人間牧場

〇広島県竹原市での講演会(その2)

 今日の集会は二本立てになっていて、最初は平成24年度公募型補助金活動報告会で、その後が私の基調講演でした。発表報告会は今年度の公募型補助金採択事業となっている竹原商工会議所女性部の「~あなたを待っている人がいる~婚活事業マリアージュ」と、忠海地域文化伝承協議会の「三次街道を活かした忠海地域活性化プロジェクト」の二つでした。
 女性部は「会員の出会い・交流の場を創出し、縁結びの機会を提供するとともに、まちづくりへの参加意識を持った若い人材を育成するため、憧憬の路でのオブジェ制作・展示など会員で構成する実行委員会が企画運営する、事業を展開した様子が紹介されました。
 また忠海地域文化伝承協議会は「三次街道を介して結ばれた忠海と三次の交流を深め、相互の地域資源の再発見及び歴史・文化の意識向上を図るため、団体間の相互交流や調査研究を通じた街道マップの作成などを目指した活動が紹介されました。

 発表に対してそれぞれ私が求められてコメントを話し、今後のあり方について少し突っ込んだ話をさせてもらいましたが、私の話の時間に発表時間が少し食い込んでしまい、はてさてどうしたものかと思案しながら演台の前に立って、「地域づくりの新しい風」という演題で、12時10分までお話をさせてもらい、質疑を受けて終了しました。参加者は熱心な人が多く多少時間が押しても立つ人もなく、盛り上がった話で終ったように思いました。終了後近くの料理屋さんに繰り出し会費制の昼食会が持たれましたが、所変われば品変わるで、私の注文した野菜定食は今まで食べたことのないような料理方法と、ボリュームで満足の手合いでした。食事をしながらまちづくり談義に花を咲かせましたが、とても充実した交流会となりました。

 私は昼食が終るともと来た道を引き返し、しまなみ街道を通って帰路に着きました。途中松山の友人宅へ打ち合わせのため立ち寄ったため、帰宅は6時前となりましたが、往復350キロの行程はとても順調で、双海の海に沈む美しい夕日を見ながら広島行きの全行程を終えました。広島で朝日を拝み、愛媛で同じ太陽を夕日として見送りました。たった一日の出来事でしたが、充実した一日だったように思うのです。
 自宅へ帰ると松山に住んでいる娘の子ども二人が、泊まりにやって来ていて、わが家は蜂の巣をつついたような賑やかさでした。まあこれもまたよしで、娘が中学時代の同級会に出かけているようなので、今夜は孫たちと一緒の布団に寝る予定です。幸せです。

  「即興で 発表対し コメントを するも難し 聞くも難し」

  「発表に 食われて時間 短くて 仕方がないか 俺は脇役」

  「飛び込んだ 店の料理は 飛び切りで いやはや満足 久しぶりだな」

  「行く道と 来た道同じ 一人っきり 歌等歌い 陽気に帰る」

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〇四国に春一番が吹きました

 「春一番」といえば、本当は漁師泣かせの春の嵐で、忌み嫌うものなのですが、季節が冬から春に向かう天気の変わり目なので、今年のように冬が寒いと事の他待ちどおしく感じて、この日を一日千秋の思いで待ちました。今日から3月ということもあって、春一番の強い南風も、またその降り始めたかなり激しい雨も、どこか浮き浮きといった感じで、前年より16日も早い春の使者に心をときめかせているのです。
 今日3月1日は愛媛県下の県立高校の卒業式の日です。愛媛県立松山工業高校の学校評議員を長年にわたって務めている私にとっては、すっかり毎年の恒例行事となっていて、今日も卒業式で混雑が予想される交通事情を考慮して、9時過ぎに学校に到着するよう少し早めに出かけました。春風が吹く中、車を走らせましたが、心配した混雑にも合わず来賓では私が一番早く到着しました。

 去年も喜多岡校長先生は最後の卒業式でしたが、今年の安田校長先生も今年で定年退職のため最後の卒業式のようで、思い出深い記憶に残る卒業証書授与式となりました。体育館に在校生が整列して卒業生を最前列に拍手で迎えました。ドボルザーク作曲の交響曲第8番第3楽章がブラスバンド部の皆さんによって演奏され格調高く開式されました。今年は担任の女性の先生も和服で先導するなど見所いっぱいでした。
 松山工業高校の卒業式に出席していつも思うのですが、3年間皆勤が今年も117名もいたようで、実業高校ならではの快挙のような気がしました。安田校長先生の式辞も、在校生送辞や卒業生答辞もすべて完璧で、締めくくりに歌った百錬鉄の校歌も抜群でした。

 学科ごとに立ってお辞儀をし、「ありがとうございました」と揃ってあいさつをした卒業生の声がとても印象的でした。卒業生はこれからそれぞれの進路を目指して新しい一歩を歩み始めるのでしょうが、この高校を卒業した3人の息子のように、途中挫折したり進路を変えたりしなければならないこともあるでしょうが、わが息子のように普通でいいから一生懸命生きて欲しいと願っています。
 長男は建築科を出て、会社は変わったものの設計の仕事を今も続けています。次男は機械科を出て就職していましたが、一念発起して看護学校へ行き、看護師の資格を取って今は日赤の看護師として働いています。三男は機械科を出て大学へ進学して就職しましたが、その後警察官を志望して、今は生活安全課の刑事をして頑張っています。まあそれぞれですが、普通の人として普通に生きているようで何よりです。

  「春一番 吹いて浮き浮き 春が来た 三寒四温 やがて桜が」

  「これまでに 何度出席 したことか 卒業式は どこかしんみり」

  「わが息子 三人ここを 巣立ったが 今は別道 それもまたよし」

  「ありがとう 大きな声で お礼述べ 会場を出る 頑張れみんな」

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