人間牧場

〇今年最後の忘年会

 私が地元の役場を退職して早くも七年目を迎えています。第一線を退くということは給料が出ないばかりでなく、外交の表舞台から姿を消すことになるのです。給料の存在も外交の存在も現役の頃は左程重みを感じませんでしたが、辞めてみて始めてそれらの重さに気付くものなのです。辞める前には職責の責任の重さから解放されたいばかりに、辞めて早く自由人になりたいと思ったり、辞めたらのんびり夫婦で旅行にでも行こうと思ったものでした。
 ところがいざ辞めてみるとある部分自由はあるものの、のんびり夫婦で旅行なんて余裕は殆んどなくて、日増しに減って行く財布の中身を心配しながら、細々と暮らして行かねばならないのです。幸せなことに私は年金支給年齢が62歳だったこともあったし、在職中に社会教育やまちづくりで培った「舌技能?(笑い)」を最大限に生かして、首をくくることもなくどうにか今日まで生き延びることができたのです。

 私のもう一つの幸いは、退職後外交の表舞台からは去りましたが、外交には裏舞台もあって表舞台ほどの華やかさこそありませんが、私の性格を百も承知でそれなりに付き合ってくれる人もいて、今なお裏舞台で活動することができていることは嬉しい限りです。表舞台で活動していた頃は仕事の関係で損得勘定や建前も多かったようですが、裏舞台は人と人を出会わせて結びつけたり、どちらかというと支援や後押しに回ることが多いようです。まあこれも人生、時の流れだと思いつつ、心許せる色々な人に出会っているのです。
 昨日は中央省庁から愛媛に出向して来ている偉い人と、ギノー味噌の田中社長と私で、ささやかな忘年会を兼ねた出会いをしようと私が画策しました。その偉い人は私の申し出に快く応じ、12月29日の午後6時からスケジュールを開けてくれました。ギノー味噌の田中社長は、ご存知私の名刺の裏を使った「裏が味噌」という名刺のスポンサーなのです。その偉い人が興味を示している広田村の山村留学の話は、田中社長自身が5人の子どもを山村留学に預け育てた経験を持っているので、それだったらと偉い人の部下が田中社長と同級生だからご一緒に、田中社長の社長の息子さん2人も冬休みで帰省中だからご一緒にとサプライズが実現し、合計6人の賑やかな忘年会となりました。

楽しかった今年最後の忘年会

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 午後5時に家を出て午後5時30分にギノー味噌の本社に立ち寄り、田中社長ファミリーを私の車に乗せ、北斗七星というお店に行きました。ささやかながら会費でフグを食べようということになり、楽しいお話をしながら延々3時間も過ごしました。田中社長の次男は東大へ通う現役の学生で優秀です。長男も礼儀正しく家庭教育のしつけが行き届いている姿を垣間見ることができました。私は酒を飲まないため、もっぱら希臼に入れた温かいお茶を手酌で注いで、フグを食べながら過ごしましたが、若い人の話が聞けていい勉強になりました。
 宴会を終え私の車で自宅まで送り届ける道すがら田中社長から、来年早々といっても1月2日に、二人の息子さんを連れて人間牧場へ行きたいと申し出がありました。1月2日は人に会う予定が入っているので時間調整をしようということでお別れをしました。今年はこの偉い人のお陰で、長年逢いたいと思っていた宮城県気仙沼の畠山さんとも公式対談が実現し、とても充実した一年だっただけに、この偉い人と一年の締めくくりができたことを幸せに思っています。来年も表舞台こそないものの裏舞台でせいぜい人生の出会いを楽しみたいと思っています。

  「給料も 表舞台も なくなって でもそれなりに 裏の舞台で」

  「いい人は いい人連れて やって来る 俺もいい人 なるため修行」

  「動かねば 風は起きない そう思い ささやかながら 微風起こして」

  「何人の 人に会ったか 数知れず 指折り数え 今年も暮れる」

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