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〇腕時計の電池切れ

 数日前、自分が毎日愛用している腕時計の様子がおかしいことに気がつきました。腕にはめると自動巻き機能が働いて動くのですが、夜腕から外して机の上に置くと止まってしまうのです。これまでにも何度かあった異常なので、多分内蔵電池が切れたのだろうと思い、ついでの時に伊予市内の時計屋さんで・・・と思っていましたが、その時機を逸していました。

命を吹き返した腕時計

 昨日所用で松山へ出かけた帰り道、そのことを思い出して「電池交換470円」と手書きで書いた看板につられ時計屋に入りました。店は開いていて店内に入ると自動チャイムが鳴って来客を知らせましたが、「こんにちは」と少し大きな声で呼んでも、お店の奥からは誰も出てきませんでした。仕方なく外に出て帰ろうとすると、ご主人が自転車で帰って来ました。聞けば近くの銀行へ出かけていたというのです。何とまあ長閑なことでしょう。

 早速ご主人は机に向って私が手渡した腕時計の裏蓋を工具で外し、4~5分で電池交換を終えました。最中お客さんが一人訪ねて来て、「先日修理してもらったが治っていなくて・・・」とやり取りをし始めました。「おいおい私のは大丈夫か?」と思いつつ、「安いなあ」とも思い470円を支払って店を出ました。昨日の夕方から今朝にかけて電池交換した私の時計は狂いもなく動いているようです。

 私には腕時計が目下のところ3個あります。今回電池交換してもらった腕時計は、東京へ講演に出かけた折使っていた腕時計が動かなくなり、講演に支障をきたすため通りすがった東京駅の地下売り場で、たった千円で買った代物です。講演に使うにはデジタルでも象形数字でも駄目で、極力大きなアラビア数字のものが便利なので、千円といえど使い勝手がよく、もう20年を越えて愛用していますが、年老いつつある私のように、まだまだ消費期限は残っているようです。

  「東京で 買った千円 腕時計 電池換えれば まだまだ動く」

  「こんにちは あいさつするが 出ても来ず 田舎のお店 長閑なもんだ」

  「電池換え 470円 いたします 手書きの看板 目に付き入る」

  「講演に 使う時計は 文字盤が 大きく見やすい これが一番」   

 

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〇イチゴハウス

 夜が長く昼が短いこの時期に、イチゴに少しでも昼の時間を長く感じて貰おうと、農家の人は夜中ハウス内に電気をつけて栽培しています。素人の私などは「電気代が勿体ない」などと思うほど、煌々と灯りを点けているのです。多分間もなく真っ赤で甘いイチゴができることでしょう。

昨晩電気をつけたイチゴのハウス前を通りました。

 

 

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〇カレンダーの吊るし替え

 昨日の夜、今年の仕事納めを終えた息子が、私のために来年の大きな日めくりカレンダーを、持ち帰ってくれました。昨年は欲しくても手に入らず、今年1年は月めくりカレンダーを仕方なく使っていただけに、嬉しくなって早速今年使っていたカレンダーを外して、新しいものに取り替えました。

板壁に吊るした来年の日めくりカレンダー

 著名な書家榊莫山が御暦と揮毫した大型日めくりカレンダーには様々な情報が入っています。例えば来年は平成29年ですが、右上には大正106年、昭和92年と表示しています。大正生まれの人や私のような昭和生まれの人間にとっては、意味のある表示ですが、新しい年号平成も既に来年は29年となるのですから驚きです。

 カレンダーにはその日の吉凶や旧暦、月の状態などが詳しく書かれていますが、吉凶等余り信じてはいないものの日常的には仏滅や大安、友引などを意識しなければならないため、結構重宝情報満載です。私は家庭菜園で野菜を作っているので、旧暦での季節の変わり目は、野菜の植え付けにこれまた大事です。

 このカレンダーで私の一番のお気に入りは、「今日の言葉」です。世界中の著名な歴史上の人々が言った金言が、365日全てに書き込まれていて、毎日この言葉に納得したり教えられたりしながら、日々を過ごすことができるのです。時にはこの言葉を引用してブログに記事を書くこともあります。さあ4日後に迫った来年は私や家族にとって、どんな希望の年になるでしょう。日めくりカレンダーを毎日めくるのが楽しみです。

  「2年ぶり 息子がくれた 日めくりは 色々情報 詰まって楽し」

  「一番は 何といっても 日々金言 自分当てはめ 納得生きる」

  「仏滅や 友引よりも 大安で あって欲しいと 願っています」

  「菜園に 種を播いたり 苗植える 目安旧暦 案外重宝」

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〇家族葬

 昨日は享年80歳で亡くなった義兄の葬儀でした。他のことならおおよその見当がついて、粗相のないようやることができるのですが、こと葬儀となると私のように田舎に住んでいて、四六時中葬儀に参列したり、親類が多くて葬儀に深く関わっていても、中々先が読めず不安になるものです。ましてや親が死んで初めて喪主になる若い人などは、どうしてよいか分らず右往左往します。義兄の葬儀も東京で暮らすひとり息子が、親父の危篤の知らせに心が動転し、葬儀の段取りはもっぱら私と隣に住む義兄夫婦が相談に乗りました。

 まずどんな葬儀にするか考え、将来のことを考えると付き合いや、葬儀の義理を日常の付き合いで返すことも出来ないので、新聞訃報掲載や香典受け取りを止め、ごく身内だけの家族葬にすることを決めました。それでも祭壇やお寺とのやりとり、通夜葬儀の段取りなど細々決めることが一杯あって、かなり難儀をしましたが、極力お金をかけず、しかも故人の人格を重んじるよう気を配って準備を進めました。昨日は9時納棺、11時から葬儀告別式、12時30分出棺、13時葬儀場、法要会食などをほぼ予想どおり行なって、午後3時に無事全てを終了することができました。

 昔は葬儀はその人の最後の一花なので、出来るだけ豪華に出来るだけ沢山の人に来てもらうことが一番でしたが、今は残された遺族が葬儀後どういただいた義理を返すのか考えて、つつましやかな、それでいて温かみのある家族葬が多くなったようです。あの世に旅立った義兄には申し訳ないという多少の心残りもありましたが、いい葬儀だったと親族みんなが納得しました。はてさて多分30年以内に行わなければならない、自分たち夫婦の葬儀はどのようにされるのでしょうか?。「葬儀のことより挨拶をしなければならないことが気になって・・・」と胸の内を明かした、若い喪主の偽らざる心境吐露を聞きながら、喪主になるであろう息子の挨拶は?・・・なんて考えて苦笑いしました。

  「ごく内輪 家族葬ゆえ 心配を したが中々 いいものでした」

  「馴れてない ゆえに葬儀の 先読めず 右往左往の 連続でした」

  「葬儀より あいさつ気になり めちゃ緊張 喪主を務めた 息子大汗」

  「さて私 自分の葬儀 人がする 見れないゆえに どうなることか」

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〇義兄の死と自分の今後

 私のようないわば破天荒な人生と違い、25日に享年80歳で亡くなった義兄は慎ましやかな人でした。若い頃から両親と家業である削り節製造海産物屋を自宅工場で営み、両親亡き後は夫婦で跡を継いで家業に精を出していましたが、10年前喉頭ガンを患って声帯を取ってからは家業をたたんで、無言の人生を送っていました。元々読書が趣味程度の物静かな人だったので、元気な頃からそれほど人生について深い会話を交わしてはありませんし、声帯を取って会話ができなくなったこともあって、余り自分の存在感を示すような人ではありませんでした。

 この10年、喉頭ガンが肺に転移してからは入退院を繰り返し、最近は体全体にガンが増殖して末期がんと診断され、自宅で緩和ケアーを受けることを本人も納得希望し、この2ヶ月懸命の闘病生活を行ないました。近所の医院とガンセンター、それに医師会がタッグを組んでくれたお陰で義兄も、最後は多少苦しみながら家族と自宅で過ごせたことが心の救いとなりました。痛くても声が出ないゆえそれさえも伝えることができなかった義兄の心情を思うと、やりきれない気持でいっぱいです。

 2年前に義妹を天国に見送った妻の悲しみも、言葉には出しませんが察して余りあるものがあり、死期を告げられていたこの10日ほどは、毎日のように仕事から帰った妻を連れて、50キロ離れた妻の実家まで兄を元気付けるため出かけたことも、幾分気休めにはなっていますが、それにしてもこれほど慎ましく、これほど真面目に生きてきた義兄に、神も仏もないものよと、多少恨みも残っています。まあこれも人生と今となっては諦めるほかないのが正直なところです。身近な人の死は自分の人生を省みることが多く、ましてや老域に達しつつある自分の今後をどう生きるか、大いに考えさせられています。

  「物静か 最後は声帯 取ったゆえ 余計心情 察して余る」

  「神仏 何で真面目な 義兄まで こんな仕打ちを するのでしょうか」

  「身近人 亡くなる度に 老域に 達しつつある 自分省み」

  「まず健康 保持するために しっかりと 心と体 鍛えなければ」 

 

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◯義兄の訃報

 この一週間、末期がんを患い自宅で緩和ケアーをしている義兄の元へ、毎日妻とと二人で片道50キロの道を見舞いや様子をうかがうため通っていました。昨日も午前中に見舞って、かなり厳しい病状を実感しながら午後3時頃帰宅しました。

 帰宅して2時間も経たないうちの午後5時頃、妻の実家から義兄がついさっき、亡くなったという悲しい訃報が届きました。覚悟はしていたものの兄弟である妻の落胆は察して余りものがあり、慰めの言葉もありませんでした。妻は寂しさを紛らすように、何かと取り込んでいる実家のために、持参する天ぷらなどの料理を作っていました。

 早速私たち夫婦は再び海岸国道を走って八幡浜まで行き、まだ体温の残る義兄と面会しました。長い闘病生活に疲れ、痩せこけた義兄の顔を見ると涙が止まりませんでした。明くる日からの仏事について相談した後、とりあえず昨日の夜は一旦自宅へ戻りました。

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〇娘の家の新築地鎮祭

 昨年次男が自宅を新築したのに続いて、今度は娘夫婦が家を新築することになりました。場所は今住んでいるマンションから歩いて5分ほどの直ぐ近くに土地を買い求めたようで、私たち夫婦も一度土地を見に出かけていましたが、このほど大安吉日を選んで、新築工事を始めるための地鎮祭に招待され、妻と二人で出かけて行きました。建築業者3人、出雲大社系神主1人の計4人が敷地内にテントを張って、注連縄で囲った祭壇にお供え物を供え、地鎮祭は始まりました。

施主である娘婿の鍬入れ

 施主側出席者は娘婿夫婦と末っ子、それに私たち夫婦の5人でした。神主さんが中々の念者で、少し肌寒い気温ながら神事細々を解説しながら少し長い神事となりましたが、玉ぐし奉奠や鍬入れに私も孫と一緒に参加させてもらい、工事の安全を祈りました。この日は私のその後のスケジュールが詰まっていたので、神事が終ると早々に引き揚げましたが、この上は無事に家が完成することを願うばかりです。

 娘婿は大学に勤めていて、娘も助産師として病院に勤めています。中学二年生と小学三年生の男の孫二人の慎ましやかな家族ですが、娘婿のお母さんのことが少し気がかりなようです。お母さんは住み慣れた大阪の実家を離れ何年か前、息子の任地である松山のマンションに一人で移り住んでいましたが、ほんの最近高齢者福祉施設へ移って暮らしています。早く念願の家を新築してお母さんに見せ、安心させてやりたいという願いもあるようです。これから先もあれやこれやと大変なようです。

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〇叔母のてかがみ投稿

 私より年齢が1つだけ年上の叔母がいます。私の親父は12人兄弟姉妹の長男、叔母は末っ子です。兄弟姉妹が1~3人の現代では、考えられないくらい昔の田舎は子沢山だったゆえに、こんな珍現象は珍しくありませんでした。私が子どものころは同じ家に大家族で暮らしていたので、一つ年上の叔母とはまるで兄弟姉妹のように育ちました。縁あって叔母はわが家の漁船に乗り込んで働いていた近所の人の元へ嫁ぎましたが、数年前夫に先立たれてからは、息子と同居の慎ましやかな暮らしをしています。

てかがみ特集叔母の記事

 わが妻とも年齢が近いため話が会うのか、叔母ではなくまるで姉妹のように頻繁に出会っているようです。叔母は誰に似たのか筆まめで、愛媛新聞の投稿欄に投書したり、てかがみという会にも所属していて、それらが新聞に載る度に、切り抜いたりして保存していますが、今月の21日にも「てかがみ特集」という一面全紙の一番目立つ上の所に、叔母の記事が載りました。早速ダイニングで妻に読んで聞かせてやりましたが、内容があって中々の文章で、内心その文才に多少驚かされました。

 叔母はまだ72歳と若いものの、老人クラブの会計を頼まれてやっているようです。ゆえに老人クラブの会合にはよく出席していて、てかがみに「忘年会」と題して書いた文章には、老人クラブの楽しかった様子が微細に綴られていました。私も既に72歳となり、町内の老人クラブへ入会するよう誘われていますが、「私はまだまだ若くてそんな歳ではない」と見栄を張って入会していませんが、先日も老人クラブへ入会していないのに高齢者サロンの案内が届きました。丁度その日は遠出の出張があって参加できませんでした。

 叔母の文章を読むと、「老人クラブも中々楽しそうだ」とか、「私もそろそろ」なんて気にもなりますが、私にはまだやらなければならないことが一杯あって、もう少しはそんな余裕がないというのが正直なところです。叔母の文章の末尾に書いていた、「何かの役に立ちたいとの思いはあっても、声がかかるのは老人会だけ。せめて元気でいることが医療費と介護費の節約につながると、せっせと畑へ通い野菜づくりに精を出す」、そんな健康で穏やかな老後を送りたいと思いました。

  「人生は 何があるかは 分からない 今を受け入れ 穏やか暮らす」

  「叔母だけど 歳はひとつか 違わない まるで兄弟 同じ環境」

  「新聞の 投稿欄に 叔母の記事 頷きながら 読んで聞かせる」

  「老人会 度々誘い あるけれど さてどうしよう 心乱れて」

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〇今年の10大ニュース

 私の年賀状は毎年、その年1年に自分の身に起こった10大ニュースを書くことにしています。「青春の履歴書」と題したこの取り組みを10年間続けると、10年間の自分史が出来上がるという仕組みになっていますが、さすがに年齢を重ねると、話題や出来事が乏しくなったことを実感するのも事実です。それでも自分で楽しめばいいのですから、適当に思いつくままWriting Calendarの中から10大ニュースを見繕って印刷をしています。

印刷した年賀状

 

 年賀状を読んだ人から、「毎年楽しみにしています」とか、「もっと活字を大きくしてくれないと読めない」などと期待や苦情が寄せられますが、われ関せず馬耳東風を貫いています。時々「70歳を越えたのに何故『青春の履歴書なの?』と聞かれます。私はその都度、自分のこれからの人生において今が一番若いんだから青春でしょうが・・・・」と持論を展開し、馴染みの印刷屋に原稿を送り、印刷をしてもらっています。

 さてさて今年は私にとってどんな年だったのでしょう。今年は常日頃12年刻みの砂時計と言っている、6回目の砂時計最後の年でした。ゆえに目標どおり84歳まで生きるとすれば来年は、7回目の砂時計をひっくり返す最後の機会になりそうです。0歳~12歳=比翼の時代、13歳~24歳=旅立ちの時代、25歳~36歳=冒険の時代、37歳~48歳=量の時代、49歳~60歳=質の時代、61歳~72歳=完成の時代と、それなりにこれまでを生きてきましたが、いよいよ来年から73歳~84歳=余生の時代へ突入します。さあどんな人生が待っているのでしょうか。ある意味不安、ある意味楽しみといったところです。

  「年賀状 今年も私の 10大の ニュース選んで 青春履歴」

  「色々と 激励苦情 あるけれど われ関せずと 腹をくくりて」

  「これからが これまで決める しっかりと 生きて行こうと 決意も新た」

  「来年は 人生最後の 砂時計 ひっくり返し 余生楽しく」

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〇山の上に巨大なモアイ像?

 別名「夕やけこやけライン」の愛称で親しまれている、海岸国道378号を車で走り、道の駅シーサイドふたみを過ぎた大きなカーブを回ると、突然唐崎辺りの山の上に巨大な構造物が見えてきました。「おや?、これは何だ?」と一瞬首をひねりましたが、どうやら携帯電話の電波塔の化粧直しのために、周りに張り巡らせた工事用足場のようでしたが、私には一瞬、イースター島のモアイ像のように見えたので、八幡浜から帰りに、城の鼻辺りに車を止めて、手持ちのデジカメで一枚写真に収めました。

山の頂上付近にモアイ像?

 モアイ像といえばふたみシーサイド公園の海に面した中庭に、3体の偽モアイ像が立っています。これは私がシーサイド公園の整備を担当した時に発想した、夕日の守り神なのです。3体のモアイ像は海に向かって右(東)は夏至の日に沈む夕日(山口県周防大島東和町辺り)、真中は春分・秋分の日に沈む夕日(大分県姫島村辺り)、左(西)は冬至の日に沈む夕日(大分県大分市辺り)をそれぞれ見ています。当時このモアイ像を造る計画は予算の関係で、一旦立ち消えになりましたが、庵治石で有名な香川県庵治の若手石工さんたちに私の話が伝わり、原材料費だけという安価な値段で設置することができたのです。

 ゆえに山の上に見えた電波塔を一瞬巨大モアイ像と見紛ったのも無理からぬことだと、自分自身で納得し思わず微笑みました。私がまだ見果てぬ夢として持っているのは、春分・秋分の頃双海町から見える夕日は、地球の裏側ブラジルのリオデジャネイロの朝日なので、双海町のシンボル本尊山頂にリオのような大きな石像を建てたいのです。そんな夢を見ていたこともあっての見紛いだったのでしょうが、他愛のない夢なのです。夢には実現できる夢も、実現できない夢もあります。でも夢を見ているだけでも幸せな気分になるのですから不思議す。「夢なき民は滅びる」かも・・・・・。

  「山の上 突然巨大 モアイ像? ハラハラドキドキ ジーンときました」

  「そういえば シーサイド公園 中庭に 昔造った モアイ三体」

  「昨日は 偶然冬至 西寄りの 大分辺り 海に夕日が」

  「この町の シンボル山の 本尊山 頂上付近 夢の頂」

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