人間牧場

〇大晦日の決意

 今日は2017年の365日最終日です。自分の人生においてもうこんな日を73回も経験していますが、「もういくつ寝るとお正月」と心待ちにしていた若い頃と違い、これではいけないと思いつつ、「ああまた一つ歳を取るのか」と、加齢をネガティブに捉えてしまう自分もいるのです。「正月は冥土の旅の一里塚、目出度くもあり目出度くもなし」といったところです。

満開のカサブランカ

 わが家の玄関先にそれは見事なカサブランカの花が満開に咲いて、香しい匂いを漂わせています。この花は数日前東京都三宅島の佐久間さんが送ってくれたものですが、昔の出会いを忘れることなく律儀にもこうして、毎年のように花束を送ってくれる人のことを思うと、来る2018年も頑張ろうと少し勇気のようなものを感じます。105歳で亡くなった日野原先生が自著本「生き方上手」で、「老いは衰弱でなく成熟だ」と言っていますが、73歳はまだ青二才のような気がしています。

 実は来年度、ある大学の非常勤講師として学生に、「地方行政論」を教えて欲しいと、ある人を介して要請がありました。90分1コマを15コマだそうです。私はこれまでにも愛媛大学の法文学部で非常勤講師として年間60時間、地域活性化論を10年余り、農学部では客員教授として3年間同じように地域活性化論を講義しました。大学も出てない高卒の私ゆえ大学の内情が呑み込めず、愛媛大学では随分自分流に苦労しましたが、その経験があるゆえさてどうしようか迷っていました。

わが家へ訪ねて来た北原さん親子

 明日から新しい年が始まるゆえ、今日は朝からあれやこれや雑事をしながら、さてどうするか考えた挙句、勧めてくれた人に夜8時になって、浅学を恥じながらやろうと決意し快諾の連絡を入れました。先日21世紀えひめニューフロンティアグループのメンバーである北原さんがわが家へやって来ました。学校の教員を早期退職し悠々自適の生活をしていましたが、2年前63歳にして群馬県の大学に2年間遊学したのです。遊学を決意するにあたって私に相談にやって来た経緯もあり、帰郷すると必らず連絡をくれていましたが、早くも2月には卒業だそうです。あれやこれや周りの人に触発されながら、また一から出直して理論ならぬ、私がこれまでの人生で学んだ論理を、若い学生たちにレクチャーしようと持っています。来年も夢を追いかけれる一年になりそうです。

 「大晦日 雑事に追われ あれやこれ しながらさてと 思い巡らす」

 「衰弱じゃ なくて成熟 なるほどな 頷きながら 挑戦決意」

 「玄関に カサブランカの 花が咲く まだまだやれる これからショウブ」

 「この歳に なっても声を 掛けられる 嬉しいことと 恥も忘れて」

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人間牧場

〇飲み屋さんの小便器

 胆のうにポリープが見つかり、18年前に摘出手術を受けました。その影響でしょうか、手術後63キロあった体重が減り始め、あっという間に13キロも激やせしました。「若松の進ちゃんはガンで余命いくばくもない」と、人の不幸を喜ぶ人たちの間でうわさが広がりました。自分でも「これはおかしい。ひょっとしたら不治の病では?」と疑ったのも当然です。その後元気は回復したものの体重は一向に増えず、今も当時のやせたままの55㎏をキープしています。

氷の入った小便器

 手術を担当した県立中央病院の先生に「お酒は?」と聞くと、「ビール1本程度なら」と言われました。それまで浴びるほど飲んでいたので多少ためらいもありましたが、「ビール1本程度だったら飲まない方がいい。飲むんだったら100、飲まないのなら0」と、すっぱりお酒を飲むことを止めました。最初はテレビCMでビールを飲む姿が映し出されると、禁断症状とでもいうのでしょうか、心が乱れましたが初志貫徹して今に至っています。

 お酒を飲んでいたころの年末は、まるで松山から双海町へ通っているように、連日連夜馴染みの店を飲み歩き、大いにノミニケーションを楽しみました。今は馴染みだった店へ行くこともなく、ひっそりと暮らしていますが、それでも時折ウーロン茶党ながら付き合い酒に付き合わされて出かけますが、昨日行ったのおっ宮の店先に白い塩をこんもりと盛っているのを見ました。店内に入りトイレに入ると、男子トイレの小便器の中に、これでもかというほど溢れるように氷が入っていました。

 最初は小便をしていいのかどうか一瞬迷いましたが、塩盛りは縁起を担いで大入りを期待してのことでしょうし、小便器の氷は臭み消しや衛生面での気配りでしょうが、温かい小便をかけても大量の氷は解けることなくありました。酒を飲まないという自分の体内に潜むもう一人の自分との約束は、多分もう破ることはないだろうと思うと、行きつけ馴染みだったお店の女将さんや、愛称で呼んでいた若い女性店員さんの顔が思い浮かびました。今頃どこで何をして暮らしているのでしょうか。そう言えば先日飛行機の中で偶然にも店をたたんで久しい女将さんと隣の席に座りました。何日かして、「懐かしくて涙が出るほど嬉しかった」とお便りハガキまでいただきました。酒はやはり神代の昔から「元気の出る水」のようです。

        「割烹の 玄関先に 塩盛って 商売繁盛 大入り満員」

  「小便器 氷をいっぱい 詰め込んで ためらいながら 用を足したが」

  「若い頃 連日連夜 飲み屋街 繰り出し飲んだ 今は懐かし」

  「スナックの 愛称呼んだ あの子らは 今頃どこで 何をしている」

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人間牧場

〇始まったツリーハウス造り

 孫たちが冬休みになりました。冬休みになっても孫たちは公文や公民館の「冬休み宿題講座」に出かけたりして、午前中は結構忙しそうですが、午後は友だちと楽しく遊んでいます。ところが「マラソン大会で1位になったらツリーハウスを造ってやる」と約束していた2年生の孫奏心が、約束通り本当に一位になってしまい、多少困惑していました。「困まった困まったこまどり姉妹」「しまったしまった島倉千代子」です。「約束するんじゃなかった」と後悔しても後の祭りです。孫奏心は「冬休みになったら」と約束していたので、冬休みになると、まるでストーカーのように私にまとわりついています。

始まったツリーハウス造り

 設計図まで自分で書いているので、何としても夢を叶えてやりたいと思い、密かに1本1000円程度の杉柱を10本ほどホームセンターで購入していたので、一昨日から孫奏心とともに、木組みの準備をしました。ツリーハウスと言っても自宅の庭に造るので美観を損ねないようにしなければならないし、腕白盛りの孫たちが遊ぶので安全第一にしなければなりません危ないので、庭の大きなクロガネモチの木の近くに造る計画です。

 それぞれ6個の穴を4本の柱に開けるのですが、採寸した後ドリルで穴を開け、親父が愛用していたノミを研いでホゾ穴を24か所も開けました。時には金槌で手を叩いたり散々でしたが、昨日までに何とか穴開け作業を終えました。今朝も起きるなり孫奏心は私の書斎へやって来て、「今日もしよう」と熱いラブコールです。戸外の風は今日も冷たく、寒さに震えながらの作業ですが、乗り掛かった舟ゆえ、何とか形にしてやりたいと思っています。はてさて今日も寒く、今日も忙しい一日になりそうです。

 「マラソンで 一位になったら 願い事 叶えてやると 言うんじゃなかった」

 「孫の夢 ツリーハウスを 造ること 冬休みだか 冬繁忙だか」

 「毎日の ように孫たち つきまとい まるでストーカー どうしたものか」

 「育爺の これも大事な 仕事だと 鬼嫁言われ 返答もなく」 

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人間牧場

〇いつまでも歳を取らない私

 写真に写った自分の姿は、撮ったその瞬間を的確にとらえて時間を止めてしまいます。ゆえに自分の実像と写真に写った自分の虚像は同一「=」なのに、次第に変化して行くのです。若い女性や女優さんが、自分の若い時の姿態を写真や映像で残したいと思うのは当然で、今年73歳になった私などはまさに醜いアヒルの姿に落ちぶれていますが、「私にだって若い頃があったんだ」と実感するのは、人間牧場の水平線の家に置いている自分の等身大のパネル写真です。

いつまでも歳をとらない私の等身大の写真パネル

 この等身大のパネル写真は、国土交通省が人間牧場で開いた観光カリスマ塾の折、運営に携わった年輪塾の松本小番頭さんが、少ない予算をやりくりして作ってくれたものです。写真撮影はは私の名刺や夕日徒然草の印刷を手掛けてくれている今治の村上さん、パネル製作は新居浜の十亀さんが関わってくれました。元々の発想は宮崎県庁の仕事で宮崎市を訪ねた時、当時宮崎県知事をしていた東国原さんが、トップセールスのため県庁を留守にすることが多いので、県庁の玄関先に来訪者の記念撮影用に作った等身大写真パネルを見たことでした。

 製作した私の等身大写真パネルは、私のトレードマークともいえる「木になるカバン」を持った、ひょっとしたら自分の人生で一番脂の乗ったころの写真なのです。このパネルは私がいようがいまいが、人間牧場を訪れた人を微笑みを持って、歳を取ることもなくいつも迎えてくれています。時には酒に酔った仲間に、外のウッドデッキに持ち出されて横にされたり、逆さまにされて記念写真に納まっているようですが、これもまた悪気のない楽しい悪戯だと思って見逃しています。サプリメントのコマーシャルになぞらえると、私の今の姿と等身大の写真パネルは、使用前と使用後、ビフォアーとアフターって感じです。アッハッハです。笑ってください。

「牧場の 部屋に置かれた 等身大 写真パネルは 歳もとらずに」

  「いいものを 作ってくれたと 感謝する 木になるカバン 持って堂々」

  「私にも こんな時代が ありました 今となっては 虚像だけれど」

  「横にされ 時には逆さに されながら 仲間悪戯 それもまた良し」

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〇卒論を書く石井さん

 私は高校しか出ていないので、昔の大学のことは分かりませんが、最近の学生の中には「双海町のまちづくり」を卒論のテーマにする学生も何人もいて、その都度指導教官からの頼みもあって、指導や助言をしています。勿論卒業論文を指導するような能力が私にある訳ではないので、長年取り組んできた実践事例しか喋れませんが、学生にとっては大学内で教わった理論より、実践から生まれた私たちの論理の方が刺激的だと、中々味な褒め方をして私の意見を求めてやって来るのです。

卒論仕上げのため人間牧場へやって来た石井さん

現場の話は現場で話すのが一番と、昨日は愛媛大学農学部生物資源学科農山漁村地域マネジメント特別コースの石井誠也さんと、下灘コミセン前で午前9時に待ち合わせをして、人間牧場へ向かいました。水平線の家のストーブに火を入れ、ストーブを囲むように座って、石井さんの質問に答える形で約2時間喋りました。石井さんは既にまちづくりによる未来の展望~伊予市双海町の魅力発見に迫る~」という50ページほどの論文を書き上げていて、来年2月10日の卒論発表に向けて仕上げの段階に入っているようでした。

石井さんは伊予農業高校在学中の7年前から、まちづくり学校双海人に当時の担任秋山先生とともに通って一緒に学習をしたり、双海のイベントにも助っ人として加わったりしてくれました。そのことなどが評価され愛大農学部農山漁村地域マネジメント特別コースに進むことができた学生です。いわば双海町が育てたまちづくりの卵です。今年から教員になった宇津博美さんのように立派な社会人になって欲しいと願っていますが、既に就職も決まってフライト間もないようですが、いい卒論が仕上がるよう応援しています。頑張れ石井さん。

「卒論の テーマは何と 双海町 手助け要請 心を込めて」

  「牧場の 水平線の家 ストーブに 火を入れ二人 仲良く対峙」

  「私にも こんな時代が あったなと しみじみ思う 過ぎ越し青春」

  「世の中に 間近かフライト する前に 卒論しっかり 自分を自覚」

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人間牧場

〇寒い冬に咲く山茶花の花

 「何もこんなに寒い時を選んで咲かなくても、もっと温かい時期を選んで咲けばいいのに」と思うのは私だけでしょうか。冬の花の代表格には水仙や椿などがありますが、今年は冬の寒さが少し早く来たようで、連日朝の気温が5度以下、昼の気温が10度以下の日が続き、道端に咲く水仙は年末だというのにもう満開の所もあるようで、例年開いている水仙まつりは年明け早々の7日・8日を予定していると、早くもダイガラ餅つきの予約が入りました。

山茶花の花

 この時期になるとわが家では、可憐な山茶花の花が庭の生け垣辺りに咲くようになりました。寒さの中でひっそりと人知れず咲くので、余り気が付きませんでしたが、昨日畑仕事をしていて赤紫のそれは見事な山茶花の花がいっぱい咲いているのを見つけ、思わず見とれてしまいました。冬の花は長持ちするので多分来月半ばころまで楽しめそうですが、畑の隅の場所が場所だけにこの山茶花の花を見るのは、どうやら私一人のようで、勿体ないような感じがしています。

 ゆえに山茶花の花を一輪、枝を切って部屋に飾ろうと思って生け垣の根元を見ると、秋口からどこへ置いたか分からなくなって紛失していた剪定ばさみがあることに気が付きました。「こんな所に置き忘れていたのか」と、加齢による自分の物忘れのよさに苦笑しながら、拾い上げた剪定ばさみで切り落とし、一枝は若嫁に、一枝は妻に渡して一輪挿しの花瓶に入れましてもらいました。清楚な山茶花の花を見ながらお茶を飲み、添えてくれた羊羹を食べて至福の時を過ごしました。

 

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人間牧場

〇新しいWritinng Calendarが届きました

 今年の師走はその名の通り、例年にない忙しさでした。12月3日子ども体験塾本尊山登山から始まり、3日長崎県時津町出張、4日久米公民館通学合宿金銭教育、5日双海史談会、6日大洲警察署管内青少年協助員研修会、8日地域実践交流集会準備、9日~10日地域教育実践交流集会、13日ソプラノ歌手二宮典子ディナーショー、15日餅つき準備と年輪塾合宿研修、16日年輪塾餅つき、16日~17日鳥取市元気塾、19日松山市まちづくり協議会交流会、21日~22日三重県松阪市飯南町まちづくり研修会、23日黒山登山・シーサイドロマンチッククリスマス餅つきと、まあ私のスケジュール表にはかなり濃密に予定が書き込まれ、その予定通り忙しいスケジュールを何とか忘れることもなく終えることができました。

送られてきたカレンダー

 三重県松阪市から帰宅してみると、えひめ地域政策研究センターの山本所長さんから、頼んでおいた来年度の商工会連合会発行のWriting Calemdarが送られてきていました。私はこの書き込み予定表を何年も愛用していて、えひめ地域政策研究センターが愛媛県商工会館に入居していることもあって、頼んでいただいて使っているのです。もう一週間もすると、新しい2018年が始まりますが、古い予定表のあちらこちらには既に来年の予定が、忘れないようにするため、かなり沢山書き込まれていて、早速今日にでも暇を見つけて転記しようと思っていますが、今のところ新しい年もまだまだ忙しくなるような雲行きです。まあそれもこれも元気だからできることだと、健康な体に感謝しています。

 数日前、かつて大いに酒を飲み大いに夢を語った県外に住む親友の奥さんから、「主人が亡くなりましたので、年賀のあいさつは残念ながらできませんので・・・」と喪中のはがきをいただきました。県内ならお悔やみ欄や知人友人が訃報を知らせてくれるので、葬儀に参列ることもできますが、遠方の友については不義理を囲わなければなりません。驚いて早速電話入れましたが、電話の向こうで涙を流しながら話す奥さんの心境を察しながら、思い出話をさせてもらいました。「若松さん、あなたが羨ましい」とまだまだ元気な私に、「いつまでもお元気で主人の分もご活躍してください」と、逆に励まされました。来年もポジティブにもう少し頑張りましょうか。

 「今年の 師走とにかく 忙しく ハラハラドキドキ 寒さの中で」

 「一週間 すれば新年 やって来る 今年も何とか 元気で生きた」

 「友人が 送ってくれた カレンダー 来年どんな 一年だろう」

 「くれ迫る このころ喪中 一枚の ハガキが届き 大いに驚く」

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人間牧場

〇サンセットロマンチッククリスマス

 毎月23日は語呂合わせで「ふたみの日」と、双海町では勝手に呼んでいます。昨日は天皇誕生日の祝日でした。双海町では道の駅ふたみシーサイド公園において、毎年恒例のサンセットロマンチッククリスマスが開かれました。前日県内のイルミネーションをお天気キャスターが訪ね歩くNHKのローカル番組で、シーサイド公園から生中継されたため、また数日前の厳しい寒さも和らいだ、少し暖かい天候にも恵まれたため、午後3時ころにはシーサイド公園砂浜には、毎年のことながら信じられないほどの長い行列ができていました。

イベントホールの大きなクリスマスツリー、夜は見事
砂浜にできた長い行列
大空を飛ぶパラグライダー
パラグライダーで砂浜に降りたサンタクロース
プレゼントをプレゼントするサンタさんたち
夕焼けポストでデスクジョッキーするデカ村さんたち

 私たちはダイガラ餅つきに手を取られていたので気づきませんでしたが、えらい人出でした。餅つきが終わった3時過ぎ、空に5つのカラフルなパラグライダーがお目見えしました。乗っているのはトナカイやサンタクロースに扮したパラグライダー愛好会の皆さんでした。やがてみんなの拍手に迎えられてパラグライダーが着地し、用意したささやかなプレゼントを列を作っていた子どもたちに手渡しましたが、子どもたちは大喜びでした。

 昨日はイベントホールの一角にサテライトホールが設けられ、デカ村さんやネコマサキさんたちが、実況中継のような形で放送局を開設して喋りまくっていました。シーサイド公園を作った時私が始めたロマンチッククリスマス「サンタが空から降りてくる」も、夕焼け放送局(今は夕焼けポスト)もこうして、20年にわたって色々な人により受け継がれていることを嬉しく思っています。こうした施設が珍しかった時代とは違い、今は大掛かりな施設が次々と登場していますが、シーサイド公園は身の丈サイズの地道な活動をコツコツやりながら、これからもみんなで支えて行きたいと思います。

「サンセット ロマンチックな クリスマス 子ども沢山 集まり盛況」

  「口開けて 空を見上げる カラフルな パラグライダー サンタやトナカイ」

  「降りてきた サンタに貰う プレゼント 子どもキャーキャー 騒ぎ喜ぶ」

  「サテライト 夕焼けポスト 放送中 いいねいいねと 拍手を送る」

 

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人間牧場

〇お伊勢参り

 「伊勢は津で持つ津は伊勢で持つ・・・」といわれる伊勢神宮へ、念願叶ってお詣りすることができました。前回尾鷲に講演に出かけた時も、近くの高校生レストランで有名な多気町へ講演に出かけた時も、ニアミスって感じでお伊勢さんには立ち寄れなかったし、わが町の氏神様天一稲荷神社の氏子総代をしている時の参拝機会も、残念ながら仕事で時機を逸していただけに、嬉しい50年ぶりの参拝となりました。

いざ内宮へ
鳥居をくぐり橋を渡って内宮へ
本殿前にて
神宮前の賑わい
おかげ横丁の古い芝居小屋

伊勢神宮は20年に一度遷宮されるという別格な神宮で、内宮外宮の区別もつかぬほど広大な敷地がありますが、今回は松阪市飯南町の中村さんのガイド付き案内だったので、とてもラッキーな参拝でした。鳥居をくぐって川にかかった橋を渡り、玉砂利を踏んで内神宮の聖域に入りましたが、平日の夕暮れだというのにひっきりなしに参拝客が往来していました。無事本殿に参拝することができて心を洗われ、清々しい気持ちになりました。

 50年前伊勢神宮にお参りした時の私は、双海町青年団長として青年団の南紀・伊勢研修旅行を引率していました。確かまだ独身で願い事は遠い昔のことゆえもう忘れてしまいましたが、本殿に向かって「素敵な女性と結婚できますように」と手を合わせたに違いありません。その通り3年後に素敵な?わが妻と昭和46年に結婚し、4人の子宝にも恵まれ45年が経ちました。既に老域に達していているため欲も高い望みもありませんが、家内安全と日々の健康を、深々と頭を下げて祈りました。

「50年 一昔前 参拝す 結婚したい 祈った通り」

 「50年 今も昔も 変わらない 神域玉砂利 踏みしめながら」

 「50年 色々あった 今がある これから先も 平穏無事に」

 「50年 後には私 この世には いないはずです ゆえにしっかり」

 

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○懐かしい親友との出会い

昨日の講演会の会場で思わぬ親友に出会いました。飯南町の森本哲生さんです。元飯南町役場職員だった森本さんとは東京で開かれた農林省の情報化戦略会議で、大分県大山町の緒方英雄さんと共に出会いました。その後メールとてなかった時代故、ハガキや手紙での交流が続いていましたが、飯南町と聞いてもしやと思っていましたが、何と何と会場へ私の話を聞きに来てくれたのですから大いに驚きました。森本さんはその後国会議員となり大いに活躍をされたことを風の噂で聞いていましたが、今は野に下り有間野住民協議会の会長としてまちづくりに関わっていました。

40年ぶりに出会った中村さんといい20年ぶりに出会った森本さんといい、私の人生の節々で出会った大切な人々は数知れません。「人は人により人となる」です。多くの人に支えられて生きてきたことに感謝する一日でした。

 

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