人間牧場

○省エネ抜群の優れもの

 今年の冬は事の他寒く、暖房のために使っている石油ストーブの給油回数が例年より多いようで、近所のガソリンスタンドが廃業したこともあって、一週間に一度隣町のガソリンスタンドへ、軽四トラックにポリタンクを積んで、灯油の買出しに出かけなければならないのです。わが家では風呂も灯油ボイラーだし、居間、書斎、キッチンに3台の石油ストーブを置いています。息子たちのキッチンと居間はエアコンなのですが、最近の寒さのため、朝起きた時に寒いらしく私の書斎の石油ストーブを、息子に横取りされてしまいました。仕方なく私の書斎には少し小さめのストーブを置いていますが、来客がある時は仕方がないので余り好きでないエアコンの力を借りているのです。

 昨年から同居を始めた息子は、パソコンで買い物をする達人で、何かにつけてパソコンで買い物をしているようです。私も時々息子に頼んでアマゾンで本を買ったり、飛行機のチケットを手配してもらったりしてもらっていますが、息子に頼むとお使い賃を上乗せして「お釣りはいい」となるので、少々割高なようです。私は古いタイプの人間で銀行や郵便局にしろ買い物にしろ、まずカード決済は絶対といってよいほどしません。私が持っているカードは車のETCカードとガソリンスタンドのカードくらいですから、使いようがないのです。そのため多分カードによるトラブルに巻き込まれることはないのです。

 さてそんなカード決済の息子に、先日パソコンプリンター用のインクを安く買ったことはブログに書きましたが、先日息子は蛇腹のような1.5mもある筒を、得意げになって買ってきました。何でも石油ストーブの前に一方の穴を置いてコタツの中へもう一方の穴を突っ込むと、石油ストーブの温風がコタツの中を温かくしてくれるという、アイディア商品のようでした。妻はテレビの噂の県民ショーで、東北のどこか地方で愛用されているというのを見ていたので、直ぐに理解をしたようでしたが、私は半信半疑でした。ところがいざ使ってみるとこれがとても優れもので、今までストーブの温度を25度に設定して使い、コタツも電源を入れていたのに、ストーブの温度を15度に設定しても、コタツの中はポカポカで、室温も適温に感じられるようになって、省エネな暮らしを謳歌しているのです。

 息子はこの優れものを探し当てたことで得意になっています。妻も「息子が買ってくるものはろくな物はないが、この風洞だけは凄い」と大満足のようです。私もこれには大変感心しましたが、余り誉めると息子が悦に入るのでほどほどに留めています。
 息子家族と同居しているお陰で、灯油をストーブや風呂の灯油タンクに小まめに給油してくれたり、パソコンの不具合を直してくれたりしてくれるようになって大助かりです。妻と嫁も別々の台所なので時々再々まるでご近所のように、美味しい料理が届いたり届けたりして、お互いがいい目をしています。今朝も焼きたてのパンのいい香りがしていて、もう直ぐわが家へ届くことでしょう。

  「パソコンで 商品色々 買う息子 それにあやかり 私もついつい」

  「省エネの 風洞コタツ 突っ込んで 温か過ごす 厳寒の冬」

  「荷が届く 代引き代金 支払いは 銀行口座 キャッシュレスです」

  「ETC それに給油の カードだけ 時代遅れも はなはだしいね」

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○私が行かなかったことが一番の収穫かも

 昨日は自分が参加しなければならない年輪塾の修学旅行に、叔父の納骨法要があったため参加できなかったため、少し空気の抜けた風船のような一日でした。そのためだけではなく今年一番の寒気の影響で朝から雪や風の強いあいにくの寒い気温のせいで、寒さをことのほか強く感じました。妻は風邪を引いては大変とホッカイロを用意して、私の腰辺りに張ってくれ何とか無事にお勤めを終えました。
 それでも年輪塾の修学旅行のことがやはり気になるのか、夕方にでも現地に電話をかけようかどうしようか迷い、そのことを自宅に帰ってブログに書いていました。以心伝心というのでしょうか、今回の修学旅行の企画から運営を一手に引き受けて出かけた小番頭の松本さんから、「思ったほど天気も悪くなく、それなりに楽しい旅を続けています。止む無く参加できなかった塾長のことについては、皆さんに知らせておきました」と携帯電話をかけてきてくれました。

 それでも気になるのか午後8時過ぎに、私の名代として出かけてくれた清水塾頭に電話を入れてしまいました。私が電話をかけた時は交流懇親会の真っ最中で、島根県から現地入りした沖ノ島町の南さんが自己紹介をしている声や拍手が電話の向うでリアルに聞こえてきました。
 私が電話をかけている様子を見て、妻は気の毒そうに「お父さん行きたかったのに残念だったね」と慰めてくれました。と同時に「あなたが行かないことも意味がある」と悟ったような話をしてくれました。確かに妻が言うように、年輪塾は清水塾頭、米湊大番頭、松本小番頭、浜田筆頭塾生などなど、私の心を慮れる人が沢山いて、私は一種のお飾りのような存在なのです。組織にはお飾りのような存在は必要ですが、私がかつて自分の上司であった町長さんに、「金を出せ、口は出すな、責任を取れ」という三つをして欲しいと言っていたことのできるお飾りでないと、本当の意味での立派なお飾りにはならないのです。

 いつもいる人がいないと、みんなはいつもいる人の分まで考えたり働かなければなりません。これは親子関係においても同じで、親が子どもの成長を見下して、いつまでも頑張り過ぎると子どもは親にも垂れることを覚え、いつまで経っても成長自立しないのです。昨日は法要のため久しぶりに親族が集まりましたが、若くして親に先立たれた子どもほどしっかりしていることに気づきました。私の従兄弟は若くして親父を亡くしましたが、今は立派に成長して下灘の組合長をしているし、同じ従兄弟もそれぞれ親父を亡くしていて、それなりにしっかりした生き方をしているのです。私は93歳の親父が現在も健在です。ひょっとしたら私が一番自立できていないのかも知れないと思ったりしました。
 今の世の中はバーチャルとリアルが混在化して、どこまでがリアルでバーチャルなのか、判断に苦しみます。本当はバーチャルの世界なのに、携帯電話の受話器からリアルな生の声がどんどん入り、まるで自分がそこにいるよな臨場感を覚えました。今回の修学旅行は妻が言うように、「私が行かなかったことが一番の収穫」だったのかも知れないと、一人苦笑いした一日でした。

  「これまでは 日程上手く 転がった 今回だけは ミスマッチです」

  「親若く 亡くなった人 それなりに 逞しく生き 自立している」

  「俺などは 今も親父の 支えあり 甘えの構図 いつまで経っても」

  「死ぬか去る これがリーダー 育つカギ 俺もそろそろ ○○○なろうか」

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○徳島県で一番小さい村訪問記(その2)

 徳島県公民館連絡協議会主事部会の現地研修講演を終え、夕方7時から始まる「村づくり住民会議」まで少し時間があるので、村内の小料理屋さんへ教育長さんたちと連れ立って出かけました。夕食を兼ねた懇親会とのことでしたが、まあ凄いオードブル料理の数々にビックリしました。料理を食べながら集まった村民会議役員の皆さんと、色々な話をさせてもらいましたが、世の中とは狭いもので特老の施設長をしている岩角さんの娘さんが、何と双海町へ嫁いできているというのです。しかもその方のお父さんは私の同級生なのですから、驚く他はありませんでした。
 村づくり村民会議の冨長会長さんは43歳だそうですが、若いのに中々しっかりしていて、特産品のももいちごをハウスで栽培しているそうで、旧暦についてすっかり意気投合してしまいました。

 私たちの町で炊き込みご飯、しょうゆ飯、いりこ飯などと呼んでいるご飯が、この地域の郷土料理だそうで、蕎麦の実の入ったおつゆとの組み合わせは絶品でした。また冨長さんが持参した取れたてのももいちごも沢山いただきました。本当は皆さんもお酒を飲みながら懇親会をしたかったのでしょうが、夜の講演会に備えノンアルコールのビールで飲んだつもりの懇親会となりました。
 再び役場横の農業振興センターまで戻り、三々五々集まってきた50人ほどの人を前に講演を行ないました。担当の日下さんから送られてきていた講師依頼書に書かれたとおりの人数が集まり、時間通りに講演会が始まるあたりは、村づくりの基本が出来ていると感心しました。お昼の研修会に続いて村長さんもフルタイムの参加です。お昼と違った話をしなければならないのですが、多少ダブった話もさせてもらいました。私の自己紹介を兼ねたDVDの映写や、名刺の話、電光掲示板の話に会場は大爆笑だったようです。講演後の意見交換は一番後ろに座っていた、20代の女性4人を名指して意見を述べてもらいましたが、しっかりした意見を述べてもらい頼もしい限りでした。

 やがて講演が終わり、村長さんはじめ寒い駐車場に出てお見送りまでしてもらい、もと来た道を引き返しましたが、高速道路までの道は曲がったり細かったりで、一瞬こんな道だったかと不安に駆られましたが、カーナビの助けを借りてほぼ完璧にインターチェンジへ辿り着き、少しスピードを上げつつ安全運転に注意して、ほぼ予定通り12時近くに自宅へ着きました。自家用車のメーターは往復500キロ近くになっていましたが、これほどの距離を日帰りで、しかも講演をダブルヘッターで出来るのですから、高速道路の恩恵、カーナビの恩恵は大したものです。また67歳といえど私の元気ぶりも自分自身で感心するほどです。これも見送り迎えてくれた妻のお陰であり、日ごろの節制で鍛えた体力の賜物です。でも何といっても一番は私を招いてくれた徳島県公連や佐那河内村なのですから、大いに感謝をしなければなりません。主事部会長さんや村長さんに心から感謝します。
 余談ですがそのきっかけは昨年の秋、松山で開かれた中四国公民館大会の席にパネラーとして招かれ、パネルディスカッションで私が気を吐いて話したことが、今回の講演のきっかけになったのですから、分からないものです。私の肩書きは愛媛県公連専門委員でした。

  「わが娘 双海へ嫁いで いるのだと 藪から棒に 言われ驚き」

  「500キロ 思えば遠くへ 来たもんだ しかも日帰り 便利世の中」

  「佐那河内 読み書きできぬ 難しい 一度覚えりゃ 絶対忘れぬ」

  「村という 地名愛媛にゃ ないゆえに どこか懐かし どこかほのぼの」 

 

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○徳島県で一番小さい村訪問記(その1)

 ご多聞に漏れず愛媛県の市町村が平成の大合併で、70市町村から20市町になったように、徳島県でも24の市町村に再編されたようです。愛媛県では今回の合併によって村という自治体は完全に姿を消しましたが、高知県では馬路村や大川村が残っているし、徳島県でも佐那河内村が残っていて、今も合併する意向もなく残って生き延びているところを見ると、平成の大合併は果たして何だったのか?と首を傾げたくなるような気持ちになるのです。
 そんな徳島県唯一の、いわば徳島県で一番小さな村佐那河内村から講演の依頼があって出かけることになりました。かつて私は何年か前、佐那河内村に山で接する神山町や上勝町へ講演に出かけたことがありますが、その折は初めて訪ねたこともあって、えらい山の中だとイメージしていたし、佐那河内村という名前だけ聞けば大変失礼な話ですが、山間僻地のイメージも拭えませんでした。しかしいざ出かけてみると徳島市と隣接していて、不便どころか近い位置にあることを実感しました。

 それでも伊予インターから高速道路に乗って松山道を走り、川之江ジャンクションから徳島道を藍住インターまで約200キロ走り、そこから山道国道を20キロ余りの道程ですから、ゆっくり走って3時間余りかかりました。前述の佐那河内村は遠いという先入観を持っていたので、午後からの講演でしたが少し早目に自宅を出たため昼過ぎに到着しました。
 カーナビの目的地である佐那河内村役場を一旦通り越し、少しだけ村内視察をしようと奥まった道を走りました。道端に資源ごみストッカーが見えたので路側帯に車を止めて見学しました。基本的なことですがその町や村の地域づくりのレベルを見るには公衆トイレ、ゴミストッカー、花壇等を見れば長年の訓練でおおよそのことは分かるのです。資源ごみストッカーは整然と清潔に保たれていて完璧でした。また空き缶十字群などとイラストで描かれたパロディ看板も中々味のある取り組みでした。遠くの雪を被った峰々には20基近くの発電風車が威風堂々と見えました。

 開会時間が近づいてきたので役場まで引き返し、役場前野駐車場に車を止めると、運よく夜の講演の担当である日下さんに出会い、村長室へ案内されました。「いやあお会いしたかったです」といきなりニコニコ顔で村長さんに出迎えられました。聞けば徳島県由岐町、合併後の美波町の親友小坂進さんとは長年のお付き合いだそうで、のってから大いに話が弾みました。
 実はこの日の講演は、会場が佐那河内村になっている徳島県公民館連絡協議会の主事部会の現地研修が先に計画されていました。その講師に愛媛県公民館連合会専門委員という肩書きのの私が講師となっていることを聞きつけた村長さんが、折角佐那河内村に私が来るのだったら、是非地域づくりの講演会を夜に開きたいと申し出があったのです。その夜は遅くなるので徳島市内に泊まって頂きたいとのことで、ホテルを予約していただいていましたが、明くる日のスケジュールが立て込んでいるため、講演終了後帰りたいとホテルをキャンセルしてもらいました。

 午後の研修会は佐那河内村の市原公民館長さんの事例発表と私の講演の二本立ててで、「これからの公民館のあり方」について90分ばかり、徳島県下各地から集まった80人を前に、自慢の毒舌でお話をさせてもらいました。第一線で働く館長さんや主事さんたちばかりなので意識も高く、いい雰囲気の集会となりました。村長さんも研修会に最初から最後まで同席して私の話を聞いていただきました。首長さんは日常業務が忙しく、とても研修会で講演を聞く余裕などないはずなのに、こうして時間を割いてもらい恐縮千万、頭が下がりました。
 研修会が終って村長室で雑談をさせてもらい、佐那河内村出身の有名な書家の「龍」と書いたビッグサイズの色紙をいただきました。また美味しい佐那河内村特産の立派なももいちごまでお土産にいただき何とお礼を言ってよいやら・・・・。昨日で私はすっかり徳島県で一番小さい村佐那河内村の大ファンになりました。これからは講演のつれづれに、すだちの里・ももいちごの里であるこの村を大いに宣伝したいと思いました。

  「ももいちご 素敵な特産 ネーミング ほっぺ落ちたる ほどの美味しさ」

  「徳島で 一番小さい 村だけど やってることは ビックなサイズ」

  「ゴミや花 トイレを見れば その町の レベルが分かる 長年経験」

  「村長の 村を愛する 心触れ こちらの心 までもほのぼの」

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○雨に日には雨の日の仕事がある

 このところ春の足音を感じるように、冬としては珍しいシトシト雨が3日間も降り続いています。テレビのニュースによると北国では氷点下の大雪、南国沖縄では25度を上回る夏日とのこと、その真ん中にある四国は雨も当然でしょうが、今更ながら小さな島国といえど南北に細長い日本の気候を垣間見るのです。雨が降ると「天気が悪い」という言葉を耳にします。雨が降ると何故天気が悪いのか?、これも言い古された言葉ですがよくよく考えてみると可笑しな話なのです。雨は水なしでは生きてゆけない私たちの暮らしにとって、とても大切なものです。特にこの時期に降る雨は木の芽起こし雨といって、植物の成長には欠かせないものです。今年の冬は地球温暖化などどこ吹く風で、特に北国は積雪や低温の記録を次々と塗り替え、そこに暮らす人たちの深い悩みを誘発しているのです。3日間ぐらい小糠雨が降ったぐらいで、やれ洗濯物が乾かないとか、やれ農作業が出来ないだとか、「天気が悪い」と騒いでいますが、大雪に悩む北国のことを考えたらそれは贅沢な悩みなのです。

 私はポジティブな人間なので、雨が降っても「天に向かってブツブツ言うな、雨の日には雨の日の仕事がある」とばかりにむしろ雨を喜び、雨を楽しむように心がけています。散歩を楽しむ友人は「雨で散歩が出来ない」、ゴルフをする友人は「雨でゴルフの練習が出来ない」と嘆いていますが、私は長靴を履き傘を差して平気で散歩に出かけるのです。今時長靴等履かない人が多いようですが、私は長靴を年中愛用しています。お陰で雨が3日続きましたが、3日間で3万歩以上を歩き目標達成です。
 わが家の玄関先には大きい水がめが2個置かれています。一方は水を張ってメダカを飼育していますが、一方の水がめは傘立てのインテリアとして活用しています。傘は5~6本置かれていますが、この3日間ちゃっかり妻が愛用している赤い傘や水玉模様の傘等を意識的に毎日違えて使っています。僅か一回40分ほどの散歩ですが、人目をはばかることなく傘で雨とお洒落を楽しんでいます。いやあ実に楽しいものです。

 私の散歩コースの急峻な坂道の殆んどはコンクリートで舗装をされていますが、頂上付近は雨が降るとぬかるむ土道です。ゆえに長靴でないとシューズではすべるのです。最近はこの山道も殆んど通る人がないため私とイノシシの専用道路のようなものですが、私がシューズや長靴で踏みつけ道を作ると、何日かするとイノシシが道の片側を何故か掘り返しているのです。多分餌となるミミズを取るための動作か、あるいは体毛に付着した害虫を駆除するための動作だと思うのですが、この半年ほどはイノシシが夜行性のため姿は殆んど見ていないのです。
 親父から昨日の朝、「裏山はイノシシが出没するから気をつけて歩くように」と、注意をされました。自分のことよりも息子のことが気になるらしく、有難い忠告として受け止めています。
 今日は間もなく徳島県佐那河内村という山奥の村へ講演に招かれているので、これから出かけますが、多分天気は上向くものと思われます。

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○愛媛新聞カルチャースクール特別講座「いよ食談会」

 今日は松山市の街中にあるレストラン門田で「いよ食談会」があり、私はゲストスピーカーとして招かれました。愛媛新聞食談会のゲストスピーカーとして招かれたのは今回が三度目ですが、毎回食のテーマも会場も違っていて、今回は洋食で会場となる部屋のテーブルには、ナイフやフォークが沢山並べられていました。午前11時30分に開会し、食事の前に約30分ゲストの私が卓話をするのです。食事の前なので食事中の会話が弾むように、出来るだけ楽しいお話をするように聞いていましたが、私の話は相変わらずアドリブな漫談調でした。参加者の殆んどは少し年配の利口そうな女性が中心で、終始笑い声が絶えず反応は抜群でした。はてさて参加された42人のお客さんの耳に私の話はどう響いたのでしょうか。

ローストビーフ

 午餐、~冬真っ只中~と書かれたメニューが受付で配られ、レストラン門田のオーナーシェフが、地産地消にこだわった食材や料理の特徴等を紹介して食事はスタートしました。今日のメニューは以下の通りでした。
 宇和島の前菜盛り合わせ
  三間町産小豆のクリームスープ
 四国中央市産チョウザメのワイン蒸し
 貝柱のガレット添え ゆずソース
 内子豚の煮込みと門田特製ロースとビーフの盛り合わせマスタードソース
 西条産うちぬき水で育った野菜サラダ松山産緋の蕪ドレッシング
 デザート盛り合わせ
 コーヒー
 パン

 私はどちらかというと日本食が好みの人間です。パンよりはご飯、肉よりは魚、ナイフとフォークよりは箸、コーヒーよりは日本茶と、今日のテーブルは私の好みのまるで反対でしたが、中ほどに設えていただいた講師席に座って、神妙な面持ちで粗相のないように気を配りながら食べましたが、素材の良さでしょうか、とても美味しくいただくことが出来ました。レストラン門田で食事をするのはこれで5~6回目ですが、妻に食べさせてやれば喜ぶだろうと思ったのが本音でした。
 私の隣の席には妻と同じ八幡浜出身の品の良い女性が座り、また前には新聞社の瀧宮さんや浅野さんも座り、楽しく和やかな話に花を咲かせました。

楽しい食事会

 今日の参加者の中には顔見知りの人も何人かいたし、前回出会った人や私の話を何度か聞いた人もいました。私は今朝9時にギノー味噌の本社へ出向き、田中社長さんから麦味噌300gの袋を50袋いただきました。また新商品である松山しょうゆ飯のサンプルを4個預かって、裏が味噌の名刺と共に、大いにPRさせてもらいました。名刺といい電光掲示板といい、今ではもうすっかり動く広告塔としての役割を果たしているのです。今日も充実したいい一日でした。

  「レストラン 食事の前に 卓話する 会場爆笑 食欲増えて」

  「テーブルの 上に並んだ 食器類 手術台かと 見まがうほどに」

  「ギノー味噌 社長がくれた 味噌配る 損して得を 取りたい一心」

  「裏が味噌 電光掲示 しっかりと 使って動く 広告塔に」 

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人間牧場

○私のJRC(青少年赤十字)講演集

 私は現在、由並小学校と双海中学校、それに愛媛県立松山工業高等学校の学校評議員をしています。ゆえにそれぞれの学校へは、何かにつけてご案内があるので出かけるし、翠小学校へもお客さんを案内するのですが、私の母校である下灘小学校へは中々行く機会が少ないので、少々気になっていました。特に私が実行委員長を務める、双海町子ども体験塾実行委員会のメンバーである、下灘小学校の校長先生が病気になられ入院していたのに、見舞いに行く機会を逸していて、復職したとの風の便りが届いていたので、先日お見舞いがてら出かけて行きました。
 学校の入り口にあるプール下の駐車場が一杯だったので、近くの空き地に車を置かせてもらい、歩いて坂を登りました。何年か前枯死寸前のイチョウを守ろうと行なったイチョウプロジェクトの成果で、少し元気になったイチョウを見学しながら職員室へ入りました。アポイントも取らず午後の訪問でしたが、運よく校長先生が在校していて、案内された校長室でお話をさせてもらいました。病気のこともお聞きしましたが、すっかり元気になられてホッと一安心しました。

 手土産もお見舞い品も持参せず、僅かに人間牧場で採集した蜂蜜の小瓶を2個差し上げました。この蜂蜜は私が採集したものを長男が糖度計を基に水分を飛ばして純度を高め、友人のあべまりあさんに書いてもらったイラストを印刷したラベルを貼った、人間牧場産のオリジナルな蜂蜜なのです。お口に合うかどうか分かりませんが、お口汚しに差し上げました。
 帰り際先生から一冊の本を10冊ほど差し出されました。この本は平成20年10月21日に下灘小学校体育館で開かれた第50回青少年赤十字研究会で、私が講演した講演集なのです。私も過去に数冊いただきましたが、多分私の書斎のどこかにしまっているのでしょうが、すっかり忘れていました。僅か50ページ足らずの小さなポケットサイズの本ですが、校長先生の言葉に甘えていただいて帰りました。

私の講演集

 目次を見ると「地域と協力した青少年の健全育成」と題して、次のようなことを講演しているようです。
 1、はじめに
 2、下灘小学校の思い出
 3、青少年活動とのかかわり
 4、青少年を取り巻く社会の変化
 5、青少年の健全育成
 6、これからの青少年教育
 7、おわりに
 当時のことを思い出しましたが、自分の地元では中々話しにくいと思いつつ90分間話しましたが、いざこうして言葉がテープ起こしされて文字になり、記録に残ると何となく面映い感じがするもので、まさに汗顔の至りといったところです。
 私の話し言葉はあえて方言を多く使っているため、書き言葉にすると方言が出過ぎ、それを標準語に直すと臨場感が出なくて、どこで折り合いをつけるか、校正を頼まれた折苦労したことを覚えています。まあこのような資料的講演集はいずれ、紙ごみとして処分される運命にあるため、余り気にすることもないのでしょうが、少しドッキリしたことは事実です。

  「久方に 母校を訪ね シンボルの イチョウを見上げ 感傷ふける」

  「休職の 校長職場 復帰して 元気な姿 見せて安心」

  「これどうぞ 貰った私の 講演集 ああ恥ずかしや 汗顔至り」 

  「方言で 喋った言葉 標準語 直され臨場 姿が見えず」

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人間牧場

○モニターツアーのお接待

 前の晩、潮風ふれあいの館に宿泊していたモニターツアーの一行が、伊予市役所双海支所の冨田さんや松本さんに連れられて、翠小学校まで4キロ余りをウオーキングするというので、前日私の落伍を聞いてもらい、夜なべ談義で交流していたこともあって、ウオーキングの途中にわが家があるので、休憩のつもりでわが家へ立ち寄ってはどうかと、お節介ながらお接待の話を持ちかけたところ、快く引き受けてもらい一行がわが家へやって来ました。今回のモニターツアーの一行の中には、三つ子の赤ちゃんを連れた夫婦がいて、外国人の奥さんと日本人のご主人は3人乗りの乳母車を押して一足先にやって来ました。
 運よくわが家の内孫二人も自宅にいたので、三つ子を見て大はしゃぎでした。誕生を過ぎた三つ子の赤ちゃんは三人とも、まるで人形のような姿をしていて愛嬌たっぷりでした。わが家には年中人が訪ねて来ますが、三つ子の赤ちゃんは今回が初めてのようなので、記念に写真を撮らせていただきました。

  わが家には海の資料館「海舟館」と私設公民館「煙会所」、それに夕日の見える「夕観所」がありますが、昨日は時間が余りないので温かいお茶も出さず、「夕観所」でポンカンとお菓子のお接待をさせてもらいました。わが家の入り口にはお地蔵さんをお祭りしていて、毎月21日を縁日と決めて妻が作る赤飯のお接待を、もう30年近くも続けているのです。縁日の日はお地蔵さんの祠にシキビを活け、親父は10本近くの奉納された縁日用幟を立てます。妻は前日の夜用意した小豆と米を大きな業務用のガス炊飯器で赤飯に炊き上げ、透明のタッパに注ぎ分けて親類縁者に配るのです。お陰様で家族一同、特に若い頃ガンの大病を患った親父も、93歳の今日まで守っていただいて長生きしているのです。モニターツアーの一行は案内人として同行した、上田稔さんのレクチャーを聞きながらポンカンを食べ、お菓子をポケットに入れそそくさと引き上げて行きました。

夕観所でポンカンとお菓子のお接待

 四国は遍路の国といわれ、もう間もなく春になると同行二人と書かれた金剛杖とすげ傘、それに白い衣を来てお遍路さんが巡礼して歩きます。昔は歩くことしか手段がなかったので、140キロにも及ぶ巡礼の道をただひたすら歩いたようです。そんな遠出が出来ない人のために地四国やミニ四国というご当地四国が各地にありますが、残念ながら私たちの町では大久保八十八ヵ所も上灘八十八ヵ所廃れています。でも公民館の宮栄館長さんや赤石主事さんの努力によってその所在が明らかになり、今月20日にはその全てを歩いてみようと計画しているのです。
 モニターツアーを本物のツアーとして定着させるには、こうした生活文化的価値や、心のこもったお接待的なおもてなしも必要ではないかと密かに思っています。今回ははふって沸いたような思い付きのお接待となってしまいましたが、ツアーの醍醐味はご馳走を食べることでも風光明媚な場所でもなく、シイタケの菌打ち作業や魚をさばくこと、蒟蒻や豆腐を作ること、お地蔵さんに手を合わせること、お接待を受けることなどなど、日々の暮らしそのものが地域資源だということを確認したようでした。

  「道すがら 立ち寄る先の お接待 何もないけど 厚い心で」

  「わが家に 初めて三つ子 やって来た 愛嬌振りまき 孫も喜ぶ」

  「四国には 弘法大師の お導き 同行二人 いつも一緒に」

  「暮らしこそ 地域資源と 考えりゃ 何もない町 何でもありて」

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人間牧場

○内孫とロケ風呂を楽しむ

 年始から立春にかけて今年の冬はとてつもなく寒く、北日本では多いところで3メートルを越す気象新記録続出の大雪に見舞われているようです。そのせいでしょうか最近はインフルエンザが猛威をふるい、これまた120万人を突破する新記録だそうです。北日本本の大雪も日本列島のインフルエンザも、高齢化社会の進んでいる日本では赤信号で、除雪や落雪、風邪による高齢者の死亡は何とも悲しい出来事なのです。
 それでも寒い中ですが季節のめぐりを実感するように、散歩コースの山道からは、少しだけ上達したウグイスの鳴き声が聞こえ、春間近を実感するのです。
 建国記念の日の昨日は息子が久しぶりに休みだったようで、「お父さん、人間牧場へ行こう」と誘ってくれました。妻は友人仲間4人と道後温泉一泊の小旅行に出かけるので、朝早くから私と親父の夕食準備のためおでんを煮込んだり、ご飯を炊いたりして私に「これは昼、これは夜、これは朝」と準備した料理をいちいち指示して10時過ぎに出かけて行ったので、これ幸いとばかりに息子の誘いに乗り、内孫2人を連れ息子嫁の軽四で出かけました。

 人間牧場へ着くと孫2人は冬のうっ憤を晴らすように大はしゃぎで、水平線の家のロフトに上がったりウッドデッキで転げまわったり、時には草の上を転げたりしながら楽しそうに遊んでいました。息子はロケ風呂に水を張り火をつけて風呂を沸かし始めました。私はその間年末に杉垣の剪定をした枝をチェンソーで切りました。小気味良いチェンソーの音が野山に響き、あっという間に枝は短く切られ、ピザ釜用の薪になりました。小枝や杉葉は芋畑のイモヅルと一緒に火をつけ焼却処分をしました。勢いよく燃える火が体を温め、作業で体を動かしたこともあって、あっという間に汗をかきました。
 やがて作業が終ったころ息子の沸かしていた風呂が沸きました。さあ田舎の温泉とわが家で呼んでいるお風呂に入ろうと孫2人を裸にし、私も裸になってげす板を沈め湯船に入りました。湯船は3人が入るとお湯がいっぱいになり涌き出るほどの狭さなので、あっという間に満杯になりました。孫たちと湯船に浸かりながら眼下に見える海や空や島を眺め、「いい湯だな」を大きな声で歌いました。息子が3人の写真を何枚か撮ってくれましたが、まさに絵になる光景でした。

 天気は上天気ですが外気温が寒いため、少し眺めのお風呂に入り大汗をかきました。孫たちは出たり入ったり、お湯を掛け合って悪ふざけをする度にしかったりなだめたりしながら温もらせて、息子が綺麗にお湯や汗をふき取って着替えさせていました。おっつけ自宅で留守番をしている息子嫁から昼食の準備が出来たから帰宅するように携帯電話が入り、午後1時30分になって昼もとっくに過ぎていたので急いで引き返しました。
 昼は息子嫁手づくりのラーメンを美味しくご馳走になりました。昨日は気になっていた作業もはかどり、お風呂まで内孫と一緒に堪能できました。加えて種蜂が逃げたものと思っていた人間牧場の蜜蜂の巣箱に、種蜂が生きているのを確認でき、底板の掃除も出来てホッとしました。冬蜜蜂たちはこれまでに自分たちが貯めた蜂蜜を食べて生きながらえているのです。そのため気が荒く気をつけなければ刺される危険性があるため、孫たちを遠ざけて底板の掃除をしました。
 春はもうそこまで来ています。近所の人の畑では既に昨日ジャガイモの作付けを行なっていたようです。寒くて遅れていた家庭菜園の農作業もしなければなりません。はやる心を抑えながらの一日でした。

  「孫たちと 三人湯船 いい湯だな 湯気沸き立って 温泉気分」

  「チェンソーの 音山々に こだまする 春が近いと 感じて作業」

  「種蜂が 蓄え食糧 食べながら 生きて冬越し 偉いもんだな」

  「湯気向う 海空船に 島見ゆる 長閑けき冬の 半日楽し」  

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人間牧場

○小学生への出前授業

 一昨日の午前中、地元由並小学校の4年生の授業で栗坂先生から話を頼まれ、シーサイド公園内にあるイベントホールへ出かけて行きました。寒いといいながら全面ガラス張りのイベントホールには春の日差しが優しく差し込み、暖房をしていたこともあり、ポカポカと温かくついウトウトしたくなるような雰囲気でした。
 前日の夜、事前に子どもたちが作った手書きの質問事項を栗坂先生からいただいていたので、おおよその内容は知っていましたが、20人ほどの子どもたちから質問形式で意見を出してもらい、シーサイド公園の出来た歴史的経緯、シーサイド公園の運営、シーサイド公園の施設内容、双海町の観光などにくくって私が話をしました。
 シーサイド公園の歴史的経緯
  ・シーサイド公園はどんな目的で作ったのか。
  ・シーサイド公園は誰が計画し造ったのか。
  ・シーサイド公園を造るのにどのくらいの費用がかかったのか。
  ・シーサイド公園の名前は誰が考えたのか。
  ・シーサイド公園はいつころできたのか。
  ・シーサイド公園を造る時の苦労話。

熱心に勉強する由並小4年生

 シーサイド公園の施設内容
  ・ひょうたん島・オブジェのLED光線、ウッドデッキ・童謡の小路・恋人岬・夕日のミュージアム
  ・階段式護岸・人工砂浜・二つの駐車場・穴の開いたモニュメント・二階のレストランの夕浜館という名前
  ・鯉の泳ぐ池・恋人の聖地・モアイ像と夕日の地図・特産品センター・遊具やゴミ箱が少ない訳など。
 シーサイド公園の運営
  ・公園何に何故お店があるのか?。
  ・シーサイドのお店でよく売れているものは何?。
  ・何故じゃこ天は売れるの?。
  ・年間どれぐらいの売り上げがあるの?。
  ・誰が運営しているの?。
  ・砂浜が綺麗なのはどうして?。
  ・イベントが多いのは何故?。
  ・年間どんなイベントがあるの?。
  ・水族館はどうしてなくなったの?。

 双海町の観光
  ・一年にどのくらい観光客が来るの?。
  ・パラグライダーの着陸地点になぜなっているの?。
  ・水仙祭りは何故シーサイド公園でするの?。
  ・夏の海水浴客は一日どのくらいな人が来るの?。
  ・イベントの観光的効果は?。
  ・シーサイド公園の課題と将来の夢。
 小学校4年生とは思えない様々な鋭い質問が私に矢継ぎ早に寄せられました。由並小学校からはシーサイド公園が一望でき、子どもたちは毎日公園を見ているし、何かにつけて公園へ遊びに来ているので、さすがだと感心しながら1時間20分も話し込んでしまいました。時々やって来る視察者もこれと同じようなことを聞くのですから由並小学校の子どもたちは大したものです。久しぶりにシーサイド公園の構想を計画したり造ったころのことを思い出しいい勉強になりました。

  「四年生 俺に色々 質問し まるで視察の 人のようです」

  「そういえば 二十年前 燃えていた 夢を形に 反対押して」

  「子どもだと 思っちゃならぬ 質問は 大人顔負け しっかりせねば」

  「夢は何 子どもに聞かれ ドキッとす この歳なると 夢も萎んで」

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