人間牧場

〇20年という歳月の流れ

 私は宇和島水産高校漁業科を卒業しています。ゆえに私たちの同級生の殆どは、漁船に乗って色々な海で活躍したと思われますが、ゆえに残念ながら35人いた同級生とはその後殆ど会うことも交流することもなく、今日に至っています。恐らく過酷な海の上での仕事なので早々と船を降りて、75歳を過ぎた後期高齢者ゆえ、多分陸に上がり日本のどこかで穏やかに暮らしているものと思われます。

 他校に学んだ人たちはよく同窓会をしたと、同窓会の模様が新聞に紹介されていますが、残念ながらその同窓会も新型コロナの影響で投稿する写真が揃わないのか、コーナーは休眠状態のようです。そんな中にありながら、唯一宇和島水産高校の大先輩である玉井恭介さんとはこの20年余り、親しい付き合いを続けています。

 私が玉井さんと出会ったのは、ある研修会後の呑み会でした。当時広告代理店に勤めていた玉井さんとすっかり意気投合し、その後玉井さんは私に「本を出さないか」と勧めてくれました。「金がない」「暇がない」「能力がない」と渋る私に、ある意味強引と思えるアプローチをかけその気にさせられました。

 玉井さんがプロデュースしてくれた「昇る夕日でまちづくり」の出版記念祝賀会を、本町会館7階のテルスターホールに250人を集めて行いましたが、運命の悪戯かその日、母校である宇和島水産高校の漁業実習船えひめ丸が、ハワイ沖で米軍潜水艦と衝突し9人の尊い命が亡くなり、パーティーは悲しみの余韻を引きずりながら終わりました。

 玉井さんは絵も描けるし書も書けるし歌も歌えるし、文章表現に長けた博学な人なので、事故の顛末を鎮魂歌「希望海」という曲に表現作詞し、名のある作曲家が曲をつけ、男声合唱団の力を借りて発表し、当時は県内でも大きな反響を呼びました。しかし来年2月10日で20年を迎える時の流れはえひめ丸事故をも風化させ、残念ながら鎮魂歌「希望海」も風化の風に翻弄されつつあるようです。

 昨日久しぶりに玉井さんから電話があり、「希望海という歌を知人の女性にチェロで演奏してもらったので聴いて見て」と電話口で聴かされました。哀愁を帯びたチェロの音色が良く似合う希望海という歌は、自らも初代愛媛丸に乗り遠洋航海に出かけた経験のある玉井さんの生きざまそのままだと、同じく初代愛媛丸で遠洋航海に出かけた経験のある私ゆえ、納得の手合いでしたが、20年の歳月は寂しいことではありますが、一つの時代の終わりを告げているようにも思え、心の中によき思い出としてしっかりしまっておこうとお話をして、長い電話を切りました。

「同級生 音信ないが 大先輩 何かにつけて 導き指導」

「自費出版 本を出しては 勧められ 昇る夕日で まちづくり出版」

「20年 前に突然 えひめ丸 出版記念日 沈没事故が」

「チェロ演奏 希望海聴く 名曲だ 残念ながら 歳月風化」

 

 

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