人間牧場

〇公友会誌第24号

 暮れも押し迫った昨日、私が会長を務めることになった公友会という公民館OB会の事務局(愛媛県公民館連合会)から、公友会誌第24号(平成23年12月)が送られてきました。私は25年前にこの会が発足以来会員として名を連ねていますが、元々この会は県公連の会長を長年務めていた岡島明夫さんの肝入りで作ったものですから、岡島さんが22年間も会長をされていました。しかし岡島さんも寄る年波には勝てず、会員の気配りで3年前に魚島村の村長だった佐伯真登さんに会長職をバトンタッチしていました。今年の10月30日秋の勉強会が、奇しくも25年前に発会した時に使った白魂という中華料理店であり、今年の夏に初代会長の岡島さんが亡くなったこともあって、佐伯さんから会長を辞する旨の提案があって、図らずも私が三代目の会長に就任したのです。

 公友会はOBの集まりですから会員全員が毎年一歳ずつ歳をとって行くため、活気が失われつつあることは大きな問題です。会長が代わったところでこの問題は解決しないので、私は会長を引き受けるに当たって幾つかの提案をしました。先ずこれまで置かれていなかった副会長を2名お願いしました。東予から生名の浜田さん、南予から長浜の菊地さんを選びました。これで相談できる相手ができました。また年に一度の勉強会には現職の若い公民館主事さんたちを招いて交流会をしようと思っています。私が一番やりたいことは「公友会10人衆」という比較的若いメンバーを10人セレクトしてプロフィール名簿を作成し、かつて公民館の実践で培った論理を愛媛県内公民館の活動に生かそうという試みです。既に今回の公友会誌の中には松本、谷本、米湊、津嶋さんのような若い人が持論を寄せていて、その兆候が見られるので年でも明けたら事務局と相談して実行に移そうと思っています。

 さて送られてきた会誌には、双海町の松本さん(無人駅をフィールドミュージアム)や米湊さん(やっぱ、ふるさと双海町が好きです)の記事が載っていますが、「もう一人の自分を強くする」というタイトルで私のつたない文章を載せています。記録のつもりでスキャンしておきます。
 この会誌が恐らく遺稿となったであろう、先日亡くなった親友菊地邦求さんの「地域の民生委員として」という少し短めの原稿が偶然にも私の原稿の直ぐ後に載っていました。菊地さんは合併して大洲市職員になった職場を退職して直ぐに民生委員になったようです。地域のお年寄りとのふれあいの中で感じる福祉の脆弱さと重要性を強く訴えているようでした。「民生委員は偉ぶらず、住民と一緒になって汗を流し、住民の立場に立った活動をしていきたいと思っています。寒い時期だからこそ暖かい心配りの思いやりが必要だと思う今日この頃です」と、印象的に締めくくられていました。

 「人は何のために生きるのか」「私はどんな思いで何をしてきたのか」「これから何をしようとしているのか」「私には何ができるのか」、公友会誌をめくって会員の主張を読みながら様々な想いが去来しました。算数的には1+1=2だけど、公民館のパワーは1+1<∞(無限大)という法則を公民館主事13年、公民館長2年の経験で学んでいるのですから、会員40人弱の公友会といえども大きな力を生み出せるはずなのです。少なくてもOBとして昔を懐かしんだり傷を舐めあったりするだけの活動にはしたくないものです。
 私たちの役割は公民館のためにどう役立つか、公民館の未来を背負う人たちをどう育てるか、つまり役立ち感と人づくり感を生きがいに生きていけるような人間になりたいのです。少々熱くなり過ぎましたが、まあやるべきことをやって次の人にバトンタッチをしたいものです。

  「公友の 会誌送られ 目を通す 汗顔しつつ 書いた記事読む」

  「亡くなりし 親友遺稿 読む度に 人の命の はかなさ思う」

  「一人逝き また一人逝き 順番の 近づく性を 何と思わん」

  「今日もまた 夜明け迎えて 起き上がる 転ばぬように 注意をしつつ」

公友会誌に書いた私の記事記事P、1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

公友会誌に書いた私の記事P,2

 

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