人間牧場

〇第2回ジョン万次郎塾が人間牧場で開かれました(その1の②)

 

薪ストーブで暖を取りながらの学習風景
薪ストーブで暖を取りながらの学習風景

 ・開国前後の日本にとって、万次郎の知識は、必要であり中心であったと思われます。そうした中万次郎に関わった人間関係、関連した人物像(敵?、味方?)について教えて下さい。また開国後万次郎は、自由なアメリカへ戻る(?)ことは考えなかったのでしょうか。(永井さん)
 ・河田小龍との出会いが運命的な出会いで、開国へ向けての大きな影響があったにも拘わらず、紀略の原稿を見たことで、絶縁したと言われているが、その真相は?写本ができたことで、広まりますよね。(和田さん)
 ・前回、土佐清水市の記念館を見学した際、気がつかなかったかも知れないですが、日本へ帰国された地元土佐及び土佐清水で活動され後世に残されたものはありますか?。(鎌田さん)
 ・人生に、すごいドラマがあって、日本にも影響大となる人材なのに、坂本龍馬のようには、人に知られてないように思ってるのですが、何故なんでしょう。(青木さん)

 ・捕鯨船ジョン・ホーランド号は捕鯨だけをやっていたんでしょうか?。アヘン、茶、綿、鉱物、人身売買、武器などの貿易に携わった可能性は考えられますか?。(兵頭さん)
 ・土佐清水市に「ウエルカムジョン万次郎の会」という組織があり、ジョン万スピリットのもと「サバーガー」などを開発したりしながら地域おこしに取り組んでいるそうです。その他に、どのような活動を行っているか知っている範囲で教えて下さい。(松本小番頭さん)
 ・伊予から土佐に帰る途中に「おおスザンナ」を歌ったようですが、どこで、誰と、どのように歌ったのか教えて下さい。また河田小龍に「おおスザンナ」を英語で教えたようですが、どのような英語の歌詞だったんでしょうか。(清水塾頭さん)

冒頭スクリーンで紹介された私の質問
冒頭スクリーンで紹介された私の質問

 さて私の質問ですが、私は次のような質問を、質問のまとめ役となった清水塾頭に送りました。
 ・万次郎が漁に出て漂流したのは1841年、私も122年後の1963年(昭和38年)の1月、愛媛県立宇和島水産高校の実習船愛媛丸に乗船して、遠洋航海からの帰路途中、伊豆半島沖で大時化に遭い死を覚悟しました。万次郎の人生は漂流によって漁師になる宿命からが運命に変わりました。私もこの航海が宿命を運命に変えるきっかけになったような気がするのです。万次郎の「運命と宿命」についてみんなで議論したいと思います(若松塾長)
 講師の青野さんはまず私の質問に軽く触れながら、ジョン万次郎の「もし〇〇が〇〇でなかったら?」を考えると、宿命と運命は違う道へと進む訳なので、皆さんの質問全てに当てはまるので・・・と前置きして皆さんの質問一つ一つを取り上げながら、丁寧に指導をしていただきました。ブログ画面の都合で解説解答の全てを書くことが出来ないので、解説解答は、参加した人のみぞ知る特権的学びとしたいと思います。
 当日私は、昼食準備と午後の持ちつき準備のため、暇を見ての学習となったことが悔やまれてなりません。これも塾長の仕事だと諦めていますが、私にとっても参加した20人余りの塾生にとっても、次の学習につながる広くて深いいい学習となりました。
 世間を揺るがした衆議院議員選挙で参加できないながら、的確な資料を塾生にメール配信し続けてくれた愛南町の脇田さんと遠路はるばる人間牧場へ訪れ指導いただいた青野さんに厚くお礼を申し上げます。

  「飯炊きつ 立ったままにて 話聞く ジョン万塾の 学び本格」

  「万次郎 自分の人生 ダブらせて 漁師宿命 その後運命」

  「知ることに よりて更なる 疑問湧く これぞ学習 更に深みを」

  「若し宇佐に 行かなかったら 万次郎 アメリカ行けず 名も無き漁師」

[ この記事をシェアする ]