人間牧場

〇第二回ジョン万次郎塾が人間牧場で開かれました(その1の①)

 人間牧場今年最後のイベントが昨日行なわれました。12月に入ってからずっと10度を下回り、特に早朝は霜や初氷も観測される等、厳しい寒さが続いていましたが、昨日ばかりは未明に雨が降ったり南西の風が吹いたため、10度を越える暖かさでした。それでも遠来の来客を温かく迎えいたいと思い、まず人間牧場へ到着すると直ぐに、薪ストーブに今年最初の火入れをしました。薪は様々な体験活動プログラムに取り入れた薪割りによって、たっぷり確保されているので、存分に燃やしすっかり温かくなりました。
 人間牧場へ通じる道は、前々日準備に訪れた時、綺麗に掃き清めていましたが、夜来のかなり強い風雨で、車の通行に支障が出るほど落ち葉や小枝が散乱していました。準備の合間を縫って熊手でそれらを、まるでお寺の境内参道を掃除する小僧さんのように、綺麗に掃き清めて掃除しました。これも修行の一つと位置づけているので、大汗をかきながら一人黙々とやりました。

講師のジョン万次郎研究者青野博さん
講師のジョン万次郎研究者青野博さん

 やがて田処の亀本さんと西田さんが一足先に到着し、餅をつく準備やかまどの火入れをしていると、集合時間の10時が近づき、一人二人と参加する塾生が集まって来ました。講師の青野博さんも高知県四万十市の和田さんに連れられて到着しました。
 総勢20人余りの参加者は、水平線の家の板間に座布団を敷いて座り、10時きっかりに年輪塾の学習は始まりました。今回は2回目なので事前に講師への質問を、ネットで募集し講師に送っていたので、かなり密度の濃い学習となったようです。質問の幾つかを紹介しておきます。
 ・様々な事柄にも負けずに日本に帰ろう。深く思い続けた心の要因はどのように育まれたのでしょうか?。(浜田さん)
 ・万次郎が軽い脳溢血かかった後のことが殆ど記録に残っていないが、27年間彼は何をしていたのか?、何を思っていたのか?などを教えていただきたい。(真鍋さん)
 ・隠居(と言っていいのでしょうか?)した後、ぷっつりと記録がなくなっているため、どういった生き方をし、周囲の人々にどういう影響を与えたのかをお聞きしたい。(徳永さん)

 

P1000838P1000837 ・万次郎が帰国後も、アメリカ流から日本流に切り替えることができなかったのは、何故ですか?。(近藤さん)
 ・最近の対韓、対中、対露に対する外交のまずさが大変情けないです。外交はしたたかさと誠実さの微妙なバランス感覚が必要と思います。そこで、万次郎さんだったら対韓、対中、対露にどんな対処をされると予想されますか。あくまでも仮定ですがお教え下さい。(亀本さん)
 ・万次郎が鳥島に到着し、捕鯨船に救助されるまでの4ヶ月間を、仲間5人とともに助け合いながら過ごしたとあるが、水や食料のない無人島で生きることは大変なことであったと思います。普通であれば、仲間同士のいさかいや食料の奪い合いが起きるはずです。これが無かったのならば、余程優れたリーダーがいたか若しくは案外水・食料に恵まれていたのかも・・・・と思われますがその真相や如何?(井上さん)
 ・「多くの理解者に支えられながらも、当時の厳しい身分差別の中で、苦悩することも多く、そのことが、晩年に表舞台から遠のいた理由の一つではないかと察せられますが・・・」その辺りについて、よろしくお願いします。(水本さん)

  「前々日 掃き清めたる 山道も 一夜の風雨 落ち葉積りて」

  「遠き人 何故か早くて 近き人 何故に遅いか 未だ分からぬ」

  「質問の 一つ一つを 丁寧に パソコン打って スクリーン映す」

  「それぞれが 事前質問 届けたる お陰で学び 深まりゆきて」

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