人間牧場

〇「あらし山」の風の便りとともに清見タンゴールが届く

 人間牧場で6年前に開塾した、年輪塾の塾頭を務める清水和繁さんから、昨日段ボールの宅配便が一箱届きました。宛名ラベルを剥がし開けて見ると、中から「あらし山」の風の便りというハガキサイズのメッセージが出てきました。
 「父が病に倒れて九年目の春が来ました。作れなくなった所の樹を切り、植えた桜は満開の花を咲かせてくれ、父が遺してくれた園地は『あらし山』になりました。この園地で桜の咲く頃の清見タンゴールは我が家の宝物です。果実に白いコートを着せて厳しい冬を越させ果皮がデリケートでひと苦労ですが、毎年、桜の花が咲くのを楽しみにしています。」と書かれていました。

清水さんから届いた「あらし山風の便り」
清水さんから届いた「あらし山風の便り」

 早速段ボールに詰まった清見タンゴールを取り出し、台所で半円八つ切りにして小皿に盛り、書斎の机の上に置いて手で皮を剥きながら食べました。清見タンゴールという洒落た名前の通り、この時期の果肉の味はトロピカルで、口中にたっぷりな果汁が充満して、他の雑柑とは違った味を存分に楽しみました。
 三崎半島からは毎年、先端に位置する旧三崎町に住む親友塩崎満雄さんから清見タンゴールが、中ほど旧瀬戸町に住む親友緒方二三子さんから瀬戸金時というサツマイモ、また旧三崎町平磯に住む親友浅野農園からは、清見タンゴールジュースが時々届きますが、いずれも清水和繁さんと同じように作り手の苦労が偲ばれる贈り物だけに家族一同喜んで味わっているのです。

 清水さんは農協マンですが、松山での暮らしが長く、仕事を続けながら土日には実家と農地のある八幡浜市日土に帰って、休日百姓をしています。二居住地移動生活といえば格好がいいように見えますが、勤務しながら先祖伝来の農地を守って農業をすることは、肉体的にも精神的にも軟いことではありません。それをこなしている清水さんは立派というほかはありませんが、さてその農地を次の世代に受け継げるかどうかとなると、これはもう別な次元の話となるのです。清水さんが風の便りにさりげなく書いている「あらし山」という言葉にその意味が隠されているように思うのです。
 私の住んでいる地域も含めて、今農村ではかつてない危機に直面しています。戦後の厳しい時代を生き抜いた「宝の山」は、まさに「荒らし山」となりつつあるのです。

 全国に聴こえた名だたるみかん産地、八幡浜でさえあらし山になるのですから、私たちの町のような名もないに等しい地域のみかん山などは、押して計るべきといったところで、担い手・作り手・跡継ぎ手のいなくなったみかん畑は荒れるにまかせ、3年もすればカズラと雑草に覆われてみるも無残な姿となり、イノシシの住処となるのです。今話題のTTP問題などよりはるかに重要で深刻な農村問題だと思うのですが、農民も農協も行政も見てみぬふりをして、あらし山を呆然と眺めているようです。
 このままだと日本の農業・農村は一体どうなるのでしょうか。人事ながらわがことのように、心配の種は尽きぬと、清水さんから届いたあらし山の風の便りを詠みながら、美味しい清美タンゴールを食べました。

  「この頃に なると宅配 あらし山 箱の中から 風の便りが」

  「八つ切りの 果実皿盛り いただきぬ 果汁いっぱい トロピカル味」

  「TTP よりも深刻 荒らし山 田舎イノシシ 住処になりて」

  「国民が 毎日みかん 一個ずつ 食べてくれたら 消費上向く」

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人間牧場

〇千本桜の森づくり事業の千本目の桜

 高齢化や農村地域の疲弊で、愛媛県内の山や畑が荒れていることに心を痛め、私たちにできることは何かと、私が代表を務める21世紀えひめニューフロンテアグループは、おこがましくも考え、荒れた山や畑に日本を代表する桜を植えてはどうかということになり、3年前「千本桜の森づくり事業」なるものを考え付きました。1地区100本の植樹を10ヶ所植えようという計画を綿密に立て、金もないのにやる気だけが先行し新聞で募集したところ、10ヶ所以上から希望がありました。早速大野事務局長が中心となり、現地に足を運んで現場を見たり代表の方と相談したりして、それぞれの地区に計画を立ててもらいました。そして金は後からついてきて、えひめ地域政策研究センターの助成、関奉仕財団の助成などをいただきながら私たちの手出しも加えて、植え始めたのです。

植樹のために集まった人たち
植樹のために集まった人たち

 3年前千本桜の1本目は、人間牧場へ標準木として枝垂桜を植えました。手身近な場所に標準木があると、どの程度育っているかおおよその目安がつくと思ったからです。人間牧場の桜はもし何かがあって標準木が枯れたら大変と、代役木も2本(一本は枝垂桜、もう1本は河津桜)植えていているので、多分大丈夫だと思うのです。南予や中予、東予と計画通り苗木を植えて行き、3年目の今年やっと目標どおり千本目の桜を植えることができたことは、何よりも嬉しいことです。
 千本目の桜を受け入れてくれたのは、今治市菊間町松尾地区でした。この地区へはかつて私が、まちづくりをしていた20年前から、菊間町役場に勤めていた渡部さんとひょんなことから知り合いとなり、講演に出かけてから度々訪れている地域で、知り人も沢山いるのです。

千本目の桜を植えた歌仙の滝
千本目の桜を植えた歌仙の滝公園

 松尾地区には歌仙の滝という公園があって、地元の人が管理をしていますが、その周辺に桜を植えて、かっての賑わいを取り戻そうと立ち上がっていた矢先で、愛媛新聞社に勤めていた渡部さんとも親しくなり、渡部さんが中心になって計画が進められました。
 昨日は前日から近づいた爆弾低気圧の影響で、海も山も大風が吹いて、冬に逆戻りしたようなあいにくの一日でしたが、私と大野さんが朝早く起きて出かけたところ、70人を超す多くの地元の人が集まり、植樹に参加してくれました。
 地元の代表者に続いて私もあいさつをさせられました。トラックの荷台に上がって、まるで選挙の演説のように、千本桜のいきさつや、これからのことをお話させてもらいました。

 桜は順調は育てば、10年もすれば桜の木の下で花見ができるほどに成長します。10年後にこの桜の木の下で花見の宴をやるのも一趣です。3年間で植えた千本の桜全てが枯れずに育つとは思いませんが、田舎の山や畑に桜の花が咲き競うのを、夢見て暮らすのもいいことだと思うのです。お互い長生きして10年後桜を見ようと誓い、松尾集会所で地元のおばちゃんたち手作りの豚汁とおにぎりをいただき、楽しいお喋り会をしてお暇しました。
 10年後私はどんなおじいさんになっているのでしょうか?。願わくば自分のこの目で千本桜を訪ねて見たいものだと思っています。

  「一本目 二本三本 数増やし あちらこちらに 桜沢山」

  「千本目 背丈の桜 植え終わる 三年間で 大願成就」

  「十年後 私はどんな 爺さんだろう 元気で桜 見たいと思う」

  「木は育つ 私は縮む 競争も できないままに 時は流れる」

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人間牧場

〇今日からわが伊予市は選挙戦突入

 県議会議員泉圭一さんの市長選出馬に伴う辞職で、5日に告示された県議会議員選挙を加え、今日伊予市長と伊予市議会議員のトリプル選挙が今日告示され、いよいよ選挙戦に突入です。市長選挙には元県議会議員の泉圭一さんと元市議会議員の武智邦典さんの2人、市議会議員選挙には新旧合わせて22人が立候補する予定です。今回の選挙は前哨戦が長く、年末頃からそれぞれの候補者が草の根の選挙戦を展開し、少し冷めた市民とは対照的に、思惑も絡んだ異常な雲行きで、警察も選管も選挙違反のないよう目を光らせているようです。

 今日は告示日だというのに爆弾低気圧の通過後、わが町では北西の季節風が吹き荒れ、戸外はゴーゴーと音を立てて大風が吹いているようで、各候補者たちは眠れない朝を迎え、選挙の準備に追われていることでしょう。今日から一週間は小さな町に選挙宣伝カーのスピーカーが鳴り響き、賑やかになることでしょうが、県議会議員1人、市長1人、市議会議員20人しか当選しないので、少なくとも22人は当選の美酒に酔いしれますが、4人は落選の悲哀をなめ県土従来を期すことでしょう。

 選挙に出る実力もないし出る気もない私は、これから1週間スピーカーの声を聞きながら過ごしますが、選挙戦を前に先日愛媛新聞朝刊に、「海・山・まちの未来図 伊予市長選・市議選を前に」という連載記事が3回にわたって掲載されました。記録のつもりでスクラップ、スクラップブックに収納し、スキャナーに取り込んでパソコンに保存しました。あえてコメントをせずにブログに添付しておきます。

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  「トリプルと なった今度の 選挙戦 何が争点 新聞連載」

  「世の中は 夢と現実 違い過ぎ 期待はするが 期待もしない」

  「政治家は 言うことやること 違い過ぎ やらないことを 検証せずに」

  「よい人を 選べというが 基準値が 見えてこなくて 迷ってしまう」

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人間牧場

〇真っ赤な椿の花が届く

 わが家の家の周りや、人間牧場には瀬戸内海に面した北向きの半日陰の気候が適しているのか、ヤブツバキの花が至る所に見られ、気温の上昇とともにその花を散らしています。人知れず咲き人知れず散るヤブツバキは、野生種ゆえに派手さこそありませんが、私が大好きな花のひとつなの、折に触れ咲いた花を愛でたり、落ちた花びらさえも愛おしく、思わず車を止めて眺めたりするのです。
 近所にツバキの会に入会している奥さんがいます。ご主人は元京都府警の警察官でしたが、退職と同時に近所に土地を構え、新しい家を建てて引っ越して来られましたが、畑のような広い敷地には至る所にツバキの花を植え込み、引っ越して5~6年だというのにあっっという間にツバキ園を造っているのです。

近所の奥さんから届けられた日光(じっこう)という名前のツバキ
近所の奥さんから届けられた日光(じっこう)という名前のツバキ

 奥さんは多趣味で俳句やお華、お茶などをたしなまれいわゆる洗練された京言葉の似合う風流人です。無骨で無芸大食程度の私なので、住んだり活動したりする世界が違うと思いきや、同じ組内ということや私のウォーキングパラダイスの途中に家や菜園があることもあり、四六時中顔を合わせ他愛のない会話を繰り返しているのです。先日はウォーキングの途中で出くわし、ウォーキングを止めて咲いているツバキの花を見ながらお茶とお菓子をいただきましたが、いやはやツバキには詳しくて、私の思考回路が少し混乱したような雰囲気でした。

 昨日の夕方自宅のチャイムが鳴りました。玄関先に出てみるとツバキの鉢植えを持った奥さんが立っていました。「ツバキが綺麗に咲いたので差し上げます」と真っ赤な2輪の花の咲いた鉢植えを持参してくれました。私がお茶のお礼にと人間牧場で採れた蜂蜜の小瓶を2本差し上げたお礼のつもりだったのでしょうが、歳相応の年齢とはいえ、女性に予期せぬ花を貰うことなど殆どないため、少し嬉しくなりました。
 鉢には白いセルロイドに「日光(じっこう)」と名前が書かれていました。早速書斎に持ち込み書斎のレースのかかった丸い机の上に置いて、先日奥さんから聞いたツバキの花の話を思い出しながらまざまざと見つめました。いやはや品のある見事なツバキでした。

 桜が咲けば桜が一番と思い、アジサイが咲けばアジサイが一番と思うほど、私は顔に似合わず花が大好きで、菜の花や桜、アジサイ、水仙、酔芙蓉などの花を町内のあちこちに植え込んできました。今や水仙も菜の花も酔芙蓉も愛媛を代表する風物詩になって多くの人が花をめでにやって来るのです。
 ふと自分の家の花を思うと、あれ程気狂いのように育てた皐月類も、仕事に夢中になり過ぎて全滅させてしまい、少し自戒の念に駆られますが、それでも100メートル以上にわたって間もなく咲くであろう平戸つつじの帯だけは残っているのですからまんざら捨てたものでもないようです。
 これからも近所の人と花談義をしながら余生を楽しみたいものだと思っています。

  「ご近所の 奥さんツバキ 持って来る いやはや嬉し 花プレゼント」

  「人は皆 花に心を 動かして 思わず心 和み幸せ」

  「日光と 書いてじっこう 読むという 凡人私 それさえ知らず」

  「そこここに 風流人は いるもので 目と鼻の先 いいとこ見っけ」

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人間牧場

〇さあ今年度も頑張ろう

 今年の冬はことのほか寒かったので、「待ちに待った」という表現がピッタリの春がやって来ました。桜や桃の花が咲き、日本列島が一年中で一番輝く季節かも知れません。私にとって身近に季節を感じる場所は660坪のわが家と8年前に造った人間牧場界隈です。いずれも維持して行くのにはそれなりの苦労がありますが、サンデー毎日を自認する、退職後の私の暮らしには丁度良い程度の広さで、この8年間それなりに思いを込めて整備や維持管理をしてきました。お陰様でどちらもすこぶる充実した活動拠点となっているのです。

 自宅に隣接した場所に約1反の家庭菜園・果樹園がありますが、野菜作りもすっかり慣れて年々増え、10指に余る種類を作って、食べきれない分は近所や仲間にお裾分けして喜ばれています。しかし失敗も多く折角蒔いた種の芽が出なかったり、時期を逸したりを繰り返しながら、これで飯を食う訳でもないので、意の向くまま気楽やっています。これまで家の敷地内の草取りや家庭菜園の世話は、もっぱら親父の仕事でしたが、間もなく95歳になる親父の老化がこの1~2年急速に進み、余り当てにならなくなってきたのです。当然その分私の仕事量が増えるのですが、年寄りの亀のような仕事量はこれまで大いに役立ち、感謝しても感謝しきれないほどなのです。

 今年の春先、ブルーベリーの鉢植えを、思いきって露地に植え替えました。ブルーベリーは特に夏季の時期の毎日の水遣りが大変だったので、私も親父も大助かりですが、ブルーベリーは強酸性の土壌を好むため、果たしてわが畑の露地に馴染むかどうか心配していますが、今のところは順調に芽を出し、早くも花が咲き始めているようです。
 一方人間牧場の維持管理も、家庭菜園以上にこれまた大変で、一昨日行って見ましたが、早くも雑草が青々と伸び始めているようで、そろそろ草刈りの時期が来たことを実感させられました。人間牧場へは年間を通して沢山の人が研修にやって来ます。来た人に不快の念を与えないようにするには、早めに草を刈ったり、掃除や整理整頓をしなければなりません。

 一昨日は廃品になったスチールロッカーを友人から二つ貰い受け、ピザ釜横の作業小屋の中に運び込みました。トラックに積んだロッカーを一人で運び入れるには少々難儀をしましたが、これでピザ釜でピザを焼く時に使う小道具類は、清潔にしっかり収納できるようになりました。気になっていたことが一つ片付き、一安心といった感じです。作業小屋にロッカーを入れるとこれまで使っていたスチールの棚がやけに邪魔になり始めましたが、近々年輪塾の使う人たちがやって来る予定なので、相談して使い易いように配置換えをしたいと思っています。気になっていたことが一つ片付き、新しい年度に向けてまた一歩を踏み出しました。

  「春が来た 来たのはいいが 忙しい 日々好日と 思って生きる」

  「丁度良い 程度の作業 用意して ポジティブ生きる しんどいけれど」

  「スチールの 古いロッカー 貰い受け 整理整頓 一つ片付く」

  「ああ今日も 何とはなしに 過ぎて行く こんなものだと 思いつ生きる」

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人間牧場

〇ゴボウの種蒔き

 関東や東北では昨日、列車も止まるほどの雨風を伴った大嵐が吹き荒れたようですが、こちらでは幸い雨はたっぷり一日中降りましたが、名残の桜花を散らすほどの風も吹かず、南下した寒気の影響で朝晩は少々寒かったものの、わが家の借景である本尊山周辺には山桜の花が沢山咲いて、山全体が衣替えをしているように見えました。雨が降る3日前、ゴボウの種を蒔く型枠を造り、大量の土を入れて準備をしていた場所へ、ホームセンターで前日買って来たゴボウの種を蒔きました。
 ホームセンターの園芸コーナーにはゴボウだけでも、驚くほどの種類の種が置かれていました。幸い顔見知りの農家の人が居合わせたので、「ゴボウの種を買いたいのだがどんな品種がいい?」と尋ねると、「瀧の川」という普通の品種がいいと教えてくれたので、早速2袋400円弱で買い求めました。

 前日降った雨水をたっぷり吸った土は多少落ち込んで目減りしていましたが、じゅるいこともなく作業を始めました。まず小さな手鍬で土の表面に5本の筋溝を作りました。ゴボウの種袋の封を剪定バサミで切り、用意した種蒔き専用のお皿に取り出し、種を蒔いて行くのです。種は多過ぎても少な過ぎてもいけないので、目を細めながら、2袋分の種を上手く振り分けて慎重に蒔いて行きました。種を蒔き終わると丁寧に薄く土を被せてましたが、蒔いた場所が分るようその上に籾殻を筋上に撒きました。籾殻は水分を吸うため、種が発芽する時に必要な水分を自然に補給できるし、土壌改良にもなるのです。型枠床は高床式栽培のようなものなので、腰に負担をかけることもなく楽な作業となりました。

種蒔きと施肥の終ったゴボウ苗床
種蒔きと施肥の終ったゴボウ苗床

 最後の仕上げは牛糞肥料を籾殻と籾殻の間に、筋状にふって行く作業も造作なく終わり、発芽を促すため少しだけ化学肥料をパラパラと撒いて、ジョロに水を汲んできて、たっぷり散水をして道具類を片付け、全ての作業を終えました。これからは気温も上昇するので、一週間もすれば発芽するものと思われますが、折角蒔いた種を野鳥に食べられないようにしなければなりません。今日にでもテグスかテープを張って食害に会わぬようしたいと思っています。
 私は何故かゴボウが大好きです。正月等はゴボウと田作りイワシで田作りを沢山作って食べます。鷹の爪のピリリと効いた田作りに加え、ゴボウを肉と煮込んだものをソバやうどんに乗せて食べる素朴な田舎料理も、捨てがたいものがあります。今年はゴボウ料理を妻に作ってもらい、せいぜい楽しみたいと思っています。

 「大好きな ゴボウの種を 蒔きながら 舌で覚えた 料理しみじみ」

 「幕板で まるで高床 苗床を 作ったお陰 作業楽々」

 「気がつけば 家庭菜園 このところ 度々ブログ 書いて楽しむ」

 「菜園の 作業のお陰 顔日焼け 元気そうだと 仲間に言われ」

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人間牧場

〇愛媛新聞カルチャースクール開講

 昨年の4月3日、3ヶ月のつもりで始めた世にも不思議な名前の、愛媛新聞カルチャースクール「街中の人間牧場移動塾」は、6ヶ月、9ヶ月、12ヶ月と1年間続ける、私にとっては超ロングランとなってしまいました。最初はテキストとして使用する「夕日徒然草」を解読すればいいと、安易に考えてのスタートでしたし、少なくとも3ヶ月はそのような講義でした。
 ところが、愛媛新聞事務局から6ヶ月・9ヶ月・12ヶ月と継続をするよう依頼され、仕方なくつじつま合わせのような形で何とか継続し、最初は2人の受講生から始めましたが、その後受講生が3倍のバラエティに富んだ6人となり、何とか短くも長い1年の学習を3月に終えたところ、事務局から何とか継続して欲しいと懇願され、仕方なく2年目も1年間開講することになったのです。

私が受講生のために持参した柑橘類を机に並べて・・・・
私が受講生のために持参した柑橘類を机に並べて・・・・

 

開講した街中の人間牧場移動塾
開講した街中の人間牧場移動塾

 開講するに当って1年目の徹は踏むまいと、普通は作らない年間学習プログラムと、学習内容レジメを用意することにして、受講生である浜田さんの意見を聞き、2時間がかりでとりあえず、プログラムと第1回講義レジメを、昨日の第1回開講に合わせてパソコンで急ぎ作成しました。
 昨日はあいにくの雨の日でしたが、10時の開講に間に合うように、午前9時に家を出て愛媛新聞社に出向き、揃った5人の継続受講生と顔を合わせ、講義をびっしり2時間行ないました。自宅にある8種類の柑橘類を人数分手土産に持参し、「少しだけ苦痛・まあまあ満足」といった講義を無事終りましたが、受講生の反応もいいようなので、反面教師のつもりでしっかりと1年間の学習に取り組もうと思っています。

 今年のカルチャースクールのテーマは「幸福のメニュー」、第1回目のテーマは「人を楽しむ(人は人によりて人となる)」です。ちなみに私の作成した年間プログラムと第1回の講義メモを記録のつもりで添付しておきます。

  「プログラム そしてレジメを 用意する 2時間かけた 私の思考」

  「幸福の メニュー等と 洒落てみる 2年目ゆえに できる余裕か」

  「受講生 5人だけれど 精鋭で 学ぶ意欲の 旺盛ばかり」

  「この講義 反面教師と すべきだと 心に決めて しっかり対応」

今年度の学習プログラム
今年度の学習プログラム

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第1回目の講義レジメ
第1回目の講義レジメ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第1回の講義レジメ
第1回の講義レジメ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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人間牧場

〇夫婦二人で桜源郷双海の花見をしました

前日の夕方の国道沿いの夕映え桜
前日の夕方の国道沿いの夕映え桜

 前日の夕方、親類の漁師さんから魚を取りに来るよう電話が入り、夕日が西瀬戸の彼方に沈まんとする時間に、下灘方面へ向かいました。双海町の海岸線は20年も前に自分が立ち上げた「花咲くまちづくり事業」によって植えた桜が、自分でも驚くほど沢山咲いて夕日に映えてまさに桃源郷ならぬ桜源郷といった感じで、思わず見とれてしまいました。今が満開の双海町のこの桜も、やがて雨が降れば散るのかと思えば、もっと愛でてやりたいと思うのは人情です。
 早速夕食時妻にそのことを話し、「明日は昼休みを利用して双海町の海岸線の花見をして外食をしよう」と相談がまとまりました。

潮風ふれあい公園千人塚の見事な桜
潮風ふれあい公園千人塚の見事な桜

 妻は仕事場から午前中の仕事が終った旨、私の携帯に電話を入れ、勤めている歯科医院の前で妻を乗せ海岸国道を走って車の中から桜を見せてやりました。「まあ綺麗!」と妻は桜の見事さに感嘆の声を連発していましたが、魚吉休み、潮路準備中、ラーメンショップ休みと月曜日であることを実感して、仕方がないのでシーサイドの夕浜館まで引き返し、いつも食べている半丼セットを注文して、窓越しに瀬戸内海やシーサイドの桜を愛でながら美味しく食事をしました。
 食事が終ると潮風ふれあい公園の桜の見学です。毎年まるで定点観測のようにやって来る、千人塚の桜の見える丘に立って春の日差しと青空、それに眼下に広がる瀬戸内海をシチュエーションにした見事な桜を、今年も堪能することができました。

妻をモデルの撮影会
妻をモデルの撮影会

 妻が「私たち夫婦はあと何年・何回桜を見れる春を迎えれるのかしら?」と唐突私に言うのです。そういえば年数的には私たち夫婦が迎えた春は60回以上を数えていて、60回以上桜を見た計算にはなりますが、それらを全て記録したり覚えている訳でもないので、85歳まで生きるとしたらあと16~18回しか見ることができない計算なのです。そう思えば間もなく散るであろう今年の桜をこうして妻と二人で見れたこと、写真に収めたことは、私たち夫婦にしてみれば、それなりに価値のある出来事なのです。
 天気予報だと今日は無常にも雨だそうで、すっかり早くなった夜明けの窓越しに見える戸外は、ただいま5時39分ですがどんよりと曇っていて、今にも雨が降りそうな雲行きです。起きてきた妻が、「今日は雨かも。昨日はラッキーだったね」と、昨日の桜を見た証に撮った写真をパソコン画面で見ながら、多少照れていました。

  「年一度 妻と二人で 桜見る 今年も綺麗 私も綺麗」(誉め言葉)

  「あと何回 桜見れるか? 唐突に 妻が私に 投げかけハテナ?」

  「昼休み 少し贅沢 外食で 花見と洒落る 初老の夫婦」

  「植えぬ木は 育たぬものと 心得る 余裕できたら 桜の手入れ」 

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人間牧場

〇大根に変わってサトイモとネギを植えました

 冬野菜の名残である首切り大根が、家庭菜園の畑に残っていましたが、春の作付けを始めなければならないので、昨日はそれらを抜き取る作業をしました。首を切っていたお陰で食卓には毎日のように大根料理が並んでいましたが、沢庵を除けば昨日引いて土を被せた物がなくなれば、大根は今年の秋まで市販の物を買って食べねばなりません。「夕日亭大根心」という芸名?を持つ、大根愛好者の私としては何とも寂しい気もしますが、まあ仕方のないことと諦めて無造作に処分しました。また今年も大豊作だった聖護院大根は、忘れて首を切らなかったためトウが立って花が咲いたため、これも惜しいと思いつつ引き抜きました。
 ついでに白菜の残菜も引き抜いて一輪車で雑草置き場まで運び、生え始めたハコベ草とともに熊手で片付け、綺麗に片付いた畑を耕運機で耕しました。この2~3日天気が続いているため耕運機の仕事ぶりは、固からず柔らかからずでとても順調でした。

種芋を植えたサトイモ畑
種芋を植えたサトイモ畑

 さてこの日耕した畑に植えるものは、昨日ホームセンターに立ち寄った折、サトイモの種芋を売っていたのが目に留まり、2キロ800円で買ったものです。種や苗を買う時私は、キロ単位や一本単位の金額を頭でまず考えます。例えば今回買ったサトイモの種芋は袋の上から目通しして数えると、1キロ袋に16個入っていました。ということは1個25円です。1個にどの程度サトイモが収穫できるかは容易に想像できるのです。これまでの栽培感覚でいくと1個の種芋に500g収穫できると仮定すれば、少なくても8キロは収穫できるのです。1キロ400円の投資が8倍ですから、労賃はタダで肥料は殆ど要らないため、収入3200円で、種芋代を差し引くと2キロですから2800円×2で5600円の収益となるのです。この収益金は直接懐には入りませんが、我が家の出費ガ押えられ、美味しいサトイモが味わえるという特典があるのです。

投資200円のネギ畑
投資200円のネギ畑

 話が変なところへ反れましたが、この日はネギの苗も植えました。前日三男の転勤に伴う転居の手伝いに出かけた折、立ち寄ったりんりんパークで、一束20円という信じられない値段のネギを見つけました。1束20本以上もあるのに20円とは安すぎると思い、10束200円で買いました。ネギはわが家では薬味として使うため幾らあっても足らないのです。持ち帰ったネギの葉っぱを途中で切って、葉の部分を薬味に使うため刻みました。残った白い部分は根がついているので、それを苗にするのです。耕した畑に畝を作り、畝に草削り鍬で少し深めの溝を掘り、200本以上の切り取ったネギの苗を、挟み込んで土を被せて行くのです。
 こんなことでネギが育つのか、私も半信半疑といったところですが、ネギはこれまでにもこうした方法で、植え替えた経験があるので多分大丈夫のような気がするのです。勿論私に指示されて買った妻も狐につままれたような気持ちで、私の作業の様子を見ていました。植えたあとたっぷりとジョロで水をやりましたが、今朝畑を覘いて見るとネギは、水分をたっぷり吸ってしゃんと天を仰いで立っていました。
 私はまるで藁しべ長者のようです。昨日は高菜の葉っぱを切り取って、シーサイドで働くおばちゃんたちに持って行ってあげました。するとお返しに鯛めしとザク、サヨリの天ぷら、タラの芽をいただき、昨晩は下灘の漁師さんからいただいたテッポウサメの刺身を加え、ことのほか美味しい田舎料理を鱈腹でした。幸せでした。

 

 

 

 

  「大根の 跡地に植えた サトイモと ネギに合わせて 千円投資」

  「ネギ半分 食べて残りを 苗にする 私は強欲 爺(じじい)なのかも」

  「経済を 考え菜園 管理する 次々アイディア 次が楽しみ」

  「さあ今日は 幕板使い ゴボウ蒔く 準備をしよう 晴耕雨読」 

 

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