人間牧場

投稿者: | 2021年1月5日

〇今年は私たち夫婦の金婚

 私たち夫婦は昭和46年(1971年)5月5日子どもの日に結婚しました。私が愛媛県青年団連合会の会長をしていて、国立大洲市年の家の誘致運動に熱を入れて活動していたため、たった5分間の見合いや結納が終わって結婚式までの半年で僅か5回しか出会わなかったことなど、今では信じられないようなあっという間の結婚でしたが、結婚式はわが家の座敷で、結婚披露宴は近くの下灘農協の2階大ホールに250人もの人が集まり、漁師をしていた親父の獲った鯛づくめの手作り料理で、それは盛大な結婚式でした。

若かった妻もこんなに歳をとりました

間もなく金婚を迎えるそれなりの夫婦

 以来4人の子宝に恵まれましたが、PTA活動を除けば子育ての殆どは妻に負け切りで、30歳で2ヶ月半も家を空けて青年の船の班長としてアメリカ・メキシコ・ハワイへ旅立ったり、1ヶ月間余り香川大学での社会教育主事講習に出かけたり、社会教育やまちづくりという仕事が殆どだった故、子育てや家のことは殆ど妻に任せきりでした。その上21世紀えひめニューフロンティアグループというボランティア団体を立ち上げ自らが代表となり、その活動拠点をわが家に置いたため、諸々の活動のため多くの人が宿泊や宴会で逗留し、今に至ってそれらは続いているのですから驚きです。

 32歳で金もないのに念願の家を建て、私設公民館煙会所や海の資料館海舟館、人間牧場などを次々造り、内外の人と深く広く交流し、それらを濃密に下支えしてくれたのも妻です。家庭の経済、家族の健康、先に逝った父・祖母・母の介護、子どもたちの世話と自立に向けた支援、近所や親せきづきあい、勤務仕事などなど、寝る間を惜しんで一人何役も50年間働き続けている妻には、お礼の言葉もないほど世話をかけています。私がこうして元気にいられるのは、この家が今日あるのは妻のお陰です。

 たった5分の見合いから始まった私たち夫婦の50年間のドラマはあっという間でした。これから夫婦が穏やかな老後を楽しむためにも、今年はせいぜい妻に感謝し妻を少しだけ労わってやりたいものだと、殊勝にも考えた新しい年初めでした。

「5分だけ 見合いしたこと 縁でした 今年は金婚 キンコンカンと」

「50年 あっという間の ことだった 色々あったが それなり夫婦」

「言葉では 恥ずかしいから 言わねども 心の中じゃ 感謝感激」

「50年 まるでドラマを 見てるよう これから先も ドラマは続く」

 

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人間牧場

投稿者: | 2021年1月4日

〇年末の紅白歌合戦

 年末から年始にかけては、行くこともすることも余りなく年末は恒例のNHK紅歌合戦、新春は高校サッカーやや高校ラグビー、全国実業団駅伝、箱根駅伝などを、コタツでみかんを食べたり届いた年賀状を見たりしながら過ごしました。

 年末の紅白歌合戦は新型コロナの影響で無観客だったため、いつもの年とはまた趣きが違い、高度な光と音の映像技術ショーにはただただ感心するばかりでしたが、肝心の歌は出場者も私の知らない若い人たちが殆どなので、自分の時代遅れをまざまざと感じました。

 今年は作曲家古関さんの自叙伝ともいえる朝ドラ「エール」の放送が話題を集めたため、そのシーンが再現されると、「栄冠は君に輝く」や「長崎の鐘」などを、いっそに口ずさんだりして楽しみました。聞くところリサーチによると歌合戦の視聴率は40%近くだったそうで、今さらながらその人気度を再認識しました。

 近頃は新型コロナの影響で、ドラマや番組を制作することができず再放送が多く、笑いを誘うような意味のないバラエティ番組が多過ぎ、新鮮味に欠けますが、早くコロナが解決しいい番組を見たいものです。

「紅白は 時代を映す 鏡ゆえ 興味そそらず 時代遅れか」

「視聴率 無観客にも 関わらず 40%と 聞いて驚く」

「朝ドラの エールで馴染みの 顔々が 思わず歌を 一緒に歌う」

「最近は コロナ理由に 再放送 バラエティーなど 面白くもなし」 

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人間牧場

投稿者: | 2021年1月3日

〇新年早々家庭菜園へジャガイモの植え付け

 昨日元旦に届いた年賀状を見ていたら、宇和島の游子に住む友人が水が浦の段々畑で早掘りのジャガイモを、作っている写真を紹介していました。猫の額ほどの細い畑が幾重にも天に向かって耕されている、水が浦の段々畑は登録文化遺産となっていますが、この段々畑で採れるジャガイモも、3つの太陽(太陽の直射、太陽の宇和海からの反射、太陽熱を吸収した石垣保温)の恵みを受けて、4月上旬には早掘りされ市中に出回るのです。

準備万端

立てた畝に二列植え

黒いマルチを被せ銀色の鹿威し用テープを張りました

 昨年宇和島を真似て1月に種芋を植え付けてみようと思い立ち、実験的にやって少し早掘りが出来たので、今年も友人から届いた年賀状に触発されて、昨秋北海道鵡川町に住む親友菅原さんが食用に送ってくれたジャガイモを、種芋にすべく大切に倉庫に保管していたのを取り出し、正月だというのに、正月だからこそと一念発起して年内に中耕をしていた畑に畝を立て、定規で測って種芋を置き、順次植えて行きました。

 掘った穴の中へ一握りずつ肥料を施して、種を埋めた上にもみ殻と豚糞を置き、その上に防寒用の黒いマルチをかけ、風で吹き飛ばされないよう両端に平グワでしっかり土を被せました。隣近所の畑の持ち主のおじさんが亡くな、隣接する畑も荒れるにませているため、イノシシがわがもの顔で出没するので、折角植えたジャガイモを荒らされるといけないので支柱を打ち込み、先日大洲市田処の亀本さんから貰った幅の広い銀色テープを鹿威しのつもりで張ってみました。

「宇和島の 友人届いた 年賀状 段々畑の 早掘りジャガイモ」

「双海町 瀬戸内気候で 暖かい 宇和海ほどでは ないが真似する」

「種芋は 北海道の 鵡川町 友人貰いし 品種男爵」

「イノシシに 荒らされないよう 鹿威し やっては見たが 半信半疑」

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人間牧場

投稿者: | 2021年1月2日

〇今年も届いた年賀状

 昨年年末、私はいつも通り400枚の年賀状を出しました。人様のように達筆な字を持ち合わせていないので、裏書きの「私の10大ニュース」は長年交友のある印刷屋さんにお願いして印刷してもらい、表書きはEPSONのプリンターでプリントアウトしたものです。

正月元旦に届いた年賀状

 今年も年末に何通か「届け先が不明」という帯譜が付けられ戻ってきましたが、殆どは寒風吹きすさぶ正月元旦に、郵便局員さんによって全国各地の知人友人の元へ届けられたようで、仕事とは言いながらそのご努力に頭を下げるほど感謝しています。

 さてわが家には昼頃約500枚の年賀状が届きました。早速中1の孫希心が私の分と、息子家族の分を選り分けて私の分を手渡してくれました。昨日は居間のコタツに入ってテレビで実業団駅伝大会の実況中継を見ながら、丹念に読みました。

 中には高齢や体の不調を理由に「年賀状は来年から失礼します」と書かれたのもあり、「やがては私も・・・」と年齢を重ねつつあるわが身に置き換え、少し寂しい気持ちになりました。昨日パソコンの私のfacebookにはE・Gメール便で沢山の沢山の新年祝意のメッセー入っていて、少し時間をかけて返信をしました。

 昨日は電話番号の記入された年賀状の何枚かを選び出し、スマホで声の年賀状を届けました。かつて私が教育長をしていた頃、下灘小学校の校長をしていた玉井千恵さんは退職後笑いのヨガに心酔し、今では大活躍をされていますが、昨年NHKラジオ「四国ラジオまどんな」という番組を偶然カーラジオで聞いていたため、また同じNHKラジオ番組に私も出演したので、通話するなりかなり盛り上がった大爆笑の会話となりました。

 デジタル万能になりつつある現代ですが、アナログな年賀状もまた味のあるツールです。私はこれからも許せる範囲年賀状を、年取る故に出し続けたいと思っています。昨日は色々な人からの風の便りや声が聞けてい一日でした。

「今年も 400枚の 年賀状 知人友人 宛に送った」

「正月に 郵便局員 今年も 休むことなく 届けてくれた」

「何枚か 選んで電話 声年賀 相手驚き 話が弾む」

「歳・体調 理由に今年で 打ち止めすると 寂しい年賀」

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人間牧場

投稿者: | 2021年1月1日

〇初詣一番乗り

 普通の年だと紅白歌合戦を見終わり除夜の鐘が鳴り始めると、家族そろって三島神社へ初詣に行きます。今年は新型コロナの影響で人混みが予想される初詣は自粛すべきでしょうが、毎年田舎の氏神様は初詣する人も殆どないので、妻と息子に誘われるまま出かけることにしました。

新月に照らされた楼門

狛犬ならぬ狛亀のある社殿

拝殿にて

 孫たち2人は友だちとの約束で、本覚寺の除夜の鐘を突いた後氏神様の天一稲荷神社に初詣するようで、地域事務所前で車を降ろし、3人で亀の森三島神社の長い階段を登りました。扇垂木の美しい中段の楼門は薄明るくライトアップされていて、旧暦17日のまん丸いお月さんが楼門を照らしとても印象的でした。

 社殿前に10分前に到着しましたが、今年も私たちが一番乗りでした。去年は外孫尚樹の中学受験合格祈願でしたが、今年は大学受験に挑む外孫朋樹の合格祈願が目的なので、妻はお礼参りを含め念入りにお参りしたいようでした。午前0時の時報とともに宮司さんが宮太鼓を打ち始めました。そのうち宮司さんが出て来て新年のお話をされました。

 今年は丑年です。わが家にも長男と孫奏心が丑年の年男です。牛は一匹が動き出すと他の牛もつられて動く習性があるようで、連帯の動物といわれています。コロナ禍でややもすると自分を見失いがちになりそうですが、変えてはならないことを変えないようしっかり見極めてこの難局をみんなの力で乗り切りましょうと諭されました。

 この春から市役所に勤務している、顔見知りの神官の息子さんかにお神酒を注いでいただき、新年を寿ぎました。今年もいいスタートが切れた感じがしました。帰り道待ち合わせた孫たちを地域事務所の前の駐車場で乗せ、帰宅しました。

「初詣 自粛すべきか 迷ったが 蜜ないゆえに 親子三人」

「神官の 叩く太鼓の 音響く 賽銭入れて 柏手を打つ」

「今年は 大学受験の 孫思い 合格祈願 妻は念入り」

「今年は 息子と孫が 年男 丑年よろしく しっかり生きて」

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人間牧場

投稿者: | 2020年12月31日

〇寒風の中での孤軍奮闘

 年末の大仕事は、親類の漁師さんに頼んで毎年お正月用に買っている寒ブリの処理です。早朝一番に下灘の漁師さん宅まで受取りに行き、早速寒風吹き交う外の流し台に立ち、丸々と太った寒ブリを3匹3枚におろしました。手を傷めないよう白い軍手をはめて、大きな出刃包丁と小さめの包丁を使い分け、頭、しっぽ、腹、エラの順で処理して行くのですが、特に頭を煮つけ用に真っ二つに割る作業は力が要って毎回苦労するのです。

寒ブリの粗調理

鯛の粗調理

 息子や娘、それに毎年届ける知人友人の方々は、大きな寒ブリを調理することができないので、刺身用の短冊小切りや、煮つけ用に小切りして差し上げなければなりません。今年は前日息子の同級生の漁師さんが、大きな鯛を何匹か届けてくれたようで、その粗調理も加わり、延々3時間の水仕事で、寒さは極限に達しました。

 毎年届ける予定の大洲市田処の亀本さん宅への道路が通行止めになっているので、今年は本村~法̪師線を選び、途中の松尾付近で落ち合って無事リレー出来たり、苗屋の水口さん、松山の桐木さん宅、西岡さんや宮栄さん、息子娘宅などなど、まあ忙しく動き回りましたが無事夕方6時ころ何とか配り終えました。

 昨日は魚料理をしたので、久し振りに一番風呂に入りしっかりと体を温め、妻の作ったてくれた寒ブリの刺身と、煮つけを美味しく食べて夕食を終えました。退職以来16年、同居の孫から「お魚じいちゃん」と呼ばれるほど、今ではいつの間にかすっかり私の担当となってしまった魚の粗調理ですが、今年は親父の形見の出刃包丁と刺身包丁も見つかって手に入れたので、来年は魚料理にでも挑戦してみようかな?なんて、馬鹿げた思いが脳裏をかすめています。(大笑い)

「寒い中 寒ブリ真鯛 粗調理 極限達し 体冷え冷え」

「お魚を 配った先々 喜ばれ わらしべ長者 あれこれ貰う」

「いつの間に 私の仕事 なりにけり 孫は私を お魚じいちゃん」

「冷え切った 体一番 風呂に入る 寒ブリ刺身 酒は呑まぬが」

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人間牧場

投稿者: | 2020年12月30日

〇青春の証丸木舟は火となり灰になりました

 今年の餅つきのもち米を蒸すかまどの火は、私が若い頃長さ10m、直径1m60㎝のアラスカ産モミの木を使って建造し、瀬戸内海の無人島由利島を探検した21世紀えひめ号の残材を使いました。

もち米を蒸す薪となったまっるきぶねの残材

丸木舟を建造する若き日の私とチョウナを使う親父)

豊田さんのお父さんと私の親父と隅田のおじさん

松山市垣生港で操船訓練するクルー、舵は親父が・・・

私が舵を持った操船訓練

今リニュアール工事の進む道の駅シーサイドふたみの一角に展示していた丸木舟は、市役所の判断で展示場所を失ってしまいました。抗議の声も届かず、残念ながら廃棄処分とすることになりましたが、せめて痕跡でも残したいと舳先を2mほど切り取って持ち帰り、色々な加工を加えて重量を軽くし、わが家の敷地内にある海の資料館に展示を終えました。

 その加工過程で出来た残材を東屋軒先の薪収納場所に置いていましたが、年末の餅つきのもち米を蒸す熱源にして供養することにしました。30~40㎝に切った船底や横板を手斧で割り木にして使いましたが、乾燥していてよく燃えました。機を得たのでしょうか?、偶然書斎の年末片づけをしていると、古い丸木舟を建造したり航海訓練をしている写真が出てきました。

 写真に写っているのは、亡くなった親父や、豊田さんの親父さん、隣の隅田のおじさんなど手伝ってくれた面々の在りし日の作業姿でした。また進水式を終えて松山市垣生の港で航海訓練に励むクルーの姿もありました。操船技術が未熟な私たち21世紀えひめニューフロンティアグループの面々に、海のことなら何でも知っている親父が、舵を持ち手ほどきをしている貴重な写真の数々です。

 記憶に新しい丸木舟の現物は殆ど灰となってしまい、永遠に蘇ることはありませんが、写真や文章によって記録として残っていることを嬉しく思います。今年ついたお餅には私の熱かった今やれる青春がつき込まれているので、味わって食べたいと思っています。

「丸木舟 残念ながら 処分した 青春の日々 写真ありあり」

「書斎にて かつての写真 見つかった 親父や豊田 隅田のおじさん」

「ワクワクし ドキドキもした 若い頃 今もジーンと 心に残る」

「今年は 熱き青春 つき込んだ 餅だと言って あちこち配る」 

 

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人間牧場

投稿者: | 2020年12月29日

◯夜のエミフル駐車場での出会い

 松山に住む子どもたちに、つきたてのお餅を届けに、夕方妻と二人で出かけた帰り道、ちょっとした買い物があるというので、松前町のエミフルという商業施設へ立ち寄りました。さすが集客力を誇る施設だけあって、午後7時だというのに沢山の人が訪れていました。

 歳をとったせいでしょうか?、夜の人混みは苦手で、しかもコロナ禍の中で、みんなマスクをしているとはいえ、不要不急の外出は避けたいので、私は車の中でのんびりカーラジオを聞きながら、手持ちのスマホやタブレットをいじり、買い物を終えて帰る妻を待ちました。

 広い駐車場ゆえ、ましてや車の中ゆえ出会う人もないと思っていたら、何と隣の駐車帯に顔見知りの人が車を止めました。何年かぶりの懐かしい人だったので、エンジンを止め外に出てしばらくの間立ち話をしました。今日は予想に反して日中は温かい一日でしたが、夜の帳の降りた外は流石に冷たく、少し冷え込んでしまいました。

 車に戻った妻が助け舟となってその人と別れ、車に入り帰路に着きました。それにしても私はよく人に会うもので、相手の人も薄暗い街灯の中で、よく名前と顔を覚えていてくれたと大層喜んでくれました。今年もあと2日しかありませんが、また誰かに会えるかも・・・・。

「帰り道 妻の用事で 立ち寄った 商業施設 人混み多し」

「久方に 出会った人と 立ち話 顔も名前も 話題も全て」

「世の中は 狭いもんだと しみじみと 思いながらも 思い出話」

 

 

 

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人間牧場

投稿者: | 2020年12月28日

〇写真は時代を映す鏡

 今朝facebookを開くと、いきなり自動でアーカイブス機能が働き、4年前の自分の顔写真が出てきました。自称男前でもない醜いアヒルの子なので、自分の顔写真は余り見たくないというのが正直なところですが、私は退職した17年前から、年に何回か自分の写真をデジカメとタブレット内蔵のカメラで撮り続け、時には億目もなく自分のacebookにその写真をアップしています。

今朝見つけた4年前の写真

50年前の若かりし頃の写真

船上で鈴木アナウンサーのインタビュー

 もし100歳まで生きるとしたら、24年後の自分の告別式の遺影にはどの写真を使おうか?なんて、笑い話にもならない他愛のないことを考えています。そんな中、昨日パソコン内の画像の中に、50年前の写真を見つけました。この写真はNHK青年の主張の県代表になった23歳の時、当時漁師をしていた私の30分テレビ番組が、写真構成で放映された時のスナップ写真でした。

 今の自分と4年前の自分の写真はそれほど変わったようには見えませんが、50年前の写真とは明らかに様子が違っていました。私にも「こんな若い時があったのか」と感心しきりでした。人は毎年確実に1歳ずつ歳を重ねます。自分の人生なんていつまでも続くものと錯覚していましたが、寿命が有限であることに気づき始めた今こそ、これからの人生をどう生きるのか、しっかり考えて生きて行かねばならないと思いました。

「パソコンに 自分の写真 飛び出して ビックリ仰天 4年前です」

「4~5年の 時の流れは 変わらねど 50年前 大きな変化」

「葬式に どんな写真を 使おうか? 笑い話に 一人ニヤニヤ」

「無限だと 思った人生 有限と 気がつきこれから 大事に生きる」

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人間牧場

投稿者: | 2020年12月27日

〇郷土の誇り双海剣道会

 昨日の愛媛新聞朝刊スポーツ欄に、双海剣道会が紹介されました。私は県道を習いませんでしたが、私の弟2人は少年時代双海剣道会で剣道を習い、特に3つ下の弟忠行は水戸光武館主催の全国大会団体戦で優勝した、全盛時代当時のメンバーとして活躍しました。

双海剣道会

 そんなこともあって、双海剣道会の初期の頃指導をしていた片岡先生は、練習が終わるとよくわが家へやって来て、剣道会の後援会長だった親父と酒を飲みながら色々な話をしていました。わが家の親父が存命中住んでいた隠居家の玄関には、全国大会で貰った総理大臣佐藤栄作揮毫のタオルが表装して掲げられています。

 親父は剣道会つながりで日本刀に興味を持ち、片岡先生の紹介で知り合った賀茂先生から譲ってもらった肥前兼良作の立派な刀の手入れを怠らず、ガンを患った折筋力の回復を願ってその真剣で居合道に取り組みました。その刀は大切に保管して、長男たる私が受け継いでいるのです。

「太刀振りて 何するものと 人問わば 御国守りぬ 技と答えよ」とは、光武館館長の言葉であり、その短冊も隠居の片隅に大切に掲げています。剣道の胴は普通茶色か黒色ですが、双海剣道会の胴は白色で白胴は珍しく、全盛時代には近隣近郷にその名を轟かせていました。双海剣道会で育った多くの指導者がその教えを今に伝えている姿に敬意を表します。

「新聞の スポーツ欄に 剣道会 凛々しい姿 紹介される」

「弟も 子どもの頃に 剣道を していたゆえに 親父も熱心」

「今は亡き 親父住んでた 隠居家に 剣道痕跡 数々残る」

「リハビリの つもりで始めた 居合道 親父の姿 思い出される」

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