人間牧場

〇やっと手に入れたマイナンバーカード

 個人情報との絡みで、国会などで物議を醸したマイナンバーですが、私を含めた一億国民にマイナンバーがつけられ、昨年その通知カードが手元に送られてきていました。最近は何かにつけて役所の手続きにマイナンバーが必要になり、とりわけ講演等によく出かける私は、相手の求めに応じマイナンバー通知や私の身分を証明する免許証や保険証の写しとともに送っていますが、中々の煩雑で多少困惑しています。

 送られてきたマイナンバー通知に、カードが必要なら手続きをするよう、手続きの仕方と封筒が入っていました。気にも留めていませんでしたが、昨年義兄が亡くなった折様々な手続きに、義兄が既に作っていたマイナンバーカードを使っているのを見て、便利かも知れないと自分も思い立ちました。地域事務所に出かけた折、窓口で手続きの仕方を教わり宛先に送ったところ、先日「できたから市役所窓口へ取りに来るよう」通知がありました。

 本人を証明する免許証と保険証、それに印鑑を持参するよう書いていましたが、取り扱う窓口が支所ならぬ本庁なので、出張の帰りに立ち寄りました。何年ぶりかで市役所本庁の窓口へ出かけ右往左往していると、税務課の松本さんと出会い、窓口へ案内してもらい手続きをしようとしましたが、マイナンバーの通知原本を忘れていて、手続き未遂に終りました。

 昨日その通知原本を持参し、本人確認のためパソコン画面で暗証番号や本人確認のための映像解析が一致して、どうにか手続きを終えてマイナンバーカードの交付を無事終えました。私だけの個人情報なので失くさないよう大切に保管しましたが、免許証や保険証とともに、私の身分を証明する新たな証拠がまた一つ加わりました。聞く所によるとマイナンバカードの普及率は低く、伊予市民でもまだ手続きを終えている人は1割程度だそうです。

  「マイナンバー 国会などで 議論した 経緯もあって 何かと気になる」

  「マイナンバー カードの交付 手続きに わざわざ本庁 窓口出かけ」

  「返納の 通知原本 持参せず 再訪するよう 言われ●×」

  「免許証 保険証など 本人と 確認するのに マイナンバー増え」

    

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人間牧場

〇咲いた咲いた桜が咲いた

  昨日今年2回目の桜の開花予想が発表されました。その予想によると松山地方では、前回より2日早まって3月24日ごろになるようです。寒い寒いといいながら確実に季節は進んでいて、あと1ヶ月もすれば待ち焦がれた桜が咲き始めるのです。冬になれば春を思い、春になれば夏を思うのは、四季の国日本に住む人の想いだと、72年間生きて迎える春を心待ちにしています。

 そんな待ち遠しい春が人間牧場にやって来ました。人間牧場には私が代表を務めている、21世紀えひめニューフロンティアグループが5~6年前に始めた、千本桜の森づくり事業の折、標準木として枝垂桜2本と河津桜1本を植えました。枝垂桜はその後順調に太り根元はもう私の太ももほどに大きくなり、毎年見事な花を咲かせてくれていますが、早生系の河津桜もかなり大きくなって、殺風景な冬のこの時期に花を咲かせるようになりました。

 昨日は畝立てや社会教育主事講習現地研修のため、人間牧場で一日を過ごしましたが、河津桜の薄いピンクの花を存分に愛で、一足早い花見と洒落込みました。早咲きの桜ゆえ吉野桜のような華やかさはありませんが、春の来るのを楽しみにしている私にとっても、来訪者にとっても珍しく、いい苗を植えたものだと内心喜びながら、県下各地に100本単位で10ヶ所ほど植えた桜は、今頃どうなっているのだろうと、想いを巡らせました。

「牧場に 早くも春が やって来た 河津桜が 満開咲いて」

「4年前 植えた桜が 花をつけ 花見ができて とても幸せ」

「一ヶ月 すれば枝垂も 花が咲く 人間牧場 桃源郷だ」 

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人間牧場

〇匹見町での楽しい語らい(その2)

 「せっかく匹見に来られるのですから、講演会後有志で夕食を兼ねた交流会を持ちたいのですが・・・」と、今回の連絡窓口となっていただいた寺戸公民館長さんから事前にお誘いがありました。講演会は午後6時から90分の午後7時30分までなので、後片付けや移動時間を30分見ても、夕食交流会は午後8時からなので、「皆さんに迷惑がかからなければ・・・」と前置きして、快く了解をしていました。

楽しい夕食交流会でした
匹見神楽の龍

 講演が終わると直ぐに後片付けや移動を始め、私の宿泊している匹見峡温泉での夕食交流会は予定通り始まりました。講演会実行委員会の名だたるメンバー10人ほどが集り、美味しい地元料理を囲んで楽しい語らいの場となりました。匹見のワサビはかなり有名で、またイノシシの肉を使った陶板焼きも出て、遅い夕食に舌鼓を打ちました。日ごろ海沿いの人たちと暮らしている私にとって、山の中に住む人たちの話はとても新鮮で、少し遠のいたものの、これまでにも匹見の人たちとかなりの頻度で交流をしていて、また新たな気持で交流を続けようという方向で意見が一致しました。

雪に埋もれた島根山村

 温泉好きな私は、到着して1回、寝る前に1回、朝風呂で1回と、合計3回も名湯の誉れ高い匹見峡温泉をたっぷり味わい、しかも広島県広島市宇品港まで送迎までしていただき、この上ない歓待だったので、このご恩はお返ししなければならないようです。私の話をもうこれで5回も聞いたという三好さんや、新しく出会った人の笑顔が思い出されるこの頃です。匹見を訪ねたその日はバレンタインデーの2月14日でした。お土産にいただいた土産袋の中に、何とワサビを練りこんだ珍しいチョコレートが入っていました。とても美味しくワサビの効いた今年のバレンタインデーの思い出でした。

  「講演会 終って夕食 交流会 少し遅くも 楽しい語らい」

  「もう5回 私の話 聞いた人 おりて安心 交流深く」

  「バレンタイン ワサビ練りこむ チョコ食べる 辛味と甘さ 絶妙美味しさ」

  「海の人 囲まれ日々を 暮らしてる ゆえに山人 新鮮でした」

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◯まるで大名小旅行

 昨日から島根県益田市匹見町へ講演に来ています。匹見町へは自宅〜松山観光港〜広島県広島宇品港〜匹見町と自家用車・連絡船・バスを乗り継いで行くのですが、主催した匹見町のご厚意により、宇品港までタクシーで送迎して貰いました。

 山間地の峠にはこのところの大雪が、所によっては2mも積もっているので安全を気付かつての配慮でしょうが、まるで大名のような「お・も・て・な・し」に恐縮してしまいました。タクシーの運転手さんと車内での会話も弾み、お陰様で講演のネタを事前に随分仕込むことができました。

 今朝は泊まっている匹見温泉で早目の朝食を済ませ、昨日のタクシーに迎えに来て貰い一路雪の峠を越えて、広島ありました宇品港まで送ってもらう予定です。有難や有難やです。今朝は旅先ゆえ、また外はかなり雪が残っているゆえウォーキングも出来ず、間もなく開く温泉の朝風呂を楽しみたいと思っています。

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〇ヒジキ刈り

 昨日と今日の2日間、鳥取県大山町から視察研修が来る予定でしたが、鳥取県を襲った大雪の影響で、来るに来られずキャンセルの連絡を受けたので、松山市味生まちづくり協議会の研修が終ってから、スケジュールが空白となりました。風も治まり日めぐりを見ると潮も16日の大潮のようなので、急な思いつきでヒジキ刈りに出かけました。長靴にニット帽を被って防寒し、鎌と海草収獲のために手づくりした網袋を持って、とっておきの場所へ軽四トラックを走らせました。

波の荒い昨日の海岸
磯に生えたヒジキ

 路側帯空き地に車を止め階段を海岸まで降りました。大小の石がゴロゴロ転がる上を歩き、波打ち際まで行くと、凪いだように見えても波はかなり高い状態でしたが、石についたヒジキを丁寧に刈り取って、網袋に入れました。いつものことですが一人でやる作業ゆえ、刈るよりも網袋に入れる手間に時間がかかり、都合1時間ほどで3つの袋に詰め込みました。さあそれからが大変です。かなり高く急な階段を、重い網袋を持ち上がるのですが、これが意外ときつく大汗をかくほどの重労働でした。

 トラックに積んで持ち帰ると、今度は水洗いです。大きなポリ容器に水を張りその中にヒジキを入れ、丁寧に揺らしながらヒジキに付着した小石や砂を落しました。このところの波で洗われ、小石や砂は例年ほど付着していませんでしたが、外庭に設えたドラム缶かまどの上に乗せた大釜に洗ったヒジキを順次入れて、茹でる準備をして昨日の作業を終えました。本当は昨夕火を入れて夜の間に蒸しておきたかったのですが、長靴に塩水が入って濡れたため、風邪を引いたら大変と大事を取って断念しました。

  「研修に 来る人たちが 大雪で 来れなくなって 手持ち無沙汰に」

  「日めくりを 見ると大潮 こりゃいいと ヒジキを刈ること 急に思いつき」

  「濡れないと 思って履いた 長靴に 穴が開いてて しまったしまった」

  「磯遊び いいつつヒジキ ちゃっかりと 自給しました 難儀も楽し」

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〇未来へのメッセージ「希望を育む地域づくり」

 昨日行なわれたえひめ地域づくり研究会議の30周年記念シンポジウムで、「未来へのメッセージ・希望を育む地域づくり」という演題で基調講演をしました。その内容は2つ、ひとつはこれまで・今・未来について、もう一つは司馬遼太郎の「二十一世紀に生きる君たちへ」について話しました。司馬遼太郎の文章は後日として、「未来へのメッセージ」を載せておきます。私が伝えたかったのは、これまでの地域づくりは古里=ふるさと、これからの地域づくりはふるさと=新里です。

壇上で基調講演する私
今朝の愛媛新聞4面に昨日の様子が載りました

 

 

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〇ひな豆の贈り物

 季節は春に向かって確実に動いていますが、この週末はこの冬一番の寒気団が南下し、海沿いに面したわが町では天地を揺るがすような北西の季節風が吹いて、海も山も大荒れです。こんな日は外の仕事ができないため、昨日等は一日中書斎にこもり、ストーブの前で原稿を書いたり本を読んだり、また明くる日に迫ったシンポジウムの構想を練りながら、久しぶりにのんびりゆっくりと過しました。

 ストーブの前に座ると日ごろ食べないみかんやお菓子が目に付きました。中でも前々日漁協女性部の福岡憲子さんが、手づくりして持参してくれたひな豆が目に留まり、熱いお茶を自分で入れて、飲みながら食べました。ひな豆は食油をまぶした干し飯をホウロクで煎り、煎った大豆やひなあられとともに、ぎょうせん飴で絡めて団子状にしたものです。私が子どものころは母親が3月のお雛様の季節が近付くと、手づくりしてくれた思い出の一品です。

 甘いものとて殆どなかった戦後のことゆえ、ひな豆は子どもにとって最高の贅沢でした。干し飯も余ったご飯を水洗いして干した粗末なものでしたが、できたひな豆はまず姉のお雛様に供えられ、それから子どもたちに分けてもらえるのです。残ったひな豆は湿気がこないよう、1斗缶に入れて大切に保管していましたが、それをこっそり食べるのもまた子どもの浅知恵な悪戯でした。

 三袋いただいたので一袋は孫たちにやりました。上の孫希心はそれほど食べませんが、下の孫奏心はひな豆が大好きで、このところ毎日のように食べています。私も「止められない止まらないカッパエビセン」ならぬひな豆の味を大いに楽しんでいます。毎年必ずこの時期に手づくりのひな豆をいただく、福岡憲子さんに感謝しながら、今か今かと春の来るのを待つ今日この頃です。

  「ひな豆が 今年も届き 嬉しくて ストーブの前 お茶を飲みつつ」

  「ひな豆の 思い出今も 忘れない 母の笑顔も 頭の中で」

  「甘いもの なかった昔 ひな豆は 子どもにとって 最高贅沢」

  「一斗缶 入ったひな豆 母の目を 盗んで食べた 淡い思い出」 

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〇史談会での学び

 2ヶ月に一回の割合で年6回開かれる双海史談会も、早いもので65回を数えました。史談会は双海町史改訂版の発行に携わった人たちが中心になって10年前に始めましたが、中心的役割を果たしてもらった初代会長の中嶋さんは既に亡くなり、新しい人に引き継がれ今日を迎えています。幸い中尾先生が事務局長を務めてくれているので、ゆるぎない活動が続いていることは何よりも嬉しいことです。 

大久保八十八ヶ所の古文書
皆さんに話す駒沢さん

 先日行なわれた例会では大久保八十八ヶ所が取り上げられました。元役場職員で石久保に住んでいる駒沢一憲さんが、病床にありながら年月をかけて調査し、磯田先生や公民館職員のバックアップで、その全容がほぼ解明されたことは賞賛に値する出来事で、例会には駒沢さんも古文書を持ち込んで話をしてくれました。3月11日には史談会のメンバーで、大久保八十八ヶ所のおもだった場所を訪ねる計画も決まりました。

 2月25日に子ども体験塾で正法寺や石久保公民館周辺の25ヶ所を歩いて回るウォーキングも予定されていて、先日その下見調査も行いました。facebookへの小西さんの書き込みでふと気がつくと、仲間内で回ろうと始めた上灘八十八ヶ所参りも、まだ半分しか回っておらず、みんなの日程が合わず立ち消えになっていた参拝ウォーキングを、ご指摘どおり一つひとつ片付けなくてはと、自責の念に駆られました。

 ふるさとの歴史は紐解けば紐解くほど色々な事実が分り、とても楽しく学んでいます。双海の歴史を観光に生かせないかと、これまではそういう視点で歴史を見ていましたが、これからはむしろ地域の人々に遺し伝えることに主眼を置いた活動にも、気を配らなければなりません。それが今に生きる私たちの務めなのかも知れません。駒沢さんに感謝しつつ・・・・。

  「ふた月に 一回開く 史談会 新たな事実 次々明らか」

  「執念で 八十八ヶ所 調査した 資料説明 かつての同僚」

  「これまでは 観光ばかり 目を向けて いたがこれから 遺し伝える」

 

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〇忘れられない2001年2月10日

 明日に迫った2001年2月10日が近付くと、何となく胸の高鳴りを感じます。2001年2月10日はハワイ沖で宇和島水産高校の実習船えひめ丸が、米原子力潜水艦グリーンビルに衝突され、実習生ら9人が亡くなった日です。時の流れは早いもので、あれから16年が経ちましたが、今年は17回忌となるため、愛媛県知事さんや在校生も現地ハワイの慰霊碑を訪れ、鎮魂の祈りを捧げたようです。

自著本「昇る夕日でまちづくり」
私が乗船した初代愛媛丸の記事

 宇和島水産高校の卒業生であり、初代愛媛丸に乗って南太平洋珊瑚海まで遠洋航海した経験のある私にとっても、この日は一生忘れられない悲しい思い出の日なのです。偶然でしょうか?。この日は南海放送本町会館7階のテルスターホールを借りて、自費出版した自著本「昇る夕日でまちづくり」の出版記念パーティを行なう日でした。朝から特老夕なぎ荘近くの畑で、会場を飾る菜の花を取り自宅へ持ち帰って準備をしていると、近所に住む姉が事故の一報を告げにわが家へやって来ました。

 ニュースで事故の様子がテレビに映し出される度に、立ち上がれないほどのショックを受けました。出席を予定していたマスコミ関係者の何人かは対応のため欠席しましたが、200人ほどの参加を得てパーティは盛会の内に終りました。自著本にえひめ丸に乗船した思い出を書いているだけに、思いも一入だったことが昨日のことのように思い出されます。今朝は書斎本棚に並んでいる自著本「昇る夕日でまちづくり」をめくりながら、過ぎ越し日々を思い出しました。

  「早いなあ 17回忌が やって来た 心の襞に 残った記憶」

「自著本を 書斎本棚 取り出して 懐かしみつつ ペラペラめくる」

「沈没と 出版記念 重なって 右往左往の あの日あの時」

「来年は どんな気持で 迎えるか 行く当て知れず 歳を重ねる」

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