人間牧場

〇水と健康

 今年も暑い夏がやって来ました。夏は暑くて汗をかくためノドがよく乾きます。特に農作業をした時などは、着ている作業服が汗でずぶ濡れになって、脱水をしていない洗濯物のように、搾ると滴り落ちるほど大量の汗をかきます。

最近はペットボトルが普及して、町中の至る所に置かれた自動販売機で手軽に買い求めることができるので随分助かりますが、ペットボトルの難点は暑い外気温で直ぐに温くなってしまうことです。そのため魔法瓶に氷とお茶を入れて持ち歩き小まめに水分補給をしていますが、汗をかいて飲む冷えた水分は、まさに砂漠でオアシスに出会ったような美味しさです。

 私たちは何気なく水を飲んで暮らしていますが、意外と水のことには無頓着で、人間と水の関係となるとこれまた知らないことが多いようです。「どんな水をどれだけ飲むか?」は私たちが健康に生きる上で極めて大切なことなのです。

人間の体は約6割が水で、体の至る所に水が存在しています、皮膚の70%、筋肉の80%が水分、血液やリンパ液、消化液も水で満たされています。これらの水は絶えず循環して、体を出入りする水の量は一日2.5ℓにもなるのです。この水の循環が重要で、血液に乗って体の各部位へ運搬されますが、水分がきちんと巡るには①十分な水が補給されていること、②水分の滞りがないという二つの条件が満たされなければなりません。

そのためには水の正しい飲み方が欠かせません。一日に必要な水の摂取量は体重×30ml、50㎏の人なら500mlのペットボトル3本が目安のようです。昼までに500ml、夕方までに500ml、周信1時間前までに500mlくらいのチビチビ飲みが良いようです。水の効果を生かす3つの心得は、①コーヒー屋お茶を水の代わりにしない、②常温で飲む、③運動と併せて飲むのようです。

「何故だろう ペットボトル水 腐らない 世の中知らない ことだらけです」

「人間の 体6割 水分と 聞いて驚く よい水補給」

「体重が 50キロだと 1500ml 3本飲まなきゃ 健康ならない」

「熱中症 ならないように 水補給 今日から少し 心入れ替え」

 

 

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人間牧場

〇カブト虫配布の準備

 わが家の長男息子は、もう間もなく50歳になるというのに、少年時代の夢が捨てきれないのか、カブトムシやクワガタに夢中で、一昨年、昨年に引き続き今年も、松山空港で虫かごに入れたカブト虫を無償配布するというのです。

カブト虫の仕分け作業をする息子
カップに入れられたカブト虫

そのため一年間をかけ、人間牧場の落ち葉ストッカーを使ってカブト虫の養殖をしています。この時期は養殖場で幼虫からさなぎ、成虫となったカブト虫が地上に這い出すので、毎朝6時ころに自宅から片道8kmも離れた人間牧場へカブト虫を捕まえに行くのです。

息子は設計の仕事をしていて夜が遅いため、いつの間にかその役目が私に回ってしまい、渋々嫌々ながらその役目をこなしています。養殖場にはカブト虫が逃げないよう金網の蓋をしていますが、蓋を開けてカブト虫を拾い上げ、カブト虫の餌となる昆虫ゼリーを5~6個養殖場に入れ、持参した虫かごに捕まえたカブト虫を入れて持ち帰る作業を、もう半月ほどもやっている馬鹿な親です。

息子は仕事から帰ると、私の持ち帰ったカブト虫を一匹ずつ小分けをして餌をやったりする仕分け作業を毎晩遅くまで一人でやっていますが、いよいよ松山空港での配布が来週の日曜日に迫って、益々ヒートアップしているようです。これを里山運動とどうつなげて行くか、親子の葛藤はこれからも続きます。

「わが息子 誰に似たのか 首ひねる? 養殖場で カブト虫飼う」

「10キロも 離れた牧場 毎朝の ように私が カブト集めに」

「今年も 飛行場にて カブト虫 無償配布の 予定だそうだ」

「里山に クヌギの森を 作ろうと 遠大構想 着々進む」 

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人間牧場

〇麦わら帽子を買って貰いました

 先日愛用の麦わら帽子の天辺に穴が開き、夏に向かってどうしたものか思案していました。私は昭和19年生まれゆえ、貧しい少年時代に育ったので、何かにつけて勿体ないとの思いが先に立ち、捨てきれないのです。


新しく買った麦わら帽子

ゴミに捨てられた破れた麦わら帽子

妻に言わせれば麦わら帽子は消耗品で、私のそんな姿を「みみっちい」と思うのでしょうか、先日天辺に穴の開いた麦わら帽子を、何のためらいもなくゴミ袋に入れてゴミに出してしまいました。一昨日外出先から帰って見ると、玄関先に真新しい麦わら帽子が置かれていました。妻がホームセンターで買って帰ったらしいのです。

私は春から秋にかけてツバ広い麦わら帽子を被り戸外で作業をします。雨の日にも被るため、雨と太陽の光で麦わら帽子は瞬く間に黒くなって、多少見苦しくなるのです。麦わら帽子のお陰で随分直射日光を遮り、顔の日焼けを防いでくれていますが、それでも最近逢う人毎に私の顔の黒くなったのを見て、「お元気そうですね」とお褒めの言葉をいただくのです。

このところ足繁く雨が降ります。故に戸外に出る時真新しい麦わら帽子を被るのを躊躇しますが、妻が言うように「麦わら帽子」は「消耗品」なので、今年の秋までしっかりと被って、恩恵にあやかろうと思っています。

「愛用の 麦わら帽子 天辺に 大きな穴が 開いて捨てられ」

「物のない 時代に育った 貧乏性 幾つになっても 勿体ないと」

「新品の 麦わら帽子 玄関に ささやかながら 妻贈り物」

「さあこれで 今年の夏も 乗り切れる 新品帽子 被ってさっそう」

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人間牧場

〇夏は来ぬ

 暑い夏がやって来ました。間もなく梅雨が明け、孫たちは来週からいよいよ楽しみにしている1か月余りの、長~い夏休みが始まります。ここに来て大型の台風5号が発生したようで、今朝の予報だと週末は台風の影響を少なからず受けそうな雲行きです。

今朝午前3時の台風5号の位置と進路予想

 今日も天気予報では90%との高い確率で雨が降るようで、市内のあちこちのコインランドリーは連日どこも混み合っているようです。最近は洗濯物は外干しという常識が崩れて、部屋干しやコインランドリー利用が増えているようです。昨日は久しぶりに真っ白い入道雲が青空に湧き上がるのが見えましたが、多少暑くても早く夏の太陽の恩恵を貰いたいものです。

真っ白な夏雲

 夏といえばオニユリです。わが家の裏の斜面は、既に2番草まで刈っていますが、その折刈らずに残しておいた、ホタルブクロやオニユリの花が咲き始めました。野の花ですが私に「夏が来たよ!!」とあいさつするように、オレンジ色の花を咲かせ、心を和ませてくれています。

今年も咲いたオニユリの花

 昨日は3ヶ月に一回の健康診断の日で、午前中県立中央病院へ午前中検診に出かけました。病院は満員で立体駐車場は最上階の屋上屋外になってしまいましたが検査結果も上々で、これで元気に夏を乗り切れそうで、まずは一安心といったところです。

「台風が 早くも日本 やって来る 5号の進路 パソコン画面」

「東空 入道雲が 湧き上がり 間もなく梅雨明け 孫夏休み」

「裏庭の 斜面オニユリ 咲きました この花見ると 父母思う」

「昨日は 健康診断 県病院 数値バッチリ 元気が一番」

 

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人間牧場

〇海の日は山で開墾作業

 私のことを「あまのじゃく」と言うのでしょうか?。海の日だった一昨日は、早くも海水浴客で賑わったシーサイド公園砂浜を横目で見ながら、人間牧場下の駄馬の耕作放棄地へ出かけ、草刈り機をブンブン回しながら、汗水を垂らして農作業をしました。

野茨を刈りつけ、向こうが見えるように・・・。
豊田漁港も見え始めました。
梅雨の晴れ間の夕日です。

念願だった厄介な野茨もやっと向こうが見えるまで刈りつけ、早く刈った畑には柔らかい二番草が生えてきましたが、長年耕作を放棄していたために、畑には縦横無尽にカズラが生えて、カズラの根絶をどうしようか?と新たな悩みを抱えるようになりました。

 一か月前に刈りつけた木々を一カ所に集めて火を点け、少しだけ野焼きをしましたが、梅雨時期と言いながら蒸し暑さと炎の暑さで大汗をかき、持参した冷たい水筒のお茶も底をついたので、熱中症にならぬよう早々に引き上げました。

久々に太陽が顔をのぞかせ、この二日間は綺麗な夕日が夕凪の海に沈んで行きました。今年から一念発起し、聞こえの良い里山運動というプロジェクト事業を息子と二人で立ち上げ、耕作放棄地の開墾に挑戦していますが、息子はこのところ仕事とカブトムシの世話が忙しそうで、今のところ孤軍奮闘といったところです。

「海の日に 山に出かけて 野良仕事 私のことを あまのじゃくだと」

「野茨を 刈りつけ向こう 見えてきた 野焼きの炎 大汗誘う」

「熱中症 ならぬようにと 水筒を 妻が持たせて くれたが底つく」

「梅雨末期 綺麗な夕日 わが家から 見えて和みぬ 夏の夕暮れ」

 

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人間牧場

〇市民ミュージカル「アラジンと魔法のランプ」観劇

 先日親友の浜田さんから、松山市民ミュージカルの招待切符が送られてきました。次男息子が劇団イリュージョンで演劇をしていた頃は、よく家族で演劇を見に出かけていましたが、それもなくなり久々の観劇なので、楽しみにしていました。

コミセンでのミュージカル
大掛かりなミュージカルでした

 この日は会場となったコミセン周辺の駐車場はどこも満車で、右往左往しながら少し遠い市民病院近くの駐車場に空きを見つけて駐車し、雨の中を傘を差いながら歩いて会場入りしました。午前10時開場に何とか間に合い、少し後ろの席に妻と二人で並んでの観劇となりました。

浜田さんはオーデションに合格し、最高齢の出演者として130人余りの出演者の一員となり、毎週猛練習に加わって芸を磨いたようで、大王役で30近くのセリフを間違うこともなく淡々とこなし、見事な演技ぶりでした。私には思ってもできない芸当なので、感心しきりでした。

浜田さんは親友玉井さんとともに、グリーンクラブの合唱団にも入り、年末恒例の第九に関わったり、五行歌もするなど、多芸に秀でています。年輪塾の塾生として人間牧場で開かれる子ども体験塾のお手伝いや、水平線の家の清掃作業にも長年関わってくれています。いわば同志、いわば恩人の日ごろの活躍に大きな拍手を送ります。

「仲間から ミュージカル演劇 チケットが 届いて妻と 二人見に行く」

「オーディション 受けて演劇 出演し 大王役を 見事にこなす」

「私には 真似のできない ことなので 感心しつつ 拍手を贈る」

「空中を 魔法のジュータン 飛ぶ仕掛け いやはやお見事 感心しきり」

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人間牧場

〇子ども体験塾底引き網体験航海(その4)

 鯛づくめの料理を食べた子どもたちは漁村センター3階の大広間に集まり、船酔いから覚めた記憶を思い出しながら、感想文を書いたりゲームでひと時を過ごしました。船に乗って沖合に出る目的は、漁師さんのの働く姿を見てもらうことと、沖合に浮かぶ瀬戸内海の島々の様子、それに沖合から見た自分たちの暮らしている双海町の姿でした。

沖合いに浮かぶ島々の名前
手前が猫島で有名な青島、後ろに山口県の平郡島も見えます
双海町の背後には山々が聳えています
体験の感想を語る子どもたち

 双海町は北側に瀬戸内海の伊予灘という海が広がっています。北側に向いて正面から左半分は島がありませんが、右半分には八島、平群島、周防大島、小水瀬島、大水無瀬島、青島、二神島、怒和島、中島本島、釣島、興居島などが取り囲むように見え、私たちは毎日何気なくこの島々を眺めながら暮らしています。(この島々は子ども体験塾の拠点である人間牧場のウッドデッキからも見えるのです)。

一方船に乗ると、私たちが暮らしている双海町の背後には、壺神山、黒山、牛の峰山、明神山が、つい立のように聳えています。「壺神山は壺神ク・ナ・イ(971m)」、「黒山は黒山ナ・ミ・オ(730m)」、牛の峰山は牛の峰ヤ・ク・ロウ(896m)」、「明神山は明神ム・サ・シ(634m」と覚えるよう、子どもたちに教えてやりました。

「双海町 沖合浮かぶ 島々の 名前知ってる 子ども少ない」

「あの島が 猫島青島 あの島は 由利島今は ダッシュ島です」

「あの山は 明神ム・サ・シと 覚えてね スカイツリーと 同じ高さだ!!」

「少しずつ あれやこれやを 教え込む これぞ私の ふるさと教育」

 

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人間牧場

〇子ども体験塾底引き網体験航海(その2)

 袋網が揚がると、漁船の周りには沢山のカモメとスナメリ(イルカ)が集まり、子どもたち小魚の餌を海の上に投げて少し興奮気味でした。やがて網揚げも終わり港を目指して帰る頃には雨が激しく降りだし、子どもたちもブリッジの中に入って船の操船まで体験させてもらいました。

ブリッジで操船体験する子どもたち
船の周りに集まったスナメリ
大漁だった水揚げされた魚
自分が獲ったと言わんばかりの集合写真

港に帰るとそれぞれの漁船で獲れた魚が水揚げされましたが、どの船も大漁だったようで、大きな鯛やチヌ、ヤナギダイなどに交じって珍しいエイや鮫、中には高級魚のヒラメやマナガツオまで獲れて、大満足でした。子どもたちはさも自分が獲ったと言わんばかりに、漁の模様を自慢していました。

準備の都合もあって、子どもたちが食べる魚は前日に用意され、スタッフの料理係の人たちが既に美味しい魚料理を用意してくれていて、早速子どもたちは漁村センターの調理実習室で、鯛の刺身、鯛の海鮮丼、鯛の吸い物、鯛のアラ煮など、鯛三昧の豪華な料理に舌鼓を打ちました。

毎年のことながら、子どもたちは地元の漁師さんたちの熱意ある協力で、漁村ならではの体験ができることを嬉しく思っています。お礼を言うと「子どもはこの町の宝ですから・・・」と嬉しい言葉が返ってきました。

「網揚がる 船の周りに スナメリが 沢山集まり 子ども餌投げ」

「スナメリが 手の届くとこ やって来る こんな感動 滅多に見れない」

「鯛ずくめ 子どもお替り 相次いで 満腹手合い 笑顔飛び交う」

「この町の 子ども宝と 言う漁師 嬉しい言葉 感動ものです」

 

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人間牧場

〇孫が貰って来た鮭の木彫り

 4年前に亡くなった親父は骨董品が好きでした。私も親父の血を引いているのか古い物に興味があり、親子二代で集めた骨とう品や古いものを、家の敷地内の倉庫を改造して海の資料館「海舟館」を造って納めていますが、わが息子も建築設計の仕事をしていることあって、私と親父ほどではないにしてもそれなりに関心を示し、これからもこれ等の展示委資料を大事に保存してくれるものと思われます。

孫が私のために貰って来た鮭の木彫り

 2~3日前、4年生になる孫奏心が、ランドセルを背負って下校途中、通学路にある自動車さんの前を通りかかったそうです。自動車屋さんは犬を飼っていて、時々あやすためなついて、また自動車さんのご夫婦とよく挨拶をして顔なじみとなっているので呼び止められ、持っている鮭の木彫りをいただいたそうです。私が古いものを好きだということを知っているようで、帰るなり「おじいちゃんが歓ぶと思って、鮭の木彫りを貰って来た」と、一抱えもある鮭の木彫りを手渡してくれました。

この木彫りの鮭は本物と見間違えるほど良くできていて、私は喜んで孫から貰い受けました。早速海の資料館に展示をすべくあれやこれやと画策をしていますが、鮭は川で産卵ふ化し、川を下って海に出ます。何年か後鮭は自分の生まれた川を遡上して、親と同じように命の連鎖を繰り返し一生を終えるのです。「母川回帰本能」という不思議な生態を孫に話してやりましたが、海の資料館にまたひとつ新しい展示品が増えました。

「親子孫、 同じような こと興味 爺ちゃんのため 鮭の木彫りを」

「本物と 見まがうほどの 鮭木彫り 早速展示 あれこれ画策」

「川下り 海で暮らして 元の川 戻って産卵 はかない一生」

「じいちゃんが 喜ぶだろう 思ったと 殺し文句に ついついホロロ」

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人間牧場

〇弁慶ガニ

 昨日の夕方、夕食を終えてウォーキングに出ました。昨日は蒸し暑く、いつもの速さで歩きましたがかなり汗をかきました。少し暗くなった川向うの道を歩いていると、見慣れぬ若い女性が2人、うずくまって何やら地面を見ていました。言葉遣いからしてその女性が近くの水産会社で実習生として働いている人たちだと、直ぐに分かりました。

 日本語で話しかけると、片言の日本語で応じてくれました。私「何をしているの?」、女性「カニを探しています」でした。その場を離れて清流橋付近まで来ると、街灯に照らされた足元に無数の弁慶ガニが橋を渡っていました。急いでベトナム人女性の所まで引き返し、「カニが沢山いる」ことを告げると、小走りで橋の袂まで来て、夢中になって弁慶ガニを手で捕まえ、ナイロン袋に入れていました。

「そんなに捕まえて何にするの?」と尋ねましたが、二人は私の問いかけにも答えず、夢中になってカニと戯れていました。毎年この時期になると天一稲荷神社下の周辺では、弁慶ガニが沢山見かけられますが、車道のため車に踏み潰されてあえなく死んでしまうものもあるようです。

弁慶ガニは干潟や岩陰で暮らしていますが、食用にしないためこれほどいても誰も見向きもせず、私もその生態に興味があって一度調べてみたいと思っていますが、中々その機会に巡り合うこともありませんでした。写真だけでも撮ろうと家まで引き返し、単車で清流橋まで引き返しましたが、この日は街路灯に無数の害虫が集まり、体中虫がまとわりつくので、早々に引き上げました。

「ベトナム人 若い女性が 暗がりで 弁慶ガニに 夢中になって」

「橋の上 弁慶ガニの 大移動 いやはや凄い 早速写真」

「無残にも 橋の上には カニ死骸 あちこち産卵 心が痛む」

「子ども頃 弁慶ガニを 捕まえて 遊んだ記憶 蘇りつつ」

 

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