人間牧場

〇公友会誌が届きました

 毎日2本のブログを書き、毎日3枚のハガキを書き、毎日書き言葉に関わって日々を暮らしていると、いつ何をどのような書いたのか分からなくなり、送られてきた雑誌や新聞などの掲載記事を見て、「ああこんなこと書いていた!!」何て思い出したりしています。でもそのままやり過ごしてしまうと、折角書いたものが記憶の隅にも残らないので、極力残すようにしていますが、これまで掲載された記事が余りにも多いため、結局はしまい忘れてしまうという悪循環を繰り返しています。

 それでも近頃は紙ペースよりもコンパクトに収まる、デジタルにして保存できるようになりましたが、記憶力や検索能力の衰えて行く今後を考えれば、結局元の木阿弥、私が年老いたり死んでしまうと、ゴミの運命を辿ってしまうことは、私より早くあの世に旅立った仲間の結末を見れば明らかなのです。人はこうして消される運命にあることを覚悟して余命を生きなければなりません。昭和という時代に大きな足跡を残し、死後まもなく国民栄誉賞に輝いた偉大な国民的作曲家古賀政男さんも死ぬ数日前、『自分の作った歌は苦しい時代の歌ゆえ、平和になれば忘れられるから、早く忘れられるような世の中になって欲しい」と述べています。

はてさて、数日前私が会長を務めている公民館OBの会公友会から会誌が届きました。いつも拙文は免れないものの会長ゆえ少し長めの文章を書いて、近藤局長へメール便で送りましたが、実直な局長に校正までさせてもらいながら、届いた会誌を読み返しながら、書いたはずの内容すらはっきりと覚えてないのですから始末に負えません。会誌も積読の運命を辿るのですから、スキャンしてブログ記事にしておこうと思い、今回もまた無駄な抵抗をしています。アッハッハです。

「書いた記事 何を書いたか 忘れてる 忘れるからこそ 人は生きれる」

「掲載の 雑誌も積読 運命を 辿るであろう 悲しいけれど」

「私など 見栄を張っても ゴマのハエ 社会の片隅 気にもされずに」

「ああ今日も かくてありなん 明日もまた かくてありなん 恐らくその後も」

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