人間牧場

〇まちづくり学校双海人、今年度最後の例会

 昨晩はいつもより30分早い午後6時30分から、まちづくり学校双海人の今年度最後の例会があり出席しました。主な予定は高校生の時からまちづくり学校双海人の活動に参加し、そのことが縁で農学部に進み、この春愛媛大学を目出度く卒業する石井琢也さんの、双海町をテーマにした卒業論文発表があるので楽しみにしていましたが、期待にたがわず約40分ほどいい発表をしてくれました。石井さんのような若者には県内に残って欲しかったのですが、それも叶わず岡山の会社に就職するそうで、未だ若者を地域への受け入れできない悲哀をしみじみ思いました。余談ですが石井さんは卒論を書くに当たって私へのインタビューや、私の「昇る夕日でまちづくり」を参考文献としていて、随所に私の名前が出ていて恐縮してしまいました。

卒論を発表する石井さん
退職と聞いてみんな驚きました

 この日は愛媛県の人事異動の内示があったようで、いつも出席してくれるMさん(女性)は定年まではまだまだ程遠い年齢なのに、県庁を退職するそうで、これまた青天の霹靂でした。東京の地域活性化センターへ出向していた3年間の活躍を思うと残念でなりませんが、思うところあっての惜しまれながらの転身に、みんなで大きな拍手を送りました。一度きりの人生だからと不惑の年を迎える頃になると、みんな色々なことを考えます。過ぎてしまいましたが、かく言う私にも身に覚えがあり、色々悩んだものの結局は一歩踏み出す勇気もなく、結局は退職まで勤めてしまいました。それでも26歳で病気のため転職したものの、役場での35年間の仕事には悔いはなく、60歳で再就職もせずに自由人の道を歩めたこともさらに悔いのない選択でした。

 昨日は年度末の謝恩会でした。昨日は小西千鶴子さんがたった一人で、シーサイドの調理場で皆さんの食べる料理を作っていました。私も「ヒジキが欲しい」「ワカメが欲しい」「切り干し大根が欲しい」という小西さんのリクエストに応えて、自家製の食材を運んで僅かでささやかながらの貢献をしました。それにしても雨で農業が休みと言いながら、ハウスの農作業もあるであろう小西さんの献身と料理の腕にはほとほと感心しました。人のために働く姿は美しいものです。昨晩は夕食を済ませて出かけたため、これらの料理を存分に味わうことはできませんでしたが、浜田校長さんからいただいたアルコールゼロの缶ビールを飲みながら、まちづくり談議にふけりました。

 「7年も 双海に通い まちづくり 仕上げの卒論 大きな拍手」

 「彼もまた 残りたいけど 残れない 県外転出 少し寂しく」

 「内示あり 親友県庁 退職し 新しい道 模索し歩く」

 「腕の良い 田舎のおばちゃん 手作りの 郷土料理に 舌鼓打つ」

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人間牧場

〇日本ラン・キンリョウヘンの手入れ

 桜が咲く頃になると、私の体内がどこかムズムズしてきます。そろそろ蜜蜂の巣箱の準備をしなかればならない時期なのです。昨年は何が原因か未だに分かりませんが思わぬ大凶作で、蜂蜜収穫ゼロ(正確には先日残りの巣箱から5合程度の収穫あり)で、このところうなぎ登りで順調に収穫量を増やしていただけに、意気消沈した一年でした。今年こそはとリベンジを誓っていますが、はてさて原因もつかねぬままの出発になりそうです。

ハウス内のキンリョウヘン
キンリョウヘンの花芽

 それでもきちんとやるべきことはやろうと心に決め、蜜蜂の師匠から頂いた日本ラン・キンリョウヘンの世話をし、殊の外寒かった大寒頃にキンリョウヘンをビニールハウス内に取り込んでいました。春の兆しも感じられるようになったので様子を見にハウス内に入ると、キンリョウヘンの緑の葉っぱの根元に、赤くて小さな蕾が出ているのが幾つか確認できました。早いものは花房をつけ、あと10日もすれば開花しそうな雲行きです。

 早速根元に生えた雑草やコケを取り除き、ジョロでたっぷり水をやりましたが、キンリョウヘンの手助けを得て、今年は何としても蜜蜂を巣箱の中へ誘い込みたいと思っています。息子もインターネットで少々お高い日本ミ蜜蜂の蜜蝋を買ってくれたようで、昨日宅配便で届きました。天気が回復したら巣箱へ蜜蝋を塗る作業をしようと思っています。蜜蜂はわがままな小動物ゆえ、こちらの思い通りにはなりません。最近は近所で蜜蜂を飼う人が増え、激戦の様相を呈しています。今年はとりあえず10升くらいは収穫したいと、淡い期待を持っています。

  「日本ラン ハウスに入れて 冬を越す 昨日見回り 花芽確認」

  「昨年は 大凶作で まるでゼロ 泣くに泣けない 原因分からず」

  「最近は 猫も杓子も 蜜蜂に 手を出し激戦 スキルアップを」

  「桜咲く そろそろシーズン 蜜蝋を 巣箱に塗って 準備万端」

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人間牧場

〇人の前で話す難しさ

 講演などで、手を挙げてもらって参加者に聞いたところ、「人の前に立つと上がってしまって、思っていることの半分も言えない」とか、「自分は人の前で話すのが苦手である」などと、半数以上の人が人の前で話すことにコンプレックスを持っているようです。かく言う私も若い頃には人の前に立つと原稿を書き覚えたつもりの話も記憶が飛んで、大失敗をした経験が何度もあり、「これではいけない」と頑張れば頑張るほど気になって、失敗の上塗りをしたものです。一番の失敗は双海町青年学級委員長をしていた23歳当時、青年学級の指導をしていた主事さんの発案で、「ラブレターの書き方」をテーマに学習したことを活かして、NHK青年の主張に応募しようという話になり、60人ほどの学級生が400字詰め原稿用紙3枚の原稿を書き、NHK松山放送局へ送りました。一つの町から60通もの応募があったのは後にも先にもなかったらしく、当時は随分話題になりました。応募して10日ほどが経つと応募した全員に一枚の葉書が届きました。「あなたの原稿は素晴らしい。またどうぞ」でした。

 ところが私に届いた葉書だけには「あなたの主張が原稿審査の結果選ばれました。〇月〇日、NHK松山放送局で愛媛県大会を行いますので〇〇時間までに受付へお越し下さい」と書かれていました。驚いたのは私だけではなく、学級生全員の驚きでした。さあそれからが大変です。私は原稿用紙3枚に書いたことを一字一句間違わないよう、小学校で借りたオープンリールのテープレコーダーと腕時計を相手に、全て暗記するための猛特訓しました。「これなら大丈夫」と自信を持って臨みましたが、スタジオの熱苦しいライトと熱気、それに審査員の視線も加わって、覚えていたはずの原稿を全て忘れ、頭の中はセピア色どころか真っ白になりました。焦れば焦るほどにっちもさっちも行かなくなりましたが、開き直って自分の普段思っていたことを方言丸出しの普段の言葉で喋りました。体中大汗をかき私の挑戦は終わったかに見えました。「ところがところが」です。全員の発表が終わって結果発表があり、何と第14回NHK青年の主張の愛媛県代表は双海町の漁業若松進一さんです」とコールされ、ささやかなファンファーレが鳴りました。何という青天の霹靂でしょう。まさに逆転満塁ホームランでした。

 以来私は原稿を書いても全て記憶する努力を止め、アドリブ話術に徹するよう努力した結果、いつの間にか思ったことどころか、今は思っていないことまで言えるようになりました。「生麦・生米・生卵」「隣の客はよく柿食う客だ」「ウリ売りがウリ売り売ってウリ売り帰るウリ売りの声」「坊主が屏風に上手に坊主の絵を描いた」「お綾や親にお謝り、お綾や八百屋にお謝りとお言い」「新春早々、新進シャンソン歌手による、新春新進シャンソン歌手ショー」などなど、車の中でたった一人をよいことに、上がらないための練習をしたことも今はよき思い出です。話が苦手な人は、「覚えていることを全部間違わないように全部話さなくっては!!」と焦ります。そうすると頭の中が混乱して順序がバラバラになり、結論に結び付けることができず、「あの人の話は一体何を言いたかったのだろう」となってしまいます。簡単な筋道のメモを見ながら話すのも一案です。話がうまく転ぶようになると、周りの人の自分を見る目が変わってきます。自分の価値を上げるためせいぜい努力しましょう。

 「失敗を 何度も何度も 繰り返す そのうち上手く 喋れるように」

 「私など 思ったことの 半分も 言えなかったが 今では進化」

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人間牧場

〇彼岸の入り

 今日は彼岸の入りです。2日前人間牧場の農場内に植えているシキビの木に登って枝を切り、お墓参りの準備をしました。自分の家の墓地は勿論のこと、妻の実家の墓地にも供えなければならないので、シキビはかなりの量が必要ですが、お陰様にてお店で買うこともなく自給できるのですから有難いことだといつも思います。自宅の墓地へは前日、妻と二人で出かけて掃除とお参りを済ませていたので、昨日は午後から夫婦揃って妻の実家のお墓参りに出かけました。

 昨日は北東の風が吹いて、前日の温かさから一転寒さを感じる一日でしたが、天候も回復して抜けるような青空でした。妻の実家の墓地は八幡浜の市街地や八幡浜湾を見下ろす見晴らしの良い場所にあります。臨済宗妙心寺派の大法寺は墓地も広く、何人もの彼岸参りの見知らぬ人と、「こんにちは」「今日は少し肌寒いですね」などと声やあいさつを交わしながら、青石畳の急な坂道を墓地に向かって登りました。2年前に義兄が亡くなっているので、最近は多かった仏事の度に足繁く訪れているので、墓地内はそれほどの掃除もなく、古いシキビを抜いて持参した新しいシキビに取り換えて水を注ぎ、線香を手向けてねんごろにお祈りをしました。

墓地から見える昨日の八幡浜湾

 妻は4人兄弟の3番目の長女ですが、義兄と義妹は既に他界し、2番目の義兄も義兄の妻義姉も病気がちで入退院をしているので、実家に立寄り少し世間話をしてお暇しました。妻と結婚したのは昭和46年ですから、あれからもう47年が経ちました。若かった私たち夫婦も古希を過ぎ、否応なしに老域に入ろうとしています。健康寿命を延ばそうと日々頑張って生きていますが、これまでの人生がこれからを決めるのではなく、これからの人生がこれまでを決めるのだと思い、「意を強くして生きて行きたい」と今は亡き義父母の墓前に誓いました。

 「今年も 春の彼岸が やって来た 墓地に供える シキビを用意」

 「わが家墓地 妻の実家の 墓地用に シキビどっさり 自給助かる」

 「いつのまに 周り縁者も いなくなり 墓地は賑やか 周囲寂しく」

 「線香を 田向け両手を 合わせつつ 強く生きると 先祖に誓う」

 

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人間牧場

〇送られてきた掲載資料と掲載雑誌

 先日私の元へ、佐賀県で開かれた「全国過疎問題シンポジューム報告書」と、「通信文化」という雑誌が相次いで送られてきました。報告書はパネラーとして登壇して発言した内容がテープ起こしされて掲載されていました。雑誌「通信文化」は約2時間にわたって郵政省四国支社で講演した内容が、同じくテープ起こしされて掲載されていました。いずれも事前にゲラ原稿としてメールで私の元へ校正して欲しいと送られてきているので内容は確認済みなのです。

通信文化という雑誌
全国過疎問題シンポ報告書

 いつものことながら話し言葉を書き言葉にすると、どこか違和感があって、特に方言丸出しで喋る私としては、テープ起こし下記事は直し始めると全て直さなければならないので、いつものことながら文字校正程度でお茶を濁していますが、活字になった文章を手に取って読むと、「しまった」と思える箇所が何か所も見つかり、やはり後の祭りとなりました。中でも「通信文化72号」は表紙を見てびっくり仰天しました。

 何と何と目次ならまだしも表紙絵の上に、「特集」「岡野裕基金記念講演会シリーズ」「新しい発想で生きる」「若松進一」という文字が印刷されていて、赤面この上ない恥ずかしさでした。「印刷された文字は直しようがない」とは、かつて10年間で240号(月2回)もの長い間、広報マンとして「広報ふたみ」を書いた苦い経験のある私のけだし迷言ですが、今回もやはり後の祭りでした。聞けば「通信文化」という雑誌は全国の郵政省関係の部署に配布されるそうで、庶民一般の人の目に触れることもないようなので、多少救われますがそれにしても赤面の面持ちでした。

  「過疎シンポ 講演などが 載っている 資料や雑誌 手元に届く」

  「おそらくは 全国あちら こちらへと 届くであろう 赤恥承知」

  「まあ何と 表紙絵上に わが名前 見つけてびっくり 消すすべもなく」

  「まあいいか この歳ゆえに 諦める 物好きな人 読んだと手紙」

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人間牧場

〇デコポンをいただきました

 この一週間は春としては珍しく雲一つない好天に恵まれ、遅れていたコンニャク芋の植え替えや野菜を植える農作業も順調に進み、切り干し大根も取り込んで、未明に降り始めた雨も骨休めのような気持ちで迎え、少し心に余裕が出てきた感じです。昨日は待ちに待った桜の開花の知らせが高知からありました。開花一番乗りを目指して活動している宇和島市のことを思うと、少々残念な気もしますが、まあベストワンもナンバーワンも大事ながら、オンリーワンだと思って桜の開花を待ちたいと思います。

ドンと一箱いただきました

 昨日はコンニャク芋の植え付けに人間牧場へ行きましたが、人間牧場の河津桜は既に満開で、千本桜の森づくり事業で植えた標準木の枝垂桜もスモモの花も花芽が相当膨らんでいて、今日か明日にも開花するようで、目が離せないワクワクした日が近づいて来ました。昨日は人間牧場の入り口付近に住んでいる、お隣さんである西嶋さんの奥さんがやって来て、少し長い立ち話をしました。先日同居している若い奥さんを病気で亡くしているだけに悲しみも一入で、悲喜こもごものお話でした。

 「帰りにデコポンを差し上げるのでお持ち帰り下さい」と嬉しいお話でした。弁当も持たず農作業をしていたので、早目に切り上げて午後2時ごろ西嶋さんの自宅に立寄ると、立派なデコポンがキャリーに一箱庭先に言われた通り置かれていました。軽四トラックの荷台に積んで持ち帰りましたが、大好物のデコポンを見て妻は大喜びで、早速二人で大きなデコポンの皮を剥き、庭先の縁側に座ってのんびり美味しくいただきました。今日からわが家は贅沢にもデコポンとキャベツの「朝フル」です。 

 「高知から サクラ開花の 風便り 一番目指した 宇和島残念」

 「牧場の 枝垂桜や スモモ花 蕾ふくらみ 間もなく開花」

 「デコポンを ドサッと一箱 いただいた さすが産地だ 甘くて美味い」

 「今日からは デコポン食べて 朝フルだ ささやかながら これも幸せ」

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人間牧場

〇思わぬ蜂蜜

 昨年は蜜蜂を飼い始めてこの方、うなぎ登りで絶好調だった蜂蜜がまったく収穫できずゼロの状態となりました。何が原因かはまだ不明ですが、前年一升瓶で25升も採った浮き浮き気分からの、奈落の底に落とされたような失意は、言葉では言い表せられない悔しさでした。近所で蜜蜂を飼っている人たちも同じような悲哀をなめたとの話を聞いて、多少気は休まりましたが、「何故蜜蜂がいなくなったのか?」という原因も掴めていないだけに、やがて花の季節とともに始まろうとしている蜜蜂の活動期や、蜂蜜のことを思うと、春になると上がるテンションも今一といったところです。

収穫した蜂蜜

 昨日コンニャク芋を掘るため人間牧場へ向かいました。何気なくコンニャク芋畑の上付近に置いている蜜蜂の巣箱を見ると、先日の大風で横に倒れて無残な姿になっていました。早速巣箱に近づいてみると、箱の中にはまだ蜂蜜の入ったままの蜂の巣があって、横倒しになった衝撃で巣が崩れ中から蜂蜜が流れていました。急いで水平線の家の台所から少し大きめのアルミ鍋を持ち出し、蜂蜜を含んだ巣を丁寧に取り出しました。指に着いた蜂蜜をなめてみましたが、純度の高い蜂蜜のようでした。昨年は蜂蜜採集ゼロだと思っていたのに、多分手応えからすると5合くらいはあるようで、思わぬ天の恵みに感謝するとともに、今年はいいことがあるかも知れないと、良い予感を感じさせました。

 早速採集したミツバチの巣を自宅に持ち帰りましたが、垂れ蜜作業で蜂蜜を採りたいと思っています。5合あれば蜂蜜を常食している妻が一年間に食べるくらいはあるようです。今朝宅配便で、息子がインターネットで購入した、巣箱に塗る蜜蝋が届きました。これまでは蜜蜂の師匠である井上さんから頂いた蜜蝋と、自分が作った蜜蝋を塗ってしのいでいましたが、これで何とかシーズンに間に合いそうです。ハウスの中に取り込んだ日本ラン・キンリョウヘンも、このところの陽気で成長が促進され、花芽も動くものと期待しています。今年もせいぜい養蜂を楽しみ、いい結果を出したいと思います。

 「あら不思議 風で倒れた 巣箱から 綺麗蜂蜜 タラリタラリと」

 「昨年は 収穫ゼロと 思ってた 0.5升も 天から恵み」

 「この量が あれば一年 妻食べる 蜂蜜確保 嬉し出来事」

 「今年も いよいよ養蜂 始まると 決意も新た モヤモヤ消せずも」

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人間牧場

〇ゴボウの種まき

 私の愛用しているWriting Calendarの毎日の予定表には様々な予定や出来事が書き込まれています。その右隅に小さい文字で、忘れないようにと思って書いた農作業メモが幾つかあって、歳をとるにつれてその数が増えています。例えば「ミツバチ3号箱入居」とか、「野菜苗植える」とか、時には「ワカメ・ヒジキ採集」などなど多岐にわたっていますが、これが中々重宝で、これまではその年のWriting Calendarしか手元に置いていませんでしたが、最近は使い古した前年、前々年のものまで机の上に置いて、私だけの便利帳として使っています。

ゴボウの種を蒔いた畝

 暖かくなると畑作業が俄然忙しくなります。年度末が近づき会合や講演も一段落したので、暇を見つけて畑に出ていますが、Writing Calendarよりも役に立つのは、毎朝のウォーキング途中に目にする、近所のおばさんの畑です。さすがに早朝の薄暗い頃ゆえ人の気配はありませんが、私の知らない間に畝が立ったり、野菜苗が植えられているのです。2~3日前新しく畝が立ちゴボウの種が蒔かれていました。ゴボウは連作障害を起こす代表的な作物なので、おばさんは3年に一度しかこの畑にゴボウを作っていません。

 私もそのことを見習って、場所を替えて作っていますが、そろそろ蒔き時だと思い、昨日は近所の薬局カウンターに出向いてゴボウの種を買って来て、立てた畝に蒔きました。亡くなった祖母が「ゴボウは柿の新芽が出る頃芽が出るように種を蒔けば間違いない」と、よく言っていたのを思い出しながら作業をしました。種を蒔いた上に豚糞を撒いて一件落着です。本当はもみ殻を振り撒けばいいのでしょうが、もみ殻を小鳥が啄んで悪さをするので、今年は豚糞だけにしました。昨年作ったゴボウもそろそろ終わりです。今日にでも残ったゴボウを掘って、畝を新地に戻したいと思っています。ゴボウのきんぴらも美味しいなあ。妻に頼んで作ってもらおうと・・・。

 「ゴボウの 種蒔きゃ 小鳥がほじくる なんて戯言 考えながら」

 「卓上に 置いた私の カレンダー 3年分を 見ながら作業」

 「滝野川 書いた品種の 種を蒔く ゴボウは血液 サラサラ効果?」

 「柿の芽が 膨らむ頃に 芽が出れば ばあちゃん教え 反芻しつつ」

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人間牧場

〇乾燥シイタケ

 わが家の裏と人間牧場には、旧役場時代の親友井上さんのクヌギ林から切り出したクヌギの原木に、大洲市田処の親友亀本さんに手伝ってもらい植菌した、シイタケ栽培の小さなホダ場があります。ホダ木は4~5年もすると、まるでセミの抜け殻のようにスカスカになって短い一生を終えますが、2~3年に一度補充しているため、まだもう少しは持つものと思われます。そのホダ木に春と秋の年2回、確かなことは素人なので分かりませんが、外気温度が10度~15度くらいになり、雨が降って湿度が上がるとシイタケが生えてきます。

収穫したシイタケ
干しシイタケ

 この時期はホダ場へ行くのが楽しみで、無数に生えたシイタケを収穫します。今年も先週あたりからシイタケが出ていますが、スケージュールが積んで見回りができず、収穫のために持って行った発泡スチロールの箱には収まりきらないほどありました。シイタケはドンコと言われる少々小ぶりな傘の開き過ぎない香りのよいものが上等とされていますが、少し遅かったため既に傘が開き過ぎたものもありました。帰るとすぐに生食用と干しシイタケ用に選り分けました。

 傘が開き過ぎていたり、少し変色したものは干しシイタケにすれば別に問題もないので、まな板の上に載せて包丁で茎を切り取り、傘の部分を荒くスライスしてサナに干しました。このところ上天気が続いているので、この3~4日で干しシイタケが出来上がります。干しシイタケは聞くところによれば栄養価も高いそうで、ヘルシーな食べ物として重宝しています。干しシイタケは煮物や料理、それにうどんの出汁に使うと、うまみ成分が増してとても美味しいダシがでるのです。シイタケも自給できるなんてこの上ない幸せだと妻は大喜びです。

 「クヌギの木 仲間に貰い 切り出して 仲間手助け 植菌ホダ場」

 「この時期に なるとシイタケ 目を覚まし にょっきり顔出し 私収穫」

 「時期逸し 開き過ぎたる シイタケは スライスサナで 乾燥します」

 「出汁・煮物 干したシイタケ 万能で 妻の料理は 最高の味」

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人間牧場

◯一足早いお花見

 妻の実家は南予の八幡浜です。46年前に結婚した頃は八幡浜へ行くのに、曲がりくねった道を2時間近くもかかっていましたが、佐田岬半島の付け根に瞽女トンネルが抜け、海岸国道378号を走ると50分ほどで行くことができ隔世の感がします。

妻をモデルに早咲きの河津桜
風車

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