人間牧場

〇今月の五行歌

 昨日松山五行歌の見山あつこさんから、今月の五行歌歌会の報告書が届きました。今月も締切日を知らせる見山あつこさんからのメールに自戒・反省・反応し、ダメ元で即興創作となってしまいました。私の今月の駄作です。
  歩く
  歩く
  ひたすら歩く
  一万歩目指し
  昨日も今日も

 ☆印の講評に次のように書かれていました。
 ~「歩」という字が四つも出てきました。たくさん歩いている姿が目に浮かびます。「今日も明日も」ではなく「昨日も今日も」としているところが、今まで通りこれからも歩き続けようという姿勢が感じられる作品となっています。ただし歩き過ぎだけはにはご用心を!というアドバイスもありましたよ。~   納得の講評でした。「いいね記号」連発押しです。

ちなみに出席歌の一席は玉井恭介さん次の歌でした。
  生きていて
  楽しいことの
  一つは
  人の善の話を
  することです 

 ちなみに作品の中に、永井純子さんの次の作品があり気に入りました。
  レンジでチン
  スマホでピッ
  昔は
   「待つ」という
  楽しみもあったのになあ

「今回も 督促メール せかされて 即興駄作 メール返信」

「講評は 私の心 お見通し 言い得て妙で 納得感心」

「成長も せずに今年も 終わりそう ワンランクアップ 目指しているが」

「締め切りを 守れるように なりたいと 予定表書く それさえ忘れ」

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〇もしもピアノが弾けたなら・・・

 私が書斎として使っている部屋は畳10畳敷きもある応接間です。昔の家はどちらかというと座敷や応接間などの客間に力を入れて、居間などをないがしろにしていました。私の家も45年前に建てた時はそんな方針でしたが、子どもがそれぞれ独立してからは2階の座敷3間と子ども部屋1間が空き部屋となっていました。幸い7~8年前から長男家族が同居するようになって、2階の部屋は全て埋まりましたが、1階の応接間だけは勿体ないと思い、私の書斎を引っ越しました。以来この応接間は私の書斎となり、知のコンテンツを高めるため大いにに役立っていますが、応接間には娘が子どもの頃習っていたピアノが置かれその一角を占拠しています。

わが書斎に座ったままのピアノ

 時々孫2人が戯言でピアノを弾いて遊んでいたり、私も時々タヌキが石を投げるように弾いていますが、これといった役割も持たず今に至っています。松山に住んでいる娘にそのことを話すと、そのうち引き取ると言いながらもう20年近くもそのままで、一昨年娘一家が家を新築したのを機会に話を持ち出しましたが失敗に終わりました。多分このままだと私の生きている間には何の変化も起こらないのではと危惧しています。今朝書斎でブログを書きながらふとそのことが気になり、ピアノの蓋を開けて童謡を何曲か弾いてみました。下手糞のそしりは免れませんが、まあそれなりに弾けました。

何年か前俳優で歌手の西田敏行さんが、「もしもピアノが弾けたなら」という曲を歌い大ヒットしました。歌詞の「~だけど僕にはピアノがない~」ではなく、現にピアノがあるのですから、少し勉強して練習し、ピアノが弾けるようになれば自分の人生は豊かなものになるはずでしょうが、年齢から考えると時すでに遅しといった感じがしています。クラッシック音楽など分からない私ゆえ、童謡や流行歌程度しか弾けませんが、ハーモニカの練習をしたお陰で、200曲を超える曲を吹けるようになった自分のことを思えば、今からでも遅くはないかも・・・・なんて、甘い誘惑に誘われそうになっています。「もしもピアノがなかったら、書斎はもっと広く使えるはず・・・・」なんて、頓珍漢な考えを持った朝でした。

「わが書斎 畳10畳 一角に 娘のピアノ 行く当てもなく」

「わが書斎 使いたいけど ピアノデン 置かれたままで 多分ずうっ~と」

「そういえば もしもピアノが 弾けたなら 歌思い出し 口ずさみつつ」

「音楽は 日々の暮らしに 彩を 添えるはずだと レコード聴き入る」

 

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〇体調今一なれど忙しい

 朝から雨模様の天気だし、風邪を引いて今一馬力が出ないこんな日は、自宅でのんびりしたいところですが、今日は非常勤講師をしている大学の、週に一度の講義日なので、勇気を出して出かけました。毎週水曜日は自宅を11時前に出て、自家用車で約1時間半の道のりを走ります。大学到着後12時30分に講師控室に入り、出勤簿の押印や講義の最終確認をして13時から90分間、息も切らさず学生に対して講義をしています。

非常勤講師の名札
11月30日のえひめ景観シンポパンフレット

 愛媛大学法文学部の非常勤講師や愛媛大学農学部の客員教授を長年やって、講義のコツは飲み込めていますが、後期の15コマ、しかも私の学科は「行政学」とあって、最初は少し緊張しましたものの、今日で9回目なので、体調不良ながら落ち着いて講義をすることができました。年末までに3コマ、1月に3コマの講義をすればいいので、やっと少し先が見えてきたような感じがしています。

 講義が終わっての帰り道、伊予市街で馴染みの散髪屋へ立ち寄り、男前を上げました。明日は週末に予定されている地域教育実践交流集会の準備のため大洲青少年交流の家へ、明後日は新居浜市のあかがねミュージアムで開かれる景観シンポジウムの基調講演とパネルディスカッションのコーディネーターをやらなければなりません。また続いて週末土日は国立大洲青少年交流の家で行われる予定の、地域教育実践交流集会の実行委員長として、慌ただしい日々が続きます。早く体調を回復せねばとヤキモキしているのは、わが妻のようです。

「体調が 今一なのに 忙しい 休むことなど 勿論できず」

「さあ今日は 少し早めに 寝なさいと 妻に諭され その気でいます」

「散髪で 男前上げ 帰宅する 風邪引きなのに 何もそこまで」

「前世では 私魚の マグロかも 泳ぎ止めたら  死ぬかも知れぬ」

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〇昨日はハガキを20枚も書きました

 早くも年賀状の整理をしなければならない師走が近づいて来ました。「毎日ハガキを3枚書いたら幸せになれる」という言葉を信じて、毎日3枚のハガキを書いていますが、このところ忙しかったため、いただいたハガキやお世話になった方々が余りにも多過ぎて、3枚のハガキでは書ききれず傷心の日々を過ごしていましたが、昨日はスケジュールの隙間ができたので、ハガキを20枚も書いてしまいました。

 私は普通、パソコンに写真を取り込んで画像ハガキを作りますが、パソコンの操作を今一飲み込んでいないため、時折逆さまにプリントしたりするなど、笑うに笑えない失敗をしたりします。値上前、郵便局で大量に買い込んだ1枚50円時代のハガキもまだ沢山残っていて、12円の切手を貼らなければならないため、毎日のようにハガキを書けば郵便局の窓口へ出かけ、郵便局員さんと簡単な会話を交わすのも楽しみのひとつです。

自宅から郵便局までは500~600m程度なので、毎日1万歩を目指すウォーキングにも役立っていますが、一日にハガキ3枚を書く効果は思わぬ禍福をもたらしています。私の推奨する言葉に触発されてハガキを書くようになった人も何人かいて、ハガキによる交友の輪は広がりつつあります。いかんせん、私は字が下手で皆さんのような美文字は何年経っても書けず、今ではこれも個性だとむしろ胸を張って諦め、相変わらず下手糞な文字のハガキを書いています。

「1日に 3枚ハガキ 書く習慣 どうにかクリア 凡事徹底」

「スケジュール 隙間見つけて 20枚 書いてポケット 郵便局まで」

「近頃は 私の巧みな 口車 乗ってハガキを 書く人増えて」

「わが文字は まるで象形 文字のよう これも個性と 思い納得」

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〇景観に優しい国道378号のガードパイプ

 私の住んでいる伊予市双海町は、まちの北側に瀬戸内の海が開け、東西ほぼ一直線に海岸線が伸び、国道378号がJR予讃線と並行して走っています。ゆえに自慢するほどずう~っと海を見ながら走れるのです。子どもの頃はこの道も県道で、離合さえままならぬ「いんぐりまんぐり」の細い道でした。

昔はこんなガードレールでした(イメージ)
今はこんなガードパイプになりました

 国道になれば国の予算が格段に増えて、改良工事が行われるため行政も、「国道昇格」を最重要テーマとして、盛んに国県に対し陳情運動を繰り広げた結果国道378号に昇格し、高度成長や日本列島改造のブームも後押しし、海を埋めてて今に見られる立派な国道が完成したのです。

 当時の国道は安全が第一で、海に車が落ちないように、白くて幅の広いガードレールが無機質に設置され、折角の海の見える景観も台無しでした。当時まちづくりに深く関わっていた私は、国道を管理する伊予土木事務所を訪ね、ガードレールを海のよく見えるガードパイプにして欲しいと、景観行政の必要性を説きましたが、財政事情や安全性を理由に冷たくあしらわれました。

 それでも粘り強く言い続けた結果、老朽化し始めた場所の改修を理由に、次々とガードパイプに変身し、嬉しいことにいつの間にかその殆どが薄いブル―色のガードパイプになったのです。地域に住む人々にとって海がよく見える景観は原が満腹になるでもなく、それほど意味もないことなので、「そういえば」程度で気づいていませんが、心ある人はしっかりとそのことを認識しているようです。

 国道378号に愛称をつけるという私の提案に対しても、「国道は番号で識別できる」と、一人の役場職員の戯言として聞き流されましたが、「住民運動なら仕方がない」という話を取り付け、全国公募して応募4800件の中から「夕やけこやけライン」という愛称を選び、今では道路地図の殆どに「夕やけこやけライン」として載っているのです。してやったりの心境です。

「海景観 損なうからと 訴えた ガードレールが ガードパイプに」

「行政は 一に前例 二にお金 やらないことを やれないと言う」

「声上げた 一人の役場 職員の 戯言冷遇 粘り腰勝ち」

「今にして 思えば色々 あったけど 小さな町が 見事変身」

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〇蜜蝋精製

 今年の養蜂も、7升の収穫を得て不本意な成績ながら無事終わりました。巣箱を片付けたりしながら既に来年に向けて、キンリョウヘンのハウス内への移動など、準備を始めていますが、これまで殆ど捨てていた蜂蜜収穫の搾りカスから、蜜蝋を採ろうという話が息子とまとまり、夕方準備をしました。

孫も手伝ってかまどに火入れ
蜂蜜のの搾りカス
お湯で溶かして蜜蝋精製
粗精製した固形蜜蝋

 倉庫からかまどを出し、鍋をかけて火を点け、お湯を沸かしました。その中に少し小さいステンレスの鍋をさらに入れ、お湯が60~70度になったら、最後に蜂蜜を採った搾りカスを少し目の細かい金網のすくい網に入れると、蜜蜂の巣が解け始め、蜜蜂の死骸やゴミと蜜蝋が分離し始めました。

蜜蝋は60~70度の温度で溶けるようで、最初は面白いように分離しましたが、すくい網の目が黄色い蜜蝋で詰まるにしたがって、作業効率は悪くなったものの、30分ほどで搾りカス全部の精製を終えました。薄暗くなったので作業を中断しましたが、今日にでも精製を続け純度を上げたいと思っています。

蜜蝋はローソクの原料にもなるし、昔は蜜蜂の蜜蝋を廊下の板磨きにも使ったそうです。息子はやがてローソクも作りたいと意気込んでいますが、私は願わくば来春巣箱設置の時、巣箱にバーナーで溶かして塗る蜜蝋として再利用したいと思っています。蜜蝋は市販されていますが、特に日本ミツバチの蜜蝋は貴重で高く、実験が成功すれば来年から養蜂がさらに進化しそうで、とても楽しみです。

「蜂蜜を 搾ったカスを 再利用 蜜蝋精製 新たな挑戦」

「息子・孫 私と3人 まずかまど 火を焚き鍋に お湯を沸かして」

「鍋に鍋 すくい網入れ 搾りカス 入れると 蜂の巣溶けて 黄色い蜜蝋」

「とりあえず 今年の蜜蝋 来年は 巣箱に塗って 蜜蜂誘因」

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〇白滝の紅葉

 この1ヶ月余り、妻の実家の義理の姉が末期がんで病の床に就いていたため、暇を見つけて片道1時間の道のりを、仕事を終えた妻は見舞いに出かけていました。その義姉も薬石功なく天国へ召され、慌ただしい中にも仏事を終えましたが、この5年間に相次いで私の父、妻の妹、妻の兄、私たちの義姉と傷心の面持ちで他界へ見送った妻の心境を思うと、悲しい思いがつのります。

 昨日は所用で大洲へ行く途中、気晴らしに急な思い付きで白滝の紅葉を見ることにしました。昨日は瑠璃姫祭りの当日でしたが、私たちが訪ねた午後3時過ぎにはお祭りの余韻程度でした。川沿いの道の有料駐車場で300円を払い、妻はサービスのため置いていた竹の杖を借りて登り始めました。麓では顔見知りの人たちが餅つきの最中でしたが、お餅のお接待を受け、お餅の好きな妻はお餅を3パックも買い求めました。

 急な坂道を登ると幾つもの滝や色づいた紅葉か幾重にも重なり、見事なインスタ映えでした。このところの傷心で少しやつれた感じがして嫌がる妻を、「記念に一枚」と誘って2枚ほど撮ってやりました。今年の秋は義姉の病気のこともあって、紅葉狩りに行く暇もなく終わろうとしていましたが、ここに来て身近な場所で紅葉を楽しむことができました。帰りに立ち寄った臥龍の湯の駐車場でも綺麗な紅葉を見ることができました。

「この五年 相次ぎ身内 他界へと 見送った妻 傷心面持ち」

「あれやこれ この1ヶ月 忙しく 紅葉を愛でる 暇もなく 秋は足早 去ろうとしてる」

「白滝の 紅葉を愛でに 立ち寄りぬ 滝の流れと 紅葉美し」

「顔見知り 仲間餅つく 傍通る お餅接待 有難きかな」

 

 

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〇由並小学校6年生に双海をレクチャー

 数日前、公民館の隅田主事さんから、由並小学校の6年生の授業で、双海の歴史について学習しているので、協力して欲しい旨の連絡が入りました。折角だから由並本尊城跡に登って学習するべく、担任の先生と隅田さん、大森さんの3人で、前々日下見に出かけたようですが、昨日は雨が止んでいたもののぬかるんでいるようなので、急遽地域事務所の図書室に場所を変え、午前中11人の6年生児童と交流学習会を持ちました。

 事前に届いていたメールでの質問は、由並の歴史①由並の名前の由来や歴史(成り立ち)、②本尊山・本尊城について、③千人塚について、文化・伝統④オガタマの木やチョウチョはどういうものなのか・なぜ有名なのか、⑤地域の人にとってオガタマの木やチョウチョはどういう存在なのか、両谷の獅子舞⑥歴史目的、⑦残していくためにしていること・やっている人の願い、郷土料理⑧由並の伝統文化や郷土料理とは、史談会⑨史談会を作った目的、⑩どのような人で構成されて、どのような活動をしているか、⑪由並地区を知らない人や、訪れたことのない人に伝えたいことはあるかなどでした。

史談会から参加した私と大森さんが、それぞれの質問に得意の分野を短くレクチャーしましたが、みんな熱心にメモをして聞いてくれました。今年は先日行われた上・下灘公民館祭りの会場に、史談会が学習でまとめた方言を「ふたみの方言コーナー」として展示したこともあって、学習の成果を少なからず社会に広めて行くこともできました。これからは史談会が今回の学習のように加わることも大切であることを実感した半日でした。

双海学ともいえる学習のバイブルは、何と言っても平成の合併時に刊行した「改訂版双海町誌」です。愛媛県生涯学習センターでこの刊行物は既に電子図書化されていて、内容は多少難しいものの、インターネットに明るい小学生高学年であれば十分調べることができるので、折に触れ自分の住んでいる町のことを学んで欲しいと願っています。

「メールにて 6年学習 お手伝い 依頼があって ノコノコ出かけ」

「メールにて 質問事項 聞いていた 双海町誌で 事前に調べ」

「史談会 あれやこれやと 忙しい 教育(今日行く)教養(今日用) 元気にこなす」

「少しでも 地域貢献 できないと 生きている価値 ないもの自覚」

 

 

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〇QRコード

 3日前私は沖縄へ講演旅行に出かけるため飛行機に乗りました。数日前主催者から私の所に往復の航空チケットが送られてきましたが、最近の予約航空券はA4の紙にプリントアウトした簡単なもので、右端上に真四角のまだら模様のQRコードが印字されていました。

QRコードの航空チケットで沖縄往復

私のような古い人間には、こんなまるで落書き模様のようなもので、本人と識別できるのだろうか?といつも不安に駆られるのですが、チェックインの読み取りカメラにこのQRコードをタッチすると、自動的に入り口の扉が開き中へ入れるのですから、驚くという他はありません。

「何でこうなっているのだろう?」と不思議がるものの、これほど普及しているものについて、「えっ、それも知らないの?」とバカにされそうで聞くこともできず、調べることもなくただ何となく使って、何となく便利さを享受しているのです。

バーコードとは、縞模様状の線の太さによって数値や文字を表す識別子のことで、数字・文字・記号などの情報を、一定の規則に従い一次元コードに変換し、レジスターなどの機械が読み取りやすいデジタル情報として入出力できるようにしているのですが、今やありとあらゆる場所に普及していて、そのメカニズムを知らないのはどうやら私だけのようです。

何年か前、地元の特産品売り場にバーコードを導入しようとしたところ、野菜を出荷しているおじいさんが、「バーコードはおばあさんが使う物、わしは男なのでジーコードにしてくれ」と文句を言ったという、まるで落語のネタになりそうな話が懐かしく思い出されます

バーコードの配列がクワイエットゾーン、バーコードシンボル、スタートキャラクター、データメッセージ、チェックデジット、ストップキャラクタなどで構成されていると聞いても、その横文字すら、「それどういう意味?」と聞き返さなければならない私は、もう完全に時代遅れな人間なのです。

「バーコード 知っているふり して使う 知ろうとしても 難し過ぎて」

「縞模様 まるで落書き それだけで 飛行機ゲート 開けて乗せる」

「バーコード 聞いた爺さん 俺男 ジーコードにしろ 文句懐かし」

「ああ俺も 時代遅れの 烙印を 押されています 死ぬの待つだけ」

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〇沖縄県社会教育研究大会での記念講演に招かれました

 私は一年中請われるまま全国各地へ講演・講義などにに出かけていますが、ひょっとしたら今年の講演先で一番遠いのかも知れないと思いながら沖縄へ行くのを楽しみにして出かけました。会場は那覇市にほど近い南風原と書いて「はえばる」と読む町で、前もってインターネットの地図情報を検索するのに、「何と読むか?」で多少戸惑いましたが、「はえばる」でOKでした。北の北海道は語源の多くがアイヌ語で読みにくいのと同じように、南の沖縄も地名の呼び名が独特です。

道端に咲くハイビスカスの花
那覇市役所前のガジュマルの木根
沖縄のあちこちで見られる守り神シーサー

ホテルから講演会場までは生涯教育課の女性社教主事さん運転の車で向かいました。沖縄には離島も沢山あって、県内移動ながら参加するのに飛行機を使い、宿泊しなければならない人も沢山いますが、南風原町中央公民館大ホールには既に県下各地から大勢の人が集まり開会を待っていました。開会式が終わるといよいよ私の出番です。私に与えられた演題は「活かそう!みんなの学び つなごう地域の輪」でした。約90分間音響の良いマイクを片手に目いっぱい熱弁をふるいました。

大会開会前の南風原中央公民館大ホール
大会開会前のステージ風景

ステージ上で講演する私の体感したフロアーの参加者反応は上々で、アドリブながらまあそれなりの出来上がりでした。本当はせっかくの沖縄なので、じっくりと楽しめばいいのでしょうが、スケジュールが詰まっていたり、義姉の訃報もあって、そんな余裕もなく送ってもらった那覇空港から飛行機に乗り、大阪伊丹空港経由で松山空港までANAの飛行機でトンボ帰りとなってしまいました。再び沖縄を訪れる機会があれば、朝のウォーキングで散策した国際通りや守礼の門、南部戦跡なども訪ねたいと思っています。

「道端に 何気なく咲く 赤い花 南国ならでは 写真に収め」

「あちこちに シーサー置物 大中小 沖縄ならでは表情様々」

「県庁の 職員さんも アロハシャツ しかも半袖 私ゃ長袖」

「壇上で マイク片手に 熱弁を 振るう私に 大きな拍手」

 

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