shin-1さんの日記

○国立大洲青少年交流の家の運営委員会に出席しました

 国立大洲青少年交流の家は、30数年前私が愛媛県青年団連合会の会長をしていた頃、青年の家として誘致に奔走した懐かしい思い出のある施設です。その時お世話になった村上清吉元大洲市長さんも既に亡くなって、北只の地に頌徳碑が建っていますが、当時の坂田道太文部大臣を招いて肱川を見下ろす現在の土地で説明したことが懐かしく思い出されるのです。

 ゆえに大洲青少年交流の家のことは何かと気がかりで、今でも折にふれ出かけては要らぬお世話をやいているのです。

 昨日は現大洲市長さんや、県下各地の関係する代表の方、それに県外からも委員の皆さんが集まり、2時間余り議論を交わしました。はからずも依頼されて議長を務め議論を深めました。

 何年か前までは、会計検査院の指摘などを元にどうすればいい体験プログラムを利用者に提供できるか、知恵を出すことに主眼が置かれていましたが、数年前に国立といいながら青少年交流機構の傘下になってからはどうしたら利用率を高まることが出来るか、数値目標などが示され経営評価に主眼が置かれているようでした。今年からは政権交代もあって事業仕分けの矢面に立たされ、施設存続の基本である「何のために、何をしなければならないか」という、施設の存在そのものを考えさせられる議論となりました。

 今年のテーマは受益者負担のあり方とナショナルセンターとしてのあり方の二つが大きな議論のテーマになりました。施設を利用する利用者はこれまでにも食事代とシーツの洗濯代が徴収されていましたが、来年度からは講師の指導を受けた場合講師料を負担してもらうというのです。藪から棒の発想に私たちのような運営委員は戸惑わないものの、利用者にはまだそのことは知らされておらず、はてさてどういう反響があるものか、按ずるよりかそれとも拒否反応があるのか、少し心配をしています。

 またナショナルセンターとしての役割をといいつつ、事業予算と指導人数を切り詰められようとしている現状では、中々難しい感じを持ちました。思うにマニフェストや事業仕分けなど政治家の思いつきで、教育や福祉の大切な部分がまるでトカゲの尻尾切りのようなやり方をされたのでは、第一線で働く人たちはたまったものではないのです。

 文句を言ってやりたい憤りを感じますが、声なき声に等しい私たちの声は闇に葬り去られることでしょう。一方では政治家の金の問題はなおざりにし、また経済破綻したギリシャと同じように、経済破綻しながら大盤振る舞いの借金予算を組み国民のご機嫌を取って国債を乱発する今の政治には、一国民としてどうしても納得できないのです。

 帰り際分かれた青少年交流の家の所長さんの白髪がこの一年間でめっきり増えたような気がしました。多分国や政治に翻弄されながら苦悩の運営を強いられているための白髪だろうと思いつつ、「頑張って下さい」と声をかけて青少年交流の家を後にしました。


  「この施設 若かりし頃 誘致した ゆえに責任 感じながらも」

  「そういえば 所長の頭 白髪増え 苦労ありあり 同情しつつ」

  「人と金 少なく減らし 頑張れと 言われてみても 力限界」

  「この施設 日本の未来 背負う子を 育てるゆえに もっと支援を」

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