shin-1さんの日記

○八海山の麓にて

 上野発上越新幹線MAXときに乗り新潟県浦佐を目指しました。越後湯沢を出て長いトンネルに入ると日本地図が頭の中に思い浮かび、、日本の背骨だと思われる山脈の下を走っているような気分にとらわれまし。やがて暗闇を抜けると、川端康成の小説の書きだしと同じような「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」という表現がぴったりの雪景色が窓いっぱいに広がり、車内の人の目が一斉にそちらにくぎ付けとなりました。物知りな地元の人が「あれは八海山といって・・・」と簡単な説明を刷る言葉を聞きつ、車内放送と列車の減速にせかされながら降り支度をしました。かつて6年前の秋新潟へ行った時走ったと同じコースなのに、浦佐という駅名は全く思い出せないくらい知名度の低い駅なのです。新潟出身の宰相田中角栄のツルの一声でできたという駅だけあって、駅の周りは田んぼが広がり、どう欲目に見ても新幹線の駅とは思えない雰囲気でした。

若松進一ブログ (新幹線の車窓から見えた八海山周辺の雪景色)

 同行していただいたほくとう総研の清水女史と二人で改札口を出ると、八海醸造の中村企画課長さんが出迎えてくれました。3人で車に乗り込み田んぼの中の道を走りましたが、西に傾いた太陽の輪郭の横に、まるでツルが羽を広げたような不思議な雲を発見しました。私の指さす方を3人で見とれましたが、持っていたカメラで車窓から珍しい光景なので写真に収めました。目で見た興奮ほどには仕上がっていませんでしたが、すごい迫力でした。

若松進一ブログ (鶴が翼を広げたたような雲)

 その日の宿は、八海醸造の会社が保有している宿泊所で、ケヤキ材などをふんだんに使ったこれまたすごい木造建築物でした。昨年2015年問題のシンポジウムが南魚沼市で開かれパネラーで出席しましたが、その折訪れた見覚えのある富岡ホワイトという美術館の前を懐かしく通り、八海山が目の前に迫る凄いロケーションの場所に宿泊所はありました。チェックインといってもその日の宿泊は私一人なので、管理人のおじさんが優しく迎えてくれました。

 私はこれまで、迎賓館といわれるような場所に何度かお邪魔させていただきました。広島県呉市下蒲刈町の竹内町長さんの計らいの迎賓館、岡山県水島の三菱化学が持っている迎賓館などですが、この宿泊所もそれに次ぐ立派な建物で、この家に泊めてもらえることを幸せに思いました。

若松進一ブログ (宿泊させてもらった八海醸造の宿泊所)

 この日わが町では春一番に匹敵するような南西と北西の風が天地を揺るがすほど吹き荒れたというのに、西に沈もうとしている夕日は八海山を優しく照らし、まるでサーモンピンクと表現するにふさわしい優しい容姿でした。室内からは浦窓越しに雪景色と凍った庭池が見えました。

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 中村課長さんと記念撮影をさせてもらいましたが、こんな素敵な光景は地元の人でもめったに見れないということで、ラッキーボーイを自認する私としては、いつまでも記憶にとどめたい一枚でした。

 
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 夕日に魅せられた男に反応してくれた白銀の中の夕日にも感謝しなければなりません。旅先で偶然に見ることの出来た冬枯れの木立に沈もとする夕日も乙なものでした。


  「大鶴が 天空羽根を 広げたる ような雲見て 感激しきり」

  「八海の 麓に一夜 宿を借る 至福この上 無きに等しく」

  「旅先で 夕日までもが 祝福し わが意得たりと 饒舌話す」

  「春はまだ 先のようだな 八海山 雪解けの頃 再び三度」  

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