shin-1さんの日記

○タバコをのまない人には理解できない風景

 私は生まれてからこの方タバコをのんだことがありません。高校生の時先輩からタバコをのめと言われ拒否したら殴られました。それでも私はたばこをのみませんでした。高校の同級生がタバコをすっているのがバレて謹慎処分を受けた時も、「タバコで謹慎処分なんて馬鹿らしい」と言った記憶があります。

 昔から「タバコは百害あって一利なし」といわれますが、今はタバコを吸う人を蔑んだりしないし、同じ部屋でタバコを吸われても別に嫌だとは思いませんが、今日市役所に所用で行った時、ある住民から「あなたは役場の職員だったのだから外でタバコを吸っている人に注意しなさい」と唐突に言われました。その人の言うのには「市役所の外で職員が灰皿の置いてある場所にたむろしてタバコを吸っているのを見て、あなたは何も感じないのか」と言うのです。「気がついたら自分で言いなさい」と言いたかったのですが、それも出来ず、少し後ろ髪を引かれる思いで帰って来ました。

 市役所は多分禁煙でなく分煙だと思います。灰皿のある喫煙場所での喫煙は認められているのです。喫煙者の権利に配慮したこの判断は正しいと思うのですが、さて昼食時や休憩時ならいざしらず、仕事中に吸うことは如何なものでしょう。役場を辞めた私は極力役所には行かないようにしています。何故ならかって私が役場に勤めていた頃役所を退職した先輩が、朝な夕なやって来て、やれコーヒーを入れてくれとか、この仕事をしておいてくれとか、こちらの忙しさもお構いなしに土足で踏み込んで来られたものですから、私はあんな先輩にはなるまいと心に決めていたのです。自治会長をしているので呼ばれたりしますが、その場合もカウンターの外で極力要件を済ませることにしています。

 合併して9ヶ月が経ちました。人事交流とかで旧他市町から来た職員も、最初は緊張からか控え目な行動でしたが、今は時間中m堂々と喫煙するようになって、喫煙場所は沢山の人が群がっているようです。ある人がこれを見て「タバコを吸う時間の給料を差し引いたらいいのに」なんて話していました。

 タバコは嗜好品で、タバコを吸うと精神が落ち着くことは仕事の能率を上げる意味からも大切なことですが、だからといってむやみやたらと時間中に飲むのも如何なものでしょう。

 そこで提案です。合併によって支所化された役所は空き部屋が随分できたはずです。どこか一室を喫煙室にして、集煙機を置いてあげると見た目にもいいのではないかと思うのですが・・・・・・・。

  「時間中外でタバコを吸い駄弁るあんたの時給幾らですやろ」

  「スパスパとタバコ飲めたは昔事今は肩身の狭い思いで」

  「止められぬおかしい俺は七回も止めたぞタバコ今度は禁酒」

  「胃を切るが酒は別腹飲み始めいのち縮むは側の奥さん」

  

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shin-1さんの日記

○笑いのある人生

 私は駄洒落が大好きです。少し変な雰囲気になった会合でも駄洒落を連発すると、「寒むーい」なんて時もありますが、殆どは会場が和んだ雰囲気になるものです。笑いのない人生は「クリープを入れないコーヒー」と同じで、まろやかさがありません。でも笑いって本当に奥が深いと思います。

 最近のテレビのお笑い番組は、殆どが下品でどうしても笑わせようとする姿がありありで、時にはやらせが問題になることすらあるのです。品の良い笑いは相手の心が思わず和むものなのです。

 今日の新聞に萩本欣一さんの面白い言葉が載っていました。萩本さんはかつて坂上二郎さんとコンビを組んだコント55号として、お茶の間の人気者でした。萩本さんに言わせると「笑いは風」だというのです。「空気や水はないと困るけど笑いはなくても生きていける。でも風と同じで絶対にあったほうがいい」そうで、的確な表現だと思います。

 萩本さんは野球のクラブチーム「茨城ゴールデンゴールズ」を立ち上げ監督を務めています。笑いと野球は水と油のような関係だと思うのですが、野球に笑いを取り入れ、キャンプ地に活力を与えたり、野球の楽しさを確実に増やしているのです。

 「風は強すぎると害になり、風鈴を鳴らせば喜ばれる。笑いは風だから心地よければいいが、それが難しい。生涯勉強なんです」という、お笑いプロの萩本さんの言葉は深い意味があると感じました。私たちは日々の暮らしの中で、どれ程相手の心を和ませる笑いの心を持っているでしょう。

 先日生涯を独身で通している町内の女性に出会いました。「若い頃は連れ添いも子どももいない暮らしは快適でした。人はチヤホヤしてくれるし、儲けたお金は全て無駄がなく全部自分の自由になる、これほど楽しいことはありませんでした。正月など気の会った仲間と旅に出て美味しいものを食べ楽しかったです。でも定年になって自分の暮らしが一変しました。周りを見たとき自分の話し相手がいないのです。そして自分が一年中殆ど笑わないで暮らしていることに気がついたのです。今頃気がついて、多分若気の至りだったのでしょうが、寂しい人生だったと反省しています」

 この話を聞いた時、笑いのない人生がいかに味気ないかしみじみと考えさされました。

  「ラッキョウが転げて笑い屁で笑い笑い絶えないわが家明るし」

  「電気つけ幾ら明るくしたとても笑い消えたら真っ暗闇です」

  「ひょっとことおかめの顔したわが夫婦だから今日まで面も取らずに」

  「孫ひとり増えただけでも百ワット明るくなったよワッハッハのハ」

 

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○辛さと幸せ

 この2字を見てよく似ているなあと何時も思います。鍋蓋と土蓋だけでこうも意味合いが違うものなのでしょうか。鍋蓋は辛いと読みます。鍋の中のお湯がグラグラ煮立てば熱くてたまらなく、本当に辛いのです。一方土蓋は幸せと読みます。人の名前にも幸子という名前が付いているくらい人々は幸せを求めています。多分土の持つ温かさや包容力、植物を育てる土の力が幸せをもたらすのだと思います。

 私たちは仕事をする場合、人に命令されたりその仕事に身が入らないと辛さを感じます。一方自分の意思で使命感に燃え進んで仕事をすると幸せ感を味わうことができます。辛さと幸せのどちらを与えれば仕事の効率が上がるかは誰が考えても一目瞭然ですが、実は世の中幸せに暮らしたいと幾ら思っても以外と辛いことが多いのです。

 私の経験でも辛い仕事は随分ありました。町を二分するような町名変更騒動を担当した時は、側で見かねた妻が「そんな辛い仕事なら辞めたら。私も働くから」と助け舟を出してくれました。今考えても辛い仕事だったと思います。まt夕日をまちづくりのテーマにすえ、シーサイド公園を建設する時も「何処にでもある夕日が何故双海町の地域資源なのか。巨額の投資をして人が来なかったり赤字になったらどうするのか」と沢山の反対に会い、孤軍奮闘辛い日々を過ごしました。

 でも私には希望があって辛い仕事を辛いと思わず、辛い仕事の後には必ず幸せがやって来ると信じて、決して逃げることなく、辞めることなく幸せの青い鳥を追い求め続けました。結果は鍋蓋の蓋が取れ、土蓋に変わったのです。

 こんな公式を思い出しました。①与える幸せ-与える辛さ>0 ②与える幸せ-与える辛さ<0の2種類です。①派辛さを与えるより幸せを与える方が大きい働き甲斐のあるやり方です。②は辛さの方が大きい働き甲斐のないやり方です。私の場合は世間の風は冷たかったのですが、家庭やトップの温かい励ましが①の方式を生んで行きました。いい家族、いいトップに巡り会うのもまた幸せの第一歩なのです。

  「振りかえりゃ何でもないと思うこと何であんなに辛かったのか」

  「幸せと辛さ文字まで良く似てる表幸せ裏なら辛い」

  「幸せは皆身にあると人は言う心持ちよで辛く感じる」

  「一生は辛さ幸せ交互来る足して二で割りゃ皆同じなの」

 

 

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○進化論

 人は生きている限り成長するものと思っていましたが、あにはからんやある一定の年齢に達すると成長が止まり、むしろ老化するものであることをこの頃になって思い知らされるようになりました。人間の肉体は25歳までが成長の限界で、それからは老化をたどる話を聞いてそんなことはないだろうと、若い頃は疑問を抱きました。でも医学的には本当だそうで、61歳の私だと相当老化が進んでいるものと思われます。

 しかしこれは医学的な細胞の話であって、肉体や体力が衰えても精神的には努力すれば進化続けるのではないでしょうか。

 もし私が60歳の定年で職場や社会、文化文明から隔絶されて何も学ばないとすると仮定すれば、進化はおろか退化の道を進んでゆくでしょう。しかし私が60歳の定年を人生の転機と考えて、新しい目標を持ち今まで公務員がゆえに制約されたあらゆるものから解き放たれてチャレンジすれば、どの程度か分かりませんが進化し続けるのではないかと思うのです。

 私の進化に必要な栄養は人と環境です。幸い私には様々な人間模様を持った人たちとの数多い出会いがあります。中には私のように進化し続けたいと学んでいる感化人間がいっぱいいます。3月に退職し4月から始まった僅か9ヶ月の間に、今までの公務員生活では多分出会わなかったであろう人にも沢山出会ってきました。その人たちは私に大きな影響を与えて私の進化の手助けをしてくれています。

 もう一つ、進化に必要な条件は環境です。私が続けている出会い探しの旅も環境の一つだろうし、パソコンや読書による知識の習得も環境、家庭や人間牧場、地域社会、自然も環境です。自由人になったこの4月から私の周りの環境は大きく変化し、進化し続けています。

 進化は自分の持続可能な進歩意欲がなければ自分の進歩を自分が感じませんし、何よりも大切なのは周りの人が進化を認めるかどうかでしょう。

 私は私の進化論に基づいてこれからも進化し続けたいものです。

  「久しぶり会ったあなたは進化したそう言われるよう元気頑張る」

  「60年会ったことなき人に会う教えいただき更に進化を」

  「寝る時間割いて学んで知恵磨く金にもならぬ夢を追いつつ」

  「出来ないとやらない言い訳並べ立て一日終わるそれも人生」

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○面白い孫の話

 年末を帰省先(娘婿の実家)で過ごした孫が帰るので、飛行場まで妻と二人で出迎えに行きました。娘婿は大学の先生なのでもう少しゆっくりするらしく、親一人子一人の親孝行なのでしょう。

 年末に娘婿の実家に電話して孫の声を聞きましたが、面白い話を耳にしました。電話口に出た孫は私に「どこのじいちゃん」と唐突に聞くのです。「えっ」と思ったのですが、後の説明で謎が解けました。実家の祖父、つまり孫のおじいちゃんは亡くなっていますので、おばあちゃんがいるのにおじいちゃんがいないことを不思議に思っておばあちゃんに質問したそうです。

 「おばあちゃん。おじいちゃんは何処にいるの」との質問に、おばあちゃんは「おじいちゃんはお空の上にいったの」と説明したそうです。すると孫は「おじいちゃんはお空からいつ帰るの」、おばあちゃんは「もう帰らない」、孫「それは寂しいことでしょう」、おばあちゃん「・・・・・・・・・・」。

 子どもは「何故何故」で知恵がつくといいますが、「それは寂しいことでしょう」とは、いやはや参りましたとおばあちゃんの言葉でした。しかし僅か3歳の子どもが「それは寂しいことでしょう」なんて言葉を言うのですから、驚き以外の何ものでもありません。子どもの成長はまるで雨後のタケノコです。一週間逢わないと驚くような言葉や仕草をします。それに比べ我が家のおやじは88歳の高齢ゆえのことでしょうが、古くなった電球のように少しずつ暗くなるような毎日です。仕方がないことかもしれませんが孫の成長と親父の老化は人間の一生の変化を見ているようです。

 「おじいちゃん寂しかった?」と飛行場まで出迎えた私に質問、「うん朋君がいないとさびしかったよ」、孫「朋樹も寂しかった」、孫の言葉は見え透いたお世辞でなく心からなる本心でしょうが、うれしいものです。「朋君誰と寝る」、孫「おじいちゃん」・・・・・・。

 今日は母親が病院勤めの日なので孫はわが家預かりです。ストーブの前で遊んでもらいます。

  「じいちゃんは何処に行ったの孫が聞くお空言ったら帰りはいつと」

  「孫伸びる雨後のタケノコそっくりに今日も驚き新らし発見」

  「孫伸びて爺が縮む家の内俺は真ん中伸び縮みせず」

  「孫去りし実家寂しく飯を食う孫来た家はまるで蜂の巣」

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shin-1さんの日記

○会社を辞めたい人の言い分

 私の知人奥さんからある相談があると電話がかかってきました。コーヒーを飲まない私ですが、指定されるままにある喫茶店へ出かけました。主人は役場に勤めて20年の中間管理職です。奥さんの話を要約すると、正月休みの昨晩、主人が役場を辞めたいと言い出した。唐突な話の中には「俺にはもっとやりたいことがある」「目標を見失ってしまった」「俺の言うことを課長は聞いてくれない」「このまま仕事をしていいのか不安である」「給料が上がらない」など、沢山の今を否定するような言葉があったのだそうで、眠れぬ夜を過ごしたらしく、目を真赤に腫らして泣いていました。

 奥さんは「子供が3人、今は教育にお金もかかるし、私も働くから辞めないで」と言ったのですが、ご主人の決意は固く、辞表まで書いて仕事始めに持っていくということでした。

 ただ事ではないし、辞表を出せば今の社会は止めもせず一巻の終わりだからと私に助けを求めてきたのでした。「話は分かった。出来るか出来ないかご主人に話をしてみましょう」と言わざるを得ない雰囲気で、「とにかくご主人に私の家へ来るように伝えてください」と言って分かれました。

 昨日昼過ぎその男性は私の家へやって来ました。論客の彼は難しい表現でおおよそ次の5つをまくし立てました。奥さんの話と一致していました。

 「自己実現」がしたい。公務員のような縛られた生活が窮屈である。成果を実感出来る自分で商売がした。

 「目標を喪失」した。町を良くしたいと思って役場へ入ったが、自分の目標とは程遠い逆々の職場へ配属。

 「上への不振」を持っている。課長と部下の板ばさみ。特に課長とは上手く行かない。 

 「将来への不安」がある。このままで自分の将来は終わらせたくない。

 「待遇」が悪く、妻からも給料が安いといつも文句を言われる。

 本人の口から出た言葉は、多分日本の中間管理職の誰もが、そして会社を辞めたいと思っている人のおおよその言い分だと思うのです。

 私は彼の話をじっくり聞き、妻が出したお茶請けの煎餅を机の上に並べて、町、職場、家庭の人間関係について話してやりました。自分という人間の重要性と自分を巡る人間関係について煎餅を動かしながら様々な角度から解き明かしました。彼の言い分には「自分という物差し」でした。彼には上司に部下という職場、奥さんと子供という家庭、役場職員と町民など様々な人間模様が隠されています。自分という物差しでしか自分の人生を見れない人間では大人とは言えないと厳しい口調で激論しました。多分彼の意志の固さを解きほぐすには時間がかかるでしょうが、「辞表はそれからでも遅くない」ととりあえず彼は帰って行きました。

 役に立ったか立たなかった、結論はまだ先送りされたままですが、一応奥さんに電話でことの成り行きを報告してたった今、受話器を置きました。悩み多い2006年の幕開けです。

  「辞めるとはただ事ならぬ出来事と思わず受話器涙の声に」

  「ぬくぬくと暖房効いた部屋中で仕事が出来る感謝をせねば」

  「物差しを沢山持てる人になれ私の教え今は聞こえず」

  「私など辞表を書いた記憶なし根明の私にゃ理解が出来ぬ」

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shin-1さんの日記

○3つの実行

 私は35年間の公務員生活を比較的部下の少ない部署を歩んできました。教育委員会(公民館)、産業課、企画調整室、地域振興課、教育委員会と5つの部署でしたから、異動もそんなに多い方でもありませんでした。最後の教育長という職は学校や給食センターなど、部下といえるかどうかは分かりませんがそれなりの人数がいましたが、地域振興課など課長職の自分以外まったく部下のいない、日本で一番小さな課だと自慢するくらい部下ゼロの職場でした。

 したがって課長補佐職10年、課長職12年は部下の管理という職にありながら、余り部下の数はいませんでしたから、上下の人間関係で悩んだ記憶はありませんでした。

 そんな私に先日、管理職研修セミナー講師を依頼され出かけました。講義が終わって質問形式になった時、ある課長さんから「私は出先を含めると30人の部下を持っています。最近の人間は組織という縦社会を認識することもなく、世話を焼かせて困ります。部下の操縦方法を教えてください」と質問されました。

 最近はこんな課長が多いと思いつつ、質問の中にある二つのことを前置きしました。まず「組織は縦社会」です。確かに命令系統はピラミッドであり課長が頂点という意識は必要でしょうが、人間関係は縦軸と横軸とで成り立っていることを認識せねばなりません。課長の指示が補佐や係長という中間管理職にどう反映されているのか、組織には2層3層、時には4層の組織が内蔵されていることを考えねばなりません。さらに質問にあった「世話を焼かせる部下の操縦方法」とはいかなるものか、人は服従操縦の対象物ではなく、信頼されると動くものであることを話しました。

 その上で、私が係長として始めて部下をいただいた時にやった3つの方法を話しました。「仕事を好きにさせる」「職場を好きにさせる」「人間を好きにさせる」でしたが、部下は真面目な性格でこの3つを忠実にこなし、今は人もうらやむいい課長さんになっています。全ての人間がこう上手くは行きませんが心がけとしては必要で、「仕事」「職場」「人間」のどれかでもクリアできればそれを伸ばして、それを武器にさせながら育てれば必ず育つものです。

 「職場の人間関係も平職員から見た社会と、管理職員からみた社会とではまったく逆の関係ですから、自分が部下だった頃のことをもう一度思い出して努力してください」と結びました。先日その課長さんから一枚のハガキが届きました。「いいアドバイス有難う」でした。

  「俺課長俺の言うこと全部聞けそんな課長の言うこと聞かず」

  「好きでない人はあなたを嫌いです好かれるコツは好きになること」

  「酒飲んで課長の悪口言った後ここだけ誰にも口止めしたが」

  「これをしろ命令されると頭来る君しか出来ない言われ進んで」

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shin-1さんの日記

○やりたいこととやれることは違う

 私たちは何時も、あれもしたいこれもしたいと夢を持って生きています。しかしその夢も、所詮かない夢で終わってしまうのも数多くあります。子供が子どもの頃に描いていた野球選手やサッカー選手には誰でもなれる訳ではないのですから、気がつけば普通の人間になって日々あくせく働いて、「こんなはずじゃあなかった」と失望したりするものです。中には描いた夢や望みを捨てきれず、身を持ち崩す人だっているのです。

 今は教員になりたい人がいっぱいいます。ところが今は教員は狭き門でなりたくてもなれません。毎年のように大学の教育学部を卒業した人がどんどん狭き門に押しかけます。また一度ならず二度三度と浪人をした人がこれまた狭き門を目指し、死に物狂いで挑戦してきます。

 教育の世界に少しだけ手を染めていましたので、そんな若者を随分見てきました。「頑張れよ」と励ましたこともあります。特に講師をお願いした教員の卵たちには期待を込めて励ましたつもりです。でも結果が出なくて去って行く若者を送る時は言葉のかけようがなく、寂しい思いを随分しました。

 私のように定年年齢を迎え、今春で職場を去る人が周りにはいっぱいいます。「若松さん、あなたのような自由奔放な生き方が夢だし、あなたのようなセカンドハウスを私も持ちたいのです」と、ブログを読んだ数人から年賀状が届きました。その人たちも後3ヶ月で職場を去るのですが、去る頃に「さて俺はどう生きようか」なんて甘い考えではやりたいことは成就しません。現役の頃から常に目線を高くして自分の人生や将来を見つめたり、考えたりしないと「やりたいこととやれることは」違うのです。

 「セカンドハウス」を持ちたい」というやりたいことはは分かります。セカンドハウスを持つには、自分自身の信念の強さとともに家族の理解や周囲の理解、資金などが不可欠なのです。私とていとも簡単に人間牧場を作っているように見えますが、信念と周りの葛藤は相当なものなのですから・・・・・・。

 「やりたいこととやれることは違う」ことを考えながら退職してください。

  「違うものやりたいことやれることやれる実力今から準備」

  「本当は回り道した若者に教員なって生きる力を」

  「セカンドやセミリタイアは何となく中途半端な気持ちせんでも」

  「みんな言う俺の生き方オンリーワンそれをやらせる妻は偉いと」

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○福袋

 「ねえねえ、見て見て」外出先から帰った妻が大きな福袋を提げて帰ってくるなり私を居間へ呼ぶのです。何事かと思ったら何と福袋を開けていました。「この金額でこれだけ入ってるのだから安いよねえ」と私に相槌を打たせながら「あなたのために買ったのよ」と、私は頼んだ覚えもないのに押し付けがましく言うのです。

 この状態は毎年正月の出来事として妻の行動を見続けてきましたが、「アーまた今年もか」と半分諦めています。女性は、いや妻はどうしてこうも福袋に憧れるのでしょう。毎年のことながら少し期間が経つと「やっぱり福袋は余り使えるものがない」などといちゃもんをつけて正月気分が抜けるのです。

 それにしても最近の福袋は、金額からするとかなり高価なものが入っているようです。おまけに金額3千円以上買った人は福引が引けるそうで、妻は何と3千円の商品券を引き当てて「こいつは春から縁起がよい」とホクホク顔でした。結局はその商品券も買い物に同行した息子嫁にプレゼントしたのですから、計算の合わない高い買い物をしたとしか言いようがありません。

 まあ福袋一つで目くじらをを立てることもないのですが、私はこの正月は金を全然使わない目標を立てていますので、妻の無駄遣いが何となくしゃくにさわって仕方がないのです。

 正月のテレビ番組は何故かバラエティ番組ばかりで、飽きちゃいました。正月のおせち料理もまだ二日目なのにもう飽きちゃいました。妻の行動には飽きちゃうばかりか諦めました。

 「正月は冥途の旅の一里塚目出度くもあり目出度くもなし」という句がありますが、今年の10月にはまた歳をとることになり、この句の意味が分かるようになりました。

 年賀状は相変わらず多く、500枚出して約千枚来たのですから失礼をした人が多く、新春早々悩みがまた増えました。これも過渡期だと諦めています。年賀状を下さった全国の皆さん「ハッピーニューイヤー、若松進一は今年も元気」です。

 今年の正月はゆっくり休みたいと、成人式の講演を依頼されても「あいにく予定があって・・・・」と断ってしまいました。9日までは人間牧場の山ごもりのつもりですが、仕上げないといけない原稿もあって休めそうにもありません。でもこんなにわがままな自分でいいのか、初めて味わう正月長休暇です。

  「正月は何時まで休みと問われたら何時も休みと少し胸張り」

  「口開けてお笑い番組見て過ごすこれで良いのか総アホ日本」

  「福袋並んで買って持ち帰る束の間ワクワク変えればガッカリ」

  「初夢は何を見たのか早忘れ俺もいよいよ認知されそう」

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○久しぶりの金毘羅さん初詣

 私たちの町は漁村です。「縁起を担ぐ」という言葉がありますが、縁起を担ぐ漁民にとって金毘羅さんは大きな信仰対象の神様です。その昔交通が不便な頃は金毘羅さんに滅多に行くことも出来ないから、それぞれの地域に金毘羅さんの遥拝所が設置されていました。今はそのことを知っている人もお参りする人も少なく廃れようとしていますが、潮風ふれあい公園には立派な金毘羅さん遥拝所が残っています。

 私たちが子どもの頃は、夏になると新造船が船降ろしをすると船に乗って金毘羅さんへお参りする風習がありました。滅多に県外へ出ない子どもの頃のことなので、胸をときめかせて乗りました。多度津か丸亀の港に着いたら琴参鉄道に乗り金毘羅さんで下車後長い石段を、お土産屋さんを眺めながら上がったものでした。

 双海町を午後8時に出発し高速道路を使うと約2時間で金毘羅さんに着きます。息子夫婦と私たち夫婦、それに次男の5人が行きましたが、次男はあいにく車に弱く酔って車の中で休憩と相成りましたが、夜の金毘羅さんの石段を汗をかきかき登って行きました。妻はフーフーいいながら遅れ気味、私も朝から鍬を持っての農作業の後なので多少きつく感じましたがそれでも30分余りで本殿に到着しました。

 さすが森の石松さんも代参に来ただけある天下の金毘羅さんだけあって、夜だというのに引きも切らずの参詣の人たちに出会いました。でも殆どのお店は初詣の喧騒が去った後で、早い店じまいをしていました。

 何年ぶりかの参拝は新婚夫婦と一緒でしたので、少し歳をとった感じがしましたが、一年の始まりをこうして元気にお参り出来た幸せを感じています。

 しかし宗教信仰は大したもので、参道の両側には御影石に一金壱百万円と深く刻まれた寄進標柱が山頂まで立っており、それを見ながら「ある所にはあるものよ」「私たち庶民には」などと話しながら登るのです。御影石の石灯篭寄進も数多く、「○○社長××」などと明らかにPR用の寄進と分かる物も数多くありました。「あの会社の隆盛はさぞかし」と思うやっかみも少しありました。

  「石松も登った階段一つずつ数えてみたが数えきれずに」

  「俺の名も先祖の名前も刻まれぬ標柱読みつため息吐息」

  「手を組んで歩こう妻の大胆さ人が見てると振りほどき前」

  「讃岐路はうどん看板これでもかブームはいつか去るというのに」

 

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