shin-1さんの日記

○ある宇和海沿岸漁村の苦悩

 私が漁村生まれで元漁師ということもあって、私の元へは県内の漁業関係者が時々やって来ます。とりわけ青年団や漁業後継者活動の指導で知り合った比較的若い人の数が多く、その人たちは私のアドバイスを求めにやって来るのです。昨日の朝のことです。「今、ふたみシーサイド公園にいるのだが立ち寄ってもいいか」と私の携帯に電話が入りました。私の携帯番号を知っているくらいだから余程の深い知り合いに違いないと思い出掛ける前だったので「少しの間なら」と了解をとって彼はわが家へやって来ました。彼が若い頃県の漁業後継者協議会の役員研修会で知り合ってから付き合いですからもうかれこれ20年以上経っています。あの頃の逞しさはすっかり陰を潜め、病気を患ったという風貌は空気の抜けた風船みたいでどこか元気がない感じです。

 彼の話を要約すると三つでした。まず一つは養殖魚の斃死問題です。宇和海沿岸では連日新聞紙上を賑わせているように今年の夏も赤潮が発生しました。最初は毎年繰り返される軽めの赤潮ギノデマニュームの仕業だと思っていたのですが、意外や意外その勢いは凄いもので、宇和海全体に飛び火し、養殖魚に留まらず真珠にまで被害が出始め、海域全体の被害総額は30億円ともいわれているのです。普通の斃死は沿岸域で沖合い域には及ばないのですが、今年は沖合い域さえも青物が死んでいるというのです。普通斃死の時期には餌を減らせて予防したり、薬剤散布を試みるのでしょうが、環境問題への関心の高まりもあってそれも出来ず、いかだの沖合い移動による移動も中々思うに任せないようなのです。魚の養殖漁業は毎日餌を与えなければ魚が成長しません。稚魚を買い、魚の餌を買って与え、やっと大きくなったと思う矢先の斃死はこれまでの苦労が全て水の泡となるのです。加えて死んだ魚の処分も海に捨てることも出来ず処分費用も相当なものなのです。

 二つ目はこうした慢性的な被害の場合緊急対策として県や市町村が資金の低利融資を行って対応するのですが、相次ぐ被害や長年の不況で資金の融資をしても回収のメドが立たず、資金繰りが悪化して廃業に追い込まれている現状を思えば中々頭の痛い問題なのです。漁協も市町村も漁民の味方のはずなのですが、とりわけ不良債権で漁協運営そのものが立ち行かなくなっていて、苦悩の色ありありです。県は「組合の合併なしでこの急場は乗り越えられない」と、この機会をとらえて盛んに詰め寄ってくるようですが、果たして組合合併が漁民の窮状を救えるかどうか、農協合併や市町村合併の前例を見ている漁民からは根強い反対運動もあって合併寸前にご和算になった話もよく耳にするのです。最近は資金力を持った漁業産業がこうした浜を狙い撃ちし、漁民を雇用者として使う、かつての網元制のようなものが復活しているとも聞いています。

 三つ目は漁村の活気がなくなりつつあることです。農業に比べ鉄壁の団結を誇っていた漁村のコミュニティも過疎と高齢化、少子化、それに有能なリーダー不足で漁村そのものが危なくなっているようです。若者が溢れるほどいた漁村はもう遠い昔の思い出でしかないのです。

 こうした現状を踏まえ、さておらが漁村をどうするか、彼が私に求めたアドバイスはここからなのです。解決方法は二つ、一つは日本全国の漁村が戦後辿ったように漁村の暗い未来に決別し外に働きに出かけるか村を捨てるかです。もう一つは今なら間に合う漁村の改革を始めるかです。前者はいつでも出来る安直な考えです。後者はいいに決まっている解決方法なのですがそれなりの覚悟と苦しみが伴うのです。その漁村はまだ千人もの人が暮らしていて40億円の漁業売り上げがある地域なのです。私はふと高知県馬路村を思い出しました。今をときめく馬路村と同じ人口を抱え、売り上げは馬路村より上なのです。やり方によっては馬路村の上を行くかもしれません。ただしこの村には負の部分が馬路村より大きいのですから、それをどうするかが知恵の出しどころでしょう。

 結論は出ませんでしたが、村の行く末を思って相談に来た彼は立派だと思いました。村に住んでる高齢者が安心してあの世に行ける村を作らなければなりません。私が育った漁村も右肩下がりですが残念ながらその事に気付かず、今をテーマにしか村づくりができないで、不安や不満が渦巻いている姿を見ると、相当な荒治療をしない限り日本の漁村は十年後確実に消える運命にあるのです。

  「いつの世も 厄介問題 次々と それを乗り越え 人は歴史を」

  「元漁師 こんなレッテル 剥がさずに これから先も 私は生きる」

  「この村を どうかしたいと 相談に お前はどうする 俺はこうする」

  「ああ悲劇 明かりの消えた 空き家あり 墓地さえ草に 埋もれし漁村」


[ この記事をシェアする ]