人間牧場

〇歳を理由の年賀状絶縁宣言する人たち

 正月元旦、今年も沢山の年賀状がわが家に届きました。世の中ではパソコンやスマホの普及によって、年賀状離れが進んでいるようですが、便利なツールであるデジタルもさることながら、アナログな年賀派ハガキは捨て難い味があります。居間のコタツに入りテレビを見ながら、一枚一枚めくっては送り主の顔を思い出しては懐かしみました。

       出した年賀状

 

届いた年賀状

 昨日届いた年賀状の中に、「耳も遠くなり目も見えなくなり、記憶も薄れつつあり、足腰も弱ったので、今年を最後に来年から年賀状を出しません」と、年賀状絶縁宣言ともとれるものが3枚ほどありました。その人はいずれも70歳そこそこで私より若いはずなのに、年賀状を書くことが煩わしいのか、はたまた1枚62円の値上がりした年賀ハガキを買うお金がないのか、知る由もありませんが、思わず「う~ん」と考え込んでしまいました。

 確かに私のように未だに500枚も年賀状を出すと、62円×500=31,000円に印刷代も加えると4万円近くになり、年金暮らしの身に大きな出費は痛手です。しかし年に一度音信を確かめ合う年賀状の価値は、4万円には代えられない大きなものがあるのです。歳を取ると「もう年齢だから」と年齢を理由に、また「格好良い引き際」を理由に表舞台から消えようとする傾向があるようです。

 しかし、年齢を重ねたことを理由に人や社会から離れると、益々孤独になってしまうのです。そういう意味から考えると、人の目や社会の風潮を気にすることなく、むしろもうひと踏ん張りしながら生きる方が認知症予防にもなるし、健康寿命を伸ばすことにも役立つような気がするのです。早速年賀状絶縁宣言のハガキをくれたNさんに電話を入れ、「あなたから年賀状が届かなくても私は来年も出しますから」と、やんわり復縁を迫った結果、「考え直す」とのことでした。

「年賀状 今年も沢山 いただいて コタツでテレビ 見ながら見入る」

「全国にゃ こんなに沢山 わが名前 憶えてくれてる 人がいるとは」

「もう歳と 理由をつけて 絶縁状 寂しき生き方 電話復縁」

「世の中は 変えちゃならない ことまでも 変ってしまって どこか可笑しい」

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