shin-1さんの日記

○無人島探検記・ルポ③

 さあ久しぶりに無人島探検をして見ましょう。

 手に手に草刈り鎌を持ち豊田さんの案内で無人島キャンプ当時の足跡を追ってみました。まず潮池から北側の海へ出ました。この道は踏みつけ道があって子どもたちが自由に往来していましたが、既に野ばらが生い茂り少し窮屈な道になっていましたが、先陣を切った豊田さんが鎌と剪定ハサミで道を確保してくれお陰で大助かりです。その後雌由利と雄由利を結ぶ突堤に出てその上を歩きました。

 雄由利は以前より海岸線も美しくなったような雰囲気でゴロゴロ丸石の海岸が灯台岬の方まで綺麗に伸びていました。写真に撮ると美しいのですが砂浜にはゴミがかなり打ちあがり美観を損ねていました。

 子どもたちがドラム缶の風呂や炊事に使っていた場所には広葉サボテンが群生していて、黄色いサボテンの花が綺麗に咲いていました。訪れて見る人もないオニユリやサボテンの花ゆえにいとおしく感じ、みんな写真に収めていました。

(このサボテンには多くの刺があり、触ると目に見えないような刺が手袋を通して無数に突き刺さり、中々抜けない厄介者なのです。綺麗な花には刺があるのでしょうか。無人島キャンプではこのサボテンをステーキにして焼肉のタレで食べましたが中々美味でした)

 昔は無人島になんでこんな物があるの?と想ったものが二つありました。一つは由利神社です。かつて由利千軒といわれるほどにイワシ漁や潮待ち港として栄えた名残でしょうか、石垣で囲った立派な神社がありました。しかし長年の風浪に耐え切れず、傷みがひどく今度来るときには完全に潰れるのではないかと危惧するほどの傷みでした。豊田さんと私は雲の巣を払いながら奥へ進み、敬虔な祈りを捧げました。

(一番奥が本殿で、本殿は瓦葺の社殿でスッポリ覆われていました。鳥居や石碑もかなり痛んで今にも倒れそうな雰囲気でした。

 もう一つは公衆電話のボックスです。由利島は昭和40年代に無人島になりましたが、無人島になった跡も何故か公衆電話があったのです。携帯電話のなかった私たちが無人島キャンプを始めた頃は唯一暖簾連絡手段として大活躍でしたし、その頃は無人島に公衆電話が何故あるのかという疑問がクイズ番組などで度々紹介されていました。そんな話題性もあって無人となった民家に置いてあった公衆電話専用のモダンな電話ボックスが出来ましたが、それも今は傾きかけ、海底ケーブルの故障によって今は取り外されて久しいのです。

(かつての公衆電話ボックス)

 私たち一行は電話ボックスの前から壊れた民家の前の道を通って井戸まで進みました。この道では嫌な思い出があります。井戸からドラム缶の風呂までかなりの距離をポリタンクに水を入れて運ぶのですが、これがかなりしんどい仕事でした。子どもたちは蚊の大群に悩まされながら背負子を背負い何度も何度もこの道を歩いたものです。私はこの道を下見で訪れた時仲間たちと草刈機で道刈りをやりましたが、その時スズメバチの巣に知らずに草刈機を突っ込んでしまい、蜂の大群に追いかけられ頭と顔を数ヶ所刺され、顔が倍くらい腫れあがったことがありました。明くる日県民文化会館で環境のシンポジウムがありパネラーとして登壇しましたが、参加者の笑いのネタにされてしまいました。しかし私はひるむことなく「私の顔が今の地球の環境と同じです」と一蹴し大きなインパクトを与えた感心させたことを思い出しました。



(井戸に通じる道、この道を何度通ったことでしょう)

 思ったよりスムーズに井戸まで到着しました。井戸は今も底に水をためていましたが、井戸の中の石垣には草が茂って神秘的でした。ここでも無人島ゆえリーダーとして参加した女性陣がこっそり深夜に水浴するのですが、水汲みに来た折月明かりで彼女たちの全裸姿を見てドキドキしたのも昔の過ぎし思い出です。この井戸を何年か前エンジンとポンプを持ち込み井戸替えした子とがります。「井戸は井戸主というのがいるからバチが当って井戸が壊れて生き埋めになるかもしれない」というデマを真に受けて誰もい井戸底に入らず、結局は私が入りました。水をくみ上げた井戸底から覗く丸い夏の青い空の美しかった思い出は忘れることは出来ませ。

(井戸の様子を感慨深げに見る探検隊のメンバーたち)

(探検の目的地にて記念写真を撮りました)


 スカートをはいた女子先生のことも話題の一つに上りました。本人の名誉のため名前は伏せますが、私の忠告も聞かずスカートをはいてさっそうと無人島に乗り込んできた若い女子先生の股間に蚊の大群が押し寄せ、それはもう大変なことになりりました。結局大統領の私がスカートをまくりパンツを見ながらムヒを塗ってやりましたが、今は結婚して母親になっていると北本の仲間から近況を聞かされ、ほろ苦い思い出に思わず苦笑してしまいました。

  「梅雨晴れて 鎌を片手に 島探検 あれこれ話す 思い出話」

  「道渕に 潰れし小屋の 寂しさよ 住む人絶えて 久しからずや」 

  「俺たちの 命の水と なりし井戸 今は夏草 底さえ見えず」

  「俺だって 踏みつけ道の 一翼を 担いこの道 今にあるのだ」 

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