shin-1さんの日記

○迎え火と送り火を焚く

 わが家は素祖父母、祖父母、父母と数えて私たち夫婦で四代目です。私の長男夫婦、長男の息子と、ただ今六代目までルーツが確定しています。しかも父、私、長男、孫の四代が平成の現代に顔を合わせて生きているのです。私は長生きをした素祖父は覚えていますが、私が二歳の時に亡くなった祖父の顔は知りません。それでも始めて生まれた男の子の跡とり孫をいつも抱いていたと祖母からいつも聞かされて育ったため、私の体にはどこか祖父の温もりが残っているような感じがするのです。こうして先祖のルーツを訪ねながら、毎年お盆を迎えると家の玄関先で迎え火を焚いて祖父母、祖父母、母に加え、徴用先大阪の空襲で亡くなった叔母二人を加えた人たちのお盆帰省を迎えるのです。昭和19年生まれの私には祖父と同じく叔母二人の顔も乳飲み子だったため知る由もありませんが、七人の先祖は今年もやって来ました。私の地域の迎え火は8月14日で、8月15日の夕方にはもう送り火を焚くので、僅か一泊二日の短い帰省なのです。

 私は長男に生まれました。ゆえに子ども頃から長男教育を受けて育ちました。長男は余りメリットがなくかえってデメリットの方が多いので、「何故長男に生まれたのだろう」と、少々親を恨んだこともありましたが、さすがこの歳になる今では、むしろ長男に生まれたことで、この町に生きれ、この町で死んでゆける幸せをかみ締めており、その宿命に感謝しているのです。

 長男の務めの最たるものは先祖祀りです。そしてその役割は長男の私より長男の妻というレッテルを40年前に貼られてしまった妻の役目に、いつの間にかなっているのです。その姿を思い浮かべながら、私たちが結婚する頃流行した「家付き、カー付き、ババー抜き」という言葉を思い出すのです。確かに長男に嫁ぐとこんな煩わしことが付いてくることは分っていて、敢えて長男の夫である私を選んだのですから、妻にとってはこの四十年間大変だったに違いありません。ましてや妻が私と結婚してわが家に来た頃は「家付き、カー付き、ババー抜き」どころか、私の妹や弟などのコブまで付いていたのですから、それはもう尋常ではなかったようです。でも妻は長年の習慣が見に付き長男の嫁らしく何の疑いも無く先祖祀りをしてくれているのです。

 今年のお盆の仏事は10日の8時30分に始まりました。お寺の住職さんが棚業と称して読経を唱えにやって来るのです。そのため前日の夜から座敷ににわか作りの仏壇を用意し、位牌と仏具を仏壇から移動して飾ります。こればかりは男仕事なので私がやりますが、今年は三男が帰省していたため手伝ってもらい事なきを得ました。

10日の朝には、早起きした妻がお料具膳を作って供え和尚さんの来るのを待ちます。和尚さんもこの日は沢山の家を回るので、来るのも読経が終って帰るのも予定通りで、余り無駄口をたたくような暇はないのです。私と妻と親父が座って読経を聞き、線香を手向けました。お墓は主に親父の役目で、墓地の掃除から花立てまで全て親父がお盆を逆算して整えてくれるのです。間もなくその役目は私に委譲される予定ですが、今私は人間牧場に作っているシキビを切り取って親父に渡すだけで事足りているのです。

 昨日の夕方送り火を焚きました。運良く長男夫婦が帰って来たため親父と孫を加えた6人の賑やかな送り火となりました。畑の隅に出て折った麻殻に火を付け、お供えしていたお弁当を置き、線香に火をつけて丁寧に送りました。何時もの事ながら親父は、「来年はわしを送ってもらうかも知れん」と、母の霊に言っていました。毎年のことなので妻が「じいちゃん大丈夫よ」と慰めの言葉をかけました。間もなく1歳の誕生日を迎える孫の目に、沈み行く夕日に向かってたなびく送り火の煙や家族で祈るこの光景はどのように映ったことでしょう。

 長男である息子は長男教育をしているため、盆と正月、春と秋の彼岸には必ずお墓にお参りをしてくれています。長男の嫁の実家のお墓も欠かさずお参りしているようで、私以上に先祖祀りの心はあるようで安心していますが、長男の嫁に仏事の伝承をする日がそろそろ来たようだと、妻は思っているようです。

  「迎え火を 焚いて帰省の 先祖たち ようこそゆるり お過ごしなされ」

  「来年は俺も 送り火帰るかも 弱気の親父 間もなく九十」

  「長男に 生まれて損と 思ってた 今はこの地で 死ねる幸せ」

  「長男の 嫁という名の レッテルを 貼られた妻が お料具供え」

 

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