人間牧場

〇今年の夏は綺麗な花に癒されました

今年の夏は真っ赤な芙蓉の花と黄色いヒマワリの花に随分癒され元気を貰いました。

ヒマワリは夏のほんの短い間だけ咲き、既に片付けて種を取り、跡地には野菜の種や苗が元気に育っています。

真赤な芙蓉の花は、友人から貰った珍しい花で、挿し木をして増やした苗を、裏庭に植えましたが、今も名残の花が咲いています。

 

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〇大相撲秋場所テレビ観戦

 度重なる黒人差別で亡くなった方々の、名前を書いたマスクをつけて抗議し優勝した、ゴルファー大坂なおみさんなどスポーツ選手の活躍は、テレビ観戦ながらコロナウイルスでどことなく沈んだ私たち日本人の心に、大きな希望や勇気を与えてくれました。同じスポーツでも国技と言われる大相撲は格別で、残念ながら新型コロナの影響で無観客や観客制限となり、大阪、名古屋、九州での地方場所も、多くの力士が動いてコロナのリスクが高いことから、年六場所全てが両国国技館開催となりました。

初優勝した雲本出身力士正代

 そんな中先週までの2週間、恒例の秋場所が国技館で開催されました。歓声を上がることができない館内は、ごひいき力士の名前を染め抜いたタオルと拍手しか応援ができず、大きな声援や時には興奮余って座布団が飛ぶかつての場内とは違って、テレビの前での観戦もどことなく拍子抜けがしますが、コロナワクチンが開発されコロナが終息すれば、また元の賑やかさが戻ってくることでしょう。そんな思いを込めて相撲ファンである私は極力相撲を見ています。

 最近は炎鵬など技のデパートといわれる小兵力士が多く、その小さい体で大きな巨体の力士に勝ったりすると、半官びいきもあってテレビの前ながら大きな拍手を送っています。秋場所は何といっても熊本出身である東関脇正代の大活躍でした。貴景勝や朝の山に先に大関になられ悔しい思いになったうっぷんを晴らすように快進撃を続け、ついに13勝2敗の好成績で優勝し念願の賜杯を手にすることができました。熊本は地震や今年も大雨災害に見舞われ甚大な被害を受けただけに、地元の人に大きな勇気を与えたに違いありません。

 次場所と思っていた大関取りも、先場所や今場所の13勝2敗の好成績での優勝で、大関になることが確実のような雲行きです。優勝を決め支度部屋へ向かう正代が、涙をこらえながら付き人と抱き合って喜ぶ姿は感動ものでした。盛りを過ぎ休場の多い2人の横綱のことも気になりますが、この上は一層精進し、最高位の横綱を目指し頑張って欲しいと思います。一年納めの九州場所が国技館に場所を移しても、正代の活躍を期待しています。

「大相撲 新型コロナの 影響で 6場所全て 東京開催」

「座布団が 飛んだ会場 コロナにて 拍手だけしか 応援できず」

「大雨の 被害に遭った 熊本の 出身力士 初優勝する」

「優勝に 加えて大関 なるという 二重の喜び 次場所楽しみ」

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〇釣った小魚の料理講習

 昨日は穏やかな初秋の日曜日で、珍しく6人の家族みんなが在宅で、それぞれ思い思いに過ごしていました。午前中部活に出かけていた中1の孫希心が帰り昼食後、息子は子ども二人を連れて下灘の港付近へ釣りに出かけたようでした。

釣果はたったこれだけ
まな板に乗った小魚を粗調理実習する孫奏心

 3時間ほど過ぎた夕方小さめのクーラーボックスを提げて3人が帰って来ました。私「釣れたかい?」、孫奏心「釣れた釣れた、楽しかった」、私「何が釣れた?」、孫奏心「イワシやアジや鯛も」と言ってクーラーボックスを開けて見せてくれました。

 中にはデッカイ氷の塊の隅に小魚がチョロチョロでした。孫奏心は日ごろ私が魚の粗調理をしている姿を興味深そうに見ていて、時々自分もやりたいと言うものの、これまで手出しをさせませんでした。この時とばかり孫奏心と2人で庭の外台所に立ち、料理講習と相成りました。

 イワシ、アジなどの鱗を引いて内臓を取り出し、尻尾と頭を包丁で切る単純作業でしたが、孫の料理講習にはうってつけの小さい魚10数匹を、あっという間に調理し終えました。昨晩は孫が初めて粗調理した魚の煮つけが食卓に並び、私もお裾分けに貰ったイワシを妻と二人で美味しく食べました。

「下灘の 港へ釣りに 出かけたが クーラーボックス 空も同然」

「僕釣った 自慢の小魚 まな板の 上に並べて 料理講習」

「鱗引き 内蔵取って 包丁で 尾びれや頭 中々やるわい」

「お裾分け 美味いと褒め 食べたけど 腹に足しにも ならぬほどです」

 

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〇進化しつつあるオンライン会議

 昨日は今年第4回目となる、地域教育ネットワークえひめの実行委員会をやるため、午後2時30分に中尾先生にわが家まで迎えに来てもらい、地域事務所で合流した平岡さんと3人でキー局となる八幡浜市向灘のコダテルに向かいました。海岸国道夕やけこやけラインを走り、保内経由で八幡浜に1時間ほどで到着しました。

まるで下灘駅から中継しているよな雰囲気でした
コダテルの会議室はにわかテレビスタジオのようでした
今回もオンライン会議に沢山の人が参加してくれました

 会議は午後5時からなので、コダテル入りした平岡さんと中尾さんは早速会場の机を移動したり、持参した機材類を慣れた手つきでセッティングしていましたが、メカに弱い私は付き添い程度なので横目で見ながら、いつものように時を過ごしました。それにしても二人のコンビネーションはバッチリで、傍目から見てもかなり進化の速度が速いように見えました。

 今回は松山市青少年センターにサテライト会場を作ったり、グループに分かれて討議するなど、12月の本番に向けて実証実験を行うなど、今までにない緊張感がありました。私は開会あいさつ程度でしたが、平岡さんのご配慮で夕暮れ時の下灘駅の風景や、中尾さんのご配慮で私が持参したUSBメモリー内臓の画像をタイムリーに流してもらうなど、大助かりでした。

 次回第5回はオンライン会議本番前の11月にリアル会議を開いて最後の詰めをする予定です。昨日のオンライン会議で発表や議論、討論などの役割もほぼ決まり、いよいよ200人の参加者を集める作業が始まります。成功に向け気を引き締めてみんなで取り組みたいものです。

「4回目 3人一緒に コダテルへ 夕暮れの道 親ベリしながら」

「日々進化 蚊帳の外から 目を細め 羨望眼差し 手出しも出来ず」

「オンライン 会議も回を 重ねると 要領よくなり 会議スムーズ」

「内容も 役割担う 人たちも どうにか決まり いよいよ船出」

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〇ミョウガの収穫

 毎年赤い彼岸花が咲く頃になると、わが家の裏山の杉林に自生しているミョウガの根元に、秋ミョウガが出ます。今年は夏の渇水で少し遅れ気味のようですが、よーく見るとミョウガの茎の根元に乳白色の可憐な花が咲いて、ミョウガが沢山出ていました。

収穫したミョウガ

 昔から「親に似ないはミョウガの子」と言われるようにミョウガの子は、親茎とは似ても似つかぬ形をしています。早速ミョウガを沢山収穫することができました。その後ゴミや花柄を丁寧に取りながら、清水の流水で洗い妻に渡しました。

 妻は早速ミョウガの水気を切って8ℓの広口瓶に入れ、砂糖と米酢で二杯酢を沸かし、熱々の酢をミョウガの上に注ぎました。こうして2~3日置くとあらあら不思議、ミョウガからピンクのポリフェノールが染み出し、ミョウガは鮮やかなピンク色の漬物となるのです。

 冷蔵庫に入れて保存すれば1ヶ月は持つので、白いご飯のお供に最適で食が進みます。昔から「ミョウガを食べると忘れ状がよくなる」そうですが、科学的には何の根拠もないそうです。昔落語のネタにミョウガにまつわる話があって、宿屋の夫婦がお客にミョウガを沢山食べさせ、懐の財布をせしめてやろうと相談して実行しましたが、お客はお金を払うのを忘れて帰ったという落ち話です。私が忘れ状が良いのは認知症のせいではなく、どやらミョウガの食べ過ぎかも知れません。お後がよろしいようで・・・。

「杉林 自生のミョウガ 茎根元 ミョウガの花を 美しきかな」

「昔から 親に似ぬのは ミョウガの子 言われているが 私誰の子」

「忘れ状 良いのは多分 ミョウガのせい 認知症では どうやらないよう」

「落伍ネタ 最後の落ちは 金払う 忘れた客の おもろい話」

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〇昨日も今日も雨・雨・雨

 北上を続けていた台風12号は、心配していた関東地方を直撃することもなく、沖合を通って温帯低気圧になりましたが、西から前線を伴った低気圧が近づき、昨日かから今朝にかけてかなり強い雨が降り、今もかなり激しい雨が降っています。雨が降ると何か得をした気分になるのは、私が口癖のように言っている、「天に向かってブツブツ言うな、雨の日には雨の日の仕事がる」をモットーにポジティブに生きる生き方のせいかも知れません。

大根も本葉が出始め今のところ順調に育っています

 今年の夏は1ヶ月余りほとんど雨が降らず、庭の井戸も底水が枯れるほどの渇水で、その後も大した雨も降らず秋蒔きや秋植えの野菜に、毎朝晩水を遣るのが日課となったいましたが、これでやっと水遣り作業から解放され、井戸水も多分復活するものと思われます。雨が振ったら降ったで心配し、降らなかったら降らなかったで心配するもので、丁度いい具合には中々いかないものです。

 この時期は台風や低気圧がらみの大風に見舞われ、折角伸び始めた大根や白菜などの苗が、風で吹き飛ばされることが多いのですが、今年は今のところ順調に育っているようで、毎朝畑を見回りながら、特に本葉の出始めた大根は草を引いたりして、少しばかり手入れをしています。

 今のところ畑にはナスやピーマンといった夏野菜も残っていて、畑は空いた土地がないほど満席となっていますが、間もなくそれらの夏野菜を片付け、サツマイモを掘った後へ11月初旬に玉ネギを植えれば一段落です。こんな四季の巡りの中で一年を繰り返しながら、私も少しずつ老いの坂道をブレーキをかけながら下っています。

「長梅雨の 後は晴天 渇水で 難儀したけど 昨日今日雨」

「台風が 去ったと思えば 低気圧 前線伴い 風が心配」

「お天気を 気にしながらの 毎日だ 思い通りに ならぬがゆえに」

「四季巡る 一日一日 老いの坂 ブレーキ踏みつつ 下っています」

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〇孫と息子が作った新商品蜜蝋

 一昨日、私が蜂蜜を搾った搾りカスを使って息子と孫奏心が、裏の台所で蜜蝋づくりに挑戦していました。私も1~2度やっては見たものの上手く行かず諦めて、毎年蜂蜜を搾った搾りカスはゴミ袋に入れ、生ゴミとして廃棄処分をしていましたが、これが上手くできると蜜蝋を買わなくても済むのです。

1個3千円の市販蜜蝋と遜色ない孫と息子が作った蜜蝋

 昨日の朝息子が朝食を食べている私の所へ、「結構上手くできた」と、固形した蜜蝋をジップロックのビニール袋に入れて見せにきました。形は四角形、丸型、握り飯風と様々ですが、息子が昨年ネット販売で買った、1個3千円の日本蜜蜂蜜蝋と比較しても、純度も高そうな黄色い色合いをしていて、先ずはいい出来だと褒めてやりました。

 昨日学校から帰ってきた蜜蝋づくりをした孫奏心にそのことを話すと、「蜜蝋は苦労して作ったので、1個300円の値打ちがあるので買って欲しい」と早速商談となりました。孫奏心は兄希心と「なんでも屋カンパニー」という子ども会社を設立していて、何でも1件300円で受注して小遣いを荒稼ぎ?しています。

 妻と相談して3個購入しようと相談しましたが、商品の見栄えをもっと良くするよう注文をつけたいと思っています。孫奏心に「蜜蝋づくりの原材料となる蜂の巣代や、作るために使いガス代はどうするの?」と聞くと、蜂の巣代は100円おじいちゃんに、ガス代は100円おばあちゃんにキャッシュバックする」と、頼もしい答えが返って来ました。面白い発想の経済学です。

「搾りカス 今まで捨てて いたけれど 孫と息子が 利用考え」

「搾りカス 見事に変身 蜜蝋に これを買ってと 早速商談」

「なんでも屋 孫が作った カンパニー 経済学の 基本学ばせ」

「ネットだと 三千円も する蜜蝋 三百円は 安い買い物」

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〇蜂の巣を利用した蜜蝋づくり

 先日蜜蜂の巣箱から巣を取り出し、採蜜作業を行いました。お陰様で2升5合の蜂蜜を採集することができました。採蜜後の蜂の巣はこれまでゴミ袋に入れて処分していましたが、昨日は4連休で休みだった息子と孫が、何を思ったのか巣を鍋に入れてガスコンロにかけ、蜜蝋を採る作業をし始めました。

蜜蝋を採る作業をする親子
鍋に浮かんだ薄い蜜蝋の膜を丁寧に掬い取る孫
掬い取った綺麗な蜜蝋

 巣を煮ると蜜蝋が溶けだすことは知っていましたが、蜂蜜を採ることにだけ心が動き、蜜蝋を採る作業など余りしないので、その様子を傍で見る程度でした。孫奏心はこんな理科の実験が大好きで、煮たてば鍋の上に浮いてくる蜜蝋の薄い膜をお玉で少しずつ救い上げ、水を張った発泡スチロールの箱に入れると、純度の高い綺麗な蜜蝋ができるのです。

 出来た蜜蝋を容器に取り、最後は蜜蝋を溶かして牛乳パックを切った中に流し込み固まらせると出来上がりです。蜜蜂を誘引するため春になると巣箱に蜜蝋を塗って準備をしますが、これまで蜜蝋の殆どは貰ったりネット販売で購入していましたが、これが上手くいけば自給できると、息子はその成果を喜んでいました。

 商魂たくましい孫奏心は、兄希心とこの春設立した「なんでも屋カンパニー」で、出来た蜜蝋を買って欲しいとねだりました。材料の蜜蜂の巣は私が提供するので原価は蜜蝋を採る作業だけです。またまた孫たちのしたたかな子ども会社の作戦にはまりそうです。蜜蝋はローソクにもなるし床や柱磨くワックスにもなります。

「蜂蜜を 取った蜂の巣 利用して 蜜蝋作る 親子の作業」

「蜜蝋は これまでネットで 注文し 買っていたけど 自給のめどが」

「採集した 蜜蝋牛乳 パック入れ 固めて保存 商品となる」

「この蜜蝋 買ってください カンパニー 孫の作戦 知らぬふりして」

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〇お彼岸のお墓参り

 例年春と秋の彼岸が来ると、彼岸に入る前にわが家と妻の実家のお墓に妻と二人で出かけ、お墓の掃除やシキビを供えるのですが、今年は妻の高齢者運転免許更新が入り、お墓へ行く機会を逸してしまいました。昔から「入り花を立てるな」と言われていて、つまり彼岸に入ってからはシキビを供えないように、祖母や父母から言われていたことが気になっていました。

 昨日は妻の運転免許証更新も無事終わり、仕事も3連休中日で休みだったので、人間牧場までシキビを取りに行ったその足で妻の実家の八幡浜まで走り、お寺の境内のお墓に登りました。お墓は八幡浜湾が一望できる絶景の場所にありますが、お墓のあちこちには少し夏草が生え、二人で大汗をかきながら草引きや落ち葉を集めて大掃除をしました。妻の実家の長男は東京暮らしをしているので、妻は長女ゆえ出来る範囲でこれまでもこれからも、手助けをしたりしようと思っています。

 墓地のあちこちに目をやると、墓地の事情にも少しずつ変化が見られ、お彼岸でも掃除が行き届かずシキビを供えていないお墓も年々目立つようになっています。日本では高齢化の波やお墓そのものに対する畏敬の念が薄れつつあるようで、少々心が痛みました。かく言うわが家も、そろそろ墓守の代替わりを考えなければなりません。わが家には仏壇と神棚が2つあって、毎日の様にご飯を供え手を合わせたり柏手を打ったりして祈っているし、家の入口に祀っているお地蔵様も、毎月21日には赤飯を炊いて供えたりお接待配りをしていますが、長男夫婦ゆえに当たり前と思っているこれらも、これからどう長男夫婦に引き継ぐか・・・、中々難しい問題のようです。

「今年は 少し遅れて 墓掃除 お許しください 先祖に詫びる」

「妻実家 跡取り東京 墓守も 中々大変 これからどうする」

「墓地見ると 荒れたりシキビ 供えない お墓次第に 増えているよう」

「長男に どう引き継ぐか 色々と 考えてるが そろそろ潮時」

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〇第5回地域教育南予ブロック集会(その1)

 昨日は忙しい一日でした。午前中町内の翠小学校運動会に出席し、少し早めの9時30分に自宅に戻り、佐田岬突端の伊方町三崎で行われる第五回地域教育南予ブロック集会に出席するため、同行予定の友人浜田さんに自宅まで迎えに来てもらい、浜田さんの車で海岸国道378号を保内まで走り、その後三崎半島の頂上線国道197号を通って瀬戸町塩成の木嶋水産に立ち寄りましたが、あいにくお休みでした。近所に住む友人の緒方さんに電話を入れたところ在宅とのこと、訪問してしらす丼とトコロテンまでお御馳走になりました。緒方さんは私の誕生日に毎年花束をいただく特別な友人です。建築業を営むご主人は所用であいにく留守でしたが浜田さんを交えた3人で、楽しいお喋りをしました。

 その後堀切に架かったアーチ橋の下をくぐり、三机地区に住む元瀬戸町商工会経営指導員の奥山さん宅を訪ねました。三机は戦時下極秘で真珠湾攻撃のための潜水艦訓練の地となった場所です。毎年終戦記念日が近づくと尊い命を落とした9軍神のことが話題に上りますが、戦後75年経っていることもあって、日常はすっかり忘れ去られたような存在です。奥山さんの奥さんと私の妻が八幡浜高校時代同級生だったことや、奥山さんの先祖が網元をしていた頃、私の先祖と相計ってアメリカ式巾着網を導入した因縁があったことを私もおぼろげながら知っているので、出会いはその後も続いているのです。また私の祖父は瀬戸町小島の出身、妻の母親は瀬戸町大久出身ということもあり、深いご縁の土地なので、時々顔を見せています。

南予ブロック集会のプログラム

 そうこうしているうちに、12時近くとなり、この日の本題である第5回地域教育南予ブロック集会の会場である伊方町役場三崎支所に向かいました。支所前の三崎中学校運動所に車を駐車し、予定通り30分前に2階会議室に到着しました。東・中・南予に分かれてブロック集会を開くようになって5年目を迎えていますが、集会はこれまで東予は西条市、中予は松山市、南予は西予市で開かれていましたが、今回初めて南予ブロックでは伊方町三崎で開かれました。三崎といえば最近は三崎高校がユニークな活動をしていて、ワークショップではそのことをテーマに、面白い集会がスタートしました。実行委員長を務めた浅野さんと、主催者であるネットワークえひめ代表の思いは、当日の資料表紙裏に綴られています。

表紙裏の浅野さんと私の文章

「ブロックの 集会前に あちこちへ 立ち寄り旧交 温めながら」

「先々で 心のこもった おもてなし 南予の人の 変わらぬ愛顧」

「佐田岬 先端離れて いるけれど やること先端 興味津々」

「高校生 中々やるな 感心し 黒子の先生 ここにもしっかり」

目標
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