shin-1さんの日記

○内子へ行く

 昨夜ぐっすり寝たお陰で昨日までの旅の疲れもすっかり取れて、今日は内子町東自治センターで開かれた自治活動発表会に招かれ、車で出かけました。車になって家の直ぐ前の大通りに出てあたりの山々を見てまず驚きました。里には雪がないのですが、何と牛の峰山や付近の山々は雪で真っ白に化粧をしているではありませんか。「しまった。さっき主催者である東自治センターの林さんから確認お電話があった折、雪の具合はどうか聞いておくべきだった」と後悔しましたが、まあ「行き着くところまで行ってみよう」と思い車を走らせました。曲がりくねった峠の道を登るほどに道沿いに雪が目立ち始め正直「やばい」と思いました。折りしも車のラジオは東京始めあちらこちらで雪が降って、飛行機も欠航が相次いでいるとのこと、また川内~西条間も高速道路が通行止めとかを知らせていました。

 しかしこの雪も局地的なもので、中山から内子には山の頂上付近には雪があるものの道筋には雪など降っていないのです。スノータイヤなど持っていないので助かりました。お陰様で要らぬ心配をしただけで30分も早く会場に到着しました。

 会場にはかつて内子町の助役をつとめた森長さんや旧友亀田さん大森さんなど多士済々で、役場の企画課長をしていた大野千代美さんも進行をつとめるなどまるで仲間内の会合のようでした。

 今日のテーマは「まちづくりからコミュニティビジネスへ」という比較的難しい話のテーマでしたが、何とか役目を終えました。合併も一段落しそれぞれの地域がそれぞれの地域づくりを行っていますが、過疎化の進行による限界集落の問題、少子化による学校統廃合の問題、第一次産業の疲弊による地域活力の低下など地方には自分達の力だけで解決できない大きな問題があるのです。にもかかわらず行政は合併という甘い夢や幻影に誘導しながら何ら手を打つこともなくそのまま放置しているのです。

 最早行政に文句を言うほどの気力や体力もなく住民は諦めの境地に入っているようです。でも宮崎県の東国原知事の口癖のように「どぎゃんきゃせんといかん」のです。行政を責めても鼻血も出ないのですから、宿命と考えず運命と考えて、ポジティブに生きる、そうすれば必ず道は開けると話しました。そして自らも金を出し経済活動をすればコミュニティビジネスはきっと生まれるのです。双海町の漁協女性部のおばちゃんも、菜の花の横に小さなお店を作った妹も、「楽しい」「新しい」「美しい」事へ挑戦したからこそ今生き生きと輝いて生きているのです。

 森長さんの奥さん艶子さんは、そのモデルのような方で、ペンション経営をしていますが、この度ペンションの日本のおかあさん百選に選ばれました。いつも笑顔を絶やさない素敵な方なのです。今日は講演後食事に誘われましたが、所用があって先を急いでいたため艶子さんに出会うことは出来ませんでしたが、コミュニティビジネスは、世の中が縮小すればするほどビジネスチャンスはあるものです。20世紀は田舎が都会に憧れてきた時代でした。21世紀は都会が田舎に憧れる時代です。パソコンなどの道具とも思える苦手なものを学習して見方に引き入れることが出来たら、その領域はどんどん広がって行くのです。いい時代になりましたよ。そんな話をしました。

  「雪山を 見ながら越える 峠道 ラッキーでした 降っていなくて」

  「何となく 暗いイメージ 冬の里 春はもう直ぐ 思えば楽し」

  「元酒屋 押し潰されて 悲しげに 泣いているよな 瓦の欠片」

  「この町も やがて消え行く 宿命か 古老寂しく 独り言いい」  


[ この記事をシェアする ]