人間牧場

〇小さい秋見~つけた!!

 暑かった9月ももう今日で終わりです。明日月が開けて10月になるといよいよ秋祭りの季節で、松山市の至る所では早くも、しめ縄に白い半紙を切った御幣があちこちに飾られはじめ、祭りが近いことを実感しています。

青草の上に落ちていた一枚の紅葉した柿の葉っぱ

いつの間にか、いつも寝ている布団はタオルケット⇒毛布⇒布団に変わっていて、朝晩は少し肌寒さを感じるほどになりましたが、近づいている台風24号が通り過ぎれば、吹き戻しの北東や北西の強い風が吹いて、一気に秋が訪れるものと思われます。

昨日柿の木の下に、何枚か色づいた柿の葉っぱが落ちていました。いつものことながら桐一葉ならぬ、柿一葉の落ち葉で秋の気配感じました。落ちた柿の葉っぱは見事な色合いをしていました。持ち帰って早速夕食の食卓の上に飾り、顔に似合わぬディスプレイをしてみました。

早くも北国からは紅葉の便りが届き始めたものの、南国四国の紅葉はまだ1か月以上も先のことですが、今年はどこの紅葉を見に行こうかと、食卓の上の柿の葉っぱを見ながら、妻と二人で他愛のない話しました。去年は面河渓でした。

「早9月 終わり明日から 10月だ 月日の経つの 早過ぎ戸惑う」

「暑かった いつの間にやら わが布団 季節の変化 合わせて用意」

「緑草 上に落ちたる 柿の葉に 目にはさやかに 見えぬ秋の訪れ」

「食卓に 真っ赤に熟れた 柿の葉を 置いただけでも どこかお洒落に」

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〇ニンニクの植え付け(その2)

 私の簡単な農作業メモによると、昨年は10月3日にニンニクを植えているようです。早速先日出張の帰りに松前の園芸店に立寄り、お店の顔見知り人に「ニンニクはいつ頃植えればいいですか?」と訪ねると、「今が適期です」と教えてもらいました。店先には既にポットで芽を出した今流行りの「無臭ニンニク」の苗も並んでいました。また店内にはホワイト六片などの種もありましたが、私は安い中国産のニンニクを一袋千円に消費税80円を加え、買って帰りました。

台風24号が近づいています
分割したニンニクの種
ニンニクを植えた畑

早速袋から取り出して皮を剥きながら一片ずつにして準備をしました。天気予報によると大型の台風24号が、沖縄付近をゆっくりした速度で北上を続けていて、土・日は暴風雨の大しけになるようなので、それまでに植えようと決意し、予定している空いた畑の草を取り、牛糞を万遍なく降った後を耕運機を出して丹念に中耕しました。さあ出来上がりです。木で作った定規を使い、一畝に2列、万遍なく種を置き、深々の土の中へ指で軽く押し込み土をかけました。

 自分としては上手く植えたつもりですが、今朝は予想通り小ぶりの雨が降って、植えた畑を優しく濡らしています。ニンニクを植えたことを妻に告げると、「今年も上手くできたらいいね」と喜んでくれました。今年は夏の暑さや残暑が厳しく、折角植えた葉物野菜も虫が発生してかなりの被害に遭いました。無農薬ゆえの難儀ですが、畑に露が降りるこの頃になると、蒔かない雑草の芽が早くも芽を出し始めていて、昨日は草削りで削ったりしながら、農作業を楽しみ?ました。

「昨年に 続き今年も ニンニクを 植えてみました 妻が歓ぶ」

「千円の ニンニク種で いかほどの 成果上がるか 収穫楽しみ」

「最近は まるで百姓 なったよう 作業効率 スピードアップ」

「蒔かぬのに 雑草早くも 芽を出して 植えた種より 成長早い?」

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〇県立松山工業高校の運動会

 私は愛媛県商工会連合会発行の、縦に細長いWritingCalendarを使いスケジュール管理を行っています。書棚にしまっている30冊を超える、同じようなタイプのスケジュール表をめくると、所狭しと書き込まれた一つひとつの出来事が、つい昨日のように思い出されますが、ピーク時から見ると忙しそうには見えるものの、書き込む量は随分減ってきました。

 一昨日の夕方スケジュール表を見ると、明くる日の昨日は「県立松山工業高校の運動会」と小さい文字で書き込まれていました。同校の学校評議員をしていることもあって、既に出席通知を出していたので、妻や息子夫婦にそのことを告げると、息子「お父さん、いつまで行くの?、僕が建築科を卒業して30年近くになるというのに」でした。妻「お父さん、いつまで行くの?、そろそろにしないと」でした。

そう言われてみれば、3人の息子が全て松山工業高校の建築科・機械科・機械科へ入学したため、PTAの常任理事1年・副会長1年・会長6年と役員を8年間もやりました。その後PTAOB会の会長や学校評議員とつなぎ、30年近くも学校へ通っているのですから、息子や妻の呆れ返るのも分かるような気がするのです。

 息子・妻「お父さんいつまで行くの?」、私「死ぬまで」、息子・妻「いつ死ぬの?」と、まるで漫才のようなボケとツッコミの会話に大笑いの朝でした。このところの改修工事や新築で学校も見違えるようになりました。来賓席で校長先生の隣の席を得て、校長先生と雑談をしながら、生徒たちのエネルギッシュな演技に大きな声援を送りました。

学校の玄関先
運動会風景
半身裸の1年生の伝統的松工体操

来賓席の前で、伊方町瀬戸の緒方二三子さんご夫妻に今年も出会いました。ご主人に出会うのは初めてなので、立ち話で近況を報告し合いましたが、息子さんは土木科2年で、部活はボクシングをしているようでした。全校生徒が千人近くいる大きな学校なので、自分の子どもの演技などどこでやっているのか探すのが一苦労だと話していました。かつての私もそうでした。

「高校の 運動会に 行くという 話をすると 親子が茶化す」

「そういえば 指折り数え 通い年 長くなったと しみじみ思う」

「いつまで?と 尋ねる親子 死ぬまでじゃ いつ死ぬ聞かれ 待っているのか」

「学校も 随分立派に なりました 母校じゃないけど 関わり嬉し」

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〇73歳の新しい挑戦

 私はこれまで、愛媛大学法文学部の非常勤講師を10年余り、愛媛大学農学部の客員教授を3年余りやりました。高校しか出いていない私がです。いずれも年間60時間という長帳場を、臆することなく「地域活性化論」について学生にレクチャーしましたが、最初は不安だらけだったものの何とかその役目を終えました。

聖カタリナ大学北条キャンバス

授業風景

多分もうこんな仕事はないだろうと持っていましたが、聖カタリナ大学の事務局長をしている上田さんからご依頼があり、同大学で「行政学」を教えて欲しいと言うのです。慣れないことなので何度もお断りをしましたが、何度も懇願され、上田さんが元双海町長、私が双海町教育長だった深いご縁もあって、引き受けなければならない羽目となりました。

 しかし1回90分の授業を後期で15回やらねばならないこともあって、力を入れなければならない仕事ゆえ、この2~3か月は暇を見つけて自分なりに猛勉強し、15回分の講義レジメを大学に提出する所までやっと漕ぎつけました。毎週水曜日の13時からなので、初回講義日の昨日は少し早めに出かけ、教務課の課長さんと色々な打ち合わせを行い、3階の教室で20人ほどの学生の前で講義をしました。

来月3日には74歳になる私の新しい挑戦が始まりました。もう後には引けないので、しっかり頑張ろうと思っていますが、大学まで往復3時間も、授業の1時間30分も、中々大変なことです。でも若い学生はとても真面目で、学生の中には台湾からの留学生もちらほらいて、若い学生からエネルギーをいただいて、せめて気持ちだけでも若返ろうと思っています。

「断れぬ しがらみあって 難儀する 浅学菲才 思いやられる」

 「この歳に なって大学 講師する おこがましくも 行政学とは」

 「第一回 いよいよ講義 始まって 教壇立つと 不思議落ち着く」

 「高校か 出てない私 大学で 講義するとは 世間が笑う」 

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〇昨日は三隣亡でした

 嫌な出来事が続いて起きると、「今日は三隣亡で散々な日だった」と何気なく口にします。三隣亡は家を建てる時殆どの人は暦を見て大安吉日を選びます。災いが起こるとされる三隣亡だけは避けるという迷信があるようですが、昨日は私にとっては小さな災いが3つも続き、まさに三隣亡的な一日でした。

まず一つ目は、裏庭に設置している蜜蜂の巣箱の底板の掃除をしようと思いつきました。この時期は巣箱の周辺をスズメバチが、蜂を狙ってウロチョロ飛び回り、蜜蜂を刺激し敏感になっているので、刺されないよう注意をして防虫ネットを被り、手袋をして作業を始めました。案の定蜜蜂が何匹か顔辺りに突進してきましたが、被った防虫ネットのお陰で難を逃れたものの、ゴム長靴とズボンの隙間に蜜蜂が一匹入り込み、もも付近を刺されてしまいました。幸い大事には至らず少し腫れた程度でした。

 二つ目は、トマトなどの夏野菜の垣にしていた竹材が朽ちたので、焼却処分しようと思い立ち、長靴で踏んでは小さく折り、畑の隅の焼却場で先日剪定作業をして積んでいた残材も一緒に処分しました。竹を折るべく踏んだ途端その竹が折れずに跳ね返り、注意をしていたものの顔を直撃しました。唇辺りに血が滲み、ただえさえ男前の顔に少し傷が出来てしまいました。妻に薬を塗ってもらいましたが、幸い大事には至りませんでした。

3つ目は、畑の草刈りをしようと順調に刈り進みました。この時期はクモの巣がやたらと多く、手で払っては進むのですが、夏ミカンの木の傍で、クモの巣の中に顔や頭を突っ込んで、べたべたと張り付き、クモの巣だらけになってしまいました。こんなことはしょっちゅうあるので別に気にしませんでしたが、二度あることは三度あったクモの巣を四度目の予兆と思いはじめ、早々に作業を止め、草刈り機を片付けて昨日の作業を終えました。私にとって昨日は三隣亡にも似た一日でした。

「散々な 一日だった 三隣亡 大事に至らず 何とか乗り越え」

 「もも付近 蜂に刺されて 少し腫れ 薬を塗って 何とかしのぐ」

 「折った竹 顔面直撃 火花散る 唇辺り 少し血にじむ」

 「クモの巣の 中に頭を 突っ込んで クモの巣だらけ スパイダーマン」 

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〇名残の朝顔の花

 今年はわが書斎の窓にグリーンカーテンを作るため、プランターに9本の朝顔を植えました。毎朝水遣りをしてくれた妻のお陰で枯れもせず、9本とも順調に育ちその役目を存分に果たしてくれましたが、夏も終わったのでそろそろ垣根を外そうと思っていますが、今年の朝顔はしぶとくて、この時期だというに未だに毎朝綺麗な花を咲かせてくれています。

名残の朝顔の花

 昨日もよ~く見ると、屋根まで延びた枯れかけたツルの突端にさえも花を咲かせていました。最盛期に比べると花の大きさは幾分小ぶりになりましたが、まだ花芽が沢山あって、この分だとあと1週間ほどは名残の花を楽しめそうです。もう少しこのままツルが枯れるのを待って種を取り、来年蒔こうと思っていますが上手く行くかどうか・・・。

 艶やかに咲いていた真っ赤な彼岸花も枯れ、どこか寂しい花々ですが、野の花は秋の七草が見え始める時期でもあります。残念ながら昨晩は雨模様で満月の月を見ることはできませんでしたが、今夜は仲間内と月見の会が予定されていて、早咲のススキを探しに出かけなければなりません。昼の長かった夏が終わり、秋分から日一日と夜が長くなります。読書の秋、食欲の秋の始まりです。

「暑かった 夏の太陽 遮って グリーンカーテン 朝顔感謝」

 「朝顔の 名残の花も 美しい 愛おしみつつ 片付け延期」

 「種を取り 来年蒔こう 思い立ち 試し皮剥き 実り確認」

 「秋が来た 野辺の野草も 花をつけ 季節変わり目 知らせるように」

 

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〇何という不届き者でしょう

昨日の夕方、北海道からはるばるやって来た親友とシーサイド公園で落ち合い、そこら辺を案内しました。恋人岬に足を延ばすと、突端に設置している高さ4mのモニュメントの上によじ登っている一人の若者を見つけました。秋分の日にモニュメントの穴にスッポリ夕日が入るよう、私が発案して造ったモニュメントなので、こともあろうかその秋分の日にモニュメントに登るとはけしからんと、少々荒げた口調でその若者を諭しましたが、登るのも降りるのもかなり難儀をしたようで、同行して写真を撮っていた仲間とともに平身低頭、「すみません、すみません」と謝ってくれました。

モニュメントの上によじ登った不届き者の若者

今治からはるばるモニュメントの穴に入る夕日を見に来たという中年女性に、モニュメント設置のいきさつを話してあげましたが感心しきりで、残念ながら綺麗な夕日が見えなかったので、手持ちのタブレットにストックしている夕日の写真を見せてあげると、納得の手合いでした。昨日のジュニア新聞に松山市白石鼻の石群に沈む夕日が紹介されていましたが、シーサイド公園のモニュメントの穴に夕日が入る雄姿ももう少しPRし、観光資源として生かさなければ忘れ去られるかも知れないと思いました。

シーサイド公園が出来て23年余りが経ちましたが、その間不届き者にはよく出会ってきました。壁一面にスプレーで落書きをした高校生、中庭の3体のモアイ像に口紅や白粉で化粧した若者、冬の深夜1時に花火を沢山打ち上げ近所から苦情が出た若者、自動販売機全てが荒らされ警察沙汰になった事件、車を砂浜まで降ろして走ったものの、最後は砂地獄から出れなくなり、人海戦術で引き出した逸話などなど、若者たちの暴走行動は手の指では数えきれないほどです。若気の至りの悪ふざけを経て分別を覚え大人になりますが、最近そんな珍事も少なくなって、少々気になっていただけに、久々の不届き者との出会いに思わず苦笑いしました。

「秋分の このころ夕日 スッポリと 穴入る姿 絵になる光景」

「モニュメント 4mも ある高さ 不届き者の 若者登る」

「降りてきた 若者諭し あれやこれ 平謝りし いずこか消える」

「もう二度と 撮れない写真 これはこれ 若者発露 理解示しつ」   

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〇孫のお守り

 看護師をしている次男息子が横浜へ長期研修に出かけて、早くも5か月近くが経ちました。研修を終えて帰るまでは息子と若嫁の両親がサポートしてやろうと相談し、幸い若嫁の実家が10分ほどで近いため、毎夕風呂や夕食の世話をしてもらっています。息子夫婦の家はわが家からは車で1時間以上もかかるので、週末にしか出かけられないものの、殆ど毎土曜日の午後、妻と私は暇を見つけて子守りに出けています。

軽四トラックの荷台に乗って越に入る孫花菜

子守と言っても大したことはせず、乳母車に乗せて散歩がてら近くのスーパヘ買い物に出かける程度です。女の子の孫の成長は早く、はいだしたと思えばヨチヨチ歩くようになり、まさに「はえば立て立てば歩め」といった感じで、昨日は赤い靴を履かせて歩道をかなり長い距離、手を引いて歩かせましたが、結構丈夫に歩くようになりました。私たちが散歩に出かけている時間だけが、若嫁の自由時間で、休む間もなく家の細々をやっているようです。

 昨日は軽四トラックで出かけたため、帰り際せがまれてトラックの荷台に乗せたところ、とても気に入って降りようとしませんでした。また乗せてやるからと納得させて下ろしましたが、帰りには少し涙ぐんでバイバイしてくれました。息子が留守の間に歩くようになりましたが、その模様はスマホにアップされ、毎日のように横浜の息子に送られているようです。親バカ、祖父母バカです。

「週末は 孫の子守に 付き合って 1時間かけ 顔見に出かけ」

 「乳母車 押して近くの スーパーへ 残暑の中を 涼しさ求め」

 「軽四の トラック荷台 乗せてやる 気に入り降りるの 嫌だと泣いて」

 「研修に 出かけた息子 帰る日が 2か月先に 見えたようです」

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〇竹崎カニが届きました

先週の土曜日、講演に出かけた佐賀県太良町から一個の郵便宅配が届きました。発泡スチロールの箱を開けると、中には塩茹でしたと思われる真っ赤なワタリガニが2匹入っていました。こちらではガザミと呼んでいますが、太良町では「竹崎ガニ」という名前のブランド品なのです。

送られてきた竹崎カニ

太良町は「月の引力の見えるまち」というキャッチフレーズで知られた、有明海に面した町ですが、満潮と干潮の差は大潮の時には6mにも達するようで、干潮の時と満潮の時の海岸線の様子は、同じ町とは思えないほどの風景変化で、その自然が竹崎カニや竹崎カキを育てているのです。

早速送られてきたカニを若嫁に一匹渡すと、若嫁は器用にキッチン鋏で捌き、甲羅を逆さまにした器に綺麗に盛り付け食卓に出しました。私はカニやエビが手は汚れるし面倒くさくてあまり好きではありませんが、若嫁は私たちの分も慣れた手つきで捌いてくれました。

食卓に出された竹崎カニはとても身が沢山ありましたが、私が日頃からカニは面倒くさくて嫌いと言っているので、わが妻はこの時とばかりに独り占めして、私は味見程度で「美味しい美味しい」と言いながら食べ尽くしました。お裾分けした孫たちも美味しかったと喜んでくれました。

「一週間 前に講演 行ったとこ 竹崎カニを 送ってくれた」

「若嫁が カニをハサミで 切り取って 皿盛り食卓 盆と正月」

「カニ嫌い 私の言葉 真に受けて 妻は殆ど 旨い旨いと」

「箱の中 真っ赤に茹でた カニ二匹 有明の海 思い出しつつ」

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〇お地蔵様のお接待

 わが家の入り口付近に小さな祠があって、お地蔵さまが祀られています。昔は道沿いにあったようですが、道の拡幅工事で移転しなければならなくなり、わが家が親類の士官さんに頼んで鉄筋コンクリートの小さな祠を造ってお祀りするようになりました。以来40年余りにわたって、シキビを活けたり、お掃除をしていますが、毎月21日を縁日と定め、わが妻が赤飯を炊いてお接待をしています。

親類や近所に配る赤飯

 前日の夜もち米とうるち米を混ぜたお米を研ぎ、小豆を茹でて準備をして寝ます。21日の朝6時にそれらを混ぜ合わせて外炊事場のガス炊飯器で2升もの赤飯を炊き、炊き上がったらお地蔵様と神棚、仏壇にお供えをした後、ビニールの容器20個ほどに注ぎ分け、冷めたら蓋をしてゴムバンドで止め、隣近所や親類へ私が配って回るのです。

妻が民生委員をしていた何年か前までは、自分の受け持ちの独居老人にも安否確認をしながら配り、大層喜ばれましたが、その人たちの殆ども他界して、寂しくなりました。今朝は私が遠くは下灘まで20件ほど配って回りましたが、わが家の親類もご多聞に漏れず高齢化が進んで、様々な病気や悩みを抱えて生きているようでした。

「月一で 赤飯炊いて お接待 月日の巡り 早く感じる」

 「わが妻を 偉いと思う ことがある 不平も言わず 40年間」

 「赤飯を 籠入れ あちこち 持ち歩く いつの間にやら みんな高齢」

 「神様と お地蔵様に お供えし お下がり赤飯 私が食べる」 

 

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