人間牧場

〇同級生の死

 毎朝ウォーキングから帰ると、郵便受けに入れられた新聞を取り込んで書斎へ入り、どんな記事が出ているか大まか目を通し、その後自分たちのダイニングで朝食を摂りながら、新聞の隅々の中でも地方版やお悔み欄は、欠かさず見ます。一昨日松山市のお悔み欄に、Yさん・72歳を見つけました。「エッ、もしかして同級生のYさん?」と目を疑いました。

 堯運(たかかず)という珍しい名前、しかも72歳の同い年といえば間違いはないと思いました。中学校を卒業して半世紀以上の58年間、別々の道を歩んで私的には交遊も殆ど途絶えていました。この4~5年、時々行く星ヶ岡温泉で見かけ、入浴しながら世間話に花を咲かせていましたが、半年ほど前痩せた体のYさんに出会うと、ガンを患い抗がん治療を受けて食欲が進まないという話を聞きました。

 この近く出会うこともなかったので、心の隅で心配していましたが、同級生の死というのは何故か心が沈みがちになるものです。長生きがしたいとは思わないまでも、「いよいよ自分の順番が近づいて来たか!!」なんて思ったりしました。人生50年の昔から比べると72歳は十分生きたことになりますが、100歳まで生きることも夢でなくなった超高齢化時代にあって、72歳は少々早過ぎる人生の終焉かも知れません。

 平均寿命より健康寿 命が問題です。私もこれまで以上に快食・快眠・快便に気をつけて健康寿命を延ばさなければなりません。今朝近所の人と出会い立ち話をしましたが、昔から比べると痩せて、すっかりスリムになった私の体を見てその人は、「その後体調はどうですか?」と心配してくれました。「はい、お陰様で痛い所もかゆい所もなく、すこぶる健康です」と答えました。それにしても同級生の訃報はやはりショックで気になりました。

  「お悔み欄 同級生の 名前載る 名前年齢 たしかあの人」

  「温泉で 顔を合わせて 話しこむ 最近見ない 心配してた」

  「72 今の時代じゃ 早いかも 健康寿命 延ばさなければ」

  「ああついに 私の順番 やって来た 同級生の 訃報聞く度」 

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