人間牧場

〇中川食品の豆腐は絶品でした

 昨日大洲市に住む一人の青年が人間牧場へやって来ました。大洲商工会議所青年部・大洲の魅力発信委員会委員長という非常に長い役職をしている中川雄一さんが、11月22日夜講演に行くことになっている例会の打ち合わせに、わざわざ私を訪ねて来るものですから、最初自宅のゲストハウス煙会所でもと思いメールをしたものの、大洲からだと人間牧場の方が便利だと思い、下灘コミセン前の駐車場で落ち合うことにしたのです。出掛けに私の携帯電話の不具合を解消するため、電話機を交換する手続きにすっかり手間取ってしまい、約束時間5分前に駐車場に着くと、彼はもう到着して私を待ってくれていました。連れもいないようなので、私の軽四トラックに乗ってもらい、いつも私だけの時通る狭い下浜の道を、ハラハラ・ドキドキさせながら登って行きました。

 前日イノシシに荒された入口付近の私道を、修復したばかりなので何の問題もなく到着、早速名刺を交換した後打ち合わせに入りました。中川さんの話を聞けば今回の講演に至ったのは、8月29日の夜大洲市で開かれたまちづくり関係の会議に、景観形成アドバイザーをしている私に愛媛県庁から派遣の依頼があって、講演をした私の話を聞いたメンバーからの推薦らしいのです。多分あの時は30分しか話さなかったくらいしか覚えていませんので、アドリブ極まりない私は少し困惑しましたが、まあ口コミで私の話が広がったことは嬉しいことなのです。
 「地域を元気にする情報発信の方法を学ぶ」というテーマは、私にはうってつけだと思いつつ、中川さんとしばらくの間打ち合わせを行なった後、人間牧場のそこここを案内しましたが、人間牧場の様子にすっかり感心したようでした。

講演打ち合わせのため人間牧場を訪れた中川さん

 中川さんは大洲市の100年以上にわたって、代々豆腐店を営む老舗中川食品という会社の跡取りのようで、手土産に持参した豆腐を差し出し、豆腐談義に花を咲かせました。私は豆腐が大好物で一丁でもぺロリ平らげる大の豆腐通なのです。持参した中川食品のすくいどうふとしめとうふは大洲市のええモンセレクトの認定品になっているらしく、パンフレットでその内容を詳しく紹介していました。
 いただいた豆腐を自宅へ持ち帰り、お昼にショウガとネギと鰹節、醤油をたらしていただきましたが、認定品であり自慢するだけあって、久しぶりにおご馳走を食べた感じがしました。昨日は妻と二人でいただきましたが妻の評判もよく、今度は大洲のスーパーにも卸しているようなので、買い求めて食べたいと思いました。

 豆腐は原料の大豆、水、にがりという単純なものを組み合わせて作るのですが、そのシンプルさゆえに匠の技とでもいうべき技術は奥が深いものがあります。豆腐は日本人が世界に誇る食べ物で、ご当地にはご当地自慢の豆腐があるようで、私も全国を旅する仕事柄今までには数え切れないくらい豆腐を食べ歩いています。「好きな豆腐を食べさせてあげる」という口約束で、今年の1月11日には岐阜県白川郷まで講演に出かけたほどなのです。豆腐には日本人の心があるような気がして、何かしらほのぼのとするのです。夏は冷奴、冬は湯豆腐、勿論味噌汁にもつみれ汁にも豆腐は名脇役を演じてくれるのです。中川さんと出会ったことで豆腐への思いが蘇りました。11月22日の再会が楽しみとなりました。

  「打ち合わせ 二人だけにて 牧場で 手土産豆腐 気になりながら」

  「口コミで 私の話し 広がって 講演依頼 とても嬉しい」

  「いただいた すくいどうふに 薬味乗せ 醤油垂らして 味わい食べる」

  「さて俺の 講演何を 話そうか いつも思うが いつもアドリブ」   

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人間牧場

〇人間牧場の秋を演出する花二題(ツワブキとススキ)

 私の住んでいる双海町は瀬戸内海に面していて、瀬戸内海気候といわれる比較的穏やかな気候に恵まれています。比較的穏やかと表現したのは、瀬戸内海の中でも西の方の外洋性の高い伊予灘に面しているため、多島美に囲まれた穏やかな燧灘、黒潮が流れ込む暖かい宇和海に比べ、北西向きで水温が低く、関門海峡を吹きぬける風浪がまともに当る地域で、特に冬場の北西の季節風は高い突堤を揺り動かすように、何日も何日も吹くのです。それでも春から夏の季節風は南寄り、秋は北東寄りの風が吹くので、その時期は瀬戸内海らしい気候を体感できるのです。

 北東寄りの風が北西に変わるこの時期、双海町の海岸は黄色いツワブキと真っ白いノジギクがいたる所に咲いて、馥郁とした香りが漂い、桜やツツジといった人の手で植えられ咲く花々と違い、野の花だけに派手さこそありませんが、一年中で一番穏やかな季節なのです。
 私はこの季節が大好きで、特にツワブキは草刈りの時に残しておけば、次第に株が大きくなって、無数の花を咲かせるのです。また土壌のいい場所に移植して植え除草をすると、3年くらいでちょっとした花壇のようになるのです。葉っぱは常緑だし、春には綿帽子を被った春子が顔を出し、それを採集して皮を剥いで一度茹ではえ水で晒して灰汁を取り、メバル等の魚の煮汁で炊くと、これはもう味の良い絶品に仕上がって、酒の肴になるのです。

標準木枝垂桜の根締めに植えたツワブキの花

 2年前に千本桜の森づくり事業を思いついた時、人間牧場へその標準木として枝垂桜を植えた折、石垣工事で移転移植したツワブキが活着して元気に育ち、今年の秋は見事な花を咲かせているのです。
 これ以外にも人間牧場のいたる所にツワブキの花は今が盛りと咲いていますが、花に心を動かせる歳になったのかと、納得しながら、「ああ綺麗だ」と一人花を愛でながら、深まり行く秋を楽しんでいるのです。

 

 

四季それぞれの彩を楽しませてくれるススキの大株

 

 ふと目をやるとススキも今が盛りのようです。このススキは人間牧場を造るため開墾した折、沢山の株の中からこの株だけ残しておいたものです。これまで人間牧場の季節の演出には欠かせないものとして、春の芽立ち、夏の深緑の爽やかな姿、目隠しとしての効用を存分に発揮してくれました。
 昨日はその周辺のシャシャキを思い切って伐採したため、斜面に生えたススキの大きな株が目立つようになってきましたが、これだけでまるで大型の花瓶に活けたようなダイナミックさです。人間牧場のススキは少し晩生なのか穂が熟れるのはまだ先のようですが、このススキも春先に一度刈り取り作業を行うなど、これからも大切にしたいと思っています。

  「今年も 静かに秋が 深まりて ツワブキ・ススキ 今が盛りと」

  「花愛でる 歳になったと 納得し 右に左に 場所変え眺む」

  「瀬戸内の 眺望目やる 人多し ツワブキ・ススキ 見るは少なし」

  「指折りを 数えてみれば この風情 何度楽しむ ことができるか?」

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人間牧場

〇ロケーション風呂を一人楽しむ「い~い湯だな」

 私は人間牧場にロケーション風呂という、一風変わった五右衛門風呂を持っています。人間牧場を造る時、「標高130メートルの高台から、眼下に広がる瀬戸内海を見ながら風呂を楽しめたら、どんなに気持ちがいいだろう」と思い、設計を担当した長男息子に相談したところ、「それなら親父の夢を叶えてやろう」と、一戸建ての小さな風呂家屋を造ってくれたのです。その風呂家屋は土地が急峻なため、まるで砦のような雰囲気をしていて、屋根に半分に割った竹を裏表交互に敷き詰めているため、一目見ただけでこれが風呂家屋とは誰も気がつかないのです。

長男息子が理想に描いたロケ風呂のイメージ

 小さいながら一坪ずつの脱衣場と五右衛門風呂場の二部屋に分かれていて、戸口の戸を開けスノコを敷いた脱衣場で脱衣し、仕切り戸を開けて五右衛門風呂場に入る仕組みになっていますが、この風呂場の両袖には隠し格子戸、北側の大きな戸は押し上げて半開きにし、支え棒で支えるという何とも表現が難しいからくり戸になっていますが、あれもこれも始めてみる人にとっては驚きと言う他はありません。
 風呂が湧いていることを示す立派な暖簾は、私の友人井石さんが京都の染物屋に注文して作ってもらった立派なもので、風に吹かれて揺れる暖簾は何とも風情があるのです。

 この五右衛門風呂は坪くり形式になっていて、回りに車座に座れば最大8人程度が足湯を楽しむ事だって出来るのです。下から火を焚いて沸かすことも出来るし、町内で下水道設備工事店を営んでいる藤岡さんという友人から、廃棄処分した古い灯油ボイラーをいただいて取り付けているため、10分もすれば直ぐにでもお風呂に湯が張れるのです。実はこの風呂釜は移動式になる優れもので、釜を上に引き抜けるようになっていて、軽四トラックに積めば見晴らしのよい場所で、水と薪さえあれば何処ででも風呂を楽しむことができるのです。(まだやったことはありません)。

押し上げ窓を開けてロケ風呂で思い切り深呼吸

 

窓を閉めるとほらこのように

最近は忙し過ぎる私の都合で宿泊訓練や泊まる人が少ないため入浴をする人は殆んどなく、もっぱら足湯専用として使っていますが、私や息子は時々風呂を沸かして、こっそりのんびり入浴を楽しんでいるのです。先日人間牧場で愛媛新聞カルチャースクール「街中の人間牧場移動塾」という講座を開きました。私が講師を務めて毎月一回開いている講座を是非にも現地でという私と参加者の思いが一致して5人の受講背がやって来ました。その折足湯のサービスを楽しんだ一行が帰ってから、掃除や後片付け、それに農作業をした後、少しお湯を足して一人風呂を楽しみました。まさに至福のひと時で30分もすっかり長湯をして大汗をかきました。

 この日は少し強めの北西の季節風が吹いて、晩秋の風情を醸すススキが風に揺れていましたが、眼下に漁船が綺麗に並ぶ豊田漁港や伊予灘の海が開け、これ以上の贅沢はないと持参したデジカメで、自分の裸体を自動シャッターで撮影する等してふざけたり、水平線の家の書棚から持ち出した読みたい本を、風呂の中で読んでみたり、誰も見ていないプライベート風呂で、まあ色々な楽しみ方を体験しました。
 風呂を沸かすのが面倒だと思い殆んど利用していませんでしたが、これからはもっともっとこの風呂を楽しんで利用したいと思っています。

  「ロケ風呂を 沸かして足湯 車座に なりて来客 気持ちい~い」

  「来客が 帰った後の 風呂一人 足し湯したあと 入り三昧」

  「ススキ揺れ 雲もゆっくり 流れ行く 晩秋風情 生きてる証」

  「立ち昇る 湯気中自分 写真撮る 自動シャッター 光眩しく」  

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人間牧場

〇街中の人間牧場移動塾の移動塾

 「街中の人間牧場移動塾」というタイトルで、愛媛新聞社のカルチャースクールを開くようになって8ヶ月が経ちました。私はこれまで出版している5冊の「夕日徒然草」をテキストにして、毎回6人の受講生を前に、喋り続けていますが、最初3ヶ月だと思って組み立てていた話が、どんどん伸びて、今年末で終ろうと思っていたのに、主催者側の都合で、とりあえず来年3月の年度末まで続けることが、先日決まってしまいました。
 さてどうしたものかと思案しているのですが、まあ「何とかなるだろう」と、生来のポジティブで甘い人間性を盾にとって、後4回を何とか乗り切りたいと思っているのです。

カルチャースクールの受講生

 その講座が昨日あって、カルチャースクールの教室から飛び出して人間牧場で開催しました。受講生で本物の年輪塾生でもある浜田さんに、受講生への連絡と道案内を頼み、私は妻の用意してくれた食材や料理に使う水をポリ容器に入れて、軽四トラックに積み込み、8時過ぎ人間牧場へ向けて出発しました。
 夜来の雨も止んで上天気とまでは行かなくても、まずまずの好天に恵まれホッとしながら、慌しく受講生を迎える準備に取り掛かりました。部屋の掃除、トイレの掃除、水回りの掃除、かまど小屋と玄関の掃除を急いで済ませ、ボイラーのスイッチを入れて、ロケーション風呂に足湯のためのお湯を張りました。ここまで作業が終ったころ、宇和島から参加の脇谷さんから、「シーサイド公園に到着」したと携帯で一報が入り、浜田さんと出会うよう頼みました。

湯気の立ち昇るかまど

 はがまと鍋を持参した水で丁寧に洗い、はがまに妻の研いでくれた6合のお米を入れ、手の甲で水の目分量を計りかまどに乗せました。鍋には同じように妻が小切りしてタッパーに入れてくれている鱧、シイタケ、出汁の素、エノキダケを入れて水を張り、これもかまどに乗せました。これで全て準備OKとばかりに、かまどに杉葉や小枝、薪を順序良く入れ、マッチ一本で火がつくようにして、受講生の来るのを待ちました。
 予定していた10時30分より5分早く、ほぼ予定通り浜田さんの車と兵頭さんの車に分乗して、やって来た受講生は、浜田さんを除けばみんな人間牧場には始めてなので、みんなそのロケーションに感嘆の声をあげ、携帯やデジカメで盛んに写真を撮っていたようです。

足湯を楽しむ皆さん

 早速私は羽織を着て馬路村産魚梁瀬杉の高座に上がり、座布団に座り落伍を思いつくまま、2~3見繕ってお話をしました。前神さんたちが贈ってくれた座布団を、一人2枚ずつ使う贅沢さは、まるで人気テレビ番組笑点の大切りのようだと大笑いしながら、時にはクスクス笑いも出て長閑な講座となりました。
 皆さんがロケーション風呂で足湯を楽しんでいる時間を使って、私と浜田さんはかまどに火をつけ料理を始めました。火のつきもマッチ一本で点火し、順調に進みました。味噌汁は勿論ギノー味噌からいただいた味噌を使い、ここでも人間牧場のパトロンの一人である、ギノー味噌のPRをさせてもらいました。豆腐とネギを入れて味噌汁は出来上がりました。

 

はがまご飯と味噌汁を食べる皆さん

 足湯を終えてポカポカした身体で、早速少しは止めの昼食を食べました。ご飯も味噌汁もこれまでで一番出来がいいのではと、自画自賛するほど美味しく炊き上がり、お代わりしながら昼食を食べてもらいました。脇谷さんが手土産に持参した、宇和島名産のじゃこ天やちくわも美味しく、また食後には明神さんが差し入れてくれた、珍しいカボチャのプリンをいただきましたが、いやはや満足の手合いでした。
 皆さんは午後1時頃に後片付けをして、山を下りて行きましたが、私は作業着に着替えて掃除や畑仕事を終え、午後4時頃風呂を楽しんで山を下りました。楽しい移動塾でした。来年の3月にはここでピザ作りを楽しみ、閉校式をやろうとみんなで約束をしました。

  「カルチャーの 受講生たち 牧場に 集いて楽しい ひと時過ごす」

  「飯を炊き 味噌汁作り おもてなし これも大事な 私の仕事」

  「米を研ぎ 具材調達 してくれた 妻に感謝を しながら食べる」

  「座布団を 二枚ずつ敷き 大切りの ようだと笑い 落伍楽しむ」

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人間牧場

〇後で知った友人のご主人の訃報

 友人や知人の訃報は、仲間や友人・知人からまるで芋づる式に伝わって来たり、新聞のお悔み欄で見つけるものですが、少し長めの出張で家を開けることの多い私なので、時々知らずにやり過ごし、不義理をすることがあるのです。そんな場合は通夜・葬儀や告別式が終ってから、相手に訳を言って仏壇に線香を上げに行きますが、中々ばつが悪いものです。
 私の友人が沖合いに浮かぶ中島に住んでいます。一緒に公民館に勤め一時代をともに過ごした間柄なので、時々手紙のやり取りや近況報告の電話をしているのですが、そういえば正月に年賀状をいただいてから、音信が途絶えていました。それでも趣味の川柳が時々愛媛新聞の文芸欄に掲載されるので、風の噂程度に元気なようだと思っていました。

 1ヶ月ほど前、その友人のご主人が4月頃に亡くなっていたことを、これまた風の噂に聞きました。本人ではないものの、ご主人が亡くなれば葬儀に参列し、慰めの言葉もかけなければならないのに、今回だけはまったく寝耳に水だったのです。とりあえずお悔みの電話を入れて、近々線香をあげに行こうと思っていたものの、沖合いに浮かぶ離島ゆえ、このところの多忙もあって中々その機会が得られませんでした。
 それでも気になり、昨日は満を侍して行くことを決め、前日在宅を確認して出かけました。妻から娘のマンションへ届け物を預かったので、6時30分に身支度を整えて自宅を出発しました。夜来の雨が朝も降っていましたが、道後緑台のマンションで荷物を下ろし、高浜の港へ向かいました。船便は2便の8時30分高浜港発の高速船でした。

お二人の表札が仲良くかかった彼女の自宅
手作りのパッチワークで飾られた彼女の別棟書斎

 海は鉛色でかなり時化ていて、余り大きくない船なので揺れましたが、途中の港に寄港して30分で、眠る間もなく目的地の中島大浦港に到着しました。「自転車で迎えに行くから」と約束していましたが、雨が降っていたため、彼女は近所に住む親類の女性に頼んで、軽四の小さな車で迎えに来てくれていました。
 彼女の家に行くのはこれが2度目なのですが、もう10年前のことなので、記憶を辿りながら路地道を歩き家へ到着しました。彼女の家は農家らしくかなり立派な古民家風の家で、玄関入口には亡くなったご主人と彼女の表札が仲良く並んでいて、往時の姿を思い出しました。中に入ると一人身になった女性らしく部屋はきちんと片付いて掃除が行き届いていました。

仏壇の前で記念写真

 

船着場まで送迎してくれた二人の島美人

仏壇に線香をあげ香典を供えて、懇ろに手を合わせました。その後日ごろ彼女が使っている居間で二人が向かい合って、お茶を飲んだりお菓子や果物を食べながら、思い出話に花を咲かせました。彼女は別棟に二間続きの書斎を持っており、玄人はだしの書道で書いた書や掛け軸、それに幾つもの師範免状が飾られ、また趣味のパッチワークも女性らしく綺麗に飾られていました。新聞のてかがみ欄や文芸川柳欄に度々紹介され、また本も執筆出版している才能豊かで前向きな生き方には、ただただ頭が下がる思いでした。
 11時45分発のフェリーに乗るため再び迎えに来てもらった、親類の奥さんに船着場まで送ってもらい島を離れましたが、若い頃丸木舟で航海した折、離島センターに仲間とともに泊まり、夏の明くる日の朝、日傘を差して見送りに来てくれた、若き頃の彼女の姿を一瞬思い出しました。

  「友人の ご主人訃報 後で知る 遅いながらも お悔み訪問」

  「活き活きと 輝き生きる 島女性 見習いたいと いつも思って」

  「雨の中 連絡船の 着く港 二人の女性 迎え送りて」

  「ふと思う 何年か前 丸木舟 出航送る 日傘の彼女」

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〇今年も柿は不作でした

 わが家の裏庭に5本の柿の木があります。急斜面の土が崩れないようとの配慮で植えているので、毎年親父が大きくならないように強剪定をしているため、これまで殆んど柿の実をつけませんでした。妻がその様子を見て「うちの柿の木はどうして実をつけないのかしら?」と不思議がりますが、その都度妻も私も「親父が剪定をし過ぎるからだ」と親父に責任をなすくりつけていました。それだったらと、親父の足腰が弱ったことをいいことに昨年は、私が剪定を引き受けました。多分私の選定だから実をつけないかも知れないと思う不安と、今年こそは実をつけるだろういう淡い期待も持っていました。春先新芽を出し、そこここ花も見え少し手応えのようなものを感じていましたが、いざ秋の稔りの頃を迎えると、柿の実は合計13個しかなりませんでした。

秋の訪れを告げる柿の実

 それでも妻は「柿の実がなった」と大喜びで、先週その全てを私が鋏で丁寧に収穫しました。柿の実の数が少ないためなっている実は大ぶりで、皮を剥いて食べると、甘味も味も申し分なく、息子たちにも「わが家で収穫した柿だ」と、少し自慢をしてお裾分けしてやりましたが、息子もわが家に柿の木があることを始めて知ったようです。
 柿はこの頃になると一斉に紅葉し、秋の訪れを演出しくれるのです。一年納めの大相撲九州場所が今週末から始まりますが、その頃になるともう間もなく木枯らしが吹き始め、折角紅葉した柿の葉っぱも振るい落とされることでしょう。

 今年の冬も親父に代わって柿の剪定をしようと思っています。そして今年は柿の実を13個も稔らせてくれた柿の木にお礼肥えをやろうと思っています。
 先日広島県の稲井誠さんご夫妻から、木の箱に詰められた美味しい柿の葉寿司が、まるで箱入り娘の嫁入りのように沢山届きました。妻は大好物なのでたしなんで食べていたようですが、5本もある柿の木の葉っぱを何とか利用して、魚の柿の葉寿司を作れないものか考えています。多分使用する柿の葉っぱは新緑の頃の柔らかい葉っぱを取って、塩漬けしたものを使うだろうと推測していますが、また体内で好奇心の虫が動き始めたようです。

  剪定が 悪いと親父 批判する 自分がやると 同じ過ち」

  「剪定を したが今年も 十三個 柿の実獲って 面目保つ」

  「お礼肥 しっかり与え 来年も お願いします 祈り捧げる」

  「柿の葉を 使ってお寿司 できないか 好奇心虫 体内巡る」 

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人間牧場

〇孫の子守と公民館まつり

 昨日は午前中2時間だけ内孫二人の子守を頼まれました。息子は建築関係のセミナー出席、若嫁は仕事、妻は美容院へパーマとそれぞれがそれぞれの所用があって、結局午前中スケジュールが開いている私に、お鉢が回ってきたのです。仕方なくではなく進んで孫たちの面倒を見ることにしましたが、妻から「孫から目を離さないように」ときつく注意をされていたので、何はともあれ孫たちをしっかり見ておこうと思いました。
 孫と午前中の短い時間にせよ、過ごすのは久しぶりなので、部屋で怪獣ごっこやカルタ取り等をして遊びました。3歳と5歳になった孫は平仮名も読めるようになって、読み手の私より早くカルタを取り、有頂天になっていました。

 やがて地域事務所周辺で開かれている、「公民館まつり」に出かけようということになりました。昨日は寒かったものの天気がよいので、3人で歩いて氏神様である天一稲荷神社にお参りして会場へ行きました。既に餅つきやドン豆、魚屋が賑やかに店開きしていましたが、孫たちの目はおもちゃを売る出店に向いていました。漁協女性部の北風部長さんにじゃこ天を一枚ずつ貰って孫は食べていました。
 その後消防署の展示場でフーセンを貰い、トレセンの中の展示場へ入りました。ここには孫二人の作品が飾られているのです。孫は自分の作品を指差しながら得意げに説明してくれました。爺馬鹿とでもいうのでしょうか、孫の作品はピカソの絵に似てますが、中々の出来栄えに感心しました。

お父さんの似顔絵(奏心作)
運動会の思い出(希心作)

 児童館コーナーで楽器作りに挑戦したりして時を過ごしましたが、財布を持ち合わせていなかったため、多少不満の孫たちを連れて自宅に帰り、既に美容院から帰っていた妻と四人で、今度は車で公民館まつりに出かけました。まず保健センター前でバザーの行列に並んで、うどんとカレーを予め買っていた食券と交換して、テントの下で食べました。うどんもカレーもとても美味しく、孫たちも満足の様子でした。顔見知りの知人たちが出店しているので、ワッフルやジュースを飲んだり、孫の展示を含めて見学して外に出ました。私は春慶塗のお盆と木製の印鑑箱をフリーマーケットで、それぞれ100円で買い求めました。孫たちも300円のくじでプラスチック製の刀をゲットして満足げでした。
 会場広場では大型トラックの荷台を利用したステージも用意され、芸能や発表会が賑やかに行われていました。天気がよくて主催者の皆さんも大満足のようでした。

春慶塗のお盆と木製の印鑑入れ

 

  「孫の守り 頼まれ孫と 久しぶり 会話しながら 楽しく過ごす」

  「公民館 まつり見学 のんびりと 天気もよくて 孫と手つなぎ」

  「フリーマー 春慶塗と 木製の 印鑑箱を 目敏くゲット」

  「孫の絵は まるでピカソと 思うほど 出来栄えよくて 爺馬鹿ぶりを」

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人間牧場

〇松山市から女性の視察団がやって来ました

 このところ少し遠のいていた、視察研修の一行が昨日の午後やって来ました。視察研修を受け入れるパターンは、地域事務所を通じる場合と私に直接依頼される場合、それに漁協女性部などから依頼される場合がありますが、昨日は最初漁協女性部の北風部長さんから打診があり、了解したその後、団体を引率する松山市役所から講師依頼がありました。事前の打ち合わせも殆んどしないまま当日を迎えたものの、多少不安だったので午前中に会場となるシーサイド公園へ出向いて様子を伺い、一旦帰宅して昼食を済ませ、再び10分前にイベントホールへ到着しました。

 視察団体は松山市漁協女性部の一行で、既に上灘漁協女性部手作りの弁当をイベントホールで食べ終わり、私の来るのを待っていました。早速私の話しを始めましたが、私と漁業の関係は①私が生まれたのが下灘という漁村、②私が卒業したのは宇和島水産高校、③私自身も7年間漁師をしていた、④母親が漁協婦人部長だった、⑤役場で水産行政を4年間担当し、下灘漁協魚市場や上灘漁協漁村センター建設に携わった、⑥シーサイド公園や豊田漁港周辺整備事業を行なったことなど、思い出しても思い出せないほど、片手指で数えて余るつながりがあるのです。

 そんな話を含めて1時間10分ばかりお話をしましたが、参加者の中には顔馴染みのおばちゃんが沢山いて、楽しい笑いの中でお話を終えました。皆さんは人間牧場へも行きたいリクエストがありましたが、残念ながらバスが大型なため乗り入れすることができず、次の機会ということで今回は諦めてもらいました。話が漁協女性部のあり方についてだったため、皆さんは前もってじゃこ天の注文をされていて、講演が終わるとそのじゃこ天を受け取りに店まで来られ、かなり混雑したようですが、売り上げに貢献できて何よりの成果でした。

 私もお昼前立ち寄った時、かなり立派な女性部手作りの弁当までいただき、また帰りには私の大好物の魚のすり身つみれを、1パックお礼にいただきました。私にとってじゃこ天のお店や上灘漁協女性部の皆さんとは、20年前シーサイド公園を造る時以来、着かず離れずパートナーシップを保ち、退職した今もその関係は続いているのです。女性部が愛媛新聞賞や農林水産大臣賞をいただいたことを思い出しながら、よくぞここまで成長してくれたと感心感謝しています。これからも求めに応じ心を込めて協力したいと思っています。

  「久しぶり 笑顔で声を 掛けあって 和気藹々の 視察受け入れ」

  「そういえば 私と漁業 つながりは 五指に余って あれやこれやと」

  「女性部と 聞けば母親 思い出す 活躍したが 今は天国」

  「夕食に 貰ったつみれ 汁が出る 美味い美味いと 夫婦フーフー」 

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人間牧場

〇お寺での講演会

講演会告知のチラシ

 私はこれまでに高知刑務所や東大など、色々な所へ講演に招かれたことがありますが、最近異色な所としてはお寺さんがあります。お寺さんからお話がある度に、少し躊躇をするのは正直なところです。なぜならばお寺の住職さんは、仏教の中から生まれてきたような人が多く、葬儀や法事など仏事全般において説教に馴れているのです。そんな所で浅学菲才な私が、まるで首実検をされるような真似はできないのですから、自信がないのは当然だと思うのです。それでも私は「呼ばれたら刑務所以外何処へでも行く(実は前述どおりこれまでに高知刑務所へ話に行きました)」を実践しているので、昨日は松前町神崎にある晴光院という曹洞宗のお寺に講演に出かけました。

山門入口にはおこがましくも看板が立っていました

 このお寺の近くに叔父・叔母の家がありますが、その叔父・叔母も2~3年前に亡くなり、仏事の度にこのお寺を訪ねたり住職さんのお話を聞いたり、時にはぶらり一人で叔父・叔母の墓参りをしている、いわば馴染みのお寺なのです。また今年の4月22日にはこのお寺で牡丹茶会という催しがあって、孫を伴い参加をしているのです。
 10時からの講演なのでお約束の30分前きっかりに山門に到着しましたが、山門入口には何と「若松進一さんの講演会」という看板まで立っていてビックリしました。
 牡丹茶会の時に案内された茶室風の部屋に案内され、住職さんや奥さん、それに檀家代表の方などが入れ替わり立ち代りごあいさつに見えられ、その都度会話しながら、出されたお饅頭と抹茶をいただき時を過ごしました。
 やがて時間が来たので本堂へ案内されて入ると既に沢山の方々が座って待っていました。参加者の中には知人や友人も何人かいて、軽く会釈をしましたが、内心知っている人の前では話しにくいと思いましたが、住職さんのあいさつに続いて演台に立つと、それさえも忘れて話し始めました。いつものようにアドリブながら、時には笑いを誘い、楽しく100分近くも話して終いました。

講演前の本堂の様子

 講演終了後控室に通されて奥さん手作りの昼食をご馳走になりましたが、具沢山のバラ寿司も、添えの揚げ物も美味しくて完食してしまいました。食事には遠路西条市丹原町から来られた竹細工の方と同席しましたが、丹原町に住む私の友人たちととても深いご縁があると聞いて、話は多いに盛り上がりました。
 私はその後所用があってお暇しましたが、今日も忘れられない思い出となりました。これも仏様の導きかも知れません。
 自宅に帰ってから夕方、あいさつもせずに帰ったものですから、参加してくれていた従兄弟夫婦にお礼の電話をかけました。

 

 

 

 

 

 

 

  「本尊の 鎮座見守る 本堂で こともあろうか 私が講演」

  「山門に 看板花を 添えられて おこがましくも 私の名前」

  「あの人も この人も笑顔 会釈する 知り人多く 少し尻込み」

  「気がつくと 全て終わりて 恥をかく 諦めながら 山門を出る」

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人間牧場

〇只今野菜作りに熱中しています

 これまで親父に任せきりだった家庭菜園での野菜作りは、94歳の寄る年波には勝てず親父が少しずつ撤退し始め、その比重が私に移りつつあります。今年は春先から今日まで、そのことを認識させられた一年でした。私は土いじりが嫌いではありませんが、家庭菜園での野菜作りは雑草と害虫と病気との闘いです。ほおっておくとこれら3悪人に乗っ取られてしまうのです。野菜作りの基本は安心と安全ですから、手間を惜しんで除草剤で済ませたり、病害虫対策として農薬を散布することは、極力止めなければなりません。全て難敵なので少し対応が遅れると、余計な労力がかかってそれらの餌食になり、私たち家族の口に入ることができないのです。

 

草引きを終えたホウレンソウ畑

 昨日はホウレンソウの中の草引きをしました。最近は素人ながら市販で買った野菜の種を、ずらし蒔きする術を覚えたので、ホウレンソウも春菊もカブ菜も、2回に分けて播種しましたが、早く蒔いたホウレンソウはハコベ草が沢山生えて、草に埋もれるような状態になったので、草引きに挑戦しました。ホウレンソウの新芽に柔らかいハコベ草が絡みつき、注意をしないと折角生えたホウレンソウを一緒に引き抜いてしまうのです。打ち鉤のような草引き専用の道具を使い、中腰で引き抜くのですが、これが結構ひざや腰に負担がかかり、6畝の草を引くのに3時間もかかってしまいましたが、何とか綺麗になりました。ずらし播きしたもう一方のホウレンソウは、鍬で根寄せしたり中興して草を抑えましたが、いやはや大変です。

 草引きをしていると妻が電話だと呼びに来たり、ポケットに忍ばせた電話が鳴ったりするものですから、その度に作業を中断しなければならず、汚れた手を首に巻いたタオルで拭いて対応しました。今朝は昨日草を引いた畑を見に行きましたが、中々綺麗に手入れができていて、ホッとしました。
 このところの穏やかな陽気に誘われて、キャベツに青虫が発生しているようで、緑色の葉っぱと保護色の青虫は、よく目を凝らして見ないと見つからないのです。昨日は20匹も見つけて取り除きました。今になって親父の苦労が垣間見えますが、昨日は親父も鍬で周囲の草を削ってくれていました。水戸黄門などの時代劇を見るのが楽しみな親父は、3時半になるとさっさと引き上げてしまうのです。
 昨日は私の作った春菊やチンゲンサイが、食卓を彩ってくれました。近所や親類への野菜のお裾分けも始まりました。

  「草と虫 それに病気は 三悪人 家庭菜園 骨が折れます」

  「虫食いは 虫が食うから 安全と 勝手な解釈 しながら食べる」

  「草引きは 腰・膝痛く 堪えます 手入れ正直 野菜豊作」

  「年老いた 親父の苦労 垣間見る 私にゃとても 真似ができぬと」

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