shin-1さんの日記

○「ふなや」にて

 最近はホテルでの会議が主流になって、公民館や市民会館などのような公共施設利用の会合が少なくなる傾向があるようです。公共説を運営する地方自治体の財政が厳しくなって、「公共施設は無料」という神話が崩れたため、同じ使用料を払うなら少々高くても快適でサービスの行き届いた会場がいいと思うのは無理からぬことなのです。

 昨夕は愛媛県建材同業会総会の記念講演を頼まれて道後温泉の「ふなや」というホテルへ行きました。「ふなや」といえば皇室関係の宿泊場所となる愛媛県随一の呼び声高い由緒のあるホテルです。このホテルを会場に選んだ建材同業会のレベルが推し量れる感じがして、内心恐る恐るの出かけました。車止めから手配が行き届いていて全てかゆい所に手が届く気配りを感じながら玄関ロビーへ入りました。30分前に到着したので総会の真っ最中とかで私は応接室へ案内されました。この応接室は古い建物の一部を復元したもので、壁には昭和天皇以来多くの皇室関係者が、名だたる全国大会が愛媛県内で開催される度に訪れていて、壁にはその写真が幾枚も飾られ、さしずめ資料館という感じです。随所に見られる洋風建築の調度はまさに超一級の感じがしました。また窓の外に目をやるとこれが道後温泉?と思わせる静寂で広大な庭が見え隠れして、何ともいいようのない至福のひと時を過ごさせてもらいました。
(案内された格調高い応接室、壁には宿泊された皇室の方々の写真が数多く飾られていました)
(窓のガラスもアーチ型の入口も、更には窓越しに見える庭の風景も素敵でした)
(大理石でできた暖炉とステンドグラスの調和も何ともいえないレトロな雰囲気です)
(天井の明かりは明治・大正・昭和初期の趣きです)
(四方の窓にはさりげなくステンドグラスがちりばめられていました)

(窓越しに見える庭園の木々もかすかに芽吹いていました)

 やがて案内されて講演会場へ入りました。これまた素敵な会場の設えで、金屏風や吊り下げられた演題が何とも面映い感じです。雰囲気的には多分この一年間で最も素敵な会場の設えではなかったかと思いました。


 話は僅か50分、懇親会の前座といったところでしょうが、それでも与えられた時間をまるでビデオテープを早送りするように早口で喋り続けました。私の場合はその場の雰囲気で話す悪い癖があるので、どんな話をしたのかよく覚えていませんが、それでも反応はあったらしく、その後の懇親会では多くの人と名刺の交換をさせてもらいました。その中には宇和島から駆けつけた橘さんとお話が弾みました。というのも橘さんの奥さんは双海町出身だそうでした。奥さんのお父さんは私の恩師で元下灘中学校の校長をしていた古田竹雄先生なのです。古田先生はも亡くなられましたが、校長時代私が宇和島水産高校の受験の際、わざわざ校長でありながら私一人を連れて宇和島まで受験に連れて行ってくれたのです。忘れもしませんが宇和島城の直ぐ下にある丸重旅館に校長先生と二人で同じ部屋に枕を並べて泊まり、色々な話をしました。運良く合格した時も、昔のことゆえ校長先生が知人に合格発表を見に行くよう頼み、そこから第一報が電報で学校へ届いたのです。

 合格発表のその日、私は構内放送で「三年B組の若松君、至急校長室へ来て下さい」と放送で呼び出されました。不安な気持ちで校長室へ入りました。喜色満面な笑みを浮かべて「合格おめでとう」と校長先生の友人から届いた祝電を、校長先生から渡された嬉しい記憶は今も忘れることが出来ません。もう時効になっているので言っていいでしょが、その当時は車の運転なども緩やかで、福岡先生に許しを得て、先生が通勤に使っていた単車を中学生でありながら無免許で運転し、家までこの合格通知を届けに帰ったのですから、面白い時代でした。

 宇和島での三年間の学業を終えた卒業式の日に、3年間皆勤賞、優等賞、産業教育振興中央会長表彰の三賞を受賞し、お礼に伺った時も、涙を流して喜んでもらいました。晩年は不遇にも火事で奥さんに先立たれましたが、いつも目と声をかけて励ましてくれました。

 飛んだ横道にそれましたが、「ふなや」でのほのぼのとした懇親会を早々においとまして、8時に会う約束の友人と打ち合わせを行なった後、夜遅くわが家へ帰りました。

  「会議など 何処でもいいと 思うけど 雰囲気だけで 話も変わる」

  「何処となく 奥ゆかしさの あるホテル 通され時間 静かに過ぎぬ」

  「道後にも こんな静かな 場所がある 木々は早くも 芽吹きの気配」

  「三級な わが身だけれど この場所に 座れば一級 そんな気がして」

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