継基地となっていましたが、高速道路の普及によって通過する街へと変貌しているのです。

 間もなく出発するであろうエンジンをかけたままの列車の車窓に映る人影はまばらでローカル線の佇まいでした。

 駅の前には田舎の駅ならぬ立派な駅前公園があって野外ステージやモニュメントが整備されているのですが、残念な事にここにも人っ子一人いませんでした。公園で面白い物を見つけました。

 水面にカエルの石造が設置してありました。合併前まで全国の池田町と名の付く町が池田町サミットをやっていた頃の名残のモニュメントなのです。傍に宣言文が刻まれ往時をしのぶことができましたが、池田町そのものが無くなった今では昭和の遺物になったようです。

 多分これらのモニュメントも相当な費用をかけ、行政の威信や為政者の想いで作ったのでしょうが、仮にこの市町村交流が形式的でなく住民本意のものであったのであれば、合併後も続いているのだろうと思うと、姉妹町村は終い町村と悪評を叩かれずに済んだのにとふと思ったりしました

 私は思いました。今からでも遅くないからこれらの街と再び住民交流を始めたら面白いと・・・・。ただし行政に携わる人が税金を使ってタダで交流しても同じ失敗を繰り返すだけです。あくまでもマンパワーでの交流を望んでいます。

 こうして色々な街を訪ねると、御製に携わっていただけに見えなくてもよいものが見えたり感じたりして仕方がありません。自戒の念を込めて行政への告発ともとれる意見をこれからも述べて見たいとこのモニュメントを見て思いました。

 今日は福祉ボランティアの何たるも語らずに、むしろまちづくりの視点から福祉に切り込んだ話をしました。知人友人も多く参加していて、久しぶりに旧交を温めた県境の旅の終いでした。

  「サミットを したと記した モニュメント 人来ず公園 ただひっそりと」

  「昼時に 人も通らぬ 商店街 苦悩ありあり シャッター店が あちらこちらに」

  「池田という 高校昔は スポットを 一人占めした 蔦さん懐かし」

  「ゆっくりと リズム感じる 田舎町 遅れついでに 遅れてしまえば」 

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shin-1さんの日記

○空が広いなあ(宮地下方・20-3)

 海沿いのまちから瀬戸内海側に流れる肱川沿いを走って日吉の分水嶺を越えると、川はいつの間にか太平洋に流れ、最後の清流といわれる四万十川沿いに出ます。愛媛県を流れる間は多分広見川なのでしょうが、四万十川という超知名度の高い名前にあやかろうと、平成の大合併は四万十市、四万十町などを次々と誕生させたのです。

 合併に端を発した町長リコール騒動に揺れる松野町の芝教育長を訪ねしばし談笑の後、県境の看板を見ながら高知県へ入りました。今回の旧西土佐村行脚はもう3回目なのにやり過ごす看板の向こうに見える空の色は何処か違ってもう夏真っ盛りの青い空です。この20年間、この看板を何度見たことでしょう。でもこの地域に知人友人の多い私にとってはこの看板を見る度に一種独特の懐かしさを感じるのです。

 今回の旅の目的は産業課中脇裕美係長さんから依頼された仕事をこなすことが第一義なのですが、私は民俗学者宮本常一ばりの四万十の暮しぶりを感じとりたいと思い、わざわざデジカメを提げて感じるままに束の間の時を過ごしています。

 今日は初夏の四万十を少し散歩してみました。四万十には支流も含めると大小様々な橋が架かっています。地元の人何気なく通っているのでしょうが、訪ねる私たちにとって見れば橋そのものの形状は勿論ですが、「橋の向こうに何があるのだろう」と興味心身なのです。

 一本の橋が目に付いたので、ちょっと右折迂回すると、先日訪ねた江川崎駅のすぐ隣にある西ヶ方という小さな無人駅に着きました。山間田園の中を真っ直ぐに伸びる江川崎への鉄路はまさに日本のローカル的な原風景です。

 学校の下校時間だったので通りすがりの子どもたちは顔も知らない私に「さようなら」と人なつっこい声をかけてくれ、何だかほのぼのとした気分になりました。

 丁度マッチ箱のような一両だけの気動車が駅構内に入ってきました。ワンマンカーの列車には運転手以外誰も乗っていない寂しさです。谷あいに響く発車合図の汽笛も何処となく寂しそうだったので、手を振って送ってやりました。

 再び元の橋を渡って国道に出ましたが、「ひい、ふう、みい、よ」と数えると何と一枚の写真に4つもの橋が写る贅沢なポイントが見えました。路側帯に車を止め夕闇迫る四万十の悠久の流れを楽しみました。夕闇迫る四万十の流れは幻想的でそれでいて神秘的な感じがしました。

 写真に撮った杉横の木々の枝には沢山のゴミが引っかかっていました。聞くところによると昨年の台風ではそこまで水につかったのだそうです。現在の川面からは優に0メートル以上あるので信じられない感じですが、先日大雨の四万十を見ているのでうなずけるのです。

 再び国道を走り江川崎を左に曲がると川の流れは一変し瀬音が聞こえる急流になっていました。川に港はないのですが港のような船溜りがあって、一人の漁師が漁をしていました。そこら辺にある漁具から察するにうなぎの地獄漁を仕掛けているのではないかと思われました。最近の川舟はFRPが多く地獄もプラスチック製で時代の変化を読み取ることができます。櫓や竿から推進器も船外機に様変わり腹の底響く鈍いエンジンの音が山間に響いていました。


 さて肝心の集会ですが、非近代的という言葉がぴったりするような長閑な会場でした。体育館と講堂と集会所を一緒にしたような会場で窓を全て開け、扇風機が回り蚊取り線香がたかれ、椅子は高齢者用の座椅子が持ち込まれていました。私の足へは容赦なく藪蚊が攻撃を加え90分の講演時間中左と右の足を交互に上げ下げしながら藪蚊を追い払いました。でも今日の収穫は大きな見たこともないような藪蚊を5匹殺生したことです。多分藪蚊は久しぶりのご馳走に舌鼓を打ったのでしょうがそうは問屋が卸しませんでした。田舎といってもここは中心地です2地区合わせると対象者は相当数になるのでしょうが、参加人数は今一でした。でも集まった方々は相当意識の高い方たちとお見受けしました。特におんちゃん(何年か前商工会の視察研修でわが双海町へ来られて私の話をしっかり覚えていました)は私の話を感慨深げに聞きながら、「ここは四万十流域でも一番空が広い場所が自慢じゃあ」と話してくれました。私は「それがどしたん」と水をかけました。その日の話は地域資源をオンリーワンにした体験を噛み砕いて話しました。みんな感心して聞いてくれました。

  「窓開け 扇風機回して 線香たく 座椅子に座り まるで昔に」

  「扇風機 ブンブンブンと 音がする 薮蚊負けじと ブンブンブンと」

  「戸数だけ 多くて人は 集まらぬ 玖木を見習え 全員参加ぞ」

  「

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shin-1さんの日記

○こんなに長い新聞取材初めて

 昨日は熊本日々新聞社の編集委員で論説委員の平野さんが遠路はるばる熊本から取材にやって来ました。論説委員といえば新聞社では社説を書いたりコラムを書いたりする新聞社では偉い人なのです。平野さんに始めて会ったのは、先月人間牧場で開かれた逆手塾でした。フラワーデザイナーの仕事をしている奥様とご一緒での参加でしたが、坂手塾では女性の方が好きな私としてはどちらかというと気があった奥様との話が弾んでしまいました。その後音信が始まり私の自著を読んだりして今日の取材となった訳です。平野さんは口に鼻髭をたくわえ色白の見るからに博学なお方でした。

 何でも「人間げんき紀行」という連載ものの取材らしく、そのシリーズで人間牧場と私を取り上げようと言うのです。取材依頼のファックスには「日曜日の午後と月曜日の午前中くっつきたい」とのことでした。普通だとこの種の取材は1~2時間ですが、何という念の入れようでしょう。

 約束どおり午前11時にシーサイド公園に到着の第一報あり、身支度を整え待ち合わせ場所へ直行しました。取材には天候が気になりましたが、平野さんの人徳なのか朝の激しい雨もあがり薄日さえ差してきたのです。月曜日は所用があって取材に応じられない旨の話をしていたので、翠小学校、海舟館、煙会所、夕観所、下灘駅を通りすがりに取材していよいよ急で細い人間牧場名物の池久保道路を平野さんの恐ろしさを尻目に登って行きました。

 それから水平線の家の窓を開けっ放しにして延々夕方6時まで、彼の質問に応じる形でずっと喋り続けました。横目で見る取材ノートに符号のような文字がどんどん増えて行くのが見えました。途中で従兄弟の若松利光に貰った鯛めしとハモの湯晒しを食べながらの取材も入り、凄い濃密な話となりました。私は少し疲れて背もたれ椅子に横になりながらでしたが、平野さんの取材攻撃は一向に止む気配はないのです。

 昨日の人間牧場からの眺めは雨上がりのせいか遠望が開け、平野さんも時折取材の手を休めて写真撮影するほどきれいな180度の視界で、島々は全部くっきりと見えましたし、夕方になると西の空が金色に輝きまさに絵になる光景でした。平野さんは6月の逆手塾で夕景の素晴らしさに出会っているので、また一味違った今日の風景も素晴らしいと絶賛です。

 最近の新聞取材は「お茶を濁す」という表現がピッタリのように、僅かな取材時間で分ったような記事を書く人が多く、ひどい人は資料や写真をパソコンで送らせ、現地に足を運ぶことさえしない人も多いのですが、平野さんの取材はまるで週刊誌まがいの微細な取材でした。

 夕闇迫る午後7時、取材を終えシーサイド公園で分かれましたが8時間の取材は心地よい余韻を残しました。家へ帰るなり妻が、夕食の時間になっても帰らぬ夫に少々いらだちながら「取材が何でそんなに時間がかかるの」と不思議そうに問い詰めました。細かい言い訳など必要ないと無視しましたが、たまの日曜日だった妻にしてみれば少々悔いが残る一日だったのでしょう。

  「熊本の 新聞記者が やって来た 日がな一日 話すことあり」

  「雨予測 当てが外れて 上天気 運のいい人 ノートカメラに」

  「一ページ 書くのに 何と八時間 聞くも話すも それは大変」

  「記者よりも 奥さん気になる 浮気者 奥さんもまた 俺が気になる」 

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shin-1さんの日記

○騒動「狸かハクビシンか」

 昨夜夫婦で里帰りしていた息子が私のブログの写真を見て「お父さんこの動物はハクビシンではなくて狸じゃないの」と、狐ならぬ狸につままれたような話をするのです。「おじいちゃんも話しよったがあれは狸よ」と言い張り、自分の部屋から狸の置物を持ってきたのです。その置物をよく見ると確かにハクビシンより顔がふくよかで狸のようにも見えました。私が今まで見たことのあるハクビシンは顔が細くて長く鼻に白い毛が生えていました。息子は早速私の撮影したデジカメ写真をダウンロードして置物と比較しながら「やっぱり狸だ」確証を得たようでした。

 これまでハクビシンとばかり思っていた私はショックでした。だって朝な夕なわが書斎の前をわが物顔で歩くのですから、何の疑いもなくハクビシンだと思っていた私は狸に化かされた事になるのです。

 私は残念ながら今まで狸という動物を見たことがありません。見たのは信楽焼の狸の置物か狸饅頭、狸最中、食べたのは狸うどんくらいなもので狸汁は残念ながら食べたことがないのです。

 子どもの頃「狸囃子」という歌を歌ったことがあります。

 ♪しょしょしょじょじ しょじょじの庭は つんつん月夜だみな出てこいこいこい 

 おいらの友だちゃぽんぽこぽんのぽん♪

という歌で、今でも節をつけて歌えますし、ハーモニカでも吹けるのです。

八百八狸などの民話は昔から多く聞きましたが、狐と狸は化かすという言い伝えばかりが先にたって、いいイメージが浮かびません。まあユーモラスと言えば腹を突き出し帳面を腰にぶら下げた狸の置物はあちこちでよく見かけるのです。下の写真は書斎の掃き出し窓を開けて撮った写真です。

 そういえば上の写真と置物の写真本当によく似ていると思いませんか。はいこの軍配は息子の方に上げて狸とする事に決定しました。しかしわが家には狸が住み着くことになっていよいよ賑やかになってきました。皆さん一度狸見物は如何でしょうか。

  「ハクビシン よく見りゃこれは 狸です 化かされついでに 俺もだまされ」

  「わが家にも 自然回復 子狸が ちょっとホットな 話題提供」

  「狸汁 する気はないよ 安心し 傍においでよ 一緒に住もう」

  「やっとこさ ハクビシンだと 覚えさせ 孫に再び 狸と教える」 


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shin-1さんの日記

○爆睡の夜

 私は毎日夜12時頃に寝て朝は4時に起床します。毎日の睡眠は4時間程度なのですが、この暮らし方はもう30年以上も続けている私のバイオリズムなのです。ある人は私の暮らし方を見て睡眠が少な過ぎると警告しますが別に気にもせず暮らしてきました。妻は胆嚢手術をしたときから現在まで、盛んに睡眠をたっぷり取るよう勧めますが、そういう妻は今朝もまだ布団の中にいるようです。でもこのような暮し方は体を使う仕事をした昨日のような場合は別なのです。

 昨日私は大洲市田処の来客が帰ってから久々の晴れ間なので草刈作業をしました。先日刈り残した梅畑周辺の草は梅雨の雨をたっぷり吸って勢いよく伸びていて、日当たりの良いところは草丈が胸程までありました。チップソーの刃に変えてからは跳ね石も比較的少なくなりましたが、さすがに長年使っている刃なので切れが悪く、もうそろそろ新しい刃に変えねばと思っています。

 夏の草刈は温度が高く麦藁帽子と長袖シャツ、足元は地下足袋といういでたちですが、あっという間にシャツは汗でビショビショに濡れてしまいました。息子が電話予約をして建築現場から貰った端材を車に積んで上がってきました。私の汚れ具合を見て五右衛門風呂を沸かす算段をしていましたが、山の上の水タンクの水替えのため水事情が悪く結局は風呂に入ることが出来ず諦め下山しました。

 夕方5時頃の帰宅となりました。シャワーでもと思ったのですが風呂をため風呂に入って早い夕食を食べました。そういえば今日は昼飯を食べるのを忘れていたなあと夕飯時に思い出すのですからボケたものです。食事後書斎でブログを買い始めると急に眠気をもよおし、ブログの文章には何とXXXXXXXXが画面いっぱいになっているではありませんか。こりゃあいかんと思い居間のテレビの前で横になっていると長男夫婦、次男が次々帰って話をするのですが、次男がマッサージをしてくれたことすらもう夢の世界でした。三男が12時頃就職して始めての帰省で帰ったのも全然覚えていないのです。気がつくと今日の朝4時でした。昨日の作業の疲れとよく寝た気だるさで少し寝ぼけって感じですが、外の激しい雨音を聞きながら再びブログを書き始めやっと普通の暮しに戻りました。

 このところの忙しさで疲れがピークに達していたのでしょう、昨晩の眠りは爆睡でした。約9時間の眠りは私にとって2日間の眠りに匹敵します。「俺も歳だな」と妻に言うと「それが普通」と返されました。朝4時、そっと寝床を起きようとすると妻が「何処へ行くの。疲れてるんだからもっと寝なさい」とまるで子どもにでも諭すような言い方です。でもぐっすり寝込んだので元気回復です。「お父さん、昨夜は疲れていたのかいびきをかいてた」と言われました。30数年間も同じ布団に寝てる妻の観察は凄いものです。

  「寝溜めして 元気回復 梅雨の朝 今日も遠来 人を迎える」

  「教育長 昔の呼び名で 昔部下 電話してくる 嬉しい通話」

  「生活は リズムが肝心 無理をせず 快食快便 それに快眠」

  「広辞苑 ありのような字 まだ読める 顔は悪いが 目だけ抜群」

 

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shin-1さんの日記

○不自然な自然と野生化する自然

 自然の反対語に不自然があります。広辞苑によると自然とは「おのずからそうなっているさま」「天然のままで人為の加わらないさま」「あるがままのさま」とあります。家の表に立って辺りを見渡すと少ない自然に比べ人間が便利や安全という名の下に壊した不自然がやたらと目に付きます。私たちが青い海や緑の山を見て何か癒される気持ちになれるのは人間も本来動物の一種で自然の中で暮らしてきた本能が甦ってくるからだと思えば納得するのです。

 この数年、私たちの身の回りでは自然が危ないという自然界からのシグナルが届き始めました。海では養殖ハマチの大量死、赤潮の発生、真珠の斃死、鯨の迷い込み、奇形魚の水揚げなどが毎日のように新聞に取り上げられています。ハマチを飼うのにホルマリンを使っていたとかいないとか、海を生業として海からの恵みで暮らしている漁民さえもが「使った。使わない」で言い争い、泥沼化しています。本来海を守るべき漁民がこんな醜態ですから言って行くところはありません。餌をやらないで海を汚すはずのない真珠母貝だって斃死原因を徹底究明もしないまま、斃死に強いというだけで、生態系を壊すかも知れない中国産母貝を海に離しその場をしのごうとしているのです。海水温度が1~2度上昇していると聞きます。1~2度の上昇は100キロ南の海水温度に匹敵するというショッキングな話を聞いたことがありますが、自然であるはずの海が不自然になりつつあることへの警鐘と考えねば大変なことになると、私のような凡人でも考えるのです。

 山はどうでしょうか。耕作していた畑や田んぼが、作り手農民の高齢化と過疎化によってどんどん放置・放棄され自然に帰ろうとしています。日本の高温多湿な気候では、放置・放棄されても山は砂漠化しませんが、カズラの勢いが強くて、また竹林の勢力が強くて日本の田舎はカズラと竹での占める面積が里山を中心にどんどん広がっているのです。イノシシは相変わらず増え続け、先日伺った高知県の山間のまちではイノシシとシカとサルが増え続け、まるで賭博に使う花札のようだとお百姓さんは笑って首をすくめました。一昨日訪ねた岡山の市外の街路樹でも異様な音を耳にしました。最近田舎ではコンバインの普及でスズメがいなくなったという話を聞きました。スズメの世界でも田舎は過疎化が進んでいるそうです。ところが街路樹からスズメの大群の鳴き声が異様な音を立てて群がっているのです。田舎のスズメもやはり都会に憧れて・・・・・なんて思わず苦笑ました。カラスが増え、ゴミ置き場はカラス様の食べ残した食事の後片付けを人間という下部がせっせとやっているのです。

 昨日人減牧場へ行くため海岸国道を約8キロ走りました。たった8キロ走っただけなのに、ハクビシン一匹、イタチ1匹、猫一匹の交通事故に遭遇しました。弱肉強食の世界でしょうか、その死骸にはカラスが車の危険も顧みず群がりそのカラスを避けるように人間様の車が走っていました。

 昨日の朝わが家の庭に再びハクビシンが登場しました。私たち人間を意識することなく悠然と歩く姿をカメラで写したのですが、ハクビシンは振りかえってポーズまでしてくれるサービスぶりでした。

 さすがにカメラのフラッシュに驚いたのかその後ハクビシンは自然の中に消えて行きましたが、今晩も私の書斎の前に現れ、私が元気であるかどうか中を覗くことでしょう。不自然な自然と野生化する自然が妙に気になる朝でした。

  「ハクビシン キジやイノシシ 出る話 田舎だからと 思う間違い」

  「ハクビシン 人里われに 何を告げ 来るのか分らず 戸惑うばかり」

  「夜来雨 傘もささずに ハクビシン 何処でどうして 暮らしているやら」

  「花札の 絵柄気になる 自然界 一度ゆっくり 調べてみたい」

 この記事を書き終わった瞬間、書斎のガラス戸向こうに何とハクビシンが座っているではありませんか。「おい進ちゃん、今日は私を主人公にして記事を書いてくれてありがとう」と言わんばかりのごあいさつでした。早速ガラス戸を開けて「お早う」と声を掛け写真を一枚、逃げることもなく写真撮影に応じてくれました。

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shin-1さんの日記

○懐かしい顔がやって来た

 今日は山を越した一つ向こうの大洲市田処から懐かしい顔々が朝ヶ峠を越えて人間牧場へやって来ました。先日ブログで紹介した耕運機をくれた亀本耕三さんが引率していずれ劣らぬ5人の美女軍団なのです。数日前の研修会で知り合った元先生の西田さん、それに養豚農家で昔手紙をやり取りしていた石岡さん、中学校で同級生の中野さんも一緒で、和やかな会話となりました。この文章を書きながらしまったと後悔しました。余りの美しさに見とれてあがってしまい後の二人の名前を聞くのをうっかり忘れていたのです。ブログを読んでる方なので余計心が痛みます。申し訳ありませんがこのブログを読んだら名前などメールしてもらえると助かります。元先生の西田さんが元大洲市議会議員でほたる保存会の会長だった今は亡き西田さんの奥さんだったり、石岡さんの子どもたちも大きくなったり、中野さんのご主人が腰の手術をしたりと、久方ぶりに聞いた時の流れの中での音信に懐かしさをいっぱい感じました。

 私が田処へ頻繁に足を踏み入れたころの彼女たちは恋心を覚えるほどの若さでした。勿論私も若かったのでわが家横にある煙会所へも来てもらって当時は深い交流が続いたものです。時の流れは人も記憶も老いさせます。でも決して忘れることが出来ない思い出なのです。

 今日は皆さんが飲み物まで持参する徹底ぶりで、私が豆腐が好きなの知って、荒縄で縛るほど固い美味しい豆腐やバター、蜂蜜などを手土産に頂きました。今晩の夕食にはあの大きい冷奴が一丁ドーンと出て、堪能しました。明日の朝は石岡さんの蜂蜜をご相伴にあずかります。

 亀本さんには悪いのですが今日は、亀本さんにお願いして撮影した私を入れた写真を使わせていただきました。

 私も何かお返しをと思いつつハーモニカを吹きました。糞が付くほど「へたくそ」と言われそうですが、少年の頃の思い出話を話しながら吹くハーモニカの音色はいいもので、皆さんから大きな拍手を頂きました。

 今日亀本さんはお願いしていた牛糞を沢山持参してくれました。あいにく耕運機は雨に濡れたため水が入って結うことを聞きませんでしたが、ご無理でもまた亀本さんに耕運機の名医になってもらって動くようにして欲しいと思いました。ああそれから、亀本さんにビールを渡すよう妻から言われて車に積んでいたのにすっかり忘れて渡せなかった失敗もあり、家に帰って妻に叱られました。また今度・・・・。

 友人は何時までたってもいいものです。旧姓徳山貞子さんという中野貞子さんとも同級生のよしみで長い、そして深い付き合いとなりました。私の生活設計では85歳まで生きると決めているのであと24年したら死にますと私が言ったら、中野さんは80歳までだそうで、「じゃあ、貞ちゃんの葬式には私が参列します」と言って大笑いとなりました。こんな冗談をこれからも言いながら幸せな人生を送りたいものです。

 雨だと思っていた天候も徐々に回復し、海のない街の山のお客様は海を心行くまで堪能し手を振り見返り美人よろしきを得て元気に帰って行きました。またお・い・で・・・・。

  「空風呂に 入って写真 ハイポーズ 今度は本当に 風呂に入りたい」

  「溢れ湯を 想像ニヤニヤ 顔よりは 下腹眺めて 何見てるのよ」

  「お互いが 歳を経たよな 顔をして 痩せた肥えたと 体重気にする」

  「海見えぬ 街から海を 見に来たよ 海はやっぱり 憧れますね」


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shin-1さんの日記

○俺の顔ってこんな顔

 「自分の顔に自身を持て」とよくいわれますが、私は顔に自信がないので自身の顔に自信が持てないのです。そのため写真に写るのは余り好きではありません。ですから集合写真を撮る場合も出来るだけ後ろの出来るだけ橋の方に陣取ってきました。しかし様々なイベントや行事を手がけたり講演などに行くと知らず知らずのうちに写真に撮られ自然体ともいえるスナップ写真が送られてくるのです。「肖像権の侵害だ」と叫んでみても既に撮られているのですから文句のつけようがないのです。しかしつい最近になって写真に撮られることが余り苦痛にならなくなりました。やはり歳のせいでしょうか、はたまた「今更格好よく見せなくても」という諦めの心境なのでしょうか分りませんが、それなりに撮れているのです。

 昨日も逆手塾のスナップ写真が数枚、田中一裕さんから送られてきました。先月開いた逆手塾での一コマですが、カメラを意識せず何のわだかまりもない写真には私の地金が出ているようでついつい嬉しくなりました。特にハーモニカを吹く姿は何とも味のある顔なのです。送られてきた写真を見て私の体の痩せ具合が気になると妻は言います。13キロも痩せて頬骨が出ている姿は何ともみすぼらしい意から、少し肥えてと言うのですが、今のところ体調もよく、痩せてはいるものの顔色がすこぶる良くなったと仲間も認めてくれています。「お父さん少し背中が丸くなっている」と妻の鋭い指摘にもへそや腰で歩くよう極力背筋を伸ばしています。暇でも出来たら写真の整理もしたいと思いつつ、最近の写真を気に入って眺めるこの頃です。

 私のデジカメ写真が私のパソコンの中にはやたらと収録されています。フィルムを現像したり焼き付けたりしていないので劣化はしないのですが、デジタルの情報はウイルスや落雷などでいつ何時アウトになるか

分らない危険性もはらんでいるので、デジカメの写真もプリントアウトしておかなければとあれやこれや思うのですが、これも一向にはかどる気配がありません。先日も妻が「お父さん、私と一緒に鳥取に行った時の写真がブログで消火されていると友だちから言われたのに、自分では見てないがあれはどうなってるの」と厳しい指摘がありました。妻を横に座らせそのブログの写真を見せたら納得した様子でした。多分バックに花や歴史的景観が上手く配置されているから、モデル自分が結構きれいに写っていると勘違いしての納得だったようです。

 しかし私は妻と同伴旅行しながら何故か最近の写真でも二人がツーショットで写っている写真は皆無なのです。この顔で気恥ずかしさがあるのでしょうか。次は思い切って二人の写真を誰かに頼んで撮ってもらいたいと少し心の変化が現れています。新婚旅行すら二人の写真は皆無なのですから大変な心境の変化と成長です。

 写真はその場その時を物語る貴重な生き証人です。これからも自然体の写真をせいぜい楽しみたいものです。

  「テレビより あんたの顔は ラジオ向き いわれ続けて それでも目立ち」

  「近頃は 顔に自信が 少しだけ いい顔してるぜ カメラ腕いい」

  「三十余年 夫婦してるに 一枚も 二人の写真 ないのですから」

  「六十年 生きてこの顔 味が出て 出がらし後は ごみに出される」 

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shin-1さんの日記

○三つの壁

 昨日の研修会で講演終了後懇親会がありました。5時半からの懇親会は小腹が空いていて出された鰹のタタキやダシ巻き卵焼きなどを食べながらウーロン茶でひと時を過ごしました。私は講演講師ということで上席に置かれましたが、周りが会長さんや偉い来賓の方が殆どで、講演の内容について私見を交えて反芻が始まるのです。胆嚢を取った病後の最近では食も細くこの時間はかなり長く感じられるのです。それでも主催者の顔も立てねばと約40分間、入れ替わり立ち代りやって来る方々と名刺交換しながらお話に花が咲きました。こんな酒宴でハッとする人に時々出会うことがあります。昨日もある町の町長を3期務めたという方と出会いましたし、隣の席の方とまちづくりの長い経験を三つの壁について話しました。行政に携わって感じることは物理的な壁(モノの壁)、制度的な壁(しくみの壁)、意識の壁(心の壁)という三つの壁があったように思います。

 まず物理的な第一壁ですが、普通の人がまちづくりに取り組む場合、自分の周りを見渡し地域資源は「何もない」と考えます。またわが町のように第一次産業中心の町はみかんと魚などありきたりで地域資源にはならないと考えるのです。私は逆に何処にでもある夕日に着目し、夕日と特産品を結びつける事によって経済を考えました。確かに夕日だけなら何処にでもあるのですが、双海町という瀬戸内海に面した天気率の良い地域の夕日が見えることを資源にしたのです。夕日という物理的テーマが見つかるとそれ以外の資源が自分の周りにはゴロゴロするほどいくらでもある事に気がつき始めるのです。しかも夕日の持つマイナスイメージのせいか誰も手をつけていないバブル全盛時代の追い風が物理的な壁を取り払ってくれたのです。

 しかし第二の壁である制度的な壁はすぐに私の前に立ちはだかりました。役場の課長補佐という立場でしたから組織的しくみの中では上司の説得や議会の説得、資金を出す国・県への働きかけ、さらには税金を使うのですから町民の理解と、気の遠くなるようなしくみの壁を越えてゆかなければなりませんでした。でも制度はルールですから、ルールを破る知恵と熱意と人間関係があればそこそこ乗り越えれるものなのです。道の駅に登録され今や年間55万人の集客を誇るシーサイド公園の整備は制度的な壁を乗り越えた典型的な施設です。でも施設を作るだけならしくみは簡単に乗り越えられますが、その施設を経営運営する新たなしくみが必要となります。ここからはしくみの未知の分野で、住民の参加参画、説明責任や黒字経営を持続するというしくみづくりには随分苦労をしました。

 さて一番厄介なのが最後の第三の壁である意識の壁なのです。人間は固定観念とか先入観というのがあって、いったんそう思い込んだら絶対にその考えを捨てない心理が働きます。その思い込みが正しい場合はいいのですが誤解があるとその誤解を解くには大変なエネルギーが要るのです。人間と人間の心の摩擦ほど疲れるものはありません。でも失敗や反対はこの世の中にはつきもの、反対は半分あるもの、人間に失敗はつきものと開き直ってやる気と誠実で相手の心を解きほぐしたのです。そのための手法として公園の清掃作業を思いつきました。言葉での説得は一見上手く行くように見えますが必ず相手を疑います。しかし汗を書く姿は意外と言葉よりも効果がありました。

 三つの壁を乗り越える話をしたらその方は、酒を止めて私の話を熱心にメモしていました。有難い本当の意味での懇親会となりました。早速帰ると深夜なのに感想メールが届いていました。私は1パーセント理論の提唱者です。100人の人を相手に講演をして100人が100人納得するはずはありません。せめて1パーセントの1人にだけでも理解してもらおうと思い話します。一人も変えれない話は無意味だと思うのです。昨日も1人だけ理解してもらえました。

  「熱っぽく 語った後の 懇親会 更に語って 皿で飯食う」

  「一二三 壁を乗り越え 成就する やる気と熱意 あれば出来るさ」

  「会長の 名前上野と いいました ああ上野駅 吹いて喜び」

  「適当な 時間に帰る 引き際は 俺の値打ちを 更に引き立て」

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