人間牧場

〇大風に遭い苗物に被害

 地元の氏神様の春祭りが近づくと、春祭りの寄付を宮総代の人が組内を廻って集めます。お札とお餅代、それに福まきなどの費用として一戸2千円のようでした。8年前退職した矢先、地元集落の区長と宮総代に選ばれ、寄付を集めたりお宮の屋根の葺き替え工事に伴う騒動が持ち上がり、難儀をした思い出が蘇りつつ、宮総代の人に2千円を渡しました。宮総代の突然の訪問だったため財布を持ち合わせず、在宅の若嫁に立て替えてもらいました。その後妻が帰宅したので2千円を若嫁に返しましたが、神仏の付き合いももうそろそろ代替わりだかと、若嫁を交えて笑いながら家族で話をしました。
 「氏神様の春祭りが来れば苗物を植える」とは、ばあちゃんが生きていた頃教えてくれた歳時記です。この季節になると遅霜にも合わず順調に育つという生活の智恵でしょうが、その言葉通り一昨日の午前中伊予市の親友水口マリ子さんのお店へ出かけて、苗物を大量にいただいてきました。

風の被害に遭ったトマトの苗
風の被害に遭ったトマトの苗

 早速昨日は一日遅れで植えようと畑に出ました。前日までに植える畑を耕運機で耕し畝を立てていたので、作業は順調にはかどるように思いました。ところが植え始めると、この時期としては珍しい北東の風が吹き始め、折角植えたナスやトマトの苗を揺らし始めたのです。急いで裏山に出かけ支柱用の竹を切ってきて立て、ビニール紐で固定しましたが、その作業が大風について行けず、結局は折角植えたトマトの苗の何本かは接木した部分から折れて吹き飛んでしまいました。傍で見ていた親父も多少手伝ってくれましたが、時既に遅く、犠牲になった苗は買い求めて植え替えなければならないようです。ふとばあちゃんの顔や言葉が蘇りましたが、今年に限ってばあちゃんの金言も当らなかったようで、天気を無視して植え始めた私の不徳の致すところだと、自分の予定表の4月19日欄に「苗物植え、北東の突風で被害甚大」とメモを入れておきました。多分来年の参考になるわが家の歳時記です。

被害を免れたナスの苗
被害を免れたシシトウ・ピーマン・キウリの苗

P1010799 昨日植えたのはナス22本、トマト20本、ピーマン10本、シシトウ10本、キウリ5本、ゴーヤ3本、カボチャ3本、オクラ5本、唐辛子3本、パセリ5株でしたが、家庭菜園にしてはえらい数の苗物ですが、お裾分けにはこれくらいは植えないと用が足せないのです。
 私たちの地域では、「夫婦喧嘩とくだりの風(北東風)は宵に凪ぐ」という諺がありますが、あれほど気違いのように吹いた風、も諺どおり夕方にはピタリと止みました。夕闇迫る頃ショロに井戸水を汲んで植えた苗にたっぷりと水をやりました。今日は昼頃から雨が降る確立が80%とかなり高いようで、これで吹き飛ばされなかった苗物は息を吹き返すことでしょう。
 (今朝は間もなく広島府中町へ講演に出かけるので、続きは帰宅後に・・・・4月20日4時39分記す)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  「北東の 突風苗物 吹き飛ばし 心沈んで 水を汲みやる」

  「諺や 言い伝え等 信じ込み 野菜作りに 挑戦の春」

  「親友が 毎年くれる 苗物を 今年も植えて 夏を迎える」

  「農業は 遊び間は 楽しいが 飯のネタだと 棒に振るほど」

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人間牧場

〇9年目を迎えた人間牧場(その②・施設の運営)

 人間牧場が年々充実してくると、マスコミや口コミでその存在を知られるようになり、訪れる人の数も段々増えてきました。極めつけは昨年NHK西日本の旅で全国に紹介されたため、一時は私のスケジュールに支障がでるほどの人気ぶりでしたが、今はそれも落ち着いたものの相変わらずの人気です。人が来れば施設が汚れトイレが満杯になり、電気代も多少跳ね上がります。それらの費用は全て私の財布から出費されます。そんなこともあろうかと当初から考え、著述した本を販売して資金を稼ごうとよからぬ企みをしました。「昇る夕日でまちづくり」は勿論のこと、人間牧場の日常活動を組み合わせた「夕日徒然草」という自著本の出版が当り、5冊出版した「夕日徒然草」の売れ行きも順調で大いに役立っています。
 ただ5年間で5冊の「夕日徒然草」という本を、出版する目論見は達成しましたが、書いた150話を150年生高知県馬路村産魚梁瀬杉の高座で演じる落伍には、即興だけにかなり骨が折れているというのが正直な話です。

 人間牧場で始めた私塾「年輪塾」も清水塾頭、松本小番頭、米湊大番頭、浜田塾生1号の絶大な支援を受け、少しずつ広がっているし、教育委員会と連携した子ども体験塾や、愛媛新聞カルチャースクール「街中の人間牧場移動塾」なども絡んで楽しく運営ができています。
 毎年やって来る愛媛大学農学部スキルアップ講座の受講生や、大学生を相手の講義も順調だし、全国から研修生を受け入れて活動をしています。ただ惜しむらくは人間牧場までの道幅が狭、く大型バスが乗り入れられなかったり、国道から県道・農道・私道を通らなければ来れないため、迎えに出たり送ったりする手間暇が予想以上にかかり、時には来訪者が道に迷ったりするハプニングにも見舞われています。来訪者からは道しるべとなる看板や、駐車場の確保を望む声もありますが、私はそんなことはしたくないと突っぱねて、我流を貫いているし、今後もその方針を変えるつもりはないのです。

地域おこし協力隊の研修
地域おこし協力隊の研修風景

 人間牧場のメイン施設である水平線の家には北に面した板壁一面に5段の大きな書棚を作っています。そこには私がこれまで読んだり集めたりした本や、私がこれまでに書いたブログ記事の綴りが所狭しと並べられ、小さいながら知的空間を演出しています。訪ねてきた人の中にはそれらを手にとって読む人もいますが、私の至福はそれらの本に囲まれ、背もたれ椅子に寝転んで本を読みながら昼寝や瞑想にふけることなので、満足の空間なのです。
 風音や雨音、小鳥のさえずり、漁船のエンジン音、時折下を通る気動車の汽笛音に加え、茫洋と広がる瀬戸内海の海や、満点に星をちりばめた夜空、西の空を茜に染める夕日など、人間性を回復するエキスが一杯詰まっています。
 昨日は夕方からそんな空間で、地域おこし協力隊の3人のメンバーと、松本さん、赤石さん、久保さんたち6人がやって来ました。研修を兼ねているため私のレクチャーと議論を2時間ばかりした後、持ち寄った美味しい春の料理を食べながら、一夜泊まりの合宿研修をやりました。実に楽しく実に充実したひと時でした。

  「楽しいし 新しいこと 目論んで ワイワイガヤガヤ 作戦会議」

  「よそ者と 言われる人が 集まりて まちをどうする 熱心議論」

  「本売りて それを資金に あれやこれ 目下のところ 上手く運営」

  「背もたれの 椅子に寝転び ただ一人 風雨小鳥 声聞きウトウト」

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人間牧場

〇ジャガイモの根寄せ

 すっかり春めき、自宅の書斎窓から見える本尊山界隈は新緑燃えるように衣替えをして、毎朝清々しい気持ちで朝の空気を吸っています。それでも早朝は少しひんやりした空気に包まれていますが、書斎に置いたストーブには今週から火を入れることもなく過ごしていて、そろそろストーブの油を抜き、空焚きして倉庫にしまおうと思っています。
 晩秋から妻の勧めで始めた下ズボン(パッチ)着用も、長袖のヒートテック着用も、今週から春着に衣替えをしようと決意し、とりあえず下ズボンは虫が脱皮するように脱ぎましたが、やはり朝の冷気は身に染みて、妻から「年寄りの冷や水」と笑われています。

 氏神様の春祭りを間近に控え、そろそろ夏野菜の苗物を植える準備をしなければならない時期になりました。毎年のことながら友人の水口マリ子さんに電話をして、苗物を注文し買いに行きたいと思っています。そのために地ごしらえをしようと思いつき、冬野菜として楽しんだ花が咲いている春菊やホウレンソウの残菜を雑草とともに取り除いて片付けました。地中深く根を張ったこれら残菜を引き抜いたり、ハコベなどの雑草を取り除く作業は一苦労で、思わぬ大汗をかいてしまいましたが、耕運機を掛けてすっかり見違えるような新地になり、いつでも苗物を植えれるよう準備が整いました。
 今年もナスやトマトをメインにして、インゲンやオクラ、ピーマン、シシトウ、カボチャに加え、ツルなしツルありインゲンやトウモロコシも作ろうと思っています。

根寄せの終わったジャガイモ畑
根寄せの終わったジャガイモ畑

 今畑の大半は昨秋植えたタマネギと、春に植えたジャガイモが占有していますが、小まめに芽をかいだジャガイモが一気に大きくなり始め、今のところ順調に育っているようです。新聞によると宇和島遊子の段々畑では早掘りのジャガイモの収穫が始まったそうですが、わが町は気温の低い瀬戸内に面しているため、ジャガイモもやっと芽を出し始めた程度です。でもこのところの陽気に誘われて日増しに緑色の部分が増え始めました。昨日はジャガイモの根寄せをしました。生え始めた雑草を鍬で削りながら土を畝の高い部分に根寄せして行くのです。こうすれば芽かき作業とともに、白い肌のジャガイモが大きく育つのです。今年は一畝だけ黒いビニールシートのマルチをかけてみました。マルチを敷いたジャガイモは、保温効果なのか他の畝とは比べ物にならないほど大きく育っているようなので、根寄せや草取りもせずに済むので、来年はこの方法で作ろうかと思っています。もう間もなくジャガイモとタマネギを使った肉じゃがが食べれると、楽しみにして根寄せ作業を行い、すっかり綺麗になりました。

  「春植えの 準備おさおさ 農作業 麦藁帽子 日除けのつもり」

  「マルチかけ 太陽恵み いただいて ジャガイモ順調 育っているよう」

  「体力が 落ちているのか 鍬を持つ 手と腰痛み 時々休む」

  「氏神の 祭り近づき せかされて 畑耕す 今年も元気」 

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〇朝日輝く桜島と夕日に映える開聞岳、そして夕日の佐賀関(その6)

 

朝日に輝く桜島
朝日に輝く桜島

 鹿児島と言えば桜島と開聞岳を思い出すほど、二つともく鹿児島県の観光ポスターに出てくる名山です。錦江湾に浮かぶ桜島は活火山で、今も休むことなく噴煙を上げていますが、私たちのように遠くから旅して見る噴煙光景は絵になりますが、ここで暮らしている人にとっては、黄砂のように降る火山灰で、風向きによっては洗濯物も干せない悩みの島でもあるのです。国分市にある大学に三男息子が4年間遊学していたこともあって、火山灰の話はいやというほど聞かされました。
 鹿児島港を午前7時45分に出航した高速船トッピーの船内客室の窓越しに、朝日に輝く桜島を見ましたが、「わが胸の 燃える思いに 比ぶれば 煙は薄し 桜島山」という言葉の意味を反芻しながら、その先の洋上には、かつて青年団の研修旅行で訪ねたことのある、日本最南端佐多岬半島も見えました。

夕日に映える指宿開聞岳
夕日に映える指宿開聞岳

 屋久島からの帰り際、宮之浦港を午後5時10分に出発した高速船は、寄港地である指宿の港を目指して走っていました。やがて4月13日の夕日が南シナ海に沈もとしていましたが、この夕日が開聞岳の山頂に綺麗にかかるシャッターチャンスに巡り合いました。30年を越えて夕日夕焼けに思いを寄せいている私としては、願ってもない降って湧いた好機に心は高鳴り、持っていたデジカメで窓越しに開聞岳に沈む夕日を何枚も写しました。残念ながら私のカメラの機能不足と腕前不足で、いい写真は撮れませんでしたが、開聞岳に落ちる夕日を私の心の記憶に焼き付けることはできたようです。
 開聞岳は別名薩摩富士といわれる名山です。近くにイッシーで有名になった池田湖もありますが、洋上から開聞岳の勇姿と夕日をセットにして見れる幸せはもう最高でした。

 

夕映えの佐賀関
夕映えの佐賀関

 「どっきり屋久島とあったか南九州」3日間の旅を終えて、佐賀関へ帰ってきました。佐賀関港では親友渡邊又計さんとも久しぶりに出会い、旧交を温めました。三崎を目指すフェリーの船上から夕焼けを見ました。天気予報ではその後雨が降るという予想通り、夕焼けを見た後にわかにかき曇って雷鳴が轟き、帰りのバスはあいにくの結末になりましたが、八幡浜駅、大洲駅とツアー客を降ろし、私が降りる松前エミフルでは雨も止んで、結局私は雨に合うことなく迎えに来た妻の運転する車で、10時前に帰宅することができました。予定より一便時間早くフェリーに乗らなかったら、佐賀関に落ちる夕日も見れなかったのですから、ラッキーとしかいいようがありません。
 私は年中日本全国を旅していますが、純然たる観光を目的の旅は殆どせず、講演などで訪ねた町をついでに観光する程度です。船の中で開いた21世紀えひめニューフロンティアグループの総会で、来年は栃木県日光の世界遺産を目指します。これから一年健康に注意して来年も元気に世界遺産を巡る旅に参加したいと思っています。

  「三日間 雨にも合わず 上天気 おまけに夕日 夕焼け鑑賞」

  「開聞の 夕日格別 デジカメの 記憶辿りつ 感激浸る」

  「良かった?と 妻が尋ねて 良かったと 私答える いい旅でした」

  「来年は 世界遺産の 日光を 元気に参加 するよう頑張る」

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人間牧場

〇屋久島への旅(その4)

 屋久島へ行く目的は、世界遺産に登録された洋上のアルプスといわれる島特有の植物に出会うことです。特に海抜ゼロmの亜熱帯植物から、九州最高峰といわれる1936mの宮之浦岳の亜寒帯植物までが、まるで植物図鑑のように見えるのです。その中でも注目は標高800以上の土地に生息する樹齢千年を越す屋久杉の原生林です。縄文杉は樹齢6千年と言われていますが、実際に放射性炭素年代測定によるとおおよそ2千年くらいだそうですが、それにしても2千年も枯れずに行き続ける生命力にはただただ驚くばかりで、人間の寿命が長生きしてもたかだか100年であることを考えれば、言葉もないのです。今回は紀元杉にしか出会えませんでしたが、その幾つかをパンフレットから索引しましたので、私のブログ画面で堪能して下さい。

夫婦杉
夫婦杉
縄文杉
縄文杉
大王杉
大王杉
三代杉
三代杉
紀元杉
紀元杉
翁杉
翁杉

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ウイルソン株
ウイルソン株

 

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〇世界遺産を巡る旅(その2)

 私が代表を務める21世紀えひめニューフロンティアグループは、もう30年にわたってボランティア活動をしています。セスナ機でふるさとを空から見る活動をしたのを皮切りに、無人島に青少年を連れて行って無人島に挑む少年のつどいをやったり、丸木舟瀬戸内海航海、竪穴式住居語り部のつどい、フロンティア塾などなど、若い頃から仲間とともに先進的な活動を続けてきましたが、数年前からそれらの活動に一区切りをつけて世界遺産を巡る旅を計画実行してきました。

 これまでに訪ねた国内の世界遺産は広島原爆ドーム、安芸の宮島、石見銀山、姫路城、熊野古道、奈良・京都寺社仏閣、雪の飛騨高山合掌造りなど、比較的近い場所でしたが、今回は自然遺産として名高い九州鹿児島の南に浮かぶ屋久島を選びました。私はこれまでに2回ほど屋久島に出かけていますが、仲間12人は殆どの人が初めてとあって楽しみに出かけました。私たちの仲間もいつしか歳をとって年金暮らしとなっているため、さほど金をかけた豪華な旅行はできないため、阪急交通社が募集している安いツアーに応募しました。

 ホテルに2泊しても4万円を切る安い値段ですから、昼・夕食はオプショナルで、多少小遣いはいりますが、グループが長年の活動で溜め込んだ資金を、少し助成することにしているので、気楽に参加できるのです。松山市駅前に他のツアー客と一緒に集合した私たちは、松前エミフル前、大洲駅前、八幡浜駅前で客を拾い、三崎~佐賀関をフェリーで渡り、大分から鳥栖ジャンクションを経由して、鹿児島へ向かいました。今回のツアーには南九州観光もパックされていて、途中南九州の小京都といわれる人吉に立ち寄り、焼酎工場や幽霊寺を見学しました。

酒飲み組
酒飲み組
真面目組
真面目組
大真面目組
大真面目組

 午後5時30分に予定通り鹿児島市内のホテルに到着し、その夜はホテルの豪華な黒豚&海鮮蒸籠蒸しバイキング料理を堪能しました。私たち12人の一行には3人の女性と私のように酒を飲めない4人の男性もいて、5人が飲み放題コースを選び、薩摩の焼酎をしっかりと楽しんでいました。
 ホテルはグレードの高いセキュリティの行き届いたシティタイプでしたが、私たちのような古いタイプの人間には、多少窮屈な感じもしました。何はともあれ無事屋久島を目指す拠点となる鹿児島市内までやって来たことを喜び、天文館の夜の街をみんなで散策して少し長めの一日を終えました。

  「貧乏な 年金暮らしの ゆえあって 安いツアーで 旅を楽しむ」

  「海山を 越えて南の 鹿児島へ バスは行く行く 仲間とともに」

  「焼酎の 工場見学 皆試飲 私は手持ち ボトルのお茶で」

  「便利だね 朝出て夜に 鹿児島へ 黒豚海鮮 美味しく食べる」 

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人間牧場

〇九州屋久島の旅から帰って来ました。報告は疲れているので明日にします。

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人間牧場

〇今日から3日間、鹿児島県屋久島へ旅行に出かけます。報告を楽しみにしていて下さい。

 お急ぎの御用の方は私の携帯へお電話下さい。

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人間牧場

〇木登り練習

 私たちが子どものころは、誰に教えてもらうでもなくいつの間にか、木登りをして遊んでいました。それは多分海沿いの漁村で育ったものの、裏山に自生しているヤヤモモやアケビ、ビワ等の山の幸を、空腹を満たそうと取るため、自然に身についた生活の智恵だったように思うのです。当然こわごわ登った木枝が折れて土面に落下し、すりむいだり青あざができたりはしょっちゅうでしたが、病院に行くこともなくヨモギを揉んで貼り付けたり自然治癒力に助けられ、痕跡は今も残っているものの、いつの間にか治癒していました。

最初は不安そうでへっぴり腰でした
最初は不安そうでへっぴり腰でした

 今の子どもはそんな遊びをしなくても、食べ物も遊び道具も身近に沢山あり過ぎるほどあって、戸外では遊ばないし、木登りは危険だと周りの人もきつく注意をしているのです。当然子どもたちは木登り未経験のまま成長するため、大人になっても木登りのできない人は意外と多いようで、木登り遊びの伝承さえできない社会となっているのです。「腕白でもいい。大きく育って欲しい」という言葉は、何十年も前に流行った丸大ハムのTVコマーシャルですが、私は木登りをするような子どもに育てようと思って、3人の男の子を育てたため、3人の子どもはみんな木登りができますが、4人の孫にも育爺として木登りを教えてやろうと思っています。

 孫朋樹は今年小学5年生になりますが、人間牧場へ度々連れて行って木に登らせたため、木登りがすっかり得意となって、わが家の柱だって上手に登ることができるのです。昨日は五歳の孫尚樹を連れて人間牧場へ出かけました。草刈りの休憩時間を利用して登り易そうな枝ぶりの、柿の木に登らせようとしましたが、最初は怖がって中々上手くできませんでした。そのうち練習を積んでどうにか登れるようになりました。
 私が再び草刈りを始めてしばらくすると孫は、樹齢100年を越える大きなヤマモモの木に挑戦し、登り始めたようでした。そのうち木の枝の上で「登れたぞ。ヤッホー」と大きな声で叫んでいました。いやはや子どもの順応性の早さには驚かされるばかりです。

大きな樹齢100年を越すヤマモモの木に登ってご満悦の孫尚樹
大きな樹齢100年を越すヤマモモの木に登って得意の孫尚樹

 今年も子どもたちが子ども体験塾で、人間牧場へやって来る予定ですが、木登りもメニューに入れたらどうだろうと思いました。私たちが子どものころは嫌でたまらなかった薪割だって、今の子どもたちには楽しいメニューの一つとなっているのですから分からないものです。
 孫尚樹は「今度はもっと木登りが上手になって、あの木のてっ辺まで登りたい」と意欲を示していました。テレビのコマーシャルではありませんが、いつの時代も子どもたちには、「腕白でもいい。逞しく育って欲しい。」ものです。安全は何よりも優先しますが、安全な冒険をもっともっとさせてやりたいと思いました。

  「木登りが できぬ親子が 増えている いつの間にやら 世の中変わった」

  「木登りは 危ないからと 親が言う 危ないことは 何もさせない」

  「教えると ほらこんなにも 上手くなる 得意になりて ヤッホーなどと」

  「遊びとは 一体何か 考えよう 子ども風の子 もっと戸外で」

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〇一週間で消えるもの

 今私の住んでいる伊予市では、市長選、市議選、県議選の真っ最中で、夜が明けてから夕暮れまで、それぞれ29人の候補者が入り乱れて選挙カーを走らせ、ボリュームを上げて連呼し、とにかく賑やかです。連呼は「立候補のごあいさつ」と「ご支援を宜しく」ですが、候補者の中には街中を歩いていると、突然選挙カーを止め、降りて握手を求められたりして、驚いたり恐縮したりすることもあるようです。
 わが家から一番近い地域事務所前の駐車場広場横には、トリプル選挙のためいつになく多い候補者の写真を刷り込んだポスターが、掲示板に掲示されています。いずれの顔ぶれもイケメンで、いいイメージを売ろうとする現われか、普通見かける顔とは随分違ったおすまし顔のようです。

地域事務所前に掲示されている候補者のポスター
地域事務所前に掲示されている候補者のポスター

 この掲示板や貼られたポスターを、製作するのにどれほどのお金が掛るのだろうと思うと、無駄な気もしますが、時々地域事務所に所用でやって来る人たちが、立ち止まって見ている姿を見ると、それなりの効果はあるようです。しかしあと今日を含めて6日もすると、無用の長物となって撤去される運命にあるのです。
 「今が過去になる前に今を記録する」、これはできそうでできないことです。このポスター掲示板に貼られたポスターの中から、少なくとも市長選1人、市議選2人、県議選1人の候補者が落選の烙印を押されるのでしょうが、当選と落選は天国と地獄ほどの差があると、落選経験者が語るほど厳しいものです。願わくば候補者全員が当選して欲しいのですが、そういう訳にも行かない社会のルールがあるのです。

 そんな意味もあって地域事務所へ行った折、掲示板に張られた候補者のポスター掲示風景を、一枚デジカメで撮影しました。特定の候補者の写真ではない風景なので、選挙違反にはならずむしろ選挙啓発のつもりでブログ記事に添付してみました。多分この写真は10年後、50年後貴重な写真になるかも知れないと、一人ほくそ笑んでいますが、1週間後には跡形もなくなる宿命のようです。
 私はこの週末、私が代表を務める21世紀えひめニューフロンティアグループが主催する「世界遺産を巡る旅」で、鹿児島県屋久島へ出かけるため、昨日の夕方既に不在者投票を済ませました。今日あたり親父を連れて不在者投票に出かけようと思っています。トリプル選挙だけに代理記載を頼まなければならない親父の投票は多少骨が折れますが、私の一票も親父の一票も、一票に変わりはないのです。

  「十年後 五十年後に この写真 貴重な資料 なると確信」

  「一週間 すればこれらは 撤去され 何事もなく 日々は過ぎ行く」

  「宜しくと いきなり握手 求められ おついしょ笑顔 お互い交わす」

  「手を振ると 手を降り返す 笑顔にて 喜びの声 マイク通して」 

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