人間牧場

〇足摺岬への小さな旅(その2)

 足摺岬は、私が敬愛する歴史上の人物ジョン万次郎のふるさとです。ゆえにこれまでに何度も生家のある高知県土佐清水市中の浜やジョン万次郎記念館、立像の建つ足摺岬を訪ねています。足摺岬へ行くのには、四万十市を経由するルートと、宿毛市を経由するルートがありますが、行きは大月町・宿毛市を経由するルートを走りました。そんなに急がない夫婦だけの小さな旅なので、昼頃に到着すればいいと思っていましたが、ほぼ予定通り11時半頃に足摺岬に到着しましたが、駐車場が満車状態で多少待たされたものの駐車でき、椿のトンネルを抜けて灯台まで歩きました。

四国の西南端足摺岬

足摺岬に建つジョン万次郎の像

椿の小路

足摺岬の展望台から見える絶景スポット

太平洋の岸壁に打ち寄せる波

灯台をバックに

海も奥さんも・・・

 昨日の足摺岬は四国の最南端といわれるだけあって、絶景スポットといえる展望台から眼下に見える太平洋も、仰ぐ空も抜けるような青空でした。昨日は連休中日にしては館顧客の数も比較的少なく、持っていたタブレットで、嫌がる妻をモデルに何枚か写真を撮りましたが、「恥ずかしいからブログにだけは載せないでね」と釘を刺されたものの、勝手にアップしてしまいました。それにしてもこの海でジョン万次郎は遭難し、鳥島まで流されたところを捕鯨船の船長ホットフィールド船長に助けられてアメリカに渡り、艱難辛苦の末帰国し、明治時代に活躍したことを思うと、胸が熱くなるようでした。

 かくいう私も50数年前の高校生の時、宇和島水産高校の実習船愛媛丸に乗ってこの沖合を航行し、赤道を超えて珊瑚海まで遠洋航海しているのですから思いは格別です。思えば私たちの住んでいる瀬戸内海も、豊後水道を超えてこの太平洋とつながっているのだと思うと、なんだか不思議な感じもします。私は今年の夏妻と四国最西端の佐田岬の灯台が100周年を迎えたというので訪ねました。今年中に東端にある室戸岬へも行ってみたいと妻に懇願されました。これから忙しくなるのでいつになるか分かりませんが、狭い日本といいながら四国も広いなあと思いました。

  「足摺の 岬にすっくと 万次郎 アメリカ向いて 建っていました」

  「この海で 遭難漂流 鳥島で 捕鯨船長 運命出会い」

  「最南端 足摺岬 絶壁で 白い灯台 沖合照らす」

  「50年 前にこの沖 実習船 乗って遠洋 航海出かけ」  

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〇頂いたポポー

 昨日、昔道の駅シーサイドふたみの所長をしていた大野さんとバッタリ出会いました。その折ポポーの実をいただきました。聞けば奥大栄という大野さんが生まれ育った集落には、野生種のポポーがあるそうで、奥さんと二人で採りに行ったらしく、その場で熟れたポポーの実を試食させてもらいましたが、大きな種が沢山あって、味はバナナのようでした。家に持ち帰りましたが、どのようにして食べていいのかも分からず、早速今晩にでもインターネットでその食べ方を調べて、挑戦してみようと思っています。

いただいたポポーの実

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〇スノコ作り

 先日妻が、「押し入れの布団を入れている場所にスノコが欲しい」と言い出しました。ホームセンターへ行けば安くて綺麗なスノコが手に入るのでしょうが、私の細腕?を見込んでの特別な注文だったので、「よっしゃー!、わしが作ってやる」と意気込みました。わが家の倉庫には親類の製材所からもらった焼杉用の杉板があるので、それを使って作ろうと押し入れの中の縦横の長さをメジャーで採寸しただけで作り始めました。

自作したスノコ

 まず板を電動鋸で8cm2枚に割り、電気カンナをかけました。88cmの長さに切ってカンナで面を取り、算木3本に印をつけ、3cmの隙間が開くよう9枚の杉板を、小さくて短い釘を使って打ち付けました。材料も買わず端材を再利用しての工作ゆえ、それほど立派なものはできないと、言い訳を考えながら作りましたが、2時間ほどで2枚のスノコが、自分でも驚くほど立派に出来上がりました。

 早速妻に見せると、「おじいちゃんも器用だったが、あんたもおじいちゃんの子どもなので器用ねえ」と、まるで褒め殺しのような歯の浮く誉め言葉を貰いました。早速ホウキでおが屑を落とし、乾いた雑巾で両面を拭き取り、押し入れの下に敷いてみましたが、寸分の狂いもなく無事収まりました。妻はさっそく先日天日干しした布団を積み重ねて入れてご満悦でした。スノコは同じものを2枚作ったので、もう一枚は親父の隠居の押し入れの下に敷いて、布団を入れようと思っています。

 「日曜大工も楽しいな」と作りながら、また作った後も思いましたが、昨年は庭の草を引く時に妻が使う低い腰掛けを作ってやり重宝して使っていますが、腰掛けといいスノコといい、その出来栄えに、妻の私の評価は増すばかりです。「豚も誉めれば木に登る」って感じです。今日は雨が上がるようなので、暇を見つけて、妻が趣味で作っているガーデニングらしきプランターの土の入れ替えを頼まれています。さっさとやって、また褒めてもらいましょうか。

  「押し入れの スノコ造って 頼まれた よっしゃ!任せろ 腕をまくって」

  「倉庫から 端材取り出し 作戦を 練って2時間 小作できる」

  「まあ起用 妻に言われて 有頂天 わしもまんざら 不器用でない」

  「さあ次は 次から次へ 注文が 妻の術中 はまってしまう」

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〇ツユクサの花

 昨日菜園の草を引いていると、青味がかった可憐な花を見つけました。野の花には白色や黄色、赤色の花がありますが青い花は少ないようで、草引きの手を休めてついつい見とれてしまいました。その花の名は雑草のツユクサで、畑では根が地中深くはびこるドクダミとともに繁殖力旺盛で、地面を這うように広がり、別の場所に移動して置くと、そこでまた根を出してはびこり始末に負えません。

 

畑の隅で可憐に咲く青いツユクサの花

 それでも露草というその名の通り、秋の朝露をいっぱい吸ってけなげに咲くツユクサの黄色交じりの青い花は、何とも言いようのない気品ある花です。摘み取って一輪挿しに挿して書斎に飾り、柄でもなく風流を楽しみました。畑の隅には秋の七草であるススキ、紫色のクズの花に加え、白いイタドリの花など、その気になって見れば秋にしか味わえない様々な花が、ゆく秋を惜しむように咲いています。

 自由人となっているとはいえ毎日何かと忙しく、背中を押されるようにあくせくと動いていますが、「狭い日本、短い人生、そんなに急いでどこへ行く」と思い始めると、日々の忙しさがなんだか馬鹿馬鹿しく思え、肩の力がスーッと抜けて草花にも心を動かすのです。秋は駆け足、もう二度とこの年の秋は味わえないのですから、持っている五感を働かせて、しっかりと秋を楽しみたいものです。

  「菜園の 隅にひっそり 咲く花は 雑草ですが とても綺麗で」

  「青い花 秋露吸って 名の通り 生き生きひっそり 人知れず咲く」

  「毎日を あくせく過ごす 芸がない 何だか変だ 我に帰りて」

  「花一輪 花瓶に挿して 風流を 顔に似合わぬ 遊び心で」 

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〇中秋の名月観月会

 このところ朝晩冷え込みを感じるようになりました。衣替えも終わり周りの暮らしもすっかり秋モードに変身です。15夜の昨日、まちづくり学校双海人のお月見会が双海シーサイド公園でありました。午後5時30分からの開始だったので少し早めに出かけると、自慢の夕日・夕焼けがとても綺麗で、まだ出ていなかったお月様より先に夕日様って感じで、みんなで観賞しました。

観月会

昨日の夕日夕焼けも綺麗でした

美味しかった栗ご飯のおにぎり

バーズデーケーキまで用意されていました

昨日の名月

 会場はモアイ像の置かれている中庭に面した夕日のミュージアム内で、既に小西さんや富田さん、渡部さんたちが準備をしてくれていて、早速炊き上がったばかりの芋炊きを自分でお椀についで、栗ご飯のおにぎりと一緒に美味しく食べました。そのうち仲間や伊予市街からも顔見知りなど、35人程度の人が集まり大賑わいとなりました。私はまちづくり学校校長の浜田さんからいただいたアルコールゼロのビールを1本、コップに注ぎながら風流を楽しみました。

 途中私や川口さん、高村さんなど、このところ誕生日を迎えた人に、まとめてバーズデーケーキまで用意されていて、すっかり上機嫌となりました。室内ゆえ月も見えずススキもなく、花より団子の観月会となりましたが、散会して帰る空に綺麗なお月様が顔を出し、月を見ながらの帰宅となりました。わが家でも息子が月見団子を買って帰って、孫たちが小さなお月見会をやっていて、お月見会のはしごとなりました。「月々に 月見る月はおおけれど 月見る月は この月の月」でした。

  「中秋の 名月見ようと 集まった 先に綺麗な 夕日鑑賞」

  「室内にゃ 月もススキも ありません 芋炊き・にぎり あれば十分」

  「アルコール ゼロのビールを 飲みながら ワイワイガヤガヤ 楽しいひと時」

  「10月に 生まれた人に バーズデー ケーキも用意  嬉し恥ずかし」

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〇双海史談会海の資料館「海舟館」で定例会

 前回の史談会の折、次回の定例会を海の資料館「海舟館」で開催したいと提案があり、皆さんの同意を得たので準備を進めました。準備といっても別に資料を用意するでもなく、掃除機をかけたり拭き掃除をしたりする程度なので、いつもより少し念入りに「海舟館」と私設公民館「煙会所」、それにゲストハウスとして使っている隠居の掃除をしました。夕方6時30分頃、事務局の中尾さんから、「帰宅途中だが三秋峠付近で交通事故があったらしく車が渋滞して動けないので少し遅れるかも」と電話が入りました。

海舟館を見学する史談会の皆さん

隠居にて談笑

 

 皆さんは車を地域事務所や中学校前へ停めて歩いて来たし、午後7時ともなると夜のとばりも降りて、真っ暗なため少し時間は遅れましたが、海舟館に入ってもらい、私が展示資料について順次説明をしました。倉庫を改造しただけの粗末な海舟館は2部屋に分かれていて、玄関口の部屋には海から揚がった紫電改の機銃や、魚雷のエンジン、ナウマン象の化石などを展示していますが、殆どの人がわが家へ来たのは初めてとあって、珍しい展示品に目をパチクリして見ていました。

 奥の部屋には、親父が70歳で漁師をやめて陸に上がってから14~15年で製作した、かつて瀬戸内海で活躍した和船の模型が20数隻展示していて、素人とは思えぬその精巧さにも驚いていました。普通こうした展示は行政がやるのが普通でしょうが、私は街角資料館を提唱しているので、親父と相談しながら手作りの資料館を造って開放しているので、色々な人が見学に訪れるのです。煙会所や東屋を見学した後、隠居に入って雑談めいた議論を交わしました。

 親父は2年前に亡くなりましたが、漁師という職業に一生を捧げ、さしたる名も残しませんでしたが、こうしていささかなりとも生き様の足跡を残してくれたことは、立派なことだと思っています。これから先は親父の遺志を継ぎもっと資料館を充実させて、自分の息子に遺し伝えたいと思っています。資料館の地下室に眠ったままになっている、漆塗りの食器類もいつか日の目を見せたいものとひそかに策を練っていますが、いつになることやらです。何はともあれ昨日の夜は史談会の人たちの来訪で、大いに賑わい親父も喜んだことでしょう。

  「わが家の 倉庫改造 海舟館 史談会来て 久々賑やか」

  「機関銃 魚雷のエンジン 等々の 戦争遺物 珍しそうに」

  「わが親父 和船模型に 熱中し 倉庫改造 資料館まで」

  「さて私 親父のように 残せるか 心もとない ドラ息子です」

 

 

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〇野菜も何とか回復兆し

 210日に種を撒き、順調に発芽成長していた大根や、セル苗を植えて育てていた白菜は、台風18号のもたらした大雨と大風で散々な目に遭い、回復不可能と思われましたが、その後少しずつ回復し、何とか持ち直しています。大根も白菜も冬の貴重な食糧源だけに、妻も時々畑の大根や白菜の成長を観察しているようです。毎年9月10日頃植え付けていた冬野菜の苗の植え付けが、私の仕事の都合で10日ほど遅れたため、それが幸いして台風が去った後の植え付けで、痛むこともなく終えました。

スムージーの主力材料小松菜

台風被害から回復基調にある大根

 ハウス内に冬の間にスムージーとして使うケールも10本植えて育てていますが、裏山から採取して持ち帰った腐葉土で客土をしたお陰で順調に育っています。また吹き飛んでダメかと思われたカブ、聖護院大根、ホウレンソウ、小松菜、高菜、春菊、チンゲンサイもここに来て回復基調ですが、昨日は前線の通過による雨を伴ったかなり強いやまじ風が吹いて、少し傷んだようで、無農薬ゆえ気の休まる暇がないほど豊作と不作に一喜一憂しています。まあこの心配も楽しみの一つでしょうか。

 芋坪の準備もできたので、天候を見計らってサツマイモの収穫もしなかればなりません。今年初めて作ったショウガもゴボウもネギも既に食卓に上って、自給率はますますアップしています。ただ今年はサトイモの栽培に失敗して、来年の種イモ確保で終わりそうです。今年は近所の人に教えてもらって少し遅ればせながらニンニクの作付けも行いました。妻は古い炊飯器を使って黒ニンニクを作っています。毎日朝食時に食べさせられますが、その成果はまだ疑問の館?です。

  「台風の 被害に遭った 野菜類 自然治癒力 凄いものです」

  「大根と 白菜だけは 育ててと 妻に言われて 毎日努力」

  「ニンニクを 自給できれば 炊飯器 黒ニンニクを 自宅で作る」

  「暇はなし セミリタイアの ような日々 朝晩暇を 見つけ菜園」

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〇替えたパソコン絶好調

 まるで衣替えに合わせたように、古くなり不具合だったパソコンを新品に取り替え、娘婿の手によってデーターを移動してもらいました。最初の2~3日は恐る恐る使い始めていましたが、4~5日前からはコツも掴めて、絶好調となりました。私はマウス派なので、マウスがないと作業がはかどらないので、マウスだけは古いのを使っていましたが、どうやらマウスの不具合も原因だったらしく、息子がコードレスの新しいマウスを家電店で買ってプレゼントしてくれたので、さっそく使い始まました。

新しいノートパソコンとコードレスマウス

 パソコンも無線ランだし、これでエプソンのプリンターもマウスもコードレスとなり、とっても便利に使えるようになりました。それにしてもコードもないのになぜPCもプリンターもマウスも動くのか、凡人の私には理解ができないのです。時代はこのように日々進化を続けているのに、方や私は老化の一途を辿っていて、どうしようもない時代遅れになりつつあるようです。まあそれも時代の流れと諦めて、少し諦め少し努力する程度でお茶を濁して生きてゆくしかないのかも知れません。

 ところでクリックすると、画面が操作できるマウスがなぜマウスと呼ばれるようになったのか?、確かにその形状はネズミのようにも見えますが、パソコン用語は分からないことだらけです。昔サラリーマン川柳で、ドットコムという当時新語だった言葉の意味さえ分からず、「ドットコム どこが混むのと 父が言い」というのがありました。今にして思えば笑い話ですが、スマホさえ使えない私は、上手に使いこなせる小学生以下だと嘆いています。「それ以外の生活の知恵を知っている」と強がってみても、所詮は時代遅れなのです。

  「新しく 買ってもらった マウス見る なるほどネズミ 似ているようだ」

  「コードレス 分からないこと だらけです 知ったかぶりで 使っているが」

  「わが顔に 時代遅れと 書いている そんな気がして 胸も張らずに」

  「そんなこと 考える暇 あるのなら しっかり別の 仕事をしよう」 

 

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〇今日から双海町は冬時間です

 夏の間は夜明けが早く夕暮れが遅い、いわゆる昼間の時間が長~い、私のような働き者?には何とも嬉しい季節でしたが、最近は日増しに夜明けが遅く夕暮れが早くなって、少し焦りながら毎日を過ごしています。昨日の夕方町内の有線放送を通じて「明日10月1日から、時報を知らせるミュージックサイレンを午後6時から午後5時に、音楽も『夕焼け小焼け』に変更します。」と放送がありました。いよいよ冬時間の始まりです。

 双海町の時報サイレンは元々午前5時と正午、それに午後5時の3回でした。私がまちづくりを担当した時、まちづくりの組織を沢山つくって、まちづくりの提案をまとめましたが、その折それまで使っていた、まるで空襲警報のような甲高い「ウ~ン」と鳴るサイレンを、ミュージックサイレンにしたらどうかとう意見がありました。早速有線放送を整備したのを機に採用しましたが、長年慣れ親しんだサイレンの音を頼りに農作業や出漁をしていた町民から、少なからず反対の声が上がりましたが、強行突破のような形で踏み切りました。

夕日に照らされた童謡の小路の歌碑

 双海町は夕日の日本一美しいまちを自認し、まちのキャッチフレーズも「しずむ夕日が立ちどまるまち」を今も使っているので、ミュージックの選曲も当然「赤とんぼ」か「夕焼け小焼け」なのですが、今日の夕方から午後5時に「夕焼け小焼け」のメロディーが町内に流れることでしょう。音楽によるまちづくりも30数年前、下灘駅のプラットホームでコンサートを開いてからずっと、今も続けてもらっていますが、先日シーサイド公園の童謡の小路の歌碑を、夕日が照らしているのを見て、懐かしくなりました。

  「ミュージック サイレン採用 する話 あのころ真顔で 反対意見」

  「わが家に 泊ったお客 朝5時の サイレン聞いて 家事はどこだと!! 大騒ぎした」

  「変わります 今日からわが町 冬時間 午後5時サイレン 夕焼け小焼け」

  「陽の暮れが 早くなったと 実感す 今日から10月 もういくつ寝ると~」

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〇天皇陛下ご来県

 単独では初となる愛媛国体が今日から始まり、秋晴れの今日は午後1時から愛媛県運動公園で開会式が行われました。おそらく自分の生きている間に愛媛県で二度と開催されることはないだろうと思い、弁当持参で人間牧場へ草刈りに出かけたというのに、思い直して帰宅し開会式の様子をテレビの生中継で見ることができました。開会式には豊かな海づくり全国大会で来県して以来24年ぶりに天皇皇后両陛下も来県されましたが、わが息子は昨日天皇皇后陛下をお迎えする列に加わったそうで、いただいた日の丸の小旗と提灯を持って帰り、家族のその様子を話してくれました。

お車から手を振られる天皇皇后さま

美術館見学のご様子

息子が持ち帰った日の丸の小旗と提灯

 思い返せば青年海外派遣30周年記念事業の一環として、論文募集に応じた私の作品が優秀賞に選ばれ、昭和64年の新春早々東京の赤坂プリンスホテルで、皇太子ご夫妻をお迎えして受賞する予定でしたが、突然昭和天皇が崩御され、皇太子ご夫妻の出席はかなわぬ夢となりました。それに先立つこと46年前の札幌オリンピックの折は、全国から集まった青年たちと皇太子ご夫妻を囲んで昼食会が開かれ、選ばれた数名とともにすぐ傍の席で緊張しながらカレーを食べたことも懐かしい思い出です。私は昨日の夜のテレビのニュースで天皇皇后両陛下のお姿を拝見することができました。

 天皇皇后陛下もご高齢となられたものの、日本の象徴として多忙なご公務をこなされていますが、私たち凡人には分からぬ苦労が多いものと拝察しますが、この上は健康を祈るばかりです。

 

 

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