人間牧場

〇自家用車の修理が終る

 悪夢のような雪の伯耆大山での自損事故で、わが愛車は甚大な被害を被りましたが、東広島市に住む稲井さんが台車に乗せて蒜山インターチェンジから、雪の積もった山陰の峠を越えて瀬戸大橋を渡り、夜10時に松山インターを降り、砥部町の車ハウス砥部の修理工場へ運んでくれました。以来一週間車ハウス砥部の親友稲葉さんの手によって修理加工が行なわれ、昨日の朝9時に修理が終って無事わが家へ帰って来ました。
 稲葉さんは一昨日、人間牧場で開いた餅つきとピザ釜開きにも参加してくれていましたが、聞けば息子さんが休みを返上して整備をしてくれたようで、あちこちにえらい迷惑をかけたものだと、事故の反省をしきりにしているところです。一番心を痛めたのはやはり妻で、事故の一報を携帯電話で知らせた時は気が動転して、「大変なことになった」と思ったそうです。その後の様子が伝えられる度に、まるで実況中継のようだったと述懐するのですが、車は破損したものの相手がガードレールだったし、体の怪我も全然なく、修理費や廻送料がかかるので、先ずは目出度しとは行かなくても、我慢しなければと諦めているようです。

修理の終ったわが愛車カローラ・アクオス

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 修理の大部分は後のバンバーとバックランプで、新品の部品交換となったようですが、修理の終った愛車は事故の痕跡もなく、修理後のワックスかけで以前にも増して綺麗になったようにも見えました。一週間私の手足となっていた社長の愛車プリウスも代車としての役目を終え、社長自らが運転してわが家から帰って行きました。
 稲葉さんは帰り際、修理前の事故の様子は写真に撮っているので、必要とあらば息子さんに頼んでPCで送ってくれるそうですが、事故ゼロの自戒もあり送って欲しいと頼みました。昨日の夜稲井さんに、その節はお世話になったこと、稲葉さんの手によって修理が終ったこと、そして事故に遭わないよう運転したい旨の電話を入れました。稲井さんは笑いながら雪道を事故車を運んだ武勇伝を控え目に話してくれました。

 何の因果でしょうか。今日から愛車を運転して出かける場所は、鳥取県と大分県こそ違え、また「だいせん」と「おおやま」と読み方こそ違え、漢字で書くと同じ「大山」なのです。妻は一週間前の事故のこともあるので、また冬型の季節風がこの3~4日吹き荒れたり雪の話題が何かと多いので、公共交通機関を利用するよう勧めてくれていますが、大分県日田市大山は、海を渡らなければならないこと、隣県ながら意外と遠いこと、公共交通機関だとかなり時間がかかることなどを考慮し、「気をつけて行くから」と了解を得て、車での移動を決断したところです。そのため忙しかった先週の骨休めをするよう妻に言われ、昨日はどこへ出かけるでもなく、もっぱら自宅でゆっくりのんびりコタツの番をしました。日ごろはしないウトウとの昼寝をしたせいでしょうか、また少し早く就寝したせいでしょうか、今朝はいつもより早く目が覚めてしまいました。今日のノルマのブログを二本書き上げ、ハガキを3枚書いて朝飯を食べて、出かけようと思っています。くれぐれも無事故で・・・・。

  「事故車両 修理を終えて 帰郷する 一週間ぶり 懐かし顔を」

  「もう二度と 事故はすまいと 言い聞かす 悪夢ありあり 頭を巡る」

  「大山(だいせん)と 大山(おおやま)呼び名 違うけど
                       どこか似ている気を付けなくちゃ」

  「破損した 痕跡どこも 見つからず たいしたもんだ 餅屋は餅屋」 

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