人間牧場

〇大洲市田処にて

 毎年のことながら、6月第1土曜日は双海町のほたる祭り、第2土曜日は大洲市柳沢田処のほたる祭りと、私の年間予定の6月は毎年ほぼ同じように組み込まれています。昨日はその第2土曜日だったので、13時に自宅まで迎えに来てもらった浜田さんの車に便乗させてもらい、下灘から乗った松本さんとともに奥西周りの道を、朝が峠を越えて田処に向かいました。途中工事中で時間制限通行止めに遭いましたが、何とか予定の午後2時に活性化センターへ到着しました。午後2時30分からの年輪塾を終えた後、屋外臨時食堂で美味しいうどんを食べ、塾生の皆さんとともにほたる音楽会に参加しました。「アンサンブルさくら」の4人の皆さんによる歌と演奏は中々のもので、久し振りに心を洗われました。

ホタル音楽会のアンサンブル

会場にて
トトロとドラえもん
夜神楽の松明
夜神楽が奉納される拝殿
飛び入りで月日の舞を踊る私
楽しかった交流会

 演奏会が終わると夕やみ迫る矢落川に沿って、ぼちぼち飛び出したホタルを鑑賞しながら夜道を熊野神社まで歩きました。熊野神社の石段を上ると境内には松明が焚かれ、拝殿広間では既に藤縄神楽が始まっていました。毎年のことゆえすっかり顔見知りになっている神楽社中の皆さんに促されて拝殿に上がり、少しの時間待っていると、「月日の舞」という演目のめくりが出て、踊り手が両手に日と月のお盆のような円盤を持って舞い始めました。その後促されて私も昨年に引き続き素人ながら踊らせていただきました。両手に持った円盤は遠心力が加わると、手に吸い付くようになり、落ちなくなるのですが、皆さんの大きな拍手に悦に入り、何度も回ったため少し目が回りふらつきましたが、何とか踏みとどまり無事舞い終えました。これで今年も神様のご加護がいただけたような気がしました。

舞ったお礼にお餅をいただいて活性化センターまで戻り、地元の人が心を込めて作ってくれた手作りの山菜料理を食べながら、みんなで交流会をしました。途中からアンサンブルのメンバーや双海から来てくれた赤石さん・隅田さん、それに10数年ぶりに出会った木林森会(ひふみかい)の平谷さん・東さんも加わって賑やかな交流会となりました。馬路の木下さんのマジックショーや、楽しい会話に時の経つのも忘れるほどでした、9時45分にお暇し、浜田さんの車で10時30分過ぎに無事帰宅することができました。今年も亀本さんはじめ地元の皆さんの献身的な協力で、楽しくも充実した一日となりました。

「昨年の 大雨影響 あったのか ほたる少なめ 来年こそは」

 「矢落川 県内唯一 記念物 長年守り 育て今日まで」

 「久々に 歌と演奏 聴きました 心のひだを 揺り動かして」

 「松明の 明かり境内 社殿では 藤縄神楽 私も一舞い」

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人間牧場

〇公民館新任館長研修会

 殆どの職場では4月1日で異動辞令が出るため、約2ヶ月の慣らし運転を終えるこの時期になると、毎年色々な職場で新任の人たちを対象にした研修会が持たれますが、昨日は全県下の新任公民館長を対象にした研修会が愛媛県生涯学習センターであり、講義を頼まれ出かけて行きました。私はもう半世紀50年も前に公民館主事として13年間、退職前に教育長兼中央公民館長を2年間経験しているし、過去には県公連主事部会長や今も専門委員をやっているので、おおよそのことは分かるため、「公民館と地域づくり」というテーマでお話をしました。

 新任公民館長さんの中には顔見知りの知人友人も何人かいましたが、自分が73歳になったことを忘れて、いつの間にかそれなりの年齢になっていることを実感しました。公民館の良しあしは施設もさることながら、館長や主事さんのやる気にかかっています。館長の資質を大まかに分類すると、失礼ながらゴミに例えると不燃人(言ってもやらない人)、可燃人(言えばやる人) 自燃人(自ら進んでやる人)、類燃人(人や地域を誘導する人)に分けられますが、残念ながら可燃人が圧倒的で、中にはまったくやる気さえ感じられない人もいるようです。

 そんな不燃人館長はむしろ百害あって一利なしなので、早く辞めて欲しいと促し大爆笑を誘いました。このことは地域住民も一緒で、大まかな不文律で言うと、無意識層不燃人は人口の55%、言えばやる可燃人は25%、自ら進んでやる自燃人は15%、究極の人を導く人はわずかに5%しかいないのです。しかしこれまでのように、55%の人をそのまま何もせずほおっておくと、たたでさえ人口減少に歯止めがかからない地域の活力を失って地域の消滅に拍車がかかります。館長も地域住民もそれぞれの人がワンランクアップ、つまり不燃人を可燃人、可燃人を自燃人、自燃人を類燃人にすれば、公民館の地域も活性化するはずです。

公民館は地域にとって、とても大事なところです。まちづくりはゆとりを考える場所でもあります。①人間的ゆとり(生活設計・家族・近所・仲間)、②時間的ゆとり(1日24時間・1年365日)、③空間的ゆとり(自然環境・社会環境・五感)、④経済的ゆとり(物の豊かさ)、⑤文化的ゆとり(教育文化・芸術文化・生活文化)、⑥安心安全的ゆとり(防犯・防災)、⑦情報的ゆとり(情報化社会・情報発信)、⑧未来的ゆとり(夢・発展)などなどを確かめながら、①自分を自覚する、②家族を自覚する、③近所を自覚する、④仲間を自覚する、⑤住んでいる町を自覚する、⑥日本を自覚する、⑦世界や地球を自覚するには公民館が必要なのです。生きていくために・・・・。

「今年も 新任館長 研修会 新しい顔ぶれ 地域支える」

「のんびりと することないから 館長に そんな甘えじゃ 地域救えぬ」

 「ワンランク アップをすれば 県内の 地域大いに 元気なるはず」

 「知った顔 あちこち見えて 会釈する 思えば長い 年月関わる」 

 

 

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〇早くもカラスの餌食に

 このところ梅雨の雨が菜園を濡らし、夏野菜が元気に育っていて、キュウリは早々と収穫して食卓に上っていますが、昨日畑を見回ると、一番なりのナスや桃太郎という品種のトマトの実が、有害鳥獣の何者かにかじられていました。どうやら最近よく見かけるカラスの仕業のようでした。昨年は早々と周りを防護網で囲ったため難を免れましたが、早く対策をしないと味を占めたカラスの被害が拡大する恐れがあるので、倉庫に締まっている網を取り出してみました。

スイカの囲い
青い友糸で修理した網目
網を張り巡らせたトマト畑

 昨年草刈り機の刃で誤って破った個所を、友糸で修理しました。私は若い頃7年間も漁師をしていた経験があるので、50年経った今でも漁師さん顔負けの網の繕いができるのです。傍で見ていた妻も「まあお父さん器用じゃねえ」と褒めてくれました。前日までに山から切り出した青竹で支柱はできているので、いい具合に張れました。隣に植えているスイカのツルも順調に伸びているので、そろそろスイカ畑も網を張らねばなりませんが、とりあえずトマトだけは終わりました。

菜園横のビニールハウスの中の雨除けトマトも収穫が始まり、妻を喜ばせています。路地植えのピーマンやシシトウも収穫して美味しく食べています。雑草を抜いたり削ったりと大変ですが、雨の合間を縫って、健康維持のつもりで毎日楽しくやっています。昔九州に自称農民作家の山下惣一という人がいました。東北には雨ニモ負ケズの宮沢賢治もいます。理想とする人の生き方をモデルにするほどの生き方は、凡人ゆえとても真似ができるものではありませんが、あくまでも私流にこだわって日々を楽しく過ごしています。「今日を楽しく生きずして人生を楽しく生きることはできず」です。

 「ナス・トマト 早くもカラス かじられる これから先は 知恵比べです」

 「網修理 50年前 思い出し 友糸紡ぐ 妻に褒められ」

 「夏野菜 順調育ち 食卓が 急に賑やか 無農薬育ち」

 「理想人 思い描きつつ あくまでも 自分流儀で 楽しく生きる」

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〇ナナフシの不思議?

 この時期になると沢山の虫たちをよく見かけます。アリやミミズ、ダンゴムシ、蜂、毛虫、カマキリ、トンボ、アブラムシなど様々ですが、畑に出て少し大きめの虫眼鏡でそれら虫たちの行動をよ~く観察すると、まるで動物図鑑に迷い込んだような、中々面白いミニマムな世界を見ることができます。虫たちは何のために生きているのか?、浅はかな私には知る由もありませんが、時には大きなカマキリの死骸を何百匹ものアリたちが行列をなし、どこかへ運んでいる姿を見ると子どもの頃に読んだガリバー旅行記」などを思い出し、感動すら覚えるのです。

葉っぱの上で見つけたナナフシ
ナナフシのメカニズム

 昨日足元の葉っぱの上で何やらうごめく小枝と見まがうような虫を見つけました。ご存知ナナフシという名前の虫ですが、最近の研究で面白いことが分かったと学会で発表がありました。ナナフシは飛ぶこともできず、他の鳥たちに食べられてしまいますが、食べられ続ければ死んで絶滅してしまうはずなのに、取りに食べられてもナナフシの卵は、ちゃんと野鳥の糞の中で生き残り、小さな命を再び蘇がえらせるのです。

 これは植物も同じで、例えば庭に植えている南天や万両の実はも、小鳥たちの餌として食べられても、小鳥の胃袋で消化されずに糞となって産み落とされ、そこで再び新しい命となって芽生え成長するのです。無農薬で美味しい野菜を作るため、完熟した牛糞や豚糞を畑に入れて栽培していますが、牛糞や豚糞を入れるとミミズが発生します。ミミズは美味しくもないはずの土を食べて分解するため、ミミズのいる畑はまるで天然の中耕機のように、土を細かくして水はけをよくしてくれるのです。モグラはミミズを餌にして土中に無数のトンネルを掘って悪戯をし放題ですが、人間が被害と思うこれらの行動も、意味のある自然の摂理かも知れません。 ナナフシを見ながら不思議に思った朝でした。

「ナナフシは 鳥に食べられ 死ぬはずだ ところがどっこい 糞の中から」

 「へ~えそうか ナナフシ見つつ ナナフシギ 偉いもんだと 感心しきり」

 「虫眼鏡 持って畑に 出てみると ミニな世界 まるでガリバー」

 「人間の 都合で益害 分けてるが それぞれ生きる 意味あり生きてる」

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〇新茶の美味しい季節

 わが家では3度の食事の度に、妻が食卓へお茶を出してくれます。最近は瞬間湯沸かし器の優れものを友人から頂いたお陰で、いつも熱いお茶が出てきますが、妻は朝夕食事後にお薬を飲んでいるので、毒消し効果のあると言われる日本茶でなく白湯を飲んでいて、付き合わされて緑茶は昼食時1回のみです。私はコーヒーを飲まないので、緑茶と紅茶を飲むため、あちらこちらへ出けた時土産に緑茶を買って帰ります。加えて葬儀のお返しとしていただく八女茶もかなりあり、昨年から畑の隅に植わっている、ヤブキタというお茶の木の葉っぱを使って紅茶を手作りしているものの、お茶をゆったりした気持ちで味わう時間的余裕もなく、毎日あくせくと過ごしています。

お茶どころと聞いてまず思い浮かべるのは、浪曲の「旅行けば駿河の国の茶の香り」でお馴染みの生産量日本一の静岡や、宇治茶で知られる京都のお茶ですが、四国も結構お茶どころで、香川県の高瀬茶、徳島県の阿波番茶、高知県の碁石茶など、特徴あるお茶がたくさん存在しています。若い頃講演で出かけた上浮穴郡美川村(現久万高原町美川)役場で控室に通され、役場の女性職員が出してくれたお茶は、出がらしのぬるい番茶でした。講演に先立ち私は集まっていた村民を前で、「村の入り口に特産品である美川茶のPR看板が出ていましたが、私が控室でいただいたお茶は、そこら辺にある美味しくないお茶でした。お客さんにはせめて『美味しい』と言っていただくようなお茶を出してPRに一役買ってもらったら如何でしょう」と話しました。

 講演が終わって帰る時、同席していた木下村長さんが「大変失礼しました」と詫びながら、私に最高級の玉露をお土産にと渡してくれましたが、要らぬことを言ってしまったと後悔しきりでした。最近は講演に出かけても、心のこもったお茶どころか、「お~いお茶」というペットボトルに入ったお茶が無造作に出てくる始末で、風もへったくれもない味気ないものになり、まさに滅茶苦茶な世相となりました。先日西予市に出かけた折、美味しい宇和茶をいただき、新茶の香りと味にすっかり心を癒されました。最近の日本人の暮らしはすっかり様変わりして、食後にコーヒーを飲む人もだんだん増えてきていますが、日本茶はコーヒーに少々押され気味のようです。

「カフェブーム 何処へ行っても コーヒーに ケーキがついて 肩身が狭い」

 「コーヒーが がんの抑制 するらしい 飲まない私 がんになるかも」

 「公演に 出かけ案内 控室 ペットボトルで お茶を濁して」

 「お~いお茶 言えば妻さえ はいはいと ペットボトルの お茶を差し出す」

 

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〇いのちつなぐ・のこす 

 この4~5年、親父や身近な人があの世に旅立ち、元気だと思っていた体力も少し落ち始め、あちらこちらで漏れ聞く「終活」という言葉が少し気になり始めました。昨日地域事務所へ立ち寄った折、玄関ロビーの片隅に、市民が自由に持ち帰ることができるパンフレットや雑誌類が置いてあるコーナーで、「終活ノススメ」という、終活サポート協会が発行している薄っぺらい20ページほどの雑誌を見つけいただいて持ち帰りました。表紙には「50代から始める終活」とか「終活は家族とのコミュニケーション」の見出しがあって、73歳の私には少々遅過ぎる感じもしました。

表紙を開けると、墨字で「いのちつなぐ」(次の世代にいのちのバトンを手渡していく)、「のこす」(人は死を迎えた瞬間に肺になって消え失せることはありません。必ず何かを残していくのです)と意味のある言葉が並んでいました。「命のバトン」「必ず何かを残す」を父母と息子の私とのつながりで考えながら、河合酔茗という人が書いた「ゆづり葉」という文章を読みました。「ゆづり葉」という木はわが家の庭にもあるため、おおよそのことは知っていましたが、あらためてその深い意味を考えました。

ゆづり葉
 子供たちよ。 これはゆづり葉の木です。このゆづりはは 新しい芽が出来ると 入れかわってふるい葉が落ちてしまうのです。
 こんなに厚い葉 こんなに大きい葉でも 新しい葉が出来ると無造作に落ちる 新しい葉にいのちを譲ってー。
 子供たちよ。 お前たちは何を欲しがらないでも 凡てのものがお前たちに譲られるのです。 太陽の廻るかぎり 譲られるものは絶えません。 
 輝ける都会も そっくり譲り受けるのです。 読みきれないほどの書物も みんなお前たちの手に受け取るのです。 幸福な子どもたちよ お前たちの手はまだ小さいけれどー。
 世のお父さん、お母さんたちは 何一つ持って行かない。 みんなおまえたちに譲ってゆくために いのちあるもの、よいもの、美しいものを 一生懸命に造っています。 
 今、お前たちは気がつかないけれど ひとりでにいのちは延びる。 鳥のようにうたい、花のように笑っている間に 気がついてきます。
 そしたら子供たちよ もう一度譲り葉の木の下に立って 譲り葉を見る時が来るでしょう。

 味わい深い言葉に心が洗われました。

 「わが家の 庭に植えたる 譲り葉の 深い意味さえ 知らずに植える」

 「譲り葉は 古葉落として 次の葉に あれこれ譲り 一生終える」

 「譲り葉の ような人生 送るため そろそろ準備 始める終活」

 「遺すもの 何もないまま 死んでゆく それもまたよし 譲り葉気分」

 

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〇久しぶりの高島屋

 父の日も母の日もとっくに過ぎたというのに、前日の夜松山に住む娘から、「父の日・母の日のプレゼントをするので買い物に行こう」と妻の元へ連絡が入りました。私は娘や妻の買い物に付き合うのは大の苦手なので、「行かない」と渋りましたが、押し切られて出かけました。松山市道後の娘の家に車を置き、娘の車を私が運転して3人で高島屋へ出かけました。三流人生を自認する私は、松山では少し格式の高い三越や高島屋はこれまた大の苦手で、展示品も品質の良さはあっても、「ゼロ」が一桁多いような気がして、「勿体ない」感じがするのです。

高島屋7階のレストランからは松山城が見えました
7階特設ステージで開かれていた太鼓集団の演奏
高知のよさこいソーラン

毎年父の日・母の日には4人の子どもが相談して長女が仕切る形で私たち夫婦にプレゼントを貰ってくれます。昨年はパソコンとタブレットを贈られているので、貰いたい品も思い当たりませんでしたが、妻が私の革靴とベルト、それに帽子を予定していたようで、早速売り場で見繕って買ってくれました。それからは娘と妻の買い物に付き合わず、私は7階の催し会場の隅で持参したタブレットをいじりながら、よさこい踊りや太鼓集団鼓太朗の迫力ある踊り・演奏を見聞きしながら時を過ごしました。

携帯電話で「もうそろそろ」コールを何回か入れてやっと落合いましたが、妻や娘のショッピングは、いつものことながら理解に苦しむほど時間が長く、次は誘われても絶対に行かないと、少し心が斜めになって不機嫌を囲いました。この日は娘たちに前日収穫したジャガイモや玉ネギを持って行くため、軽四トラックで出かけました。さすがに軽四トラックで高島屋へ買い物に行くのも気が引け、娘の家に軽四トラックを置いて娘の車で出かけましたが、作業着や軽四トラックで右往左往するのがやはり私には似合っていることに、改めて気づきました。

「プレゼント 買いに出かけた 高島屋 三流私 どこか余所行き」

 「売り場では ゼロが一桁 多い気が 靴にベルトに 帽子まで買い」

 「七階の 催し会場 次々と 演奏縁起 暇をつぶして」

 「妻娘 買い物付き合う 肩が凝る 次は絶対 一緒行かない」

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〇一年分の食糧ゲット

 私たちの主食はお米とパンですが、主食と並んで大事な副食材の中心は何といっても玉ネギとジャガイモです。玉ネギは昨年11月の晩秋に植え、ジャガイモは2月の厳冬に植え、施肥や草取りなど少しの手入れをして育ててきました。お陰様で玉ネギもジャガイモも収穫期を迎え、一昨日と昨日の2日間畑に出て収穫に汗を流しました。玉ネギは少し小ぶりで平年並みでしたが、ジャガイモは男爵やメークイン、キタアカリという品種全てが大豊作でした。

収穫玉ネギ
収穫ジャガイモ

 早速今日から子どもたちや近所の親類に配る手はずを整えていますが、今年は収納倉庫を高床式にしたり、周りを網で囲ったりして保存方法に一工夫をして準備をしていたので、腰痛の心配な私を息子や妻が手伝ってくれ、玉ネギは天日干し、ジャガイモは陰干しを終えて無事収納することができました。妻は早速掘りたてのジャガイモと玉ネギをを使って料理し、食卓はいつになく賑やかでした。特に生のまま味わう、水に晒した真っ白いオニオンスライスは、カツオやアジの刺身の添え物として最高の味栄えでした。

今日は妻もジャガイモと玉ネギを使ったコロッケを作るそうで、若嫁は小さなハネものジャガイモを素揚げして煮っころがしにしたり、肉じゃがを作ろうかと相談していました。料理のメニューを漏れ聞くほどに楽しみで喉が鳴るようです。人間は自分の体内で作れない、生きて行くための栄養素を様々な知恵と工夫で口から体内に取り込み生きています。肉を食べなくても野菜嫌いでも、それなりに生きている人はいますが、健康寿命を延ばすためにはやはりバランスの良い食事と適当な運動が必要です。安心安全な野菜のお陰で、CMで紹介されている金額的に高いサプリメントなどに頼らず、元気に生きれる田舎暮らし歩道これ以上の贅沢はないと思っています。

「一年分 ジャガイモ・玉ネギ 菜園で 今年も収穫 倉庫満タン」

 「早速に 食卓あれこれ 腕自慢 料理数々 満腹手合い」

 「コロッケや 肉じゃが作る 相談が 漏れ聞こえくる 初夏の昼頃」

 「田舎ゆえ できる喜び 数多い 食材自給 自足三昧」 

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〇青梅の収穫

 わが家は人間牧場に梅園を持っていますが、入梅したこの時期は青梅の収穫時期です。今年は突然発症したぎっくり腰が思わぬ重傷で、整体院へ3回も通いましたが回復が遅れてしまいました。再発するから農作業は慎むように、妻からきつく言われていますが、背に腹は代えられず、仕事に出かけた妻の目を盗んで細々の農作業をしています。

 二日前、人間牧場へお墓に供えるシキビを取りに行った折、梅園を見回ると手の届きそうなあちらこちらに梅の実が見えたので、木に登るとまだ腰の違和感があるので、とりあえず手当たり次第採ってみました。30分ほどでキャリーに一杯、袋に一杯、合計30kg収穫して持ちかえりました。妻に見つかり「性懲りもなく」と怒られました。

早速今日にでも梅を水洗いして水けを取り、ポリ容器に厚めのポリ袋を入れ、塩漬けにしようと思っています。最近は限りなく15%を下回る減塩梅干しを作るため、塩を入れた上に殺菌のためホワイトリカーを振りかけてポリ袋の口をしっかりと縛り、雑菌が入らないようにして冷暗所で寝かせます。夏の盛りの土用干しを経て梅干しとなるのです。

 わが家は毎年自家製梅干を作っているので、食べきれず親類へ毎年のように梅干をお裾分けして喜ばれています。特に漁師さんは漁に出る時弁当に梅干しが欠かせず、私と同じく「梅干しが入らないと弁当じゃない」そうです。腰の具合が回復したので天気予報を見ながら明日にでも残りの梅を収穫し、梅酒に加工したいと思っています。

「腰具合 今一ながら 手の届く 梅を収穫 30kgゲット」

 「今日にでも 梅の塩漬け する手配 妻要領よく 色々準備」

 「漁師さん 梅日しなくば 弁当じゃ ないとわが家の 梅干し愛用」

 「梅干しは 料理に使う こと多く 昨日はフキの 佃煮入れて」

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人間牧場

〇今日はニンニク・玉ネギ・ジャガイモの収穫作業

 今日で5月も終わりです。梅雨空が続いていましたが、ここに来て今日金曜日と土・日は晴れの天気予報なので、ジャガイモと玉ネギの収穫をしなければなりません。にわか百姓ながらこんな大事な初夏の収穫農繁期なのに、ぎっくり腰の後遺症や再発が怖くて、一歩踏み出す勇気がありませんが、昨日は夕方今年初めて作ったニンニク畑に出て、妻に手伝ってもらいニンニクの収穫をしました。どれだけできれば豊作かも分かりませんが、まあ自己満足の域は超えたようです。

掘り頃サインのジャガイモの花。花言葉は慈善・慈愛・情け深い・恩恵

このニンニクの種は、園芸店で買った中国産のニンニクです。お店の人に「中国産の種ですが、私が作ってできたニンニクは日本・愛媛・双海産と名乗ってもいいですか?」と尋ねると、「面白いことを言いますね。野菜などは元々外国原産が多く、ジャガイモなども日本に輸入されて日本の顔になっているので、「日本・愛媛・双海産と名乗っても大丈夫だと思います」と答えてくれました。すっきりしないものの「そういえばそうだ」と思いながら、そのことを話しながら収穫したニンニクの茎を少し長めに残して切り、束ねて軒先に吊るしました。

これから約1か月間自然乾燥してから、妻は最近凝っている黒ニンニクを作るようです。黒ニンニクブームのお陰で、ニンニクの値段がかなり高くなったと妻は言いますが、確か種芋は中国産だったので一袋750円の投資でした。うまく黒ニンニクに加工できると、わが家家計のコスト削減につながるものと期待しているようです。さて今日は梅雨の晴れ間の上天気です。このところ会議や研修会が連日のようにあって、かなりハードなスケジュールでしたが、今日は朝食が終われば早速畑に出て、玉ネギとジャガイモの収穫作業を行う予定です。暑くなりそうです、熱中症や腰痛にならないよう注意して頑張ります。

「中国産 種を植えれば 日本産? わが家のニンニク 双海産?かも」

 「ニンニクを 収穫軒先 束吊るす 一か月間 自然乾燥」

 

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