人間牧場

〇孫のお守り

 看護師をしている次男息子が横浜へ長期研修に出かけて、早くも5か月近くが経ちました。研修を終えて帰るまでは息子と若嫁の両親がサポートしてやろうと相談し、幸い若嫁の実家が10分ほどで近いため、毎夕風呂や夕食の世話をしてもらっています。息子夫婦の家はわが家からは車で1時間以上もかかるので、週末にしか出かけられないものの、殆ど毎土曜日の午後、妻と私は暇を見つけて子守りに出けています。

軽四トラックの荷台に乗って越に入る孫花菜

子守と言っても大したことはせず、乳母車に乗せて散歩がてら近くのスーパヘ買い物に出かける程度です。女の子の孫の成長は早く、はいだしたと思えばヨチヨチ歩くようになり、まさに「はえば立て立てば歩め」といった感じで、昨日は赤い靴を履かせて歩道をかなり長い距離、手を引いて歩かせましたが、結構丈夫に歩くようになりました。私たちが散歩に出かけている時間だけが、若嫁の自由時間で、休む間もなく家の細々をやっているようです。

 昨日は軽四トラックで出かけたため、帰り際せがまれてトラックの荷台に乗せたところ、とても気に入って降りようとしませんでした。また乗せてやるからと納得させて下ろしましたが、帰りには少し涙ぐんでバイバイしてくれました。息子が留守の間に歩くようになりましたが、その模様はスマホにアップされ、毎日のように横浜の息子に送られているようです。親バカ、祖父母バカです。

「週末は 孫の子守に 付き合って 1時間かけ 顔見に出かけ」

 「乳母車 押して近くの スーパーへ 残暑の中を 涼しさ求め」

 「軽四の トラック荷台 乗せてやる 気に入り降りるの 嫌だと泣いて」

 「研修に 出かけた息子 帰る日が 2か月先に 見えたようです」

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人間牧場

〇竹崎カニが届きました

先週の土曜日、講演に出かけた佐賀県太良町から一個の郵便宅配が届きました。発泡スチロールの箱を開けると、中には塩茹でしたと思われる真っ赤なワタリガニが2匹入っていました。こちらではガザミと呼んでいますが、太良町では「竹崎ガニ」という名前のブランド品なのです。

送られてきた竹崎カニ

太良町は「月の引力の見えるまち」というキャッチフレーズで知られた、有明海に面した町ですが、満潮と干潮の差は大潮の時には6mにも達するようで、干潮の時と満潮の時の海岸線の様子は、同じ町とは思えないほどの風景変化で、その自然が竹崎カニや竹崎カキを育てているのです。

早速送られてきたカニを若嫁に一匹渡すと、若嫁は器用にキッチン鋏で捌き、甲羅を逆さまにした器に綺麗に盛り付け食卓に出しました。私はカニやエビが手は汚れるし面倒くさくてあまり好きではありませんが、若嫁は私たちの分も慣れた手つきで捌いてくれました。

食卓に出された竹崎カニはとても身が沢山ありましたが、私が日頃からカニは面倒くさくて嫌いと言っているので、わが妻はこの時とばかりに独り占めして、私は味見程度で「美味しい美味しい」と言いながら食べ尽くしました。お裾分けした孫たちも美味しかったと喜んでくれました。

「一週間 前に講演 行ったとこ 竹崎カニを 送ってくれた」

「若嫁が カニをハサミで 切り取って 皿盛り食卓 盆と正月」

「カニ嫌い 私の言葉 真に受けて 妻は殆ど 旨い旨いと」

「箱の中 真っ赤に茹でた カニ二匹 有明の海 思い出しつつ」

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人間牧場

〇お地蔵様のお接待

 わが家の入り口付近に小さな祠があって、お地蔵さまが祀られています。昔は道沿いにあったようですが、道の拡幅工事で移転しなければならなくなり、わが家が親類の士官さんに頼んで鉄筋コンクリートの小さな祠を造ってお祀りするようになりました。以来40年余りにわたって、シキビを活けたり、お掃除をしていますが、毎月21日を縁日と定め、わが妻が赤飯を炊いてお接待をしています。

親類や近所に配る赤飯

 前日の夜もち米とうるち米を混ぜたお米を研ぎ、小豆を茹でて準備をして寝ます。21日の朝6時にそれらを混ぜ合わせて外炊事場のガス炊飯器で2升もの赤飯を炊き、炊き上がったらお地蔵様と神棚、仏壇にお供えをした後、ビニールの容器20個ほどに注ぎ分け、冷めたら蓋をしてゴムバンドで止め、隣近所や親類へ私が配って回るのです。

妻が民生委員をしていた何年か前までは、自分の受け持ちの独居老人にも安否確認をしながら配り、大層喜ばれましたが、その人たちの殆ども他界して、寂しくなりました。今朝は私が遠くは下灘まで20件ほど配って回りましたが、わが家の親類もご多聞に漏れず高齢化が進んで、様々な病気や悩みを抱えて生きているようでした。

「月一で 赤飯炊いて お接待 月日の巡り 早く感じる」

 「わが妻を 偉いと思う ことがある 不平も言わず 40年間」

 「赤飯を 籠入れ あちこち 持ち歩く いつの間にやら みんな高齢」

 「神様と お地蔵様に お供えし お下がり赤飯 私が食べる」 

 

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人間牧場

〇冬野菜苗の植え付け

 前日水口苗物店でいただいて帰った冬野菜の苗を、昨日は朝から夕方までたった一人で植えました。「私が仕事から帰ったら手伝ってあげる」と甘い言葉を言っていた妻の帰宅は、植え付けが粗方終わった午後4時ころだったので、一人での作業はかなりハードとなりました。

 畑は連作障害のことを考えれば植える場所を移すべきでしょうが、毎年のことながらいざ植え付けを始めるとそんな余裕はなく、昨日は天気が良過ぎて残暑が厳しく、大汗に加えて上がり蚊とも思える藪蚊にも悩まされ、苗の本数が立てた畝に収まる場所に植える場渡り的でした。

 手スコップで穴を掘り、苗を入れて手で軽く押さえ、一種類植え終わる毎に水をやり、豚糞を根元において一件落着です。この時期は気温が高くほおつておくと、モンシロチョウが葉っぱに卵を産み付け、かえった青虫が食べてしまうので、雨が上がったら明日にでも、半円形の支柱を立て、防虫ネットを被せたいと思っています。

 幸い苗を植えた直後の今日は、朝から願ってもない雨が降っています。これで活着するものと思われ天の恵みに感謝しています。昨日は冬野菜の植え付けで余程疲れたのか、9時過ぎに床に就き朝4時までぐっすり寝込んでしまいました。お陰様で今日はすっかり元気を回復しましたが、昨夕親類から頂いた鱧の骨切りでまた少し心地よい難儀をしました。

「大量の 冬の野菜の 苗物を 一日かけて 一人黙々」

 「あれはここ、そんな思いは どこへやら 苗の本数 場渡り的に」

 「明くる日の 今日は朝から 雨が降り 天の恵みに 感謝してます」

 「昨晩は 余程疲れて ぐっすりと 朝まで爆睡 元気回復」

 

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人間牧場

第12回五行歌作品展

 私は松山五行歌会に入っていますが、まだ一度も歌会に出席したことすらない幽霊会員です。本当は歌会に出席すべきなのですが、自由人だというのに毎日忙しく、出席する暇がないというのが正直なところです。パソコン時代を反映して毎月1回歌をつくり、メールで主宰者宛に送っていますが、そんな簡単な取り決めや締切日さえも忘れて、主宰者から心優しい督促のメールが毎回のように届き、慌てて思いつくままインスピレーヨンで一句作って送るのです。

五行歌とは
素敵な女性が受付をしていました
私の作品

句会が終わると、出席歌の部と欠席歌の部の歌会結果と、講評が封書で送られてきますが、朱色で1席・2席・3席と表示されている人の歌や講評を見るのも楽しみの一つです。私はこれまで一度だけ1席になったことがありますが、基本が出来ていないのでいつも「枯れ木も山の賑わい」に甘んじています。松山五行歌会では毎年この時期に高島屋のギャラリーを借りて、作品展を開いていますが、私はそのことすら忘れて、次男の嫁の両親が歌会に入って活動している友人に誘われ見学に行った話を聞き、また前日主催者からも、「明日が最終日です」とお誘いのメールが入ったため、寸暇を惜しんで松山での用事をすませ、ちょっとだけ顔見せ程度で出かけました。

 高島屋南館2階のギャラリーには沢山の作品に交じって、私のつたない二作品も額に入れられて展示されていました。根がポジティブな人間なので、自分の作品を見て「まあいいか?」程度でお茶を濁し、担当の会員さんと雑談をしながら見学し、今後は少し真面目にやろうと心に決めて、早々に引き上げました。

「明日までと メールが入り 作品展 所要のついで 失礼ながら」

 「見覚えの ある作品が 額に入り 他の作品の 中に埋没」

 「他の作品 どれもなるほど 感心し 自分の駄作 見すぼらしくて」

 「次からは 心入れ替え もう少し 性根を据えて 取り組まなければ」

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人間牧場

〇遠来のお客さん

 私の元へは年間を通じて沢山の知人友人、それに見学者などがやって来ます。人間牧場や海の資料館海舟館、私設公民館煙会所などを持っていることから、時にはアポイントもなく突然やって来る人もいて、あどえることもしばしばです。この3連休は佐賀県出張の余波もあって、そんなこんなの入交でかなり忙しく過ごしました。

国道沿いのくじという店先のベンチにて
伊予灘をバックに鷲山ご夫妻と

私が塾長をしている年輪塾の塾頭を務めてくれている清水和繁さんから、以前に電話が入っていて、彼の生家を利用したあらし山という八幡浜日土の山荘に、東京学芸大学の元学長で、この度大日本報徳社の社長に就任した鷲山先生ご夫妻が見えられるので、時間が合えば出会いたいとのことでした。その時は佐賀県出張からいつ頃帰るかも分からなかったので、予定が立っていませんでした。

佐賀から帰宅して慌ただしい中清水さんから、「只今宇和町、1時間余り後にどこかで出会いたい」と3時に電話が入りました。考えた挙句国道378号沿いにある妹の店「くじら」で落ち合うことにしました。急なこともありお土産も用意する暇もなく、とりあえず息子が精製している自家製蜂蜜を2本用意して出かけました。

清水さんの運転する車で少し遅れ気味に到着した鷲山先生ご夫妻は温和な顔で、久し振りの出逢いを喜んでいただきました。静岡の報徳社を年輪塾で仲間たちと訪れた折、鷲山先生の自宅に大挙して泊って以来の再開でしたが、お互い清水さんを交えてその後の近況や思いを、藤棚の下のベンチに腰掛け、話は大いに盛り上がりました。運よく直ぐ上を予讃線海岸周りの目玉となって走る伊予灘ものがたりという観光列車も通過して、西に傾き始めた夕日夕焼けとともに、絵になる光景でした。

「遠来の 客が沢山 やって来て 連休どころか かなり忙しく」

 「国道の 傍のくじらと いう店の ベンチ腰掛け 鷲山ご夫妻」

 「大日本 報徳社長 元学長 余りに質素な 出会いを恥じる」

 「わが心 窓を開いて くれる人 求めよさらば 浅学自分」

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人間牧場

〇彼岸花の咲く頃

 毎年お彼岸の頃に咲くので、彼岸花と言うのでしょうか、今年も田んぼの畔に彼岸花が咲く季節になりました。黄金色の田んぼと、真っ赤な彼岸花の色鮮やかなコントラストは、まるで夢の世界のようです。わが家の裏庭にも植えた記憶もない彼岸花が、僅か一株ながら自生していますが、花芽が地上に目を出したと思えばグングン伸び始め、僅か1週間で開花満開になるという早業です。

綺麗に咲いた彼岸花

 昔から彼岸花は毒花ゆえ余り好まれた花ではないようですが、そばに寄ってよ~く見るとまるで夏の夜大空で見る花火のようで、その神秘的な姿に思わず息を飲み、見とれてしまいます。彼岸花が田んぼの畔に多いのは、毒花ゆえモグラがその球根を食べず、畦畔を崩さないようにするために植えたとか、また昔は土葬だったお墓に埋めた人間の死骸を、野犬などが掘り返さないようお墓に植えたとかの話が、それぞれの地方に残っているようですが、定かではありません。

 彼岸花は真っ赤な花だと思っていましたが、黄色い花もあり、また西洋系の彼岸花はピンク色もあるようです。彼岸花が咲くと今年のように、たとえ残暑が厳しくても急に秋が深まることを、私たちは長年の暮らしの中で覚えているので、もう少しの間名残の汗をいっぱいかきながらも水分を補給して、熱中症にならないよう気を引き締めて秋を迎えたいと思います。

 「裏庭に たった一株 彼岸花 あっという間に 芽吹き花咲く」

 「彼岸花 夏の夜空の 花火にて 真っ赤艶やか 自然の神秘」

 「色々な 花を知ってる 見ているが 花の姿は 天下一かも」

 「彼岸花 毒花ゆえに 敬遠を する人多い 私は好きだ」

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人間牧場

〇月の引力の見えるまちでの講演(その1)

私が関わり全国公募して作った私たちの町の、「しずむ夕日が立ちどまるまち」というキャッチフレーズも素敵ですが、佐賀県太良町の「月の引力の見えるまち」も、とても素敵なキャッチフレーズです。夕日や月をテーマにした2つの町のキャッチフレーズは、コスモス(宇宙)を連想させます。

 

干潮時の太良町(港が完全に干上がっている」

その太良町で開かれた全国過疎シンポジウム第5分科会に、パネラーとして招かれたのは、昨年の10月20日でした。その時の私の話が良かったのか、同じ太良町から今度は町の総合計画を策定するので、スタートアップ講演会を開きたいから、是非講演をして欲しいと頼まれ、一も二もなく引き受け出かけました。

太良町は佐賀県でも長崎県に近い場所に位置していて、潮の干満の差の激しい有明海に面しています。ルートは双海~松山~瀬戸内海~広島~関門海峡~博多~肥前鹿島~多良へと、何度も船や列車を乗り継がなければならない、少し遠い場所です。前夜に家を出て最寄りの多良駅に到着したのは、三連休初日の9月15日午前8時58分でした。総合計画作成を請け負っている株ジャパンインターナショナル総合研究所の和宗さんに駅まで迎えに来てもらい、太良町総合福祉センターしおさい館に到着したのは開会前50分でした。

講演会のチラシ

 会場下見とスライドの確認、町長さんはじめ町のお偉方と名刺交換やあいさつを済ませていると、参加者が次々と集まり時間通りの10時に講演会は始まりました。それからたっぷり2時間、「まちづくりの新しい風」と題してお話をさせてもらいました。

「おらが町 しずむ夕日が立ち止まる 何とこの町 月の引力 見えるまちです」

 「干満の 差は最大で 7m 満潮干潮 違う面積」

 「この町へ 来るのは二度目 あれやこれ 覚えていたので 随分助かる」

 「まちづくり 新しい風 吹かそうと 息も切らずに 2時間話す」

 

 

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人間牧場

〇小さな秋

 このところ秋雨前線の影響で、足繁く雨が降ります。私的には「天に向かってブツブツ言うな、雨の日には雨の日の仕事がある」と、雨降りもポジティブに考えて行動していますが、毎日何かと忙しいため、天気のサイクルと私のサイクル、それに農作業のサイクルが一致せず、多少焦りを感じています。

今朝はパソコンで雨雲の動きを見ると、朝から昼までは雨が降らないようなので、外が未だ開けやらぬ午前5時、朝散歩に出発しました。5時19分に上灘川に架かるJRの長~い鉄橋を一番列車(安全確認列車)が走るのを頭上に見上げながら、伊予銀~老人憩いの家~川向の道~一本橋~双海中学~高村電器~自宅と約7千歩を歩き、汗をかきました。

道端に野生の白いニラの花がいっぱい咲いていました
わが家の下の田んぼも黄金色です
カラスウリも赤く熟れ始めました

 その間ズボンのポケットに入れているデジカメで、思いつくまま小さな秋をカメラに収めました。小さい秋がそこここに見えました。写真を撮っていると、近所の顔見知りのおばさんからミョウガを沢山いただきました。秋ミョウガも早速今夜は夕食に食べます。

「このところ 足繁く降る 秋雨に わがスケジュール 狂わされてる」

 「雨雲の 動きパソコン 画面にて 確認降らぬ 確認散歩」

 「そこここに 小さな秋を 見つけたり 今が一番 いい気候かも」

 「おばさんに 両手いっぱい いただいた ミョウガ食べると 馬鹿になるかも」

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人間牧場

〇行く夏の名残り

 一日に1分程度ながら毎日日没が早くなり、昼の時間と夜の時間が逆転しつつあります。あれほど賑やかに鳴いていたセミの声もいつしか遠のき、時折雨がぱらついたシーサイド公園の砂浜には人影もなく、波が静かに打ち寄せていました。

砂浜に流れ着いた流木もアート

 今年は7月の西日本集中豪雨災害の折、川から流れ出た大量のゴミや流木が砂浜に漂着し、美観を損ねていましたが、そのゴミも沢山の人の努力によってどうにか片付き、元の綺麗な砂浜になりました。その象徴のように恋人岬のすぐ横の砂浜に、かなり大きな流木がそのまま名残のように置かれていました。

 流木は砂浜の波打ち際にあると、まるでアートの作品のようです。島崎藤村の「椰子の実」という歌を思い出しましたが、「この流木は一体どこから流れ着いたのだろう」と思うと愛おしく、流木の上に腰掛けて、遠く近くに見える島影を見つつ、浪打ちの音を聞きました。

デイゴの花が咲いています
まるで花火のようです

 モアイ像のある中庭に、奄美大島瀬戸内町から貰って植えたデイゴの木があります。開園当初は小さかった木も20数年の時を超えてすっかり大きくなり、毎年真っ赤な花を咲かせてくれていますが、今は名残花の季節で、気温が下がると葉を落として冬ごもりします。「ああ今年も暑かった。また来年」と言っているようでした。

「砂浜に 人影もなく ひっそりと 波打ち際に 流木ひとつ」

 「川海を 流れ流れて 辿り着く 流木腰掛け 行く夏思う」

 「流木と 白い砂浜 絵になるな 島崎藤村 口ずさみつつ」

 「中庭の 真っ赤に咲いた デイゴ花 夏惜しみつつ 見る人もなく」 

 

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