人間牧場

〇次男の女児名付け祝い

 私には4人の子どもがいますが、長女は結婚して2人の男児、長男も結婚して2人の男児がそれぞれ生まれています。3年前に結婚した次男家庭にこのほど赤ちゃんが誕生しました。私たち夫婦にとっては4人の孫はこれまで全て男児だったので、元気で生まれてさえくれればと思っていたものの、内心はそろそろ女児が欲しいと思っていました。

伊佐邇波神社にて

 その願いが天に通じたのか、先月13日に待望の女児が生まれました。昨日は誕生一ヶ月には少し早いのですが、みんなの予定もありお宮参りをしました。道後の伊佐邇波神社で神事をしてもらい、お札を授かりました。その後次男の家で若嫁のご両親と私たち夫婦で食事をしながら、簡単な内祝いをしてやりました。

 次男が女児に付けた名前は「若松花菜」(わかまつはな)で、女児らしい名前にみんな目を細めながら、抱っこしたりあやしたりして、終始和やかでした。若嫁の実家からは誕生時に病院で取った足裏型と名前を、知人の刺繍屋さんに頼んで作ってもらったという珍しい命名額も届いていました。私は友人の米井司さんに頼んで書いてもらった命名色紙をプレゼントし、真新しい神棚に供えてやりました。

足型と命名を刺繍した額

 私たち夫婦にとっては始めての女児孫なので、男の孫にはないであろうこれから先の成長がとても楽しみです。女児孫に負けないよう私たち夫婦も、健康寿命をしっかりと意識して生きて行きたいものです。次男は日赤松山病院に男性ながら看護師として勤めています。私など子どものオムツ替えなどしたこともないのに、慣れた手つきで赤ちゃんのオムツを要領よく替えていました。

  「5人目の 孫の赤ちゃん 女の子 4人は男児 願い叶って」

  「壊れそう 生まれた赤子 抱っこする お乳の匂い 微笑ましくて」

  「わが息子 看護師ゆえに 馴れたもの 赤ちゃんオムツ いとも簡単」

  「この赤ちゃん 20歳になれば わが歳は 92歳か ゾッとしますね」 

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人間牧場

〇人間牧場のアジサイ剪定作業

 この1週間は毎日のように雨が降ったり止んだりの梅雨空です。妻は洗濯物を出したり入れたりして、落ち着かない日々を過ごしていますが、私も同じように梅雨空に翻弄されながら、寸暇を惜しんで野良仕事をしているものの、この10日ほどはじゅるくて畑に入れず、草もかなり繁茂して〇×▼△的な悶々とした日々です。

ビフォー(綺麗に咲いていたアジサイ)
アフター(花柄を剪定した後のアジサイ)

 今年は人間牧場に植えているスモモが大豊作で、正確には植えた品種が分らないものの、メスレー系やソルダム系と思われるスモモの収獲に追われました。普通の年だとスモモはカラスやハクビシンの餌食に遭いますが、今年は近所の農家が植えているビワが大豊作で、そちらにカラスやハクビシンが気を向けてくれたお陰で、食害に遭うことも殆どなく、雨の合間を縫って3~4日周期で無事収獲を終えました。

 「今年ほどスモモを食べたことがない」と妻が言うように、収穫したスモモは生食・加工食として、また知人友人親類にお裾分けして大変喜ばれ、一昨日等は漁師さんからお礼にと大きな鯛まで届く、わらしべ長者ぶりで嬉しい限りでした。昨日はあいにく朝から雨でしたが、人間牧場へ出かけ多少雨にぬれたものの最後の収獲を終えました。

スモモのお礼にいただいたわらしべ長者の大鯛

 折角人間牧場へ出かけたので、急な思いつきのついでに、ウッドデッキ下に咲くアジサイの剪定作業をやりました。まだアジサイの花は十分楽しむことができますが、花木のためには少しでも早く花柄を切り落とした方がいいので、持参していた剪定バサミで全て切り落としました。アジサイの根元の斜面には、まるで花のジュータンのように切り落とした花が空間を埋めていました。何本か花の綺麗な枝を切り落として、挿し木用に持ち帰っているので、今日にでも発泡スチロールトロ箱に鹿沼土を敷いて、挿し木をしようと思っています。何げない日々の暮らしの中で季節は確実に動いているようです。

 

切り落とした花柄

 「今年は スモモ豊作 お裾分け わらしべ長者 鯛まで届く」

  「梅雨雨の 合間を縫って 収獲に 出かけ黙々 藪蚊と格闘」

  「アジサイの 花の見ごろも 終ったと 剪定バサミ 花柄摘み取る」

  「もう少し 挿し木でアジサイ 増やそうと 発泡トロ箱 鹿沼土入れ」

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人間牧場

〇山椒の実の加工

 ウォーキングの道沿いでは、色々な人に出会いあいさつがてら言葉を交わします。今朝は川へ川ガニやウナギの仕掛けを見に来た人と出会い、獲物を見せてもらいました。また一昨日は朝早くから菜園の世話をしている人とも、立ち話で野菜づくり談義をしました。その折菜園の隅に植えている山椒の木に実が沢山ついているのを見つけ、「この実はどうするのですか?」と尋ねるとそのおばさんは、「全く利用していないので、欲しいのなら全部でも差し上げますよ」と言われ、私の好奇心がピクピク動き始めました。

収獲した山椒の実

 自宅へ帰ってインターネットで調べると、意外と簡単に加工ができるようなので、早速昨日の夕方単車でナイロン袋とハサミを持って採りに行きました。山椒の木はかなり大きな木で、またトゲに覆われているので、採りづらく少し難儀をしましたが、ボールいっぱい採って持ち帰りました。テレビを見ながら葉っぱやトゲを落としたり、ゴミを丁寧に落としました。仕事から帰った妻は見たこともない山椒の実を珍しそうに眺めながら、今までウナギの蒲焼の上に振り掛ける、市販の粉山椒しか見ていないので、私のやることを傍で観察していました。

 昨日は時間切れだったので、今朝ネットで調べたとおり、タイマーをセットして5~6分茹でてざるに上げました。これから2時間ほど水で晒して水分を切り、外して小分けし冷凍保存することにしていますが、はてさて上手く行くかどうか半信半疑といったところです。山椒はコショウと同じような、さしずめ日本版香辛料です。近々この山椒の実を使ってチリメンのクギ煮や、田楽味噌などにして味わいたいと思っています。最もその調理は妻に頼まなければ手も足も出ないのです。ブログ愛読者に吉報を届けたいものです。

  「ウォーキング 途中出あった おばさんに 山椒木の実を いただく予約」

  「ネットにて 山椒アク抜き 方法を 調べ早速 作業に掛る」

  「山椒は クギ煮田楽 色々な 料理に使う よだれが出そう」

  「とりあえず やっては見たが どうだろう? 半信半疑 多少の不安」

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人間牧場

〇顔は悪いが目は良い

 先日私より二回りも若い(58歳)友人Sさんに10年ぶりに出会いました。彼は背は高く顔もハンサムで、まるで石原裕次郎を髣髴するような男前だったと記憶していましたが、私の前に現れたSさんは、屋根(頭)が少々傷み(薄禿げ)白髪交じりでメガネをかけ、かつて女性に大もてしたことが信じられないようなまるで別人のようでした。

 会うなり、「若松さんは昔とひとつも変わりませんね」とお世辞を言ってくれました。「私はご覧のように禿げに白髪、加えて目は老眼で、メガネ無しでは仕事ができません。先日も自宅で新聞を読もうとしてメガネを探しましたが、見当たらず近くにいた妻に、『メガネを知らないか?』と訪ねると、『まあいや~ね。あなたの頭の上にあるじゃない!!』と、夫婦で大笑いしました。まるでお笑い落語の世界でしょう。」とのことでした。

 「ところで若松さん、あなたはメガネなしですか?」と尋ねられたので落語調で、「私は若い頃から顔は悪いが目は良いと自慢していて、目は私の自慢の一つです」と返しました。私の目の良いのは母親の遺伝子かも知れません。80歳で亡くなった母は死ぬまでメガネをかけず新聞を読んでいました。私は72歳になった今でも裸眼で新聞が読めるのですからこんな嬉しいことはありません。

 「目利き」「目配り」「目の付け所」「目釘」「目分量」「お目に叶う」「目くじら」「目の高さ」「網目」「目測」「目的」「目学」「目白」「目抜き通り」「金目」「大目玉」などなど、目のついたことばも以外と多いようです。親から貰った良い目を大事に使って、これからもしっかり生きていこうと思っています。

  「羨ましい 思っていたが 10年も 経てばそれなり 普通の人に」

  「俺メガネ 何処へ置いたか 分らない 頭の上に あること忘れ」

  「顔身なり よりも目が良い 方がよい メガネ買う金 要らないだけでも」

  「目がいいは 母親遺伝 かも知れぬ 72歳 裸眼で新聞」

 

 

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人間牧場

〇あなたどう思います(その②)

 私に「あなたどう思います?」と言った友人は、妻の言うことも一利あると、夫婦揃って自分の家の菩提寺へ相談に行きました。「ペットと一緒にお墓に入りたい」という申し出に和尚さんは、顔を曇らせ「人間と畜生を一緒のお墓に入れることはできない相談だ」と説教しました。妻は自宅へ帰ってから、らちがあかない夫に相談せず、インターネットでペットと一緒にお墓に入れる宗教を探したそうですが、世の中にはそんな悩みに応えてくれる新興宗教もあるようで、数日後パンフレットが送られて来たようでした。

 既に老域に達しているこの歳になって、妻と離婚することだけは避けたいと思う夫は、妻に届いたパンフレットに記された他県のそのお寺を訪ねる旅に2人で出かけたようです。その道中でこれまでの2人で歩んだ人生を振り返り、「今の自分の心を一番理解してくれているのは生後13歳になる同居の犬だけ」だと吐露する妻に、夫は深く詫びました。お寺の門前で山門をくぐることなく我に返って引き返したようでした。13歳になった愛犬も数日前に亡くなりましたが、愛犬は最近流行のペット霊園に埋葬し一件落着となったものの、奥さんはペットのお墓に入ることもできずこの件は一応一件落着となりました。

 ペットフード協会のまとめた犬猫飼育実態調査によると、わが国では犬は991万7千頭、猫は987万4千頭、合計1,979万1千頭が飼れています。犬の平均寿命は14.85歳、猫の平均寿命は15.75歳だそうです。犬猫を飼っている人にとってペットは、「生活に喜びを与えてくれる大切な存在」であり、「健康面及び人と人をつなぐコミュニケーションにおいても重要な存在」などの効用があるようです。日本の約15%の家庭がペットとして犬猫を飼っている実態を思うと、人間よりはるかに飼い主に従順な癒しペットは、飼わない人には分らない奥の深い存在のようです。犬猫の病院、犬猫の美容院、犬猫のペットフード店、犬猫のホテルと、現代は生類哀れみの令を出した五代将軍綱吉もびっくりするようなペット社会になっています。世の中ある意味平和です。

  「死んだ後 ペットと一緒の 墓望む 奥さん言い分 分る気がする」

  「パンフ見て お寺を探し 旅に出た 山門くぐる 一歩手前で」

  「行き着いた 答えは元の 鞘でした 目出度くもあり 目出度くもなし」

  「綱吉の 生類哀れみ 髣髴と するよな社会 ある意味平和」

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人間牧場

〇「忘れ状が良い」も「良い」の部類です

 3日前の日曜日、松山市民会館中ホールで開かれた「地域力パワーアップ大会」に、コミュニティアドバイザーとして出席し、パネルディスカッションに出演しました。気心知れた讃岐先生と前田先生と私の3人なので、打ち合わせなど殆どなくアドリブで3人が持ち味を発揮しました。

今朝の愛媛新聞に載ったパワーアップ大会

 控室で久しぶりに出会った讃岐先生といつも変わらぬ雑談をしました。
 讃岐先生「若松さんは幾つになった?」。私「早いもので72歳になりました」。讃岐先生「若いねえ」。私「はい名前も若松ですから」(大笑い)。私「ところで先生はお幾つになられましたか?」。讃岐先生「あんたより5つ上だから77歳です」。私「ほう、喜寿ですか。ええ歳になれましたね」。讃岐先生「歳と取ったら小便は『近くなる』し、耳は『遠くなる』し、『良いこと』はないと思っていたが、忘れ状は『良くなった』」と、傍のみんなを巻き込んで大笑いをしました。

 讃岐先生が「忘れ状が『良くなった』」といった言葉は、私も歳が増えるにしたがって実感しています。歳を取ると「つまらん、つまらん」と嘆き節をよく聞きます。若い頃の「プラス力」と違って、歳を取ると「マイナス力」が増えてくるのは仕方のないことですが、忘れることは悪いことばかりではありません。あれほど2年前まで毎日毎日一喜一憂した親父の介護や親父の死も、既に2年が経つとまるでおとぎ話だったように、楽しい思い出話に変わるのですから不思議です。

 若い頃は悲しいことや失敗したことを、いつまでの引きずって悔やんだりしましたが、今は悲しいことや失敗も直ぐに忘れて、仕方がないとポジティブな考えに変換できるのです。最近は忘れることもまんざらではないと思えるようになりました。先月はムカデに頭を刺され、スズメバチに目じりを刺され、挙句の果はスズメバチに追いかけられて、首筋や頭を6箇所も刺され3回連続でアクシデントに見舞われました。若い頃だと恐怖で菜園や人間牧場へ行くのをためらいますが、もうあの痛みなど昔の笑い話のようにすっかり忘れて、野良仕事に励んでいます。「忘れ状が良い」ことも、「良い」のです。でも「天災は忘れた頃にやって来る」のでご用心です。

  「小便は 近いが耳は 遠くなる 歳を取ったら いいことないと」

  「物忘れ 最近良くなり プラスだと 前向き考え 日々を生きてる」

  「忘れるは 悪いことだと 思ったが ゆえにくよくよ せずに生きれる」

  「さっきまで 私は何を してたのか 忘れ今頃 後の祭りだ」

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人間牧場

〇埼玉県北本との交流会

 先日埼玉県北本の仲間から、「遊びに来ないか」とお誘いがありました。もう随分前、私が北本市へ講演に出かけたご縁で、私が代表を務める21世紀えひめニューフロンティアグループがやっていた「無人島に挑む少年のつどい」に、北本市の子どもたちを参加させる話が持ち上がり、以来約10年間にわたって多くの子どもたちや世話をしてくれた青少年育成市民会議の皆さんと今でも私的な交流が続いているのです。

私が友人に託したメッセージ

 あの頃若かった皆さんもそれぞれ初老期に入り、交流もおぼつかなくなりつつあることを察知して、これが最後の交流会になるかも知れないと、愛媛側に招待状が届いたのです。勿論会長である私も、事務局長である大野さんも一も二もなく出かけなければならないのですが、あいにくその日は既に断われないスケジュールが入っていたので、断腸の思いで河野さんと豊田さん、それに北原さんの3人にメッセージを託すことにしました。

 飛行機便を乗り継いで出かけた3人が、交流会が終ったころを見計らって電話を入れると、皆さんの懐かしい声が次から次へと聞こえました。思い出話もいいものです。私は今回の行けなかった交流会に、メッセージを託しました。A4一枚のほんの小さな文章ですが、これまでと今、そしてこれからについてしたためました。私を含め皆さんの年齢を考えると、これが最後かも知れないと思いますが、北本の愉快な仲間たちから多くの力をもらいました。皆さんこれからもお元気でお過ごし下さい。

  「海のない 北本ゆえに 憧れて 10年間も 無人の島へ」

  「スケジュール 詰まってしまい 行けなんだ 出席仲間に メッセージ託す」

  「色々な 人に出会って 教えられ ここまでやっと 生きてきました」

  「今朝の海 沖合い浮かぶ 無人島 楽しい思い出 いっぱいあって」 

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人間牧場

〇朝ブログが昼ブログに

 余程のことがない限り、朝4時に起きるとトイレを済ませて顔を洗ってから、書斎に入ってパソコンの電源を入れ、メールの処理をして、「shin-1さんの日記」というアメーバブログとワードプレスブログを2本書きますが、あっという間に記事を書ける日もあれば、中々筆ならぬ指先が進まず書くのに苦労する日もあって様々です。

 私のブログは雑学なので人に読んでもらうというよりは、自分の日々の暮らしを記録することに重きを置いているので、文章がやたらと長く、愛読している人から「読むのに時間がかかるので、もっと短くした方がいい」とご意見をいただいていますが、むしろ自分の日々の記録日記なので、われ関せずを貫いて今に至っています。

 先日旅先で愛用しているタブレット端末を利用してブログ記事を書きました。タブレットは優れもので、パソコン機能が整っていて、旅先でも自宅の書斎で書いたもの殆ど同じに仕上がります。またタブレットで撮影した写真もパソコンに転送されるようになっていたり、facebookへもアップするのですから、凄い互換性です。

 パソコンに疎く、どちらかというとPCは好きではありませんが、若い頃から長続きしなかったアナログ日記に比べれば、デジタル日記といわれるブログは、もう10年以上続いているのですから驚きです。読者とのコメントやり取りも楽しくて、今ではすっかり悦に入って楽しんでいます。毎日自分というもう一人の自分と会話しながら・・・・。

  「寝過ごして 今朝のブログは 1本で 後の1本 昼飯後に」

  「どうしたの? 早速読者 記事アップ しないの気遣い コメント入る」

  「パソコンが なければ私 記録なく 何をやったか チャランポランに」

  「タブレット 調子が悪く 気が滅入る 間もなく新品 手元に届く」

 

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人間牧場

〇スモモの収獲と処理

 このところ、ぐずついた梅雨空を気にしながら、3日おきくらいの頻度で足繁く、人間牧場のスモモ畑に出かけて、熟れたスモモの収穫をしています。スモモ畑には早生系、中手系、晩生系がほど良く植わっていますが、今年は中手系のスモモが大豊作で、一本の木で既に80キロ、つまり20キロキャリーに4つ以上も収獲しているのです。

孫たちが作った天然色のスモモアイスステック

 この時期のスモモは足が早く、完熟したものは直ぐに腐敗してしまうので、収獲したその日の内に親類や近所にお裾分けをしていますが、中々追いつかず苦労しています。そこで考えたのがスモモの加工です。妻は毎年のことなのでスモモを炊いて、ジャムを作り冷凍保存しています。すこしとろみを薄くすると、ヨーグルトやかき氷ににかけて食べると、少し酸味があって美味しく、夏の風物として孫たちには人気です。

 若嫁はスモモの皮に包丁で傷をつけ、フライパンにお湯を入れてサッと茹で、湯引きしたスモモの皮を剥いでシロップにつけていますが、これも孫たちに人気のおやつで、今年は妻も若嫁に教えてもらってせっせと作って冷凍保存しています。昨日孫2人が、お母さんの指導でスモモのシロップ付けを使ったスティクアイス作りに挑戦していました。夕方できたからお裾分けだと持って来てくれましたが中々の出来栄えでした。

 最近孫たちは肩たたきアルバイトと称して、「100回50円」のサービスを始めています。そのことにヒントを得たのか、私にデジカメで写真を取ってプリントするよう頼まれました。プリント写真を紙に貼り、スモモアイススティク販売用のパンフレットを手づくりしていましたが、最近の子どもは起用で、私たち大人が考え付かないようなことをどんどん書き込んで、「買って下さい」が笑いを誘いました。起業家の素質があるのでしょうか。大笑いです。

  「今年も スモモ豊作 足繁く 収獲したもの 近所に配る」

  「豊作の スモモ使って 加工品 家族みんなが 笑いを交え」

  「いやあ美味い スモモシロップ 入りアイス 早速デジカメ パンフを作る」

  「孫たちは やがて起業家? かも知れぬ 買って下さい 笑いを誘う」

孫希心の作ったパンフレット
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人間牧場

〇あしたのまち・くらしづくり活動賞レポート

 先日あしたの日本を創る協会から、「まち・むら」という雑誌が送られてきました。地域づくり情報誌なので、グラビアやルポ、論文、情報等を毎回楽しみにして読んでいます。雑誌とともに毎年のことながら、「あしたのまち・くらしづくり活動賞」募集の案内が入っていました。

 「みなさんの地域づくりの“元気の素”をふるってご応募ください!」と書いている募集案内文書を見ながら、これまでの活動をまとめるつもりの気軽な気持で、僅か半日で2000字程度を思いつくままに書いてみました。私は18歳で地元の青年団に入団してからこの54年間、様々な地域づくり活動に参加してきました。

 青年団・青年学級・公民館主事集団煙仲間・21世紀えひめユーフロンティアグループ・私設公民館煙会所・海の資料館海舟館・えひめ地域づくり研究会議・夢工房・PTA活動・人間牧場・年輪塾・子ども体験塾・金融広報アドバイザー・地域教育実践交流集会実行委員会・まちづくり学校双海人など、10指に余る活動に関わり、双海町役場に勤めた仕事でも、夕日をテーマにしたまちづくりや拠点整備を行なって来ました。

 これまでの地域づくり、今の地域づくりもさることながら、これからの地域づくりの夢も果てしなく広がって、ワクワクしながら生きれる幸せを噛みしめています。レポートを書きながら、まだ書いていないことが余りにも多いことに気付きました。暇を見つけて気力体力が衰えないうちに、そろそろこれらのことを書き残そうと、心に誓いました。

  「これまでの 活動レポート 書きながら 書いてないこと 色々気付く」

  「50年 よくも続けて 来たもんだ あれやこれやと その時々に」

  「これまでを 振り返りつつ これからが 大事と思う もう少しだけ」

 

 

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