人間牧場

〇大雨で広島県尾道での講演会中止

 前日の夜、広島県尾道市役所から電話が入り、「雨が強く降りそうで、水防本部が設置されたり避難所が開設された場合は、予定している講演会を中止せざるを得ないので、そのつもりでいて下さい」とのことでした。昨日の朝になって「今のところ雨は降っているが夕方には小康状態のようなので、講演会は予定通りやります」との連絡を受け、身の回りの細々をしながら準備をしていると、担当者から再び電話が入り「水防本部や避難所が設置されたので、講演会は中止することになりました」とのことでした。

 こればかりはどうしようもないことなので、昨日一日はぽっかり空いた時間を有効に生かすべく、書斎にこもり締め切りの迫っている原稿書きを始めました。原稿用紙10枚程度の少し長めの原稿なので、いつもやるように4~5本柱立てをして、とりあえず2~3枚程度ずつ書き進めました。尾道の中止決定が正解だと納得し、降る雨を窓越しに眺めながらパソコンに向って集中した結果、まあそれなりですが、夕方までにかなりの部分の荒書きを終えることができました。

 実は今日も最初ラジオ番組の出演が予定されていましたが、これも向こうさんの都合で急遽中止になり、今日も人に会う予定キャンセルで、スキルダウンといった感じです。私は妻から「まるでマグロのような人間」だと言われています。つまり動き回ると元気が出て、休むと元気を失うようなのです。マグロは生まれてから死ぬまで動きを止めることなく泳ぎますから、的を得た表現だと納得し、「マグロ類似人間」にして「マルチ人間」を目指して生きています。原稿書きは体は使いませんが、能力に乏しい私は脳をかなり使います。

 降って湧いた色々な雨による中止のお陰で、晴耕雨読ならぬ晴耕雨書になりました。しかし午後3時頃、大雨警報が出たというので小学生の孫2人が少し早めに学校から先生に連れられて帰って来て、家の中が急に蜂の巣をつついたように賑やかになり、原稿書きどころの騒ぎではなくなりました。まあこれも雨の日の恵みでしょうか。今日も天気予報は午前中雨、午後曇りのようなので、畑にも出れず雨書を行い、原稿を書き上げたいと思っています。そうそう最近孫が植木鉢皿5個をウッドデッキに並べてせっせと雨水を集めています。どうやら集めた雨水を世話している朝顔にやるとよく育つという話を何処かから聞いてきたようで、雀の涙ほどのほほえましくも温かい施しに、目を細めめながら見ています。

  「大雨で 講演会が 中止だと 電話連絡 二転三転」

  「今日予定 ラジオ番組 出演も 相手の都合 中止連絡」

  「雨降って 晴耕雨読 出来ぬゆえ 晴耕雨書で お茶を濁して」

  「降る雨を 窓越し眺め パソコンで 少し長めの 原稿を書く」

 

 

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〇街路灯の点滅

 私が役場に在職してまちづくりを担当していた頃、町内の小学生や中学生に「明るいまちづくり」について作文募集をしたことがありました。応募のあった中に「明るいまちづくりをするには町内に電気をいっぱいつけたらいいと思います」というのが何件かあり、審査会で子どもの単純にして明快な発想に大笑いをしましたが、実はこれがきっかけとなって、町内が暗いことに気付き街路灯の設置が進んだのです。

点滅し始めた家の入口付近の街路灯
点滅し始めた家の入口付近の街路灯

 私の住んでいる双海町はド田舎ほどではありませんが田舎を自認しています。ゆえに夜になると街がかった所は別ですが、端々の集落に行くと街路灯も殆どなく、暗くて懐中電灯無しでは歩けないのです。都会からお嫁に来た人が最初に驚くのは屋外の暗さで、嫁いで来た不安を更に倍化させたとわが妻も、当時を振り返って述懐していますが、結婚して45年も経つとそれが当たり前になって、夜道でも平気で歩くのですから不思議といえば不思議です。

 数日前から家の敷地に入る前に立てられている街路灯の水銀灯が、賞味期限が切れたのかまるでネオンサインのように、一晩中点いたり消えたりを繰り返すようになりました。この街路灯は灘町区が電気代を払って管理しているので、電球が切れると組長さんを通じて区長さんに連絡し取り替えてもらうようになっています。私も区長をしていた頃何度かその連絡を受け、その都度電気屋さんにお願して取り替えてもらった経験をしているので、あいにく組長さんが不在だったので、直接区長さんに電話で頼みました。

 2~3日中に電球を交換するとのことでしたが、正直なところ街路灯が点滅するまで余り街路灯の明るさの存在に気がつきませんでした。私たちの暮らしはそのようにあるものが当たり前に思うのでしょうか、有難く感じないようです。空気も水も電気も、食べているご飯もそれを作ってくれる妻の存在さえも当たり前といった感じです。街路灯の電気がどんな経路を辿ってここまで届けられ、私たちに明るさの恩恵をもたらしているのかなどは知るよしもないのです。そんな中伊方原子力発電所がいよいよ発電再会するようで、折りしも参議院議員選挙が告示され、原子力の是非が議論になっています。さて私の意見は・・・・。

  「街路灯 2~3日前から 点滅し 賞味期限が きたこと知らせ」   

  「小学生 明るい町を 作るには 街灯沢山 凄いアイディア」

  「田舎ゆえ 夜は暗くて 歩けない 平気で歩き 時たまこける」

  「この町に 嫁いだ頃は 暗いこと 言ってた妻も いつの間に馴れ」

  

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〇どっちがどっちなの?

 一昨日、市民が主役のまちづくりを考える「地域力パワーアップ大会」が松山市文京町の松山大学カルフールホールでありました。今回で第2回目を迎える大会ですが、私も松山市のまちづくりアドバイザーとして参加しました。今年のテーマは「~若者の力で地域をおこす~」でした。野志市長さんのあいさつに続いてオープニングでは「まちづくり10年の歩み」が紹介され、まちづくり協議会が19地区、準備会が2地区に増えたことも紹介されました。

地域力パワーアップ大会の様子を知らせる新聞記事
地域力パワーアップ大会の様子を知らせる新聞記事

 第一部は、①堀江地区から「子どもにだってできるまちづくりはある」、②清水地区から「学生が地域と関わる」、③NPO法人松山大学学生地域創造研究所MESEから「六つの志~夢を追いかける私たち」というテーマで事例発表がありました。休憩を挟んだ第二部は、発表者と私を含めた3人のアドバイザーが壇上に上がって議論をしましたが、まちづくりにおける若者の力の捉え方と活動に多少戸惑いを感じました。松山を含めた日本全国のまちづくりの現場で、若者の顔が殆ど見えない現状を思うと、松山のように大学や専門学校があり沢山の学生が暮らしているのですから、このヤングパワーをまちづくりに生かせないものかと思うのは当然ののことです。

 若者も少数ではあっても何とかお役に立ちたいと、まちづくり的な活動をしてはいますが、それらの殆どは若者だけの活動で、地域のコミュニティーに根ざした活動には程遠いようです。私たちが若者に本当にやって欲しいのは、地域住民の輪の中に入り、地域とともに地域を興すことなのです。若者から言わせれば地域には「手つなぎの鎖のような封建的な古いしがらみ」があって、若者が入るのを拒んでいるように見えます。一方地域の住民も「今の若者は」の言葉に代表されるような若者に危険レッテルを貼っているようにも思え、こうしたボタンの掛け違いが両方の間に深い溝を作っているようです。

 「若者がいないから歳をとっても頑張るしかない」と思っている人たちがリードせざるを得ない地域と、「歳をとった人がいつまで経っても中心になるから若者が主役になれない」と思っている若者の意見は、どっちがどっち?、どっちもどっちです。さて皆さんはどう思うでしょうか。宗教学者で夕焼け京都塾塾頭の山折哲雄(元日本国際文化センター所長)さんは、「若い世代に既得権益を譲れる心構え」を説いていますが、私もある意味同感です。しかし若者がふるさと意識を持たず、まちづくりに興味を示さないのも事実です。地域が若者の力を求めてもどこに若者がいるのか、またどこへ言えばいいのか分らない現状もあります。悪く言えば仲を取り持って介在する口入れ屋的存在が不在のようです。

  「まちづくり 若者不在 このままじゃ 勿体ないと 思うけれども」

  「若者の 言い分聞いて まちづくり やろうじゃないか 心広げて」

  「古い人 一歩下がって 輪の中に 若者入れて 未来語ろう」

  「口入れ屋 あればお互い 繋げるが 今は残念 見当たりもせず」

 

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〇月火水木木金金

 この一週間は、古い歌の文句ではありませんが、「月火水木木金金」と思えるほど、71歳の私には「超」がつくような土日もない過密な日々でした。19日・宇和島市三間町ワクワク塾人間牧場来訪研修会、20日・大洲市立肱東中学校金銭教育指定校訪問、21日・西条市人材センター総会講演、22日・愛媛海区漁業調整委員会及び懇親会、23日・砥部町公民館文館長研修会講演、24日・夢工房例会、25日・愛媛大学共創クリエイタープログラム人間牧場講義、26・愛媛大学共創クリエイタープログラム自宅講義・松山市まちづくり協議会パワーアップ推進大会助言と一日も休まず、県外にこそ出ませんでしたが、一緒に暮らしている妻も驚くほどでした。

人間牧場に咲くアジサイに癒されました
人間牧場に咲くアジサイに癒されました

 何でこうなるのかは分りませんが、いつものことながら空いた日空いた日に、後付でスケジュールが入るので、気がつけばこうなってしまうのです。ゆえに時々スケジュール表を持たず野良仕事をしている時などに予約の電話が入り、そのことをすっかり忘れて、スケジュールが重複したり、親類縁者の葬儀等の突発的なことが起こると、相手に迷惑をかけたりその調整に四苦八苦したりするのです。「もう若くはないのだから余り無理をしないように」と妻からは再三注意を受けていますが、若い頃からこのような手合いですから、歳をとったことを忘れて夢中になってしまうのです。

 それでもこの一週間は生き馬の目を抜くようにこれほど忙しくても、また二日間で10時間近く集中講義をしても、沢山のいい人に出会えて充実しているからでしょうか、肉体的にも精神的にも疲れは殆ど感じず、むしろ心地良い感じさえするのですから不思議です。多分もうこれほどの忙しさはもうないと思われるので、まあなすがまま歌の文句のように、「時の流れに身を任せ」て日々を生きたいと思っています。この一週間は梅雨の真っ最中ゆえ、時には強く降る雨に翻弄もされましたが、雨に濡れながら咲く人間牧場のアジサイに癒されもしました。さあ今日からまた新しい一週間が始まります。明後日は広島県尾道瀬戸田です。

  「一週間 あれやこれやと スケジュール 空いた日もなく 何とか過ごす」

  「忙しく 動いたけれど 不思議です 疲れ感じず スキルがアップ」

  「今日からは また新しい 一週間 スケジュール表 かなり立て込む」

  「無理するな その後必ず 歳だから 誰もが同じ セリフで注意」

 

 

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〇送られてきた一枚のDVDフロッピー

 昨日外出先から帰ると、私の机の上に昨日届いた封書やハガキに混じって、レターパックが置かれていました。多分郵便受けから若嫁が取り込んでくれたものと思われますが、送り主は埼玉県寄居町に住む友人黒瀬仙一さんからでした。早速封を切ると中から1枚のDVDフロッピーが一枚出てきました。添えられた私信に「DVD送付が大変遅くなり恐縮です。テレビ画面を録画したのでクリアではありませんが、あらかじめご了承下さい。~後略」と書いていました

埼玉県寄居町の黒瀬仙一さんから送られてきたDVDフロッピー
埼玉県寄居町の黒瀬仙一さんから送られてきたDVDフロッピー
雨が上がり偶然見えた既往の夕日
雨が上がり偶然見えた昨日の夕日

 黒瀬さんは寄居町の職員で、私が寄居町の文化講演会に招かれて以来のご縁で、時々手紙のやり取りをしていますが、黒瀬さんが偶然にも2001年に放送され、その後NHKアーカイブスで再放送された「永六輔のにっぽん夕焼け紀行」という番組を見たそうで、その録画した映像をDVDに直接録画することができず、わざわざテレビ画面をビデオカメラで撮影して、5分48秒余りに集録して送ってくれたのです。私の手元にも録画映像がないだけに、思わぬプレゼントに私は大いに喜びました。

 早速DVDをパソコン画面に写して見ましたが、18年も前の2001年に永六輔さんが番組ロケのため、双海町の私の元を訪ねてくれた思い出が、つい昨日のことのように懐かしく思い出されました。永六輔さんは夕日夕やけに特別の想いを持った人で、文通を重ねたりフロンティア塾に講演に来てもらったりして交遊していましたが、今はアルツハイマーを患い、音信も途絶えてしまいました。しかし私の人生において強い影響を受けた人の一人でもあるので、しっかりと記憶に留めています。

 DVD画面には元気だった頃の永六輔さんと、まだお酒を呑んでいた元気な頃の私が相対しながらリアルに写っていて、13キロも痩せ別人では?と思える、今の自分と比較しながら食い入るように視聴しました。双海町の夕日夕やけを、まるで気狂いしたように売り出そうと奔走する当時の自分の姿は、今にしてみれば多少滑稽にも見えますが、まあ若気の至りでしょうか。早速今日にでも黒瀬さんにお礼のハガキをしたためようと思っています。黒瀬さん有難うございました。

  「レターパック 中から一枚 DVD フロッピー取り出し 早速視聴」

  「18年 前にテレビに 出た二人 お互い活気 今とは別人」

  「18年 時の流れは 容赦なく アルツハイマー 永さん思う」

  「わが人生 影響受けた 一人にて これから先も 記録を記憶」

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〇大雨の中雨どい掃除でびしょ濡れ

 このところ毎日のように雨が降って少し憂鬱です。それでも「雨の日には雨の日の仕事がある」とばかりに、色々なことをしながら日々ポジティブに暮らしていますが、昨日は降る雨の中、傘を差して家の軒先を何げなく見上げていると、かなり強い雨が雨といから溢れていました。「おやっ?」と思いつつよくよく見るとどうやら雨といに何やら詰まっているようでした。

ずぶ濡れになって掃除をした自宅の雨どい
ずぶ濡れになって掃除をした自宅の雨どい

 早速倉庫から脚立を取り出して梯子状に伸ばし、ほんのちょいとのつもりで梯子を上がり、雨どいを覗き込むと、雨とい一面に落ち葉や杉葉が堆積して、流れる雨水を塞いでいました。カッパを着ることもなく作業を続けていると、その向うの雨どいも同じようになっていて、結局は降りしきる雨に打たれずぶ濡れになり、水も滴るいい男となってしまいました。

 雨の日に梯子に登ったり屋根に上がったりするのは滑るのでとても危険だと承知をしているので、恐る恐るへっぴり腰での作業でしたが、身体がずぶ濡れゆえ急ぐ気持ちもあっていたし返しでした。それでもその後雨どいは降る雨を上手くとい受けに受けて流れ出したようで、まずは一安心といったところです。先日は息子が屋根の草を引いてくれました。

 ずぶ濡れのままで風呂場の勝手口からお風呂に入り、温かいシャワーを浴びてさっぱりしましたが、今度晴れたら家の周りの点検をしておきたいと思いました。今年の雨はかなり激しい雷を伴ったり、身体に当たると痛いほど大粒の雨が降り、少し異常な気がします。降って湧いたずぶ濡れ対応をしながら、熊本地震で被災した人たちのことを思いました。

  「雨の中 脚立を伸ばし 雨どいの 詰まった掃除 ずぶ濡れなって」

  「濡れた服 風呂場で脱いで 温かい シャワーを浴びて 一段落し」

  「被災した 人たち大雨 容赦なく さぞや気苦労 多いだろうと」

  「雨の前 点検せずに とい詰まり 自責の念に かられて反省」

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〇朝顔の生垣作り

 先日小学校一年生の孫奏心が、ビニール袋に入れて朝顔の苗を3本学校から持ち帰りました。聞けば学校では一人一鉢運動として、全校生徒が色々な季節の花を校庭で育てているようですが、元気な苗を植えたものの弱った残りの苗は欲しい人に差し上げるから、自宅で育てて下さいとのことのようでした。奏心は私に手伝って一緒に植えて欲しいとのことでした。

朝顔が伸び始めた竹垣
朝顔が伸び始めた竹垣

 ビニール袋の中を開けて見ると中から出てきた苗は弱っているどころか、2キロもある通学路を、ためらいもなく振り回しながら持ち帰ったためグジャグジャで、一本はまあまあながら後の2本はちぎれたり折れたりして、多分植えてもつかないだろうと思いましたが、懇願するのでプランターに土を入れ、二人で植えました。奏心はジョロで1~2度水をやったようですが、その後はその存在さえ忘れているようでした。

 ところが先日、まあまあだった苗が伸び始めたのを見つけ、今度は生垣を作って欲しいと頼まれました。菜園用の長い青竹を3本、脚立に上って屋根にくくりつけ、横竹を組んで昨年使ってしまっていた、園芸用網を取り付けてやりました。よく見ると多分駄目だと思っていたあとの2本も驚異的な回復を遂げ、生育は遅れているものの何とか生き延びているようでした。このところ足繁く雨が降るお陰で、一本はその後順調に網に絡まり上り始めました。

 この分だと今年も朝顔の綺麗な花を見ることができそうです。子どもにとって植物を育てることは優しい心を育む上で大いに役立ちます。3年生の兄希心は鉢皿を5枚傍に置いてせっせと雨水を貯めているようです。どこで聞いてきたのか、朝顔に雨水をやるとよく育つのだと教えてくれました。今年の夏休みには絵日記でも書いてくれたら面白いのにと淡い期待をしています。

  「学校で 貰った弱い 朝顔を 植えて欲しいと せがまれ植える」

  「折れていた 朝顔植えて 何日か よくよく見れば まるで奇跡だ」

  「青竹を 組んで園芸 網を張る 育爺仕事 お安い御用」

  「この夏も 孫が育てる 朝顔の 花が見れそう 嬉しいじゃない」

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〇大雨警報で孫たちは自宅待機

 昨日から今朝にかけて私たちの住んでいる伊予市には大雨警報が出ています。午前7時の時点で警報が出ていると、孫たちは学校から「自宅待機」の指示が出ているため、朝から何かと賑やかです。自宅待機といいながら孫たちは「学校が休み」と勘違いして、学校へ行く準備をしていたのに早々と私服に着替え、浮き足立っているようで、「学校が休みが何故こんなに嬉しいのだろう?」と、若嫁が不思議がるようにはしゃいでいます。私たちが子どもの頃は大風や大雨でも警報等殆ど出ず、雨が降ろうが風が吹こうが学校へ行かなければなりませんでした。

自宅待機の孫たち
自宅待機の孫たち
西の空は明るくなったのに
西の空は明るくなったのに

 今は気象予報が発達していて、テレビの画面を操作をすれば、自分の住んでいる町の天気予報が1時間毎に表示されていて、警報もいち早く知らせてくれるのです。またパソコンでも雨雲の動きが手に取るように分かり随分助かりますが、今朝は警報が出ていても雨は小康状態で学校へ行けないほどではない感じもしています。今日は息子も若嫁も仕事です。妻は免許証の書き換え講習に出かける予定です。私は夕方から講演に出かける予定ながら、昼間は家にいるので、当然孫たちと一緒に留守番のお鉢が回ってきました。何かにつけて腕白盛りでうるさい孫たちの見守りは少々骨が折れますが、これも仕方がないことと諦めています。

 このところの雷を伴った大雨で、各地に被害が出ています。特に大地震に見舞われ甚大な被害の出た熊本や九州各地では水害も発生し、踏んだり蹴ったりの痛ましさで、他人事ながら心が傷みます。家の周囲も降り続く雨で水かさが増し、今朝も鍬を持って見回りましたが、何度か裏山が崩れて災害に遭っているだけに気が気ではなく、このまま早く雨が止むことを祈るばかりです。天災は忘れて頃にやってきます。雨の前に一応草刈りを終えていましたが、雨の恵みを受けて草刈り後は早くも青々と草が生え揃いました。やっぱりお天道様が恋しいですね。

  「警報が 出たと孫たち 大はしゃぎ 何が嬉しい 理解苦しむ」

  「警報が 出れば学校 休みだと 自宅待機を 理解できずに」

  「西の空 明るくなって 首かしげ 警報本当? 疑いたくなる」

  「暗黙で 今日は私が 孫たちの 面倒見ると 決ったご様子」

 

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〇人のご縁は懐かしい

 松山市に「えひめ地域政策研究センター」という研究機関があります。地域づくりに長年関わっているためセンターへは発足当時から足繁く通い、その時々の職員さんから様々な恩恵をいただいて今日に至っていますが、事務所の位置も道後(元農業会議)、千舟町(元生活センター)、三番町(元地方局)と二転三転し、今はJR松山駅近くの宮田町(商工会館)に移っています。主な業務をまちづくりとして発足し、その後研究機関と統合しましたが、私も古い関係者も通称「まちづくりセンター」と言えば言葉が通じるのです。

水の都西条
水の都西条
講演会に招かれた総合文化会館
講演会に招かれた総合文化会館

 数年前の法律改正で公益財団法人となりましたが、所長は発足以来県庁の退職部長や、現職次長クラスの人が、3~5年在職して次の人にバトンを渡しています。この春からは長年私たちと夢工房というグループで一緒に活動してきている山本司さんが所長になったため、直前の小池所長さんから引き継ぐ形であれこれと関わりが続いています。研究員と言われる職員はプロパー職員ではなく県庁や市町村、団体、法人などから2~3年の間出向してきた人で構成されていますが、その時々の時代背景が違うため、この30年間に出会った研究員との思い出話は尽きぬものがあります。

 人間牧場で開いている私塾年輪塾の運営に携わってくれている、清水塾頭はJR農協から5年、松本小番頭は市役所から3年それぞれ出向して研究員として活躍してくれました。もう古くなりましたが旧東予市役所から出向していた近藤さんとは仲人まで引き受けたり、県庁から出向していた藤田さんには、私が執筆出版した「今やれる青春」という本に特別寄稿してもらったり、また人間牧場水平線の家から見える風景を絵に書いて贈呈してもらった河野さんなどなど、指折り数えて思い出せる人の数は両手どころか両足指を足しても足らないほどです。

DSCN3783 その中に西条市役所の職員を2~3年前退職し、現在は西条市シルバー人材センターの事務局長をしている國田さんがいますが、先日その國田さんから電話がかかり、定時総会で講演をして欲しいと頼まれました。深いご縁もあり一も二もなく引き受け、昨日は午後から出かけて行きました。会場である西条市総合文化会館へは何度か講演に出かけたことがあるので、道に迷うこともなく、カーナビに頼ることもなく到着し、総会が少し遅れて終了したものの、約130人の参加者を前に1時間余り持論の熱弁をふるわせてもらいました。人のご縁は不思議なものと思いながら、國田さんの見送りを受け会場を後にしました。

  「30年 まちセン通い 時々の 場所で人逢い 思い出綴る」

  「思い出は 両手両足 指足して それでも足りぬ 懐かしきかな」

  「旧友と 言える人から お誘いが 一も二もなく 引き受け講演」

  「語り部と 言われるほどに 語ること 多い私は 幸せ者だ」

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〇夕やけと朝焼け

 私たちの地方では、昔から沢山の天気予報に関する言い伝えが残っています。気象衛星などなかった昔は、天気予報など「当たるも八卦当たらぬも八卦」といった感じで、備えもできず気象被害に度々あって泣き目を見てきました。わが家は代々漁師でしたから、「板子一枚下地獄」の海に乗り出すためには、瞬時に気象をよみ取る知識と知恵が求められていて。運動会や遠足の度にその恩恵に預かってきました。

昨日の朝焼け
昨日の朝焼け

 例えば「空の夕焼け鎌を研げ」と明日の天気を教えられました。また「沖合いに浮かぶ島々に雲がかかると南西のやまぜが吹くので漁に出るな」とかいった、長年の経験からにじみ出た諺を随分教えられたように思うのです。昨日の朝雷を伴った激しい雨が降りました。ところが突然雨が止み、東の空が綺麗な朝焼けに変わりました。普通であれば「ああ天気が回復した」と思うのでしょうが、その後次第に雨がまた強くなってきました。

 「夏の朝焼け川向こう渡るな」という諺通りでした。つまり夏は綺麗な朝焼けでも必ず雨が降るから、川が一気に増水するので要注意というのです。その確認をするようにデジカメで朝焼けの東の空の朝焼けを写真に撮りました。私のタブレット端末には3日後まで、つまり72時間先までの1時間毎のシーサイド公園と人間牧場の気象予報が表示されるようになっていますが、梅雨ゆえの天気でしょうか、直近はよく当たるのですが、明くる日やそのあくる日といった3日後など、まるで猫の目のように目まぐるしく予報が変わるのです。旧暦や天気諺等はもう古いと思われがちですが、知っておくと気象システム以上の働きをすることも事実です。何年か前古老から丹念に気象諺を聞いていた知恵が、気象システムと併用することで今頃役に立っています。

  「よく聞いた 秋の夕焼け 鎌を研げ 古老の諺 暮らし役立つ」

  「梅雨の時期 気象システム コロコロと 表示が変わり 当てにはできぬ」

  「昨日朝 東の空が 朝焼けで 赤く染まった 信じちゃならぬ」

  「予報ゆえ 当たらぬことも あるものと 気象システム 諺併用」

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