人間牧場

〇わが家から夕日が見える季節になりました

 「えっ、はや5月!」と驚くほどのスピードで、今年も早3分の1の月日があっという間に過ぎてしまいました。「歳をとると月日の経つのが早いと感じる」と、周りの歳をとった人は誰もがいい、やはり歳をとったのか私もそう思うこの頃です。退職して8年間があっという間に過ぎ去り、いよいよ9年目に突入です。過ぎ越した退職後の8年は、総括するまでもなくそれなりに充実し、自分で納得のいくそれなりの進化を続けているので悔いはありませんが、今一度これからの生き方を微調整して、しっかりとした足取りに変えて行く必要にも迫られています。それというのもこの8年間は、人間牧場の建設やそれらを使った活動に明け暮れました。ある意味したいことをしてきたのですが、今は残念ながらしたいことが余り見つからなくなっているのです。それは年齢から来る諦めにも似た「思っても出来る訳がない」とか、「資金をどうする」といった気持ちが先に立って、躊躇してしまう消極的な生き方に他ならないのです。

わが家から見える夕日
わが家から見える夕日

 この8年間、目標どおり人間牧場を整備し、目標どおり自著本「夕日徒然草」を五冊出版し、150話の落伍もできるようになりました。またブログも1日2本をほぼ完璧に執筆しています。自著本の販売収益も自転車操業ながら確実にストックして、人間牧場の運営や再投資に当てていますが、次の目標が見えてこないのです。目標喪失は生きていく上で致命傷です。特に歳を重ねつつあるこれからは、手の届きうる目標を持たねば、生きる意味さえ失うような感じがするのです。 そんな焦燥感もあって、この最近夕日がわが家から見える時期になったこともあって、私の原点である夕日に救いを求めるべく、夕日を見る機会を持つようにしています。庭先から、裏山から、私設公民館煙会所の窓から、様々な夕日を見ています。この頃の夕日は日脚も長くなって、好天にも恵まれ綺麗な夕日を存分に楽しんでいますが、昨日自分の影が煙会所の外壁に映し出されたのを見て「ドキッ」としました。

私設公民館煙会所の板壁に映った私の影
私設公民館煙会所の板壁に映った私の影

 何年か前、永六輔さんからいただいたハガキに「夕日はどこかの朝日」と書かれたのを見て、「ドキッ」とした時と同じ衝撃です。夕日を夕日としてしか捉えられていなかった私を、目覚めさせてくれたこの一枚のハガキは、私に「地球は丸い」「夕日も朝日も同じ太陽」であることを悟らせてくれたのです。発想はちょっとしたきっかけで潜在能力を顕在化させます。NHKテレビ「明るい農村」の取材にやって来たディレクターの、「ここの夕日は綺麗」といった一言が、私の潜在能力を顕在化させ、私の価値観を根本から突き崩しました。
 煙会所の板壁に映った私の影を見てどうやら、これからの生き方に少し光が見えてきたような感じがしました。かく思うきっかけとなった永六輔さんも、あれ程マルチ人間と言われて大活躍をしながら、寄る年並みには勝てず、アルツハイマーを発症していると聞きます。老いは他人事ではなく自分のことなので、しっかりと生きて行きたいと思った出来事でした。

  「退職後 早九年目 迎えたが どこかモヤモヤ している自分」

  「煙会所 板壁照らす 夕日受け 自分の影に ハッと驚く」

  「そういえば 永六輔さん さえ歳を とって病気に なるのですから」

  「もう一度 ネジ巻き戻し 生きようと 自分の影が 教えてくれる」

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