人間牧場

〇旧永木小学校を訪ねる(その2)
 私が双海町教育委員会に勤務していた若い頃、双海町内にある民俗資料の収集を始めました。当時課長は武智さん、文化財担当は戸田さん、公民館主事は若い私でした。3人は各集落の自治公民館長を仲立ちにして、調査をしながら寄付をしてもらった民俗資料を軽四トラックで現地へ貰い受けに行きました。

 その数は数千点にものぼり、とりあえず移転して空き家になっていた急双海郵便局へ仮置きしました。ところがその場所へ消防分署が移転したため、今度は上灘農協の倉庫へ移動させましたが、そこも取り壊して駐車場にしたため、二転三転して、平成の大合併で伊予市・中山町と合併したため、海の町の民俗資料なのに何故か山の中の廃校となった野中小学校と永木小学校へ移動させてしまったのです。

 双海町の最後の教育長だった私も、知らない間の珍移動劇の主人公となった民俗資料の数々が今どんなになっているのかは、当時ご好意で寄付をしてくれた人の善意を思うと、気にはなっていましたが、漏れ聞く話だと、雑然としているようだと聞いていました。4つの教室の所狭しと並べられている民俗資料は思ったよりきちんと整理がされて少し安心しました。さてどうするこれらの民俗資料です。せめて今度は安住の地へ移転させたいものです。

「小学校 2階の教室 それぞれに 民俗資料 再会嬉しい」
「ふと思う 寄付してくれた 人の顔 既にあの世へ 逝った人もあり」
「雑然と 置かれているが とりあえず ホッと一息 次の一手は」
「行政の 都合に翻弄 され続け 海の資料が 舟山登る」

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