人間牧場

〇一番の教師は母親

 私は貧乏な漁師の長男に生まれました。親父が40代でガンを患ったため、ふるさとに戻り18歳から26歳まで漁師をしました。ゆえに大学へも行かず学歴もありません。でも学歴はなくても学習歴は積もうと、この歳になった今でも様々な学習をやっています。しかし凡人ゆえの悲しさで高さも広さも一向に広がりませんが、諦めず思いを込めて生きているつもりです。(笑い)

福沢諭吉の肖像

 亡くなった母親は私が子どものころ、下灘漁協婦人部の部長をしたりしていましたが、船下ろし(漁船の進水式)の簡素化や日掛貯金などを推進し、婦人部は当時の大蔵大臣表彰まで受けました。母は愛媛県や全国の漁協婦人部大会で、大勢の人の前で意見発表もしたようですが、下灘小学校からオープンリールのテープレコーダーを借りて毎晩のように練習をしていた姿が、今でも目に焼きついています。

 そんな姿を見ていたからでしょうか、私も青年学級委員長時代に、NHK青年の主張に応募し、見事県代表になることができました。奇しくも母親が借りた下灘小学校のテープレコーダーを私も借りて、一生懸命練習したのですから、世の中は不思議なものです。昨日福沢諭吉について書いている本を読みました。福沢諭吉が1万円札の肖像になったのは今から32年も前の昭和59年です。

 「人のうえに人をつくらず、人の下にひとをつくらず」という「学問のすゝめ」は学校で習いましたが、福沢諭吉のこうした考えは、分け隔てなく人と接した母親於順の影響のようです。幕臣榎本武揚の助命や、咸臨丸で共に渡米した木村摂津守への送金、北里柴三郎の伝染病研究所への支援等、諭吉が「人として当たり前のことをしただけ」と一切口にしなかった逸話にも頷くのです。

 母親の影響は人間の生涯にとって最も大きいものです。母親も人間ですから子どもを良くしようと思い、叱ったり誉めたりしますが、むしろ言葉よりも母親の生きる姿が大切で、あいさつをしたり、人を気遣ったりする何げない日々の姿を、子どもはしっかりと見ているのです。ゆえに人間の人生において母親は一番の教師なのかもしれません。今朝は財布から1万円札を取り出し、広げてまざまざと見ました。諭吉の母親於順のことを思いながら・・・・。

  「東京で 発表母親 小学校 テープレコーダー 借りて練習」

  「何年か 後に同じ 小学校 テープレコーダー 借りて私も」

  「母親は 子どもにとって 一番の 教師ですよと 一万円札」

  「子育ての 基本母親 しっかりと すれば世の中 上手くいきます」

 

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